第22話 正義の在り処

 リーゼは人ごみの中から街頭テレビを見上げていた。そこには、撮影ヘリから送られてくるリアルタイムの映像が映し出されている。

『おっと、ここで戦場に一人の少女が乱入しました。仮面の男に続き、二人目のイレギュラーです! 映像を見る限りでは武器を持っているようには見えませんが、何者なのでしょう?』

 映像は三人の人物を中心に捉えているが、音はよく聞こえない。動きから、何やら会話しているらしいということが分かる程度だ。

 ヴェスペはなんて危ないことをするのだろう。エインヘリヤルとしての装備をしていない今は、身を守ることすら危ういのに。リーゼは彼女のもとに駆けつけたくて仕方がなかったが、この人垣は越えられそうにない。たとえ最前列に出られたとしても、警備員を振り切るのは無理だろう。

「何してんだ? 早く戦わないかな」

「なんか話してるみたいだね。つまんない」

 リーゼが歯がゆい思いを噛み締めていると、周囲からそんな会話が聞こえてきた。好き勝手言いやがって。普段エインヘリヤルがどんな思いで戦っているかも知らないくせに。……まあ、リーゼもよくは知らないのだが。

 その時、画面の中の仮面の男……おそらくシュティーア……が、こちらを指さした。いや、カメラを指さしたのだ。

『一兵卒に話していても埒があかないので、あなたがた――主に、この作戦を提案し、許可した軍部の方にお話する。私は革命軍の味方をしているわけではない。彼らが混乱を招いたという点で、大義があるのは国の側だろう。だが彼らは、軍に関わりのない一般人は全く傷つけていない。その上リーダーを捕らえられて戦意を失いかけている相手を一方的に殲滅するというのは、あまりに酷ではないか。どうか今は撤退命令を出し、今一度平和的解決に向けた糸口を探してほしい』

 その声は気味の悪い合成音声で口調も平坦だったが、確かに人を説得しようとする響きがあった。

 場の空気が、変わる。群衆が、さっきまで以上にざわつき始める。その表情は、大部分が真剣なものだった。


「女の子を盾にしないと話もできないの? 情けない男ね」

 仮面の男の言葉が途切れると見るや、ドラッヘは早速貶しにかかった。だが、返ってきたのは、仮面の裏にあるであろうボイスチェンジャーの、耳障りなノイズだった。……溜息だろうか。ドラッヘは整えた眉の片方をぴくりと動かした。

『確かに、一般人でしかない彼女を利用する形になってしまったのは自分でもどうかと思うが、生憎と手段を選んでいられる場合ではない。それに、これは本来ならもっと早くに言っていたことだ。お前の攻撃で遮られたがな』

 男は拡声機能をオフにしてからそう言った。隣で聞いていたヴェスペは、少し心配になってきた。こいつは本当にシュティーアだろうか? 少なくとも自分の記憶の中では、こんなに嫌味を言う人ではなかった。人違いとか? いや、でも、さっき名前を言おうとしたら口を塞がれたし、背格好も一緒だし……。

『おい』

 仮面の男は、向こうを向いたままヴェスペにだけ聞こえるように、小声で話しかけてきた。

「何」

『もう、言いたいことは言っただろう。さっさと逃げろ』

「やだ」

 この男がたとえシュティーアだろうと、そうでなかろうと、もはやヴェスペにはどうでもいいことのように思われた。なんにせよ、この場での目的は同じなのだ。

「今あたしがいなくなったら、あいつ、またすぐに攻撃してくるよ。そうなったら、カメラに向かって話しかけるどころの問題じゃない。あたしのことはいいから、そっちを早くどうにかしなよ」

 沈黙。仮面の男は納得したようだ。

「そうは言ってもねぇ。あたしが受けた任務は研究所を占領してる革命軍の殲滅であって、話を聞くことなんてのは含まれてないのよねえ」

 ドラッヘは、わざと間延びした声で、大仰に肩をすくめながら言った。

『お前の態度はこの際どうでもいい。話を続けるぞ』

 目尻を釣り上げるドラッヘをよそに、男はもう一度仮面の裏にあるのだろう拡声器を操作した。

『軍幹部と、後ろでこれを聞いているであろう革命軍の方々に、私から提案がある。正規軍は一旦兵を引き、リーダーであるクラウスナーを、革命軍解散の指示を出すよう説得してはくれないか。それで、クラウスナーが了承したなら、彼を罰することと引き換えに残りの革命軍メンバーについては不問とし、また革命軍側も直ちに人質を開放し、各地の研究所を出ていくこと。もし、クラウスナーが革命軍に徹底抗戦を命じるなら、私はこの件から手を引こう。以上だ』

 声の反響が完全に聞こえなくなるまで、誰も、何も言わなかった。ドラッヘは不機嫌そうに口をへの字に曲げている。撮影用ヘリはその場でホバリングを続けている。

「一つ、質問があるんだけどー」

 沈黙を破ったのは、ドラッヘの大音声だった。叫び声とは違う、腹から出したよく通る声は、撮影ヘリまで届いたことだろう。

『なんだ』

「国の軍が、そんな要求は呑めない、あくまでも革命軍は残らず潰す、って言ったら、どうするの?」

 一呼吸置いた後、仮面の男はより一層背筋を伸ばした。決意を固めるように。

『その時は、微力ながら革命軍側で戦おう。彼らのうち、一人でも逃げおおせるよう、力を貸すだけだ』

 ふうん。ドラッヘは立ち方を変えて重心を左足に移し、鼻を鳴らした。俯いた彼女の表情はよく見えず、どんな意味でふうん、と言ったのかは分からなかった。

「さて、ありえないくらいイレギュラーが起こりまくったわけだけど、あたしは一体どうしたらいいのかしら。民間人は乱入してくるし、妙な男は妙な主張をしてるし」

 ヴェスペは腹が立ってきた。ドラッヘには考える頭がないのか。どうしてここまで聞いておいて何も思わない。自分がしようとしたことについて、感じることはないのか。


 まずい。シュティーアは思う。言うべきことは言った。それはいい。今この場を乗り切って、一晩でもいいから時間を置けば、民衆はこの件について何か考えるだろう。そしてうまくいけば、人々の関心がエインヘリヤルから革命軍に移る。そうなれば、国もうかつに革命軍を皆殺しになどできないはずだ。それをしてしまえば、正規軍、ひいては国の評価が下がってしまうのだから。

 だが、この流れは駄目だ。このままだと、十中八九、軍幹部はドラッヘに戦闘続行を指示するだろう。民衆に考える時間を与えないために。そして、革命軍は彼らの思想ごと悪として闇に葬られる。

 どうしたらいい。シュティーアが奥歯を噛み締めたその時だった。

 背後、研究所の入口の方から、手のひらサイズの機械が足元に転がってきた。なんだ、これ。

『……、……カ通りの街頭……前、……くのひ……集まり、』

 ラジオだった。ニュースを放送している。革命軍の誰かが投げてよこしたのだ。シュティーアが意図を測りかねていると、ヴェスペは迷わずそれを拾い上げ、前面についたいくつかのつまみを操作した。

『人々は、街頭テレビに映し出されている仮面の男の言葉について、思い思いに議論を始めているようです』

 まず、ノイズが緩和され、内容が聞き取れるようになった。彼女はさらにつまみを回す。

『「エインヘリヤルを応援するつもりでここに来たんだけど、うーん。彼の言うことも一理あるよなあ」』

 目一杯まで音量が引き上げられる。数十メートル先のドラッヘにも、聞こえるようにだろう。ヴェスペは仁王立ちで、ラジオのスピーカー部分をドラッヘに向けた。

『「あの女の子、勇気あるなあ。あの子を応援したくなっちまったよ」「確かに、皆殺しはよくないかな」「でも犯罪者なんでしょ?」「だからってさあ、あれくらいの要求、聞いたっていいんじゃないのか?」』

 これを聞かせて、なんになるっていうんだ? シュティーアは面の裏で眉間にしわを寄せた。ドラッヘは完全に軍の指令に従って行動している。いくら、感情や良心に働きかけたところで……。

「やーめた!」

 ドラッヘは突然くるりと踵を返した。部下たちのあいだを通って、さっさと立ち去ろうとする。予想外過ぎて、咄嗟に言葉が出なかった。

『な……、おい』

「何よ、兵を引けっていったのはあんたでしょ? 何か文句でもあるの?」

『いや、軍から命令があったのか?』

「ないわよ。この期に及んで。だからあたしは自分で決めるの」

 ドラッヘは背中の翼を折りたたむと、肩ごしに振り返った。

「あたしはね、エインヘリヤルなの。この国のヒーローとして戦っているつもりなのよ。だから、こんな悪者みたいな役回り、真っ平ごめんだわ」

 それだけ言うと、今度こそ立ち去っていってしまう。残った一般兵たちは、顔を見合わせた後、シュティーアを警戒しつつもドラッヘに続いた。


 兵たちが一人もいなくなり、冷たい風が剣呑な空気を払拭するころには、撮影ヘリもいつの間にかいなくなっていた。隣の男が微動だにしないのに釣られて、無意識に息を詰めていたヴェスペは、ようやく深呼吸をした。深呼吸しながらラジオのスイッチを切る。

『おい』

 仮面の男が声をかけてきた。

『どこの誰か知らないが、ありがとう。助かった』

「? どういたしまして」

 取ってつけたような最初の一節が、妙に引っかかった。どうしてわざわざそんなことを言うのだろう。何か意味があるのかもしれないが、よく分からない。

『さあ、早く戻れ。長くここにいると、お前まで革命軍の一員と見なされかねん』

 そういうものなのだろうか。

「あんたは、どうするの?」

『お……私は、軍から何かしらの通達があるまでここにいる。どんな卑怯な手を使ってくるか、分かったものではないからな』

 今、「俺」って言いかけたな。ヴェスペは彼のフードの奥に目を凝らした。銀色の髪が見えないか。

 でも、おそらく、彼はヴェスペの見知った男なのだろう。半分以上勘だが、まあ、外したところでどうということもない。カマをかけてみることにした。

「全部終わったら、あたしたちのところに帰ってくる?」

 大量のコードに埋もれた彼の肩が、ぴくりと動いた。

『……』

「沈黙は肯定だって、いろんな小説で言ってるよね」

 彼は黙ったままだが、きっと渋い顔をしているに違いない。ヴェスペはマフラーを引き下げて口元を見せ、にっと笑ってみせた。

「じゃあね」

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錆びた箱の中身は千本のコードと無数の後悔と一体の肉塊と、ひとかけの勇気 たまき @Schellen

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