第13話 こうしてAさんの職場復帰が決まった


 玄関で出迎えたお二人を、僕たちは面談室へお通しした。


「先日は校内をご案内していただき、ありがとうございました」

「いえいえ、とんでもないです。これもAさんの復帰のためですよ。わたくし、豊田と申します」


 副校長はすでに高校でお会いしていた。僕たちを受け付けて、階段やトイレの案内をしていただいた方が豊田先生だ。腰が低くて用務員さんのようにも感じられる。副校長のうしろから、おそるおそる女性が僕たちに会釈をした。彼女がどうやら学年主任の本多綾子さんらしい。清楚でキリリとした顔立ちが印象的だ。動作もキビキビしていて、仕事もできそうにみえる。


「はじめまして。遠野みゆきと申します。Aさんの主治医をしております」

「Aさんのソーシャルワーカーをさせていただいている本間浩と申します」

「こちらこそ、はじめまして。本多綾子と申します。Aの学年を統括しております」


 お互いに名刺交換が終わり、まずはAさんの訓練の様子をみていただくことにした。


 今回は直接、お二人にご本人の現状を知っていただく必要がある。この面談で具体的な方針が決まるからだ。

 Aさんには、『訓練室でいつものように訓練をしていてください』と伝えてある。回復状況や、復職にむけてどんな訓練をおこなっているのか、豊田先生と本多先生には、直に確認していただく必要がある。確認していただいた上で、話し合いをするのが道理だろう。


 最初に副校長たちをご案内したのは、職業訓練の部屋だ。Aさんは麻痺のこともあり、板書ができない。このため授業でもパソコンを積極的に使う必要があったからだ。教員として、そしてご本人が一番望んでおられるのが、授業を行うことだ。最も教員が時間を使う業務だ。


「ここがパソコン訓練の場所です」


 物珍しそうに訓練室を見回す副校長たち。

 やがてその視線は、一生懸命にパソコンに向かっているAさんを捉えた。


「こんにちは、Aさん。お元気そうですね」


 声をかけたのは本多さんだった。彼女の声に少し驚いたように、Aさんが振り向いた。どことなく気恥ずかしそうに、下を向くと小さな声で「お久しぶりです。本多先生」と返事をした。


 とても優しく慈しむかのような瞳で、Aさんを見つめる本多さん。そして、少し頬が紅潮しているかのようにみえるAさん。

 時間があれば、そのままそっとしておいてやりたいが、そうも言っていられない。僕は豊田副校長に、Aさんの訓練状況をお伝えした。


「なるほど。パソコンを使って授業を進めるんですね。プロジェクターもありますから可能だと思いますよ。本間先生」

「では板書代わりにパソコンを使用できますよね?」

「はい。問題ありませんよ。拝見させていただいてると、早く入力されてますし、プレゼンテーションソフトもうまく使いこなせてますし」

「ありがとうございます。Aさん、豊田先生からパソコンで板書しても大丈夫だそうです。一つクリアしましたよ!」


 本多さんと話していたAさんに、僕は難関の一つがクリアできたことをお伝えした。


「ほんとですか! やりましたね、Aさん!」


 そのことを一番喜んだのは本多先生だった。彼女はAさんと手を取りあって、うんうんと彼とうなずきあった。まるで自分のことのように喜ぶ彼女を見てると、障がいを持っても続いてきた間柄だったんだろうなと思う。そしてきっとこれからも……。


「ではAさん、歩行訓練に行きましょうか?」


 Aさんたち二人のことを考えていると、理学療法士の鈴木さんがリハビリへ誘いに来た。


「あ、はい。鈴木先生。綾子さん、次は歩行訓練の成果をお見せしますね」

「ふふ、仲がよいですね」


 Aさんは明るい表情で、リハビリ室へと向かっていた。彼の隣には、当然のように本多先生が寄り添っていた。その光景をみて、豊田先生は微笑んでいる。僕は疑問に思って聞いてみた。


「あの、不躾ですが、Aさんと本多先生の仲って、職場のみなさんはご存じなのですか?」

「ええ。もちろん。知らないのは学校長だけですよ。そういうあなた方お二人も仲がよろしいですよね?」


 豊田先生は、隣にいるみゆきと僕の手をちらりと見た。

 何となく気恥ずかしくなって、繋いでいる手を後ろに隠した僕たちだった。


***


 Aさんの歩行、特に階段の上り下りを実際に確かめていただき、副校長たちは満足したようだった。


 これからが本番だ。

 Aさんを含めて、面談室で今後の職場復帰の方針を決めることにした。


「Aさん。だいぶよくなってきましたね。そろそろ職場復帰もできると思うのですが、不安なこととかありませんか?」

「本間先生、不安がないというとウソになりますが、ぜひ復帰したいです」

「わかりました。豊田先生としてはいかがでしょうか?」


 Aさんは実直だな。

 患者さんが急に職場復帰すると、かなり心にも体も負担がかかる。ちょうど新社会人になった時や、初めて転職して、右も左もわからない状況と一緒だ。慣れるまでは、誰だって不安だ。ましてや、Aさんは障がいを持っているから、不安も大きいはずだ。

 彼は素直に不安がないわけじゃないって、話している。無理なのに『私、できます』っていう人よりも、好感がもてる。こういう人こそ、復職してほしい。


「……遠野先生、Aさんの体の方は大丈夫でしょうか?」

「うん、本間先生。医者の立場からみても、いつでも日常生活に戻れるよ。ただ薬を飲み忘れないことが大切かな」

「ありがとう、みゆき。さて復職にあたって、特に必要なことがあります。まずは現場でのサポート、それから学校長の障がい者雇用への理解ですね。その点はいかがでしょうか?」


 医師であるみゆきから、身体面については太鼓判を押してもらった。

 残るは職場側の問題だ。豊田先生が頬に人差し指をあて、少し考え込んでいるようだった。


「あの、職業能力は問題ないのでしょうか? 脳梗塞の後遺症は麻痺だけではないですよね?」


 さすがに管理職だけあってよく勉強しているな。ストレートに注意障害のため、集中力に欠けると言ってしまうと復帰に支障がある。ここは慎重に言葉を選ばないといけない場面だ。職場でうまく支えれば、問題はないはずだ。


 そう考えた僕は、職場の人たちがフォローできるように具体的に話すことにした。


「はい。脳の血管がつまった場合、通常の場合より疲れやすくなります。このため連続して授業をさせない、週あたりの授業時間数を減らすなど、配慮が必要だと思います」


 人間、疲れると注意がおろそかになる。実際、注意力は時間がたつほど落ちていき、ミスも増える。Aさんのような場合、それが少し早いだけだ。隣にいたみゆきが軽く肩をぶつけきて、にやりとした。どうやらよい説明だったようだ。


「……疲れやすい。なるほど。では授業時間数を調整してみましょう。Aさん、それでかまいませんか?」

「ありがとうございます。以前と同じ時間数の授業ができるとは、私自身も思えません。豊田先生、なにとぞよろしくお願いいたします」

「わかりました。ではその方向で検討させていただきます。現場では本多主任、お願いできますね?」

「はい。ぜひそうさせてください。副校長先生。Aさんもそれでいいわよね? 私はあなたを助けたいんです」

「……あ、ありがとうござい……ます。綾子……」


 彼を慈しむように見つめる本多先生。彼女の瞳が涙ぐんでみえたのは、僕だけだっただろうか。


「こほん。さて、学校長と教育委員会を説得する方法があります」


 なんとなくいい雰囲気だったけど、一番肝心なことが抜けていた。あの面倒くさい学校長が、首を縦に振ってもらわないと復職できないのだ。豊田先生と本多先生が、あの石頭を説得できる材料を持ってきたのだ。


「あの学校長を……。それはどういう方法でしょう? 本間先生」

「Aさんは身体障がい者二級です。したがってAさんを雇用した場合、助成金が出るんです。もう一つ、教育現場で障がいをお持ちのかたが授業をしている、となれば、対外的にも学校が有名になります。つまり良い広報の効果もあります。どっちも薄汚いかもしれません。でも、あの学校長や教育委員会を説得する手段ですよ」


 助成金や対外的なことを持ち出すのは、障がい者雇用をすすめるためによく使う方便だ。でも、こうでもしないとなかなか就職のクチがないのが現状だ。幸い、学校職員のような公務員の場合、法定雇用率が決まっている。嫌でも法を守らなきゃいけない役所は、法定雇用率に達していないことを盾にできる。


 薄汚いやり方かもしれない。でも福祉って、半分政治のようなものだ。ご本人たちのために、法を知り、力関係をうまく利用していくことが大切だ。


 豊田副校長は頬に指をあてて、しばらく考えていた。

 時間にしてほんの三十秒か、そこらだっただろうか。すごく長く感じた。


「……わかりました。一週間ほど時間をいただけますか? 学校長と教育委員会への説得をします。うちの学校は入学数も減ってきてますから、そういう広報も必要です。それに今いる生徒たちにも、大きなプラスとなりますね。障がいを持っても仕事ができるのだと、Aさんが身をもって教えるのです」

「……豊田先生。ありがとうございます」


 僕は教育面での効果は考えていなかった。さすがだ。

 ん? 待てよ。職場復帰できても、異動があったらまずいな。 


「ところでAさんや本多先生は異動とかはされませんよね?」

「あ、それは配慮します。少なくてもAさんと本多先生を離すようなことはしません」

「大丈夫なんですか? 教員だと異動があるはずですよね?」


 そう。異動で協力者や理解者がいなくなることが、後々問題になる。せっかく復職したのに、理解者がいなくなってはうまくいかなくなってしまう。そんな危惧をあっさりと豊田先生が打ち砕いてくれた。でもそう言い切れる理由がわからない……。

 

「……それはですね。私、Aさんと結婚します。決めたんです」


 おずおずと本多先生が宣言した。今、結婚とかって言わなかったか?


「「え?」」


 僕だけではなく、Aさんも口をあんぐりと開けて驚いている。

 結婚だって……。空耳なのか?


「あはは。まだAさんには内密にしておくつもりだったのですが……。他県は知りませんが、うちの県は結婚した男女を異動で離したりしません。慣例なのです。だからAさんと本多先生は、ご結婚されたらずっと同じ職場なのですよ。本多先生自身が望まれたことです」 


 そ、そうだったのか。それにしても本多先生の覚悟は……。


「あ、綾子……。ほんとに障がい持ってる私なんかでいいのかい?」

「関係ないわ。そんなこと。結婚してください、Aさん。愛してます」

「……私もだよ。綾子……。迷惑かけるかもしれないけど、綾子を大切にしていくよ……」


 真剣な職場復帰の面談が、いつの間にか患者さんと恋人のプロポーズの場になってしまった。

 僕の耳元にみゆきがなにか囁いた。でも、あまりの展開に僕はちゃんと聞いてはいなかった。



 一週間後。

 豊田副校長から、学校長と教育委員会の説得に成功したとの連絡があった。これで無事にAさんの職場復帰が決まった。

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