第2話 こうして僕たちは他の道を選んだ

 退院した翌日、二人で脳外科の西村先生のところを訪ねていた。僕たちは脳外科医志望なので、西村先生が指導教官ってわけだ。


「で、本間君と遠野君。相談って進路のことかい?」


 目のことを言い出せないでいると、西村先生の方から切り出してきた。


「ええ。僕は事故で網膜剥離やっちゃって、視野が欠けちゃったんです。このままだと脳外科医の道を進むのは難しいと思って、相談しにまいりました」

「……ふう。そうだよな。本間君は優秀なんだけどな……。」


 西村先生はため息をついて、置いてあった缶コーヒーに口をつけた。


「……知っての通り、特に脳外科医は目を酷使する。微細な血管や神経を顕微鏡で覗きながらオペするんだからな……。そうだな。脳に関係する仕事がいいのかな?」

「……はい。できれば」

「……本間君、庄司先生から聞いたよ。緑内障もあるんだろ? 人生長いんだ。長く続けられる仕事を選んだ方がいいよ」


 思っていた通りだった。目が不自由な外科医はいない。ましてや微細な神経を扱う脳外科医なんて……。西村先生が言いたいことはよくわかってるんだ。それでも悔しさで震えている自分がいる。


「それから、遠野君。君も脳外科医ではなく、他の道を考えた方がいいぞ。オペのたびに寝てしまうからって、本間君に来てもらうのは忍びないだろ?」

「あ、あたいは……」


 何か言いかけて、僕の顔を見るみゆき。


「そうだな……遠野君は神経内科医なんかどうだ? 今までの知識も経験も無駄にならないぞ。それにこの間出した神経内科系の論文、あれ海外で好評だぞ」

「……わかりました。少しお時間をください。西村先生」


 何とか返事をするものの、悔しそうにみゆきは唇をかみしめていた。


 ***


 一緒にアパートに帰ってきた僕らは、ひとまず退院祝いの乾杯をした。夕べは退院直後の後始末でそんな余裕はなかった。


「で! 浩、どうすんのよ」

「……どうするも何も、僕にはもう脳外科はおろか医者なんて無理だろ?」


 ビールを何本か開けたみゆきは僕に絡んできた。いつの間にか彼女は隣に座ってきている。別に隣じゃなくても、酒はつげるし、話もできるんだが……。

  

 僕のコップにビールをつぎながら、みゆきはくだを巻く。

 

「あんたさあ……それでいいわけ?」

「オペができない医者なんて医者じゃないだろ? 違う道を探すよ……」

「……違う道って、あんたね……。あたいだって脳外科医になりたいわよっ! なのに西村の野郎ったら……お前は神経内科医なんかどうだとか言って……」


 やっぱりみゆきも愚痴りたかったのか……。

 どうりで……いつもより酒を多く買ってきたわけだ。


「みゆき……お前さ、やっぱり神経内科医になれよ」

「あん? 神経内科医……? 嫌よ!」

「みゆき、お前、なんで医者になりたいって思ったんだ?」


 ほんとは何度も彼女に聞いてる。でもそれが医者になりたいって原動力だからな。


「……あたいはさ、親父を脳梗塞で亡くしたんだ。急に倒れたから寝かせて……そのまま、朝になったら冷たくなってたよ。知識なかったし……。だから! 他の人たちが、あたいと同じ思いをしなくてもいいようにしたいんだ」


 みゆきの場合、医者になる動機が同僚たちと違っていた。彼女の実家は魚屋だって言ってた。最初から医者の家に生まれた連中と違ってたのだ。

 たいてい医者になりたい奴は、家を継ぐためとか、他よりも稼ぎがいいからとかだったり、成績がよかったからとか、ある意味不純な動機のものが多い。でも彼女は純粋に人を助けるために医者になりたいって、これまで頑張ってきたのだ。

 やっぱり、みゆきは医者になるべきだ。


「……みゆき。おまえはやっぱり医者になれよ! 脳外科がダメなら、先生が言うように神経内科だって脳をみる医者だぞ」

「……あたいは浩と一緒じゃなきゃ仕事できないから……。だから浩が辞めるなら辞めるしかないよ」


 そっか。こいつは僕がいないと寝てしまうんだっけか。

 はぁ、困った……。僕の目が元通りさえなっていたら……。あの時、注意して事故にさえ遭わなければ……。ほんの数分の出来事で、僕とみゆきの人生は変わってしまったのか……。

 

「……浩、浩ぃ……」

「な、何だよ……迫ってきて……」


 妙にみゆきがにじり寄ってくる。

 彼女に『女』を感じないっていうとウソになる。黙ってりゃ美人だし、モデル並みのスタイルだ。同居していればそそられる時もある。でも何か違うんだよ……神聖な感じがして……。


 迫ってきたかと思うと、彼女は泣きながら僕に抱きついてきた。


「あ、あたいが、あたいが浩の目になるからぁ〰〰。だから、だから……」


 僕は胸の中で泣きじゃくるみゆき。時々、子どもっぽいんだよな、彼女……。


 でも、そこまで言ってくれるのか。わかったよ、僕も少し覚悟を決めるよ。

 僕は彼女の頭を撫でながら、自分が考えていることを教えた。

 

「じゃあ。二人で福祉関係の道に行こう。おまえが神経内科医で、僕は社会福祉士になる。それで二人で脳に疾患を抱えた人たちを助けよう」


 少し泣き止んで、目をパチパチさせながら僕の顔を見つめるみゆき。


「……社会福祉士?」

「ああ。ソーシャルワーカーのことさ。病院にもいるだろ?」

「なんか聞いたことがある……」

「たいてい脳に疾患を抱えると、身体的にも精神的にもハンデ負ってしまうのは知ってるだろ?」

「……知ってる」

「脳に疾患ある人たちだけではなく、ハンディキャップを持つ人たちが、快適に日常生活を営めるようにすることは大切だろ? それを助けるのが社会福祉士の仕事だ」

「……いい仕事だね。でもその仕事と神経内科医が関係する?」

「ああ。する。神経内科医は脳の疾患を知っているエキスパートだろ? 医者の診断や見立てなしに、援助することなんかできないよ。二人で一人の患者さんに関わることができるんだ」

「……二人で……」

 

 みゆきは口に手を当てて、何やら考えていた。二人で一人の患者さんに関わることができるってところが気になるらしい。実際には医者だけでなく、他の職種の人たちとも一緒に一人の患者さんに関わるのだが……。

 

「で、浩はどうする?」

「僕は福祉学科に転科するよ。資格と経験を積むためにな。お前は神経内科に志望を変えればいい」

「……もし、あたいが眠りそうになったら、福祉学科に行っても来てくれる?」


 まあ患者さんの診察中に寝てしまったら、目も当てられないからな……。それはしょうがない。


「いいよ。それは今までどおりだ」

「よかったあ〰〰。浩がいないと困る……」

 

 ホッとため息をついて安心するみゆき。


 そしてフッと思いだしたように言った。


「でもさ、よく考えるとあたいたちもハンディキャップ抱えてるよね?」

「ま、まあそうかな……。おまえは睡眠障害だし、僕は視覚障がい……」

「でしょ? だからこそできることがあるかもね」


 なるほどな。そういう考え方もあるか……。まあ、やってみるしかないかな。


 翌日、僕は西村先生に福祉学科への転科を、みゆきは神経内科への志望変更を伝えたのだった。

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