第4話 こうして僕たちは最初の面談をした

 今日は初めての患者さんとの面談だ。


 僕はみゆきと面談室で患者さんを待っていた。


 看護師長の今村さんは、資格を持ってるからできるだろ?、と言ってたけれど、現場は初めてだ。みゆきはみゆきで、心理的な面談そのものが初めてだ。

 彼女がよけいなことを言ったりするかもしれない。上手く僕もご本人の希望を聴くことができないかもしれない。


 正直言って緊張している。みゆきはみゆきで眉をひそめているし、珍しく一言もしゃべらない。彼女なりに緊張しているのかもしれない。


 メモを用意していた時、小さくこんこんと扉をノックする音が聞こえた。

 どうやら患者さんがいらっしゃったようだ。


「どうぞ」


 僕は汗ばんだ手でみゆきの手を握りしめ、一緒に患者さんを出迎えた。


***


 その患者さんはまだ若い男性だった。カルテをみると三十五歳と書いてある。

 

 Aさんは半年ほど前、仕事中に脳梗塞で倒れた。右半身の麻痺があり、現在、車椅子に乗っている。院内の移動は自力でできるようだ。現に病室から、介助者なしでここまで来ている。


「はじめまして、Aさん。僕は本間浩と申します。面談を担当させていただきます」

「あたいは遠野みゆきだ。医者だ。同席させてもらう」


 僕らはAさんに自己紹介をすると、彼は不思議そうに僕らの顔を交互に見た。

 みゆきの態度が悪かったのかと、不思議に思っていると、思いもしなかった言葉が返ってきた。


「あの……。お二人は新婚なのですか?」


 Aさんの視線は繋いでいる僕たちの手に注がれていた。


「あ、いや……。これはちょっと事情があって、彼女と手を繋いでいるんですよ」

「へえ、本当ですかあ?」


 好奇の目で僕たちをみる彼。


 やれやれ……。患者さんにも誤解受けないようにしないとな。それにAさんの心を開くためにも、僕らのことを話しておこう。


「Aさん。僕たち二人も、Aさんのように障がいを持ってるんですよ」

「障がい? 普通に見えますけれど……」


 不思議そうに目をぱちくりさせるAさん。

 僕はみゆきに目配すると、彼女はゆっくりうなづく。そしてAさんの目の前で、僕たちは繋いでいた手を離した。


 まるで糸が切れた人形のように、みゆきは椅子に崩れ落ちた。


「え? どうしたのです? 遠野先生は……」

「すみません。驚かせて。遠野は重度の睡眠障害を持ってるんです。僕が手を持っていないと、すぐにこうなっちゃいます」

「す、睡眠障害ですか……ほんとに寝てますね、遠野先生」


 思いっきり口を開けていびきを立ててるみゆき。面談するから緊張してたもんな。

 そして僕が抱えていることも伝える。


「はい。そして僕も通常の人の四分の一が見えません。目に障がいがあるんですよ。だから彼女の手がないと、ものにぶつかってしまったりします。だから僕たちは手を繋いでいるんですよ」

「見えない……んですか」


 唖然としているAさん。

 何か気づいたように、彼は思いもかけない言葉をかけてきた。


「障がい持ってても、仕事されているなんて……それも一緒に……素晴らしいです」


 ……驚いた。まさか患者さんが、こちらを気遣ってくれるなんて。


 僕はみゆきを起こすために、再び彼女の手を握ぎりしめる。彼女の細指が、僕を確かめるかのようにうごめく。


「……ねむ……。ん? あ、ごめんね。Aさん。はしたない姿を見せて」

「あ、いえ。驚きました」


 目をこすりながら、気だるそうにみゆきが起きる。そして白衣の乱れを直した。

 みゆきの準備が整ったのを見計らって、僕は改めてAさんに声をかけた。


「さて、僕らの自己紹介も終わりました。Aさんのご希望をお聞きしたいです。よろしいでしょうか?」

「はい、お願いします。先生方」


***


「なるほど。Aさんは学校に戻って、仕事されたいのですね?」

「はい……できればそうしたいです。妻子もおりますし、教えることがすごく楽しいのです」


 生徒さんたちのことを思い出してか、Aさんはすごく嬉しそうな顔をする。

 

 Aさんは職場に復帰することを強く希望していた。


 Aさんは高校の教員で、現在休職中。

カルテによると右半身麻痺のため、右腕が上がらず、手指の方も麻痺が残っている。それに右足が上手くあがらない。


 職場に階段もあるだろうし、どうしたものか……。なんとかAさんの希望を叶えてあげたい。


「Aさん、まず車椅子を卒業しなくてはなりませんね?」


 僕は懸念していることをAさんに伝えた。


「はい。階段もありますから、歩けるようになりたいです。それから……」

「それから……?」

「字が読めなくなりました……それに手が……」


 彼は悔しそうにその身を震わせて、手元をみつめた。そしてずっと腹の中に抱えていた想いを爆発させた。


「私はどうすれば! どうすれば元に戻れるんですか? 教え子たちに会いたい!」


 大きな彼の声が狭い面談室に反響した。思うようにならないわが身への恨み、それから焦り。そんな行き場のない重い空気に押し潰されそうになる。


 脳外科医をあきらめたときには、そんなに重くは感じなかった。でも、今、目の前にいる患者さんが抱えている鉛のようなモノ……。それは僕もみゆきも抱えている。その重みが僕の胸を押し潰していこうとする。


 酸欠で、もがき苦しんだ魚が水面に出るように、僕は口を開いた。


「わかりました、Aさん。僕たちがあなたを学校に戻します」、と。


**


 Aさんが退室してから、僕たちは相談をし始めていた。


「浩……。正直言っていい?」

「なんだよ。みゆき」

「あんな安請け合いしていいわけ? 今のままだと厳しいと思うけど?」


 専門職らしくみゆきはタブレットを開いて、MRI画像を見せる。


「画像から診ると、Aさんは、左頭頂部から前頭葉と側頭葉の一部が、ダメージ受けてるんだ。職場復帰そのものが難しいと思うんだけど?」


 一方的にまくしたてて、ね?、って言わんばかりに、僕に顔を向けた。

 そんなドヤ顔されても……。僕だってカルテくらい見てるぞ。


「みゆき……。おまえ、初めてオペ中に寝落ちしてしまった後、どう感じた?」

「どうって……悔しかった……」


 口を尖らせてブツブツと何か言ってるみゆき。

 今も苦しんでるじゃないか……。お前だってさ。だったら……。ちょっとはわかるだろ?

 

「Aさんだって同じだろ? 突然、脳梗塞になって、楽しいと思ってた仕事ができなくなってさ……」


 彼女はハッとしたように僕を見つめた。


「だったら、手を差し伸べる誰かがいないとダメだろ? みゆき……」


 彼女は小さく、うん、とうなづいた。そして僕の手を、両手で包み込むように握りしめた。

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