第26話 B子さん、再挑戦(B子さんの就労支援・後編その3)
その日の午後から、本格的に事務系の仕事をするために訓練を開始した。
今度はみゆきもB子さんに協力的になった。
数日前まで、B子さんが僕に寄ってこようものなら、鋭い視線で威嚇していたのに。昨夜、キスした余裕なんだろうか……。わかんないや。
渡辺さんが作ったソフトウェアは、画面表示を調整できるようになっていた。
完全に画面の半分だけを隠してしまうことも、一部分を隠す事もできるのだ。
言語聴覚士の木下さんによれば、B子さんの場合、画面上だと左下側五分の一が見にくいそうだ。
さっそく調整して試すことにした。
「どう? B子さん。やりにくかったら言ってください」
表計算ソフトに入力しているB子さんに聞いてみると、
「今のところ、大丈夫ですね。浩さん」
と、満面の笑みを浮かべ、振り返って僕を見つめた。
さっそく、その場で僕がチェックしてみる。左下側のデータもミスすることなく入力されていた。
フフンっと言わんばかりのB子さんに、少し連続して作業してみるように促した。
注意障害があるなら、ミスなく作業できる時間が重要だ。今はミスがなくても、どこまで持続できるか……。
一時間が経過した。
いったん、B子さんに作業を中断してもらって、チェックした。
「B子さん。今日はミスなくできてます」
「やったね! これでいつでも事務系受けられる」
「まだまだだよ。明日から訓練時間を調節しますよ。二時間続けて作業してみよう」
「げ……」
不満げに口を尖らせるB子さんだが、表情は明るかった。先行きが少し見えてきたこともあるだろう。
次の日以降、B子さんのパソコン訓練の時間を増やした。
集中できる時間を、本人自身知ってた方がいいし、僕たちも知っていた方がいいからだ。
障がい者雇用の場合、必ずしもフルタイム勤務がいいわけじゃない。本人の障がいの程度にもよるし、企業側が時短勤務の人員を要望していることもある。
そもそもフルタイムの募集そのものが少ない。
あとはB子さん本人がどういう働き方をしたいかだ。
***
本格的にB子さんのパソコン訓練をはじめて二週間が経った。
訓練の結果、二、三時間程度の作業なら、短い休憩を入れればミスがなくなることもわかってきた。
事務といっても、ずっと机に座っているわけではない。そのくらいの時間だとトイレに行く事もあるだろう。それらを考えれば、集中できる時間は充分だ。
「浩さん、パソコンって意外と面白いね」
いつものように訓練していた時、ふと僕を見上げて、B子さんがつぶやいた。その瞳がきらきらと輝いている。
「ちょっと前まで苦手だって言ってませんでしたっけ?
「そういうこともあったわね。やれるようになったからかな、って思う。前はなかなか思うようにできなかったから……」
いい傾向だと思った。
再就職活動で大切なのは前向きな気持ちだもんな……。
「本間さん、ハローワークから電話です」
「あ、今行きます! B子さん、ハロワから紹介かもね」
「だったらいいですね〜」
口角を軽く上げる彼女の横顔を後にして、職員室へ電話を取りに向かった。
ハローワークからの電話連絡は必ずしも、案件紹介ばかりではなかったりする。定期的な案内は送られてくるし、逆に向こうから相談にのってほしいということだってある。
内心、B子さんに紹介したいのが案件があるって、話だったらいいなと思っている自分がいた。
はやる気持ちを抑えながら、僕は受話器をとった。
「いつもお世話になっております。本間です」
「あ、本間君。B子さんはその後、どうかしら?」
電話は専門援助部門の安西美咲からだった。
先日以来、彼女を声を聞くのは久しぶりだ。
あの名刺裏の携帯番号のことを思い出して、脇の下が汗ばんだ。
「……えっと、彼女は今、パソコンの訓練を中心にしてます。販売はやはり無理なので、事務系の仕事を探そうかと相談していたところですよ」
「……ちょうどよかった。今日、データ入力の求人が出てきたので、どうかな、って思ったのよ。B子さんに聞いてみてくれると嬉しいな」
「わ、わかりました。少々お待ちください」
僕は少しあわてた。
本当に紹介を受けるとは思ってもいなかったのだ。
「B子さん! ハロワから事務の求人が来ました。どうします?」
「え? ほんとに?」
目を丸くしているB子さん。
つい僕も廊下をダッシュしてきたので、ちょっと息があがってしまった。
「ハアハア……。も、もちろん……」
「え。あ、受けます」
「わかりました。そうハロワに伝えます。じゃあ、履歴書を作っておいてください」
僕はそのまま職員室へ引き返し、安西さんへ今回の案件を受けることを伝えた。
***
「ねえ、浩……。さっき廊下を走ってたでしょ?」
「あ、ああ。ちょっと急いでたもんで」
「バカ! 何やってるの! 患者さんや浩自身がケガしたら困るでしょ!」
両手を腰に当てて仁王立ちするみゆき。
思いっきり顔を上気させてるし、目元もつり上がっている。
「わかってるの! ほんとっ!」
「ご、ごめん。みゆき。ちょっといいことがあったもんだから、つい……」
「……まったく。次から気をつけてよ! で、いいことって何よ? 気になるじゃない」
ふぅ、と呆れたようにため息をつくと、みゆきは口を尖らせながら、僕に尋ねてきた。
「ああ。B子さんの件で、ハロワから事務系の案件を紹介されたんだ。ちょうど本人と『紹介されたらいいな』、なんて話してたから、つい……」
「ふ〜ん。浩、今回はどうする気? 正直いって今回は面接について行った方がいいと思うんだけどな」
「B子さんは結構、自立してるだろ? 自分で歩けるし、交通機関も利用できる。介助することもないのに、逆に不自然に思われるんじゃないか?」
「浩……彼女のどこ見てるのよ! B子さんはあたいたちだけに心開いてるんであって、まったくの他人だったら、今見てるように明るく振るまわない可能性高いでしょ?」
そうだった……。すっかり明るくなったように思えたけれど、人を選ぶタイプだった。
「わかった……。ちょっと本人と相談してみるよ」
今日の訓練時間も残りわずかだ。
急いでB子さんに面接についていくことを伝えなきゃ。
「ちょ、ちょっと浩!」
急いで訓練室に入ろうとすると、背中の方からみゆきに呼び止められた。
でも目の前にはB子さんが立っていた。
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