閑話4.



「えー? そんなことないよー」

 ――わたし、新巻映あらまきはゆが学校内で一番多く使う言葉はたぶん、これだ。


「新巻さん肌キレイだよね。どんなケアしてるのー?」

「中間テストも総合一位だっけ。全然ガリ勉って感じじゃないのに、ホント天才だよー」

「ソフトボールの授業の時すごかったー! あれ、フェンスあったらホームランじゃね?」

「映ちゃんめっちゃ可愛いし、ゼッタイ彼氏いるでしょー?」


 ――えー? そんなことないよー。

 四方八方から弾幕の如く押し寄せる賞賛の声を、ひとくくりにして下手したて投げする魔法の言葉。図に乗らず、かと言って悟った風も見せず、ちょっとうれしそうにはにかんで手を振ってみせる。

 こういう時は微妙に低い背丈が良い方に働いて、クラスの女子たちは自慢のペットを見るような眼差まなざしでわたしを甘やかすのだ。他のことで負けても背やスタイルで勝ってる、という一点が彼女たちに余裕を与えるのだろう。

 身だしなみはケアしつつ化粧やアクセサリは地味に保つことで、自己顕示欲の強いギャルたちからは幼稚とあなどられ、つまりバカにはされても敵視はされない。

 あと、男子とは距離を置く。それでいて戦わない。兄のように異性に溺れたりしない。

 これでいい。これがBEST。埋没せずわる目立めだちもしない絶好のポジション。この位置から模範的な生活をしつつ、うるさく押し付けるようなことも言わなければクラスに最低限かつ平和な秩序を生むべくコントロールできる。

 幸い、この教室にはそれをはばむような問題児はいなかった。中学校の三年間で磨き上げた人心掌握術は、今のところ通用している。

「あー、新巻さんー」

 ……ただ一人の例外を除いては。

「ねーねー、隣の駅前の古本屋さんで、中古CDのワゴンセールやってるんだけども、なんかアニメのもけっこうあるみたいだから、いっしょに行ってみないー?」

 語尾を伸ばしているのは最初、可愛かわい子こぶっているのかと思っていたが単にスローペースなだけらしい。象や亀は代謝が遅いから寿命が長いと聞くけど、この同級生、小戸部ことべ歌子うたこさんもそうなのかもしれない。

 女子としては上背があり、いつもおっとりと微笑んでいる。顔立ちからして笑っている感じだ。性格も温厚で人当たりがよく、ただし人の言うことを聞いていない時がある。

 長生きしそうなタイプだ。

 そんな感じの小戸部さんがわたしに懐いてきているのには、理由がある。

 彼女は漫画研究会に所属していて、なにか用事があって文芸部へ伊井坂先輩を呼びに来た時、わたしと伊井坂先輩がライトノベルについて話しているのを聞かれてしまったのだ。

 以来、彼女はわたしのことを「オタクの話が通じる人」と勘違いして馴れ馴れしく話しかけてくるようになった。

 しつこく言ってくるタイプではないし、特に迷惑しているわけではないのだが、やっぱりオタクは空気が読めないという認識が更新されていく。

 今日も、昼休みのトイレ帰りに声をかけられた。

「ごめんなさい……わたし、昔のアニメよく解らないから」

 オタクへの抵抗感が露わにならないよう、やんわりと断る。申し訳なさと、きっぱりしたお断りと、また誘ってねというニュアンスをミックスした笑顔を作るのはさすがに難しかった。

「あー……そっかぁ。いいCDあったら貸してあげるね」

「ぅ、うん……ありがとう」

 小戸部さんはとても素直な性格をしているので、適当にごまかしても疑ったりはしない。しかも、ありがた迷惑な善意があふれすぎていてこっちの胸を刺してくる。

 どう引き離したものかと心の中で腕を組む……うーん……

 わたしがデリケートな問題に思い悩む内にも、彼女は脳天気にオタクニュースのヘッドラインをぺらぺら口に出してくる――

「あ、そういえば新巻さん知ってるー? シュールな設定がバズったウェブ小説の『生首に転生したボクの自分カラダ探し』が今度、書籍化? されるんだって」

「買って。

 それ買って。

 もう予約始まってる所もあるからして。

 そして買って」

「え? 突然のすごい食いつきー……」

「とにかく発売日に買って。なんか初動が大切なんだって。だから買って。出たらすぐ買って。できれば週またがずに買って。直営だと電子書籍も紙と同日発売で零時配信だから早く読めるしそれも買ってライバルに差を付けて。ショップ特典ていうのも何種類かあるらしいから全部買うのもいいと思うの」

「あ、新巻さん目が怖い……」

 ………………

 ……はッ! 果穂の本――生首になったなにがし――を一冊でも多く売り込まねばという使命感のあまり、つい我を忘れて小戸部さんに詰め寄ってしまった。いけないいけない……

 あははは……と、愛想笑いを浮かべつつ身を引いて、さてどう弁解しようかと考え始めた時。また声がかけられた。

「お、新巻妹。ちょうどいいところに!」

 ……今日は千客万来だ。階段近くで話していたのがいけなかったのか、顔見知りの上級生に見つかってしまった。

 酒々井しすいさんという先輩で、帆影ほかげ先輩の同級生だ。帆影先輩のどこがいいのか、日常、行動をともにしていることが多いらしい。

 ベリーショートの髪といいスレンダーな体付きといい、全体的にボーイッシュな印象でいかにも「女子にモテそうな女子」だ。外見の印象通り、竹を割ったような性格の先輩だった。

 以前、帆影先輩と酒々井先輩が連れ立って歩いているところに遭遇し、紹介された程度の浅い縁だが、しっかり顔を覚えられていた。

「……どうかしたんですか? 酒々井先輩」

「どうもこうもないよ。妹は知ってたのか?」

 会うなり目的語のない質問をぶつけられ、さすがに面食らう。小戸部さんは呑気に「わー、カッコイイ先輩だー」とでも言いたげにこちらを眺めていた。

 わたしは軽く頭を振った。

「落ち着いてください先輩。なんの話ですか?」

「だから……帆影とお前の兄貴、付き合ってるんだって! 知ってたか!?」

 それだけのことを言語化するのももどかしそうに尋ねられ、わたしは自分でも意外なほど戸惑った。

 今まで、兄と帆影先輩が交際している事実は文芸部の中にしか存在しなかった。そこを切り離せば別の日常が始まるトカゲの尻尾だった。

 それが先日、果穂にあっさりバレた。今日は酒々井先輩だ。ここへ来て急速に拡散されていくことに、なぜか、胸がざわつく。

 固まった喉を意志の力で震わせて、いた。

「え……っと、一応、知ってましたけど、先輩はどこでその話を聞いたんですか?」

 伊井坂先輩あたりだろうか。あの人は兄と帆影先輩が付き合ってるのを知っているはずだし、なにせあのおしゃべりだ。

 だが、酒々井先輩の答えは予想外のものだった。

「え? 帆影だよ。最近、ジョシジュウ(※女子柔道部の略)の部長に彼氏ができてクソォって話を帆影にしてさ、そろそろ彼氏欲しいよなーって話を振ったらさ、『もういるので』って……」

 もういるので、のくだりは帆影先輩の口真似だったが、無駄に上手かった。そうだ、そんな風に温度のない声でしゃべる人だ。

「あまりにも信じがたくて、最初は冗談だと思ったけど、そういうおふざけを言う奴じゃない。で、マジかよ誰だよ彼氏、いっちょお姉さんが面接してやるよって言ったら、お前の兄貴だって言うわけだよ。

 しかも、二年になってすぐに付き合い始めたって!」

 酒々井先輩は、オーバーな仕草で自分の額を叩いた。ぴしゃりと良い音がして、形のキレイなおでこが赤くなる。勢い余って強く叩きすぎたようだ。動揺のほどがうかがわれる。

「いやー、びっくりしたのなんの。……まぁ、あいつら二人きりで部活してるわけだし、『言われてみれば』って感じもあるけど……でも、二人で帰ってるところとか見かけても全然イチャイチャしてないし、なんなら微妙に距離あるし。

 あいつら、ホントに付き合ってんの?」

「それはわたしが訊きたいです」

 思わず本音で即答してしまった。

 兄と帆影先輩は、言葉の上では付き合ってると明言するものの、外からではどういう関係なのかよく解らない。仲が悪くないのは判る……と言うか、兄が帆影先輩を大切にしているのは見てて恥ずかしくなるくらい明らかだが、それも含めてお互いに遠慮が強すぎる気がする。

 やっぱり、世間一般の言う恋人関係とは大きくズレているのだろう。帆影先輩の友達ですら疑っているのだから相当だ。

「すごーい。新巻さんのお兄さん、カノジョさんいるんだー」

 すぐ隣から発せられた小戸部さんの歓声は、朗らかで純粋な好意に満ちているからこそかんさわるものだった。

「お隣の部室の人だし、二人とも知ってるけども、全然気付かなかったよー」

「……どうかな? 帆影先輩、変わった人だし、普通の『付き合ってる』って感じじゃないよ」

 今後、妙なからまれ方をすると面倒くさいので釘を刺しておく。小戸部さんはいつもの無責任めいた素直さでうなずいた。

「うん。たしかに帆影さんは、昔からちょっと話が解らなかったなー」

 あたしがバカなせいもあるけど、と続ける小戸部さんに、首を傾げる。

「待って、小戸部さんは帆影先輩と前から知り合いなの?」

「うん。近所に住んでるから、小学校の途中からいっしょだったよー。縦割り班で行事の準備とかしたの。懐かしいな」

 縦割り班というのはたぶん、別学年の生徒とチームを作って学校行事に参加する制度のことだろう。そう言えばわたしもやった。その頃は今と違ってちょっとばかりお転婆なキャラをしていたから、横暴な上級生や生意気な下級生とケンカして先生や果穂かほに怒られるのがパターンだった。

 帆影先輩に下級生の世話ができるのか。真面目だし律儀なところもあるから、やる気はあったのではないかと思う。が、ただでさえ一学年が異次元のようにかけ離れていた小学生時代だ。エキセントリックな先輩がまともなコミュニケーションを取れるとも思えない。

「いつも難しそうな本を読んでて、話しかけると一生懸命内容を説明してくれるんだけど、ちんぷんかんぷんだったよー」

 高校いまとやってること変わらないじゃん! そんなことだろうと思ったけど!

「へー、今とやってること変わンないなぁ」

 酒々井先輩も全く同じ感想を抱いたようだ。成長しないな帆影先輩……兄が甘やかすせいだ、というのは、あながち邪推ではない気がする。

 小戸部さんは、わたしが話に食い付いたのがうれしいのか、さらに記憶を探るようにぽってりした唇へ指を当てた。

「本人もねー、わたしは両親と暮らしていないせいか年下の人とのしゃべり方がよく解りませんって言ってたよー」

「? どういうこと?」

「なんだっけな? うちのお母さんに聞いたんだけど、帆影さんのお宅は帆影さんのお父さんの実家で……なんかあって、帆影さんのお祖父さんが帆影さんを預かってるんだって。

 たまに、帆影さんがお祖母さんを手伝って買い物してるの見るよー」

「なんだそれ。知ってたか?」

 酒々井先輩も知らなかったようだ。わたしは無言で首を振って、小戸部さんに訊いた。

、て、具体的になにがあったの?」

「さぁ……お母さんも井戸端会議で聞いただけみたいだからー……あ、でも、お父さんが亡くなったとかじゃなかったと思うよ」

 ちッ……思わせぶりな……

 しかしどういうことだ? 帆影先輩はどうして両親といっしょに暮らしていないんだろう? 兄はその事実や理由を知っているのか?

 そして、そういう事情が帆影先輩のユニークすぎる人間性を形作ったのだろうか?

 ただでさえよく解らない人なのに、余計に謎が増えた。本当に面倒くさい。

 せっかくわたしが品行方正かつ柔軟な世渡りを身につけて更生の道を示してやっているというのに、兄はオタクのまま、変人な上に家庭環境も不明なカノジョに入れ込んでいる。

 不条理だ。

 果穂とのケンカが終わったと思ったら、次から次へ謎が増えていく兄の恋人アニカノに振り回される日々。やっぱりあの人は敵だ。どうにも相容れない。デビューを控えているにもかかわらず目が死んでいる果穂のためにも、なんとかしなくては……

 しかし、帆影先輩の胸部に心を奪われた兄に別れろと言ったところで聞かないだろう。先輩は兄の思っているような女ではなく、兄は利用されているだけなのだと証拠を突き付けてやらねば。

 敵を攻略するには、まず情報だ。彼を知り己を知れば百戦してあやうからず、この間、果穂が貸してくれた戦記物ライトノベルに書いてあった言葉だが出典は昔の偉い軍略家らしいので間違いないはず。

 なんとかあの人の家のことを探れないだろうか……そうでないと、兄はあの胸ばかり柔らかそうな鉄面皮に都合よく搾取され続けてしまう。

 顎に拳を当てて考えに沈みかけたわたしに、小戸部さんの祝福に満ちた声が聞こえてくる。

「でも、帆影さんは不思議系だけどマジメで可愛いし、新巻さんのお兄さんも控えめで優しそうそうな人だから、お似合いのカップルだねー」

 わたしは小戸部さんに振り返ると、はにかみも謙虚さもゴミ箱へ捨てた、のしかかるような笑顔で答えた。


「えぇー? そんなことないよぉー?」


「お前はあの二人のなんなんだよ……?」

 珍しく鼻白んだ酒々井先輩の声には、聞こえないふりをしておいた。


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