第15話 遠野みゆきの憂鬱
*ヒロイン・遠野みゆきの一人称です
あたいは湯船につかりながら、今日一日のことを思った。浩と離れるのは、入浴中とトイレだけだ。いつも一緒にいるから、こういう一人で考える時間って大切だ。
それにしても激動の一日だったな。
そう言ってしまうのは簡単なことだ。朝からさよっちに起こされ、昼飯もジャマされた。まったく……。
でも、いいこともあった。Aさんの職場復帰が決まりそうだ。それも主任さんと結婚して、一生サポートされるとか。
浩も言ってたけど、あたいらは何もしなかったな。ただ職場の協力者を呼ぼうって、Aさん本人に伝えただけだ。それでよかったのかな……。なんか物足りないな。他にもいろいろできたんじゃないだろうか? あとでまた浩と話してみよう。
しかし……。さよっちのヤツ。なんだよ、いまさら……。
いきなり当直室にやってきて、力ずくで浩から離したのには驚いた。彼女にあんな行動力あったんだ。お嬢さまだって思ってたよ。
***
湯船から出て、身体を洗いはじめる。
今夜も浩を抱きしめて寝るつもり。だから今日もよくきれいにしなきゃ。だってさ、かわいいんだよ? あたいの胸の中で、スヤスヤ寝てる浩の寝顔って……。元々、浩が童顔ってこともあって、何だかいとおしくなるんだよね。
あたいが浩と出会ったのは研修医になりたてのころだ。
机にかじりついていたころは、寝てしまっていても問題にはならなかった。さすがに患者さん相手に、寝落ちすることが続くとあたいも不安になってきたんだ。
あたい、大丈夫かな? って。医者になれるのかな? って……。
そんなあたいを勇気づけてくれたのが、浩だったんだ。
研修医になって初めての飲み会で、たまたま彼と隣になったんだ。最初の印象は暗いやつだった。あんまり話しかけてくることもなく、たまに料理をとってくれるくらい。嫌われてるのかな? とか思ったけど、元々、シャイで自分から話しかけないタイプだって、後で友達から聞いたよ。まあ、第一印象はよくなかった。
飲み会の席だからか、誰かがあたいの悪口を言ってたんだ。それもわざと聞こえるように。『元ヤンキーなんだって』とか、『さぼって寝る女だ』とか……。あたいはいつものことだって無視してた。
でもさ、だんだん悔しくなってきたんだ。そりゃあ、高校の時は親父が死んで、荒れてたよ。タバコや酒をやってたし、不良だったさ。自分の中で医者になりたいって、希望ができたから今のあたいがいる……。
そんなことを思ってたら悔しくって……。自然と涙が出てきたんだ。
あたいの涙をそっと優しく拭ってくれたのが浩だった。それまで無口だったくせにさ、ずるいよ。惚れちゃうじゃん。
あの時、浩があたいの話を聴いてくれなかったら、医者になることをあきらめてたかもしれない。それに浩はこう言ってくれたんだ。
「もし何かあったら、いつでも僕を呼んでくれ」って……。
あの一言はずっと忘れない、忘れられない。
その飲み会からしばらくして、あたいは西村先生執刀のオペを手伝うことになったんだ。手術中はさすがに緊張するし、めちゃくちゃ忙しいから寝落ちすることはないだろうって思ってた。念のために知り合いの看護師に『寝落ちしたら浩を呼んでください』って、頼んでおいたんだ。
実際には恥ずかしいことに、一番大切な局面であたいは寝落ちしちゃった。
それで気がついたら、浩があたいの手を握りしめてたんだ。彼にそうされると、何か黒い不安なものが溶けていくんだ。それ以来、浩に手を握ってもらっていることが多くなったんだ。
オペ室寝落ち事件以来、あたいと浩は、ずっと一緒にいることが増えたんだ。
当時、彼が彼女持ちだってことは知ってた。でも浩はあたいがそばにいても、邪険にはしなかったんだ。『いないと困るだろ?』って言ってくれてさ。正直そんな彼に甘えていたと思う。
あたいの睡眠障害はどんどん重くなってきて、日常生活にも困るようになってきたんだ。普段困るって話をしたら、浩は『じゃ、一緒に住もう』って言ってくれたんだ。
……正直いって恥ずかしかった。だって男の子と一緒だよ? もっと不安だったのが、彼女がいるってことだった。
さすがにそれはないでしょ? って、浩に言いたかった。でもあたい、彼に甘えてしまったんだ。
それでも嫌そうな顔をしてたのかもしれない。浩はあたいにこう言ったんだ。
「大丈夫だよ。みゆきさんとはパートナーになるだけだからさ。僕もさよこに言っておくよ」
そっか。パートナーか……。って、え? それってプロポーズなのか? さよこって、さよっちのことか?
「あ、あのさ。さよこって、荒井さよこか? 脳外科の……」
「ああ。そうだよ。一応、彼女だから、みゆきさんと仕事上のパートナーになったって、言わないとまずいだろ?」
……さよっちだったのか。このとき、初めてあたいは友達が彼の相手だと知ったんだ。正直いって、なんとも言えない気持ちだったよ。複雑……。
あたいが頬に指をあてて思案していると、
「仕事上のパートナーだから恋人じゃない。もちろん手も出さないから安心していいよ」
って、追い打ちをかけるように浩が言ったんだ。仕事上のパートナーかあ……。それならいいかな。あたいは深く考えもせず、彼の提案に賛成したんだ。
またあの黒いモヤモヤした不安の中に戻りたくなかったから……。
***
結局、浩がさよっちに、あたいと同居することを話したんだ。で、白昼堂々、アパートの前で、さよっちが浩を平手打ちした。つまり、さよっちが浩を振ったんだ。
まあ、当然だよね。
さよっちからすれば、浩をとったように思われてるだろうさ。とっくにそんなこと、彼女のなかで吹っ切れたもんだと思ってたよ。やっぱりあきらめきれないのかな。
昼間だって、手弁当を浩に嬉しそうに渡してたしさ……。
ふうぅ、とため息をついて、湯船のへりに頭をのせてリラックスする。
「おい! みゆき! ほら、起きろって。風呂の中で寝るな!」
あれ? 浩の声がする……。また、寝落ちしちゃったんだ……あたい。
ぼうっと寝ぼけた頭で彼をみつめる。
あたい……。
やっぱり浩が……。
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