第19話 B子さんとの交流・前編
昼食の時、みゆきと相談して、B子さんがいつも座っている席で、一緒に食事をすることにした。別に彼女と話をするわけじゃない。最初は一緒にいるだけでもいいんじゃないかって、みゆきと話した結果だ。
うちの食堂は4人掛けのテーブルがある。
中庭が見える窓際の席がいつもB子さんが食べる定位置だ。B子さんはいつもそこで一人で食べている。
患者さんたちの配膳を手伝った後、僕とみゆきは自分たちの食事を持って、B子さんの席についた。
「B子さん、ご一緒させてもらっていいですか?」
「……いいわ」
B子さんは窓の外を見ながら、小さな声で答えた。
「そろそろ暖かくなってきますね、B子さん」
「…………」
無難に天気の話からと思って、こちらから話しかけてみる。
彼女は黙々と食べながら、庭の方を見ている。
う〜ん。これは会話にもならないなあ。隣にいるみゆきも苦笑している。
視線の先に何があるんだろうって思って追ってみると、何の変哲もない木々があるだけだった。
たぶん何も彼女の目には映っていないんだろう。正直、困ったな……。
無理に会話をするわけにはいかず、僕たちもB子さん同様に黙々と食事をとっていた。ふと、後ろから人が近づく気配がした。
振り返ると、そこには荒井さよこが弁当袋を持って立っていた。
「今日は浩君と一緒に食べようと思って……。よろしいかしら?」
「くっ……さよっちか……」
思いっきり眉根をよせてイヤな顔をするみゆき。
「……どうぞ」
テーブルは四人がけだ。当然、一人分空いている。それにさよこのことだ。ここで断っても後が面倒そうだ。そう思った僕はしかたなくさよこに同席をうながした。
「まったく……甘いよ、浩は」
患者さんの前であることも忘れて、ぶつくさと文句をいうみゆきを無視し、さよこはB子さんの隣に座った。
席に座ると、さよこはタッパを取り出しテーブルに置いた。中身はフルーツ詰め合わせ。今日の昼食のメニューはエビフライ定食だから、ちゃんと事前に調べてきたな。要は口直しを持ってきたわけだ。
僕が食べ終わると、ささっとタッパを僕の方へよこすさよこ。
それを咎めるように。みゆきの視線がレーザー光線のように僕を射貫く。
怖い。無言の二人からの圧力がひたすらこわい。
震える手でカップのお茶をすする。早くこの場から離れたい。もう今日はB子さんのことはいいから帰りたい。そんな気分になる。
そんなことおかまいなしに、さよこは自分の箸でうさちゃんりんごをつまむ。そして、僕の口にそれを差し出してきたのだ。
「浩君、あ〜ん」
「…………」
りんごを目の前に差し出しているさよこ。にこにこしているけれど、ちっとも目が笑っていない。むしろ圧力しか感じない。
「……さ〜よ〜っちぃ〜。何をしてるのかなあ〜」
妙な空気を破ったのはみゆきだった。
「何って……決まってるじゃない。浩君にデザートをさしあげているところですわ」
「よ、よさないか! ……んぐっ……!」
彼女たちの痴話喧嘩を止めようと口を開いたところ、すかさず口の中にりんごを放り込まれた。まさか患者さんたちの前で出すわけにもいかず、もぐもぐと口を
「なっ! 何、さよこからもらってるのよっ! バカ浩!」
「バカはないだろう、バカは……。しかたないだろう。口に入っちゃったんだからさ」
「やったあ〜。わたくしの勝ちだわ」
「な、なにおぅ〜! さよっち! 勝手にデザートなんて持ってきてさ。おかしいじゃない?」
「何がおかしいのかしら? ちゃんと殿方の栄養バランスを考えて差し上げるのが淑女の務め。それを何です? 同居までしておいて満足にお食事も作ってないんでしょ?」
「何ですって〜! やる気?」
「ちょ、ちょっとやめろよ。みゆき、さよこ……」
あああ……。こんなところでケンカがはじまってしまった。きっと周りからみたら、僕がオロオロしているのがわかっただろう。
「……ぷっ……くすくすくす……くす。あははは。あはははっ!」
ふいにB子さんが小さい声で笑いはじめた。
遠慮がちなその笑い声が徐々に大きくなっていく。
「ど、どうしたんですか? B子さん……」
ギョッとしているみゆきたちのことはおいて、僕はB子さんに声をかけた。
それまで笑ったこともしゃべったことがほとんどない彼女。その彼女が思いっきり笑っているのだ。B子さんの心理状況が急変したかと不安になったのだ。
抑うつの人にとって、笑うことはかなり無理をしている状況だ。もし、僕らのケンカがそのきっかけとなったとしたなら、B子さんの心に
「あ、いやいや。あんまり浩さんの痴話喧嘩が面白かったので……。ぶっ……あ、ごめんなさい」
僕の顔をみて再び爆笑しはじめるB子さんだった。
さすがにみゆきとさよこは、羞恥のあまり顔を真っ赤にしていた。
はあ〰〰。患者さんたちには、僕らの恥部を見せちゃったなあ……。
***
昼休み、みゆきと職員室でさっきのB子さんの反応について話をした。これまで最低限の反応しかなかったB子さんが笑ったのだ。
「……で、みゆき。さっきのB子さんのことどう思う?」
「あたいらの真剣勝負を笑ったことか?」
真剣勝負って……おいおい。僕らの恥をさらしたんだけどな。
僕があきれてると、ニヤッと笑ったみゆきが話を続ける。
「……なんてね。ま、半分冗談だけど……。少し心を開きつつあるんだと思うよ。偶然とはいえ、恥をかいたかいはあったんじゃない?」
「まあ、いいけどね……。B子さんって恋バナ好きなのかな」
「彼女だって、あたいらと変わらない歳だよ。興味あるに決まってるじゃない。そんなこともわからないの?」
「まるでみゆきが恋バナに興味あるみたいな言い方だな」
「あのねえ……どうしてこう鈍感なんだろ。浩ってさ〜」
ため息をついてジト目で僕を睨みつけるみゆき。
みゆきの態度、話してることが気になったのか、女性職員がいつの間にか周りに集まってきた。
「なんだか楽しそうなこと話してるじゃない。リア充たち……」
意地悪そうな笑みを浮かべながら、やってきたのは木下さんだし……。
「恋バナと聞いて、浩さんに呼ばれたんだと思いましたわ」
と、勝手に妄想をふくらませているのは荒井さよこだ。
それ以外にもいつの間にか、看護師の戸川さん、しまいには今村看護部長さん、事務の渡辺さんまでもが話に加わった。もう打ち合わせどころではない。
「……で、ちっとも浩のやつ、やる気見せてくれないんだ」
「みゆきさん……かわいそうに。あんな女性が醸し出す空気読めない奴と一緒だなんて……」
「みゆきの時もそうなの? あきれた……変わってないのね。あの人……」
「やっぱりねえ〜。何だかちっとも進展ないようだから、心配してたんだよ。もっとあからさまじゃなきゃダメな男なんだろうかねえ」
女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。
いつの間にかB子さんのことから、僕の話に置き換わってしまってるぞ。予想される女性たちの責め苦から逃れるため、トイレを口実にその場から逃げ出した。
その結果、昼休みが終わった頃には、僕はすっかり女子職員の間では、『女子の空気読めない奴』=『JKY』として知られるようになってしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます