第20話 B子さんとの交流・後編

 次の日、B子さんとの午後イチに面談の予定を入れた。

 もちろん本人と関係部署には伝えてある。


 こんなに急いでいるのには理由がある。


 今のままだと、何もできずに退院日を迎えてしまう。彼女の場合、退院予定日まであと三ヶ月しかない。

 上層部は三ヶ月もあれば就職が決まるはず……って考えているらしく、このタイミングで僕たちに話を持ってきたのだ。

 

 障がいのない人たちだって、三ヶ月以内で就職が決まるのは運がいいほうなのに。まったく管理職は何もわかっちゃいない。

 

 と、まあ愚痴は心の中だけにとどめておこう。

 今は目の前のいるB子さんのことだ……。


 前回は顔見せ程度で終わってしまったので、今回こそ就職の方向性を決めたいところだ。希望職種だけでもいい。それによって訓練内容が違ってくる。

 そのうえAさんと違って、僕たちが職場開拓をしなければならない。場合によっては、ハローワークや他の機関の協力を仰がなきゃならないかもしれないのだ。


 とにかく急ぐ。退院予定日までになんとかしなきゃ……。

 そう考えるだけで僕は脇の下に汗を感じ、喉がやけるように乾く。

 

 B子さんが面談室に来るまでの間、少し時間が合ったので、みゆきとB子さんのことを話し合った。


「彼女は就職できると思うかい? 医者の立場から見て……」


 みゆきは少しうつむいて腕を組み直す。

 ふぅ、と一息ついたかと思うと、僕の瞳を見すえて言った。


「……どうだろう? あたいは工夫して、左下の見えにくさを何とかすれば就労は可能だと思う」

「工夫?」

「ああ。半側無視や注意障害って、見える課題の一部は見えてるんだろ?」

「まあ、そりゃそうだけど……」

「浩は普段どうしてるのさ……」


 悪戯っ子のように瞳を輝かせて、僕の瞳を覗き込んでいるみゆき。彼女がこういう目つきするときは、とっくに知ってるはずだって確信を持ってる時だ。


「……わかった! いきなり全体を見せるんじゃなく、見ることができる範囲を最初から狭めてやればいいんだ!」


 僕は網膜剥離の後遺症で視野欠損がある。当然、見えていない部分は、自分で見えるように工夫する。だって見えない範囲がわかってるから。


 B子さんの場合は逆だ。

 

 見えない範囲がわからないなら、最初から見える範囲を狭めてしまえばいい。そうすれば、自分で見えるように工夫しなきゃならなくなる。自覚がないことが、問題を起こす原因なのだから……。


 にやっと口をゆがめると、みゆきはさすが、とつぶやき、僕に同意する。


「そう。そのとおり。認識できる範囲が狭いなら、ちゃんとわかる範囲内に限定しちゃえばいい。一見、効率が悪いように見えるけど、障がいによるミスを減らす工夫さ。できる範囲で仕事できるようにすればいい」

「……問題はその範囲をどう決めるかじゃないかな」

「そうだね……。残りの訓練期間で試行錯誤していこうよ、浩」

「ひとつ課題ができたわけか……」


 さすがみゆきだ。頭がいい。少し方向性が見えてきた。

 問題はどういう方法を使うかってことと、大丈夫な範囲を決めることだ。


 ちょうどその時、トントン、と扉を叩く音がした。予定より少し早い。さっそくご本人に座っていただいて、面談をはじめた。


「やあ、JKY君」


 開口いちばん、B子さんはさりげなく毒舌を吐いた。

 さすがにギョッとして……と、いうよりも、JKYの意味がわからずに尋ねる。


「え?  B子さん、JKYって何のことですか?」

「看護師さんたちが、浩さんのことをそう言ってたよ?」

「……それ、どういう意味かな?」

「『女子の空気読めない奴』って意味よ。昨日の昼休みに聞いたの」


 僕とみゆきを交互にみて、クスクス小声で笑うB子さん。特に僕を見るとき、いたずらっ子のように笑った。

 あ〜。なんかわかった。昨日、女性職員たちが騒いでたのは、僕のことだったのか……。

 

「いやあ〜。楽しいなあ〜。面白い人が担当になって……」


 さっきからウサギを狙うキツネのような目つきで、僕を見ている彼女。


  ……どういうことだろう。

 これが彼女本来の姿なんだろうか?


 昨日までとうってかわって、楽しそうではある。こっちの反応を見て楽しんでるようだ。

 みゆきは彼女の態度が気に障っているようだ。ちょっと眉根をひそめ、握ってる指先に力が入ってる。


「あの……。楽しいのはいいんけど、B子さん。どうして僕をからかって楽しんでるのかな?」


 隣でイライラしはじめたパートナーを気にしながら、僕はB子さんに尋ねた。


 彼女はう〜んと唸りながら、茶色い瞳をクリクリと動かす。

 そして、緩んでいた口元をキッとしたかと思ったら、僕をしっかり見すえて言った。


「んと……。遠野先生も荒井先生も、浩さんに対してはありのまんまだからかな。二人とも診察の時は、いかにも『お医者様』なんだけど、浩さんの前だと本当の自分をさらけ出してる、って感じ……。だから前の担当者と違って、浩さんには地を出した方がいいと思ったの」


 一気に言いたいことをいったからか、さっぱりした表情のB子さん。

 やっぱり、これがB子さんの本性だ。抑うつ状態だと思っていたのは勘違いだったのかもな……。

 これまで職員には心を開けなかったのかもしれないな。


 それはさておき、時間がない。


「……なるほど。本当の自分ねえ……。ま、その話は後にして、本題に入りましょうか。B子さん」

「もちろん。そのための時間なんでしょ」

「B子さん。貴女、本当に就職したいの?」


 少し棘のある言い方で彼女に問うみゆき。


「もちろん! だって仕事しなきゃ食えないし、家にいてもしかたないじゃないじゃない」

「わかりました、B子さん。病気になる前にしていた販売系のお仕事のほうがいいですか?」

「……たぶん無理だと思うわ。こんな身体でお客様の前になんか出れないでしょ?」


 彼女は動かない左腕を右手で持ち上げて、机の上に放り投げるように置いた。

 

「なるほど……。おっしゃるとおりですね。障がいあるかたが、接客しているのはあんまりないですから。でも以前、お店を任されてましたよね? 売り上げ管理とかもされていたでしょう?」


 彼女の個人ファイルには、店を任されてたことが記載されている。当然、日々の売り上げ管理等もしていたようだ。

 ならば人目につかない事務的な業務もできるはずだ。


「まあ……。そうだけど……」

「……わかりました。以前、数字をいじっておられたなら、パソコンを使ってする仕事ならなじみやすいと思いますが、いかがですか?」

「……私、あんまりパソコン、得意じゃないのよ」

「じゃあ、残りの三ヶ月、パソコンの入力に絞って訓練をしましょう。他の職員と相談して教えていきますから」


 表計算ソフトを使って、データ入力をする仕事は、障がいのある人でも充分できる仕事のひとつだ。


 問題はB子さんの場合、左下側がわかりにくいのだ。

 データ入力をミスなくできるようにするためには、どうしても工夫する必要があった。

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