第14話 荒井さよこの偏愛
*ほぼ元カノ・荒井さよこの心の中の独り言です
私だって、みゆきになんて負けてないわよね……。
浴室の姿見を見ながら、自分の肢体がきれいに見える角度でポーズをキメてみる。
うん、イケてる。
私はみゆきに比べれば背が低い。そこはちょっと劣等感。
男から見たら、背が低い女性のほうが魅力的なんでしょ? みゆきなんて背が高すぎて、浩君、いつも見上げてるじゃない。私なら、ちょうど顔が彼の胸元に来るんだよ? ああ、彼の胸に顔をうずめたい……。彼の匂いを味わいたい……。
浩君の胸の代わりに、湯面に顔をブクブクと半分うずめていく。そして今日のことを思い出す。
今日、私は新しい職場に行ったの。
彼が好きな深紅の下着、そして香水も彼好みのものをつけたわ。好きな彼との再会なのよ。そのくらいの身だしなみはするでしょ? 私がえっちだからってことじゃないと思うの。
身だしなみだけじゃなくって、ちゃんと私は彼にお弁当を作ったの。男のハートは胃袋をつかみなさいって、ばあやが言ってたわ。自分でもお嬢様だとは思うけど、料理はもちろん家事全般、しっかりできるわよ。できる女はお仕事だけじゃダメなの。
ルンルン気分で職場に着くと、あぜんとしたわ。浩君が選んだところだから、どんな素晴らしいところかって思っていたの。それが、私の実家にある物置小屋程度だったんですもの。ま、まあ。きっと浩君の考えがあってのことだと思うわ。
とりあえず、脂ぎってる病院長と総務部長へのあいさつなんて適当にしたわ。だって、あの二人、いけ好かないんですもの。目つきがいやらしいし。現場を仕切ってる看護部長さんはいい人かな?
浩君が見当たらなかったから、看護部長さんに聞いたの。そしたら当直明けだって言うじゃない?
さっそく驚かせようと思って、私は朝勤交代を替わってもらったの。だって、彼に早く会いたかったんだもん。急いで当直室へ足を運んだわ。
「あれ? 浩君じゃない? お久しぶりだね」
当直室の扉を開いて、私はわざとらしく明るく浩君に声をかけたの。
私の視界に飛び込んできたのは、ひとつ布団の中で、みゆきに抱かれて寝ている浩君!
呆れてしまって開いた口がふさがらないわ! な、なによ、いったい! だいたい不潔よ! 私より大きなおっぱいに埋もれて幸せそうに……。なによ! ちょっとおっぱいが大きいからって。
浩君も浩君よ!
腹の奥底から、湧き上がってくる何か黒いものを抑えるのが精一杯。そして、ポカンとしてる浩君に、こう言ってやったの。
「おはよ。浩君。さよこのこと忘れちゃったかな? あれ? みゆきも一緒だね」
早く離れなさいよ! 私は彼にくっついているみゆきを、無理やり引き離してやったわ。
「……い、いや。これはみゆきの安眠のために……」
「そ、そうだ。さよっち。これはあたいがお願いしたんだ」
なによ! 二人ともかばい合っちゃって……。
安眠? ウソでしょ。エッチなことしてたんじゃないの? きっと浩君が、みゆきのお、おっぱいを……。ゆ、許せませんわっ! そんなこと!
今から思えば、すごい嫉妬の目で、二人をにらみつけたんだと思うわ。二人とも青ざめてたもの。ふん。
すごく冷たい声で浩君に、事実だけ伝えたわ。
「そんな言い訳なんか、どうでもいいわよ。今さら……。二人ともそんな怖い顔しなくてもいいわよ。私は当直との申し渡しに来たんだけど?」
「……へ?」
「は?」
何よ! むかつくんだけど! 仕事でしょ? 色ぼけしてるんじゃないわよ。
「何、ボケッとしてるのよ。二人とも……申し渡しは? そろそろ交代の時間よ」
はやくしなさいよ。いつまでもくっついてないで……。
「交代……? いったい何を……」
「ちょ、ちょっと部外者は見ちゃダメ!」
……ああ、そういうことね。私がここの職員になったって、知らないんだわ。
「……? 部外者? ああ。まだ聞いてなかったんだ。私、今日からここに勤務することになったのよ」
ふふん。私は浩君のために、ここに転職したんだからね。
***
チャポンと浴室に水音がした。
そっと全身を伸ばしながら、私は彼との思い出に浸る。
本間 浩君。
彼と知り合ったのは大学一年のころだったわ、たまたま同じ科目をとってたの。別にどうってことない、冴えない人って、最初は思っていたわ。今でもそうだけど、すごく地味なの。彼。
そんな彼に惹かれたのは、一年生の終わりごろのことだったわ。
私の家は代々、名門の医師で、そこそこお金を持っていたの。だから当然、私も医者になるのが当たり前だって考えてたの。ある日のこと、クラスメイトが集まって飲み会をしたのよ。たまたま、なぜ医者になりたいのかって話になったの。私が『一族はみんな医者だから』って言ったら、浩君が真剣な顔をして言ったの。
「おまえは自分の方が、患者さんの人生より大切なのか?」って。
私、そんなこと考えたことなくって……。お父さんやお母さんにも、そんな厳しいことを言われなかった……。そのときの浩君、すごく怒ってたようにも見えたわ。正直怖かった。
でも、その後、こう言ってくれたの……。今も覚えているわ。
「周囲に左右されることないだろ? さよこさんの人生だ。これから患者さんの人生を良くしようって、考えればいいんじゃないかな」って。
そう言ってくれた彼の声がすごく優しかったの。
私のために怒って、私のために優しくなれる男性……。今まで、そんなことを言ってくれる人っていなかったの。
あの日から、浩君が授業に来るたび、目で追うようになったの。だんだんと見つめる距離が近くなってきて……。やっと隣に座ることができたの。それが二年生の秋ごろだったかな。彼と会話できるだけで幸せな気分になれたわ。
昼食がいつもおにぎりだけで、ちょっとかわいそうだと思ったのよ。それで浩君を家にお招きしたの。
もちろん、その日はお父さま、お母さまが留守の日を選んだわ。なぜって、浩君と大人の関係になりたかったから……。結ばれたかったのよ。悪い? 乙女だったら、誰だって初恋の人と結ばれたいでしょ?
普段なら、一流シェフに作らせるんだけど、今回は私が自分で作ったわ。だって大事な人ですもの。
赤ワインで煮込んだお肉料理や、お魚料理はもちろん、デザートのあんみつまで。一口ごとに彼はほめてくれたわ。一ヶ月前から頑張った甲斐があったわ。それに好きな人にご飯を食べてもらえるなんて……すごく心が暖まるものなのね。涙が出そうになるほど、嬉しかった……。
少し彼に悪いかなあと思いつつ、私は食事中のワインに媚薬を入れてたんだ。
食後、そのお薬が効いてきたの。
彼に唇を奪われて、何度もエッチをしたの……。
私も初めてだったけれど、彼も初めてだったみたいで、最初は大変だったわ。痛いっていうより、恥ずかしいって気持ちのほうが強かったわね。
でも、初めてのエッチは、彼の体温を感じられてすてきだった。正直、ずっとこうしていたいって思ったわ。
何度もエッチして、ご飯を作ってあげて……。そんなすてきな生活が乱されちゃった。それは遠野みゆきのせい。
遠野みゆきのことを知ったのは、研修医時代のことだったわ。なんでもすごく優秀な研修医で、すごい美人だとか。でも唯一の欠点は、所かまわずに、寝てしまうことって聞いてたわ。授業中はもちろんのこと、当直中や診察中にも寝てしまうので、問題になってたの。
ある日のこと、事もあろうに西村先生担当のオペで、みゆきが寝てしまったの。
優しい浩君は『遠野さんのフォローをする』って、オペ室に行っちゃった……。
あの日以来、私より、みゆきのことばかり気にして……。
つらかったわ。だって、みゆきは私の友達でもあったんだから。みゆきのことだって心配だったのは確かよ。
でも、彼女は横から泥棒猫のように、私の浩君を奪っていったの。彼は優しいから、彼女を見捨てられなかっただけ。
彼からみゆきのサポートをするから、彼女と同居するって言われた。
さすがに私も腹が立ったわよ。私、大好きな浩君の頬を叩いちゃった。
優しい彼のこと。みゆきのことが心配だったから、一緒にいてあげたいって考えたのよね、きっと……。
また浩君に私のことをみてほしいの。ただそれだけよ。
私は両手で頬をピシャリと叩いて、気合いを入れた。
さあ、お風呂からあがったら、明日のお弁当の仕込みをするわよっ!
*次話はヒロイン・遠野みゆきの心の中の声になります
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