第11話 こうして元カノが襲来した
今、目の当たりにしている女性二人のにらみあい。これが修羅場ってやつか……。
朝、当直室に乱入してきたのは、さよこだった。小柄で黒髪のボブカット。それに柔和そうな目つき。白衣からこれ見よがしに透けてみえる深紅の下着。
まぎれもなく、あの荒井さよこだ。
彼女とは医学部のクラスメイトで、みゆきとも顔見知りだ。そしてさよこは、みゆきと同居する前に付き合っていた元カノだ。
医学部は誰でもモテるって思ってる人もいるだろうが、僕は全然モテなかった。どちらかというとおとなしくクールに見えるらしいが、話してみると『つまらないひと』なんだそうだ。
どうつまらないかは、自分でもわからない。ただ、悲しいとか、つらいとか、嬉しいとか……そういう感情が自分でも乏しいなと思う。きっとそういうところが『つまらない』んだろう。
そんな僕に初めてできた彼女が、荒井さよこだった。いつの間にかさよこは僕の隣にいるようになり、気がついたら彼女と関係を持っていた。
その数週間後に、僕はみゆきにオペ室に呼び出されたのだ。
流されるままに、みゆきと同居しはじめた夏。
それを知ったさよこは、僕に平手打ちをするとアメリカの大学へ留学していった。彼女の気持ちを考えもせず、他の女……それもクラスメイトと同居すれば、当然の結末だよね……。みゆきが僕とさよこが関係を持っていたのを知ったのは、彼女が留学した後のこと。他の女子から聞いたらしい。
目の前から本人がいなくなったこともあったし、みゆき自身が、さよことの関係を詮索してくることはなかった。
ただ同居をはじめる時に、みゆきは。
「あたいは浩がいないとダメだから! 浩がどう思うと、あたいは運命共同体だと思ってるから!」
と、僕に宣言したのだ。
僕も彼女を支えてあげたい……そう思ったから、同居をはじめたんだ。だから僕とみゆきは恋人ではないと思っている。少なくても僕自身は……。
『最低っ————!』って叫んで、僕の頬をたたいた彼女が、なぜ今、また僕の目の前にいる? いったい何を考えているんだ?
「……い、いや。これはみゆきの安眠のために……」
「そ、そうだ。さよっち。これはあたいがお願いしたんだ」
「そんな言い訳なんか、どうでもいいわよ。今さら……。二人ともそんな怖い顔しなくてもいいわよ。私は当直との申し渡しに来たんだけど? 」
「……へ?」
「は?」
「何、ボケッとしてるのよ。二人とも……申し渡しは? そろそろ交代の時間よ」
「交代……? いったい何を……」
顔を見合わせてる僕たちを尻目に、さよこは当直日誌をめくりはじめた。それを見ていたみゆきが、慌てた。
当直と朝勤に限らず、交代で職員が、患者さんたちをみるために引き継ぎをする。その際、口頭で『申し渡し』をするのが、どの病院や施設でも当たり前だ。今、職員が代わったから、わかりませんじゃ済まされないからだ。
ただ突然やってきて『交代』だの『申し渡し』のって、言われても困る。
「ちょ、ちょっと部外者は見ちゃダメ!」
「……? 部外者? ああ。まだ聞いてなかったんだ。私、今日からここに勤務することになったのよ」
え? 今なんていったんだ?
僕とみゆきは目を見開くしかなかった。
***
「……というわけで、本間君と遠野先生は、当直室でお会いしたようですね。今日から荒井先生には、ここの常勤医師として、勤務していただくことになりました。ご挨拶の方、よろしくお願い申し上げます」
「荒井さよこと申します。本日からこちらで働かせていただきます。そちらの浩君と本間先生は、学生時代から存じておりますの」
朝の朝礼で、今村看護師長はさよこを紹介していた。自己紹介をしてから、僕たちに手を振るさよこ。僕が思わずため息をついてしまうと、手を繋いでいるみゆきの爪が、僕の手の甲に突き刺さった。
「いてっ……あのさ。みゆき」
「何よ。昔の女を再会して嬉しい? ふん」
「あのな……。それより昨夜、Aさんと話をしただろう。ちゃんと彼から職場で、助けてくれる人を聞こうよ」
「……荒井先生とAさんのとこに行けば?」
「何、すねてるんだよ。みゆき。昨夜、一緒にいただろ? おまえじゃなきゃ……」
「……こほん。夫婦ゲンカは後でね」
自分ではヒソヒソと話していたつもりだったが、大きな声をあげていたらしい。今村さんに注意されてしまった。看護師さんたちや木下さん、鈴木さんたちも笑いをこらえているようで、口が波状になっていた。
恥ずかしい……。みゆきは頬を紅潮させてるし、僕もカァっとなった。
「ほら……。Aさんの面談するよ」
「あ、ああ」
僕はそそくさと面談室の予約した。
そして職員室から逃げるように、みゆきと一緒にAさんの面談へと向かった。
***
「申し訳ないですね。これから言語訓練なのに、突然、面談を入れてしまって……」
「いえいえ。昨夜の続きですよね? たぶん……」
「はい。申し訳ないです。忘れないうちに……と思いまして」
僕たちは言語訓練室へ向かうAさんをつかまえると、そのまま面談室へと案内した。
先に座っていただき、僕たちも椅子に座るなり、みゆきと僕の顔を交互にみて、眉をひそめた。何か不満でもあるのかと思って、僕は身を乗り出した。
「……ケンカでもされましたか?」
「え?」
「いやね……さっきから、遠野先生が浮かない顔をされているので、ケンカでもされたかなと……」
「あ、あたいたちはケンカなんかしてないぞ。な! 浩!」
そう言いながら僕の背中をばんばん叩くみゆき。思いっきり不自然だろうが……。
「ゲホゲホ……あ、あのな。みゆき」
「あははっ。ほんと仲いいですね。お二人は。ある意味癒やされますよ」
「は、はあ……」
癒やされるって言われてもなあ……。恐縮しつつも本題を切り出すことにした。すねてるみゆきの相手は後でしよう。今はAさんのことだ。
「えっとですね。Aさんの味方になってくれる人って、どなたでしょう……」
「はい。学年主任の綾子……いや、本多綾子と副校長かと思います。特に綾子は……」
そこまで言うと彼は視線を下に向けた。ああ……。そっか。学年主任を名前で呼ぼうとしたってことは、その綾子さんとAさんは特別な関係なのかもしれない。僕が学年主任との関係を聞こうとしたとき、みゆきが声をかけた。
「Aさん……その綾子さん……お好きなんですね」
しばしの沈黙。
目の前にいる患者さんの頬が若干赤く染まった。図星だったようだ。
「ええ。そうです。綾子とは先生たちと同じように男女関係があります」
男女関係……その言葉を聞いて、みゆきは下唇を噛みしめた。握られている手がキュッとしめられる。今朝のさよこの事、気にしてるんだろうな……。彼女が動揺しているようにも感じられたので、僕が代わりに尋ねる。
「えっと……。わかりました。じゃ、副校長はどんな方ですか?」
「副校長とは、きっとお会いしてますよ。昨夜、『親切に階段の位置とか教えてくれた人がいた』ってお話されましたよね」
「ええ。確かに。その方は受付にいらっしゃった方だったので、つい、いろいろと教えていただきました」
「ふふ。その方が副校長ですよ」
「……そうだったのですか。そうとも知らず、僕たちはいろいろと……」
「あ、気にされずに。そういう方なんですよ。直接、現場に立たれるのは彼の仕事ですし。そういう性格の方なんです」
……。職場訪問したときの対応を思いだした。腰が低くて、Aさんの事を心配していたな。あの人。
「じゃ、さっそく学年主任さんと副校長の連絡先を……」
「待てよ、みゆき……。ご本人が連絡をとるのが筋だろ?」
「なっ! わ、わかったよ。そうだな……」
いきなり連絡先を尋ねようとするみゆき。僕はそれをさえぎった。僕らが連絡とってどうする? ほとんど面識もないのに……。
改めて僕はAさんにお願いしてみた。
「遠野が申し訳ありません、Aさん。本多さんと副校長さんにご連絡していただけますか? まだ学校長には聞かれたくないので、できれば校外でお話してみたいのですが……」
「……わかりました。場所はどうします?」
「それだったら、ここならどうです? Aさん。浩もここなら問題ないだろ」
「おお、そうだな。ありがとう、みゆき。では場所はここにしましょう。ここなら、彼らもAさんの様子を見に行くという理由ができますよ」
Aさんが、本多さんと副校長にスマホで電話している間、みゆきの手指が僕を逃がさない、と言わんばかりに絡まってきた。
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