第21話 B子さんは癖のある人
B子さんと面談をしたその日の夕方のこと。
職員室で彼女の障がいをどう補うのかを、みんなで話し合っていた。
「左下側が見にくいってことが、ご本人、わかってるようですね。歩行訓練では、いつも左側を気にかけてますよ、B子さん。急いでいると転倒することがあるとは言ってました。普通に通勤するのは問題ないかと思いますよ」
と、鈴木さんがリハビリ室での様子を話してくれた。
木下さんは彼女の心理状態を聞きたがった。
僕はB子さんと面談したときの様子を話した。
すると木下さんは、
「まあ、前任がひどかったからかなあ」
と、頭をかきながら苦笑した。
「前任って……。確か、B子さんは前の入院先がT総合病院でしたっけ?」
「そう。転院の時に、引き継ぎしたのは私だけど、ちょっとイヤな感じのする社会福祉士だったんだよ。なんだかお高くとまっててさ」
「ふ〜ん……それがB子さんにとって、面白くなかったわけか」
T総合病院は、このあたりでは大学病院にならぶ大きな病院だ。
いい医師も設備も整っていて、どんどん新しい外来や施設が増設されてるところだ。多くの患者さんは、そういう『いい病院』に受診したがるものだ。
ただ新しく有名だからって、それがイコール良い病院ってわけじゃない。
人気のうえにあぐらをかいている病院もあれば、医療者との相性もある。
「病後の不安を聴いてくれなかったんじゃないか? あそこは患者さん、多いからね。不安をちゃんと聴いてなきゃ、誰だってイヤになるさ。それで抑うつ状態になったのかもね。それに……彼女はちょっと面倒な性格だからねえ。もう少し話をしてみるといいかもしれない」
「ありがとうございます、木下さん。そんな面倒な人なんですか?」
「人の好き嫌いは激しい……かな。ま、本間君なら大丈夫だよ」
「はあ、そうですか……」
なるほど。話を聴いてもらえなかった可能性は高いなあ……。
「おおっと、われわれはそろそろ帰るとしましょうか」
手のひらをヒラヒラさせながら、職員室を出て行く木下さんと鈴木さん。
「……浩、うちらも帰る? とっくに勤務時間終わってるよ」
みゆきに言われて、時計をみると十九時をすぎていた。当直がもう夜勤に入っている時間帯だ。
ん? とても大切なことを想い出したぞ!
「うおっ! 丸物スーパーのタイムセールが!」
「なっ! あたいたちには大切な用事だろう! 車、準備しとくから職員室を閉めてきてよ」
そう言うやいなや、慌ててバタバタと職員室を飛び出していくみゆき。
僕たちにとってタイムセールのスーパーは戦場。
そこに参戦できぬのは死活問題である。
速攻でパソコン端末の電源を落とすと、職員室の鍵をしめて廊下に出た。職員玄関へと急いでいると、リハビリ室から出てきたB子さんに出くわした。
「あれ? 浩さん、まだいたんだ?」
「ちょっとね……。それよりB子さん、リハビリしてたんだね。いいことだよ」
「あら? 就職するにも体力は必要でしょう? だから食後の運動してるの。ダイエットにもなるし」
そう言いながら、タオルで腕や鎖骨のあたりを拭う。汗ばんでいるせいか、妙に色っぽく感じる。思わず僕は視線をそらした。
「……ねえ。みゆきさんとエッチしてないの?」
「なっ! な、ななにを言ってるのかな。みゆきとはそういう関係じゃ……」
「だって、今、わたしみてドキドキしたでしょ? 溜まってるんじゃない?」
僕の言葉をさえぎるように、悪戯っぽく笑うB子さん。美人なだけにゾクッと来るものがある。
この人、小悪魔だ……。
「よ、よけいなお世話だよ。帰るよ」
「うふふ……残念。お疲れ様、また明日ね」
彼女から逃げるように、僕は玄関へとむかった。
***
何とか戦利品を確保でき、無事に自宅で夕食にありつけた。その後、いつものようにみゆきとくつろいでいた。
ふと、B子さんのことが頭に浮かんだ。残りの時間でどれだけのことができるんだろう。
「どうしようかなあ……」
「もしかして、B子さんのこと考えてたの?」
「まあね。データの入力を教えるにしても、自分でミスに気がつきやすくするようにしなくちゃならないだろ? どう、カバーすればいいのかなって考えてた」
「まったく……今は、あたいらのプライベートタイム。患者さんのことを考えなくってもいいじゃない。元データや手本は定規や紙を使って、一行だけに集中できるようにすれば?」
あ〜あ、とため息をつきながらも、さりげなくフォローしてくれるところが彼女のすごいところだ。
「でもさ……みゆき。元データの方はそれでいいとして、入力したものを確認するのは難しいんじゃないか?」
「本人が集中するか、ミスがないようにするしかないさ」
「何? その根性論……」
「だって、結局は根性でしょ?」
あああ。そういえばみゆきは体育会系だったんだ。
魚屋の娘で、睡眠障害になる前は陸上女子。
そんな娘に根性論じゃダメだって言ったところで意味なかった。
「……みゆき。あのさ、僕が右側が見えにくいって知ってるよね?」
「ええ、もちろん。だからあたいは、いつも右隣にいるんじゃない?」
「右側が見えないのは、僕の根性で何とかなるものかな?」
「う。ず、ずるい……。わ、わかったわよ。真面目に考えるわよ!」
「ふふん。障がいなんだから、補うことを考えたほうがいいだろ?」
「……ドヤ顔しないでよ! で? 入力中のものを画面で確認できればいいの?」
「B子さん本人がちゃんとチェックできなきゃ意味ないって」
僕は机からノートパソコンを持ってきて、いくつか考えてる案を出した。
「最初に考えたのは、音声による補助さ。ほら、これなら表計算ソフトやワープロソフトも読み上げてくれるからいいかなって……」
すでに入力していた表をパソコンで読み上げてみせた。
「なるほどねえ……。今はこういうのがあるのね」
「元々、視覚障がい者がパソコンを操作するものなんだけど、今、入力してるものを読み上げてくれるし、カーソルがあるところを読み上げるからいいかなと思ったんだ」
「……でも、左下にカーソルがあると、見失ったりしないかな?」
「う〜ん。注目してるところを画面真ん中に持ってこれるといいんだけど……」
最近のソフトウェアは障がい者にも操作しやすいようになっている。
画面や文字を大きくしたり、白黒にしたり。
はたまた音声入力や読み上げができたり……。
ただ、それは個人個人の事情に合わせたものじゃない。
それぞれが使い方を工夫するか、市販のソフトで補うかだ。
B子さんの場合は、左下半分を使わないようにさせるか、ソフトウェアで上手く調整するかだと思う。
「……そうだ! 事務にメガネかけた渡辺さんっているでしょ?」
「ああ。最初の頃、よく院長の日程を尋ねたりしてたよ。彼がどうしたの?」
「彼、プログラミングできるわよ」
おお。それはいいことを聞いた。少し力を貸してもらおう。
「ちょっと明日、相談してみるよ……」
「決まったね! ほら、仕事はおわり! ちゃんとあたいの相手してよ〜」
ノートパソコンを僕から取り上げて、いつの間にか隣に座っているみゆき。
そんな彼女の手を握ると、手のひらから温かさとやわらかさが伝わってきた。
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