27-4 呪い

『そっちはどうだい、左大臣?』

『いやはや、こう申すのもなんですが全く以って順調ですぞ!』


 白銀の衣装を汚す魔物の血はたちまち薄紅色の氷となって剥がれ落ちる。群れ成して襲いかかる魔物たちのうち、足を持つものは氷柱に貫かれ、翼を持つものは凍てついて墜ち、剣の刃に薙がれていく。今この時、左大臣もまた同じように桜花市の南を突き進んでいるのだろう。一瞬たりとも足を休めることなく。


『姫さまと朱雀殿は今頃どうなさっていることやら。ご無事でいらっしゃればよいのですが……』

『私はあの二人を信じているよ』


 白虎は瞳だけでちらりと真上を見た。先刻までその半身しか露わになっていなかった満月媛の裸身は、今や爪先を東に、頭を西へと向けて天空に横たわっており、西へ向かう白虎の行く先には女神の虚ろな眸が、秀でた鼻の麓にあってちょうどならび立つ二つの月の如く浮かんでいた。髪は風に靡いているものか波打って叢雲のごとく天に広がり、朱くかがやくその膚は空そのものかと見えた。

 

『二人なら漆の元にたどり着けるさ。漆のやつを倒すこともできる』

『もちろん、わたくしもお二人を信じておりますぞ』


 左大臣はほとんど白虎の言葉の端にかぶせるようにして言った。


『しかし、漆のやつは強い。悪いことに前世よりももっと強大になっております……せめてどうすれば倒せるか、その方法だけも……っていれば……』

『それも含めて二人に託すしかない』


(姫、君ならきっと方法を見つけるね)


 風の声には乗せず、風の届かぬところへ向けてそっと呼びかけた。何度膝を折ろうと立ち上がる少女を白虎は信じている。なぜって、今までもずっとあの少女は、京姫は、京野舞はそうしてきたのだから。


 朱雀——胸の奥に小さな痛みを覚えて、白虎は剣を振るう手に力を込めた。ああ、朱雀、君ならきっと姫を月へと連れていってくれるはずだ。信じている。九尾の狐に腹を喰い破られ、しかしどうした因果か朱雀として覚醒した君。苧環神社にあって焔のごとく燃え立ち美しかった君。私は柏木のやつをつくづく不憫に思う。君のその姿を見たらやつはいまいましいほどの歓喜をその顔にほとばしらせたのではないだろうか。


 そう、私は今にして柏木やつを不憫に思うんだ、玲子。なぜなら柏木は私以上にかなわぬ恋をしていたのだから。柏木が愛したのはやはり最後の最後まで三の宮さまだったのだ。すでに亡くなった人だった。私が一条家の白虎の記憶と魂を持ちながらやはり一条家の白虎ではないように、玲子、君はやはり三の宮さまではないのだから。


 まだ幼い君の前に参上したとき、あいつの一縷の望みはきっと砕かれたことだろう。たとえ君が成長し、前世を思い出し、前世のおもかげがいよいよ鮮やかに蘇ることになろうと、愛した皇女ひめみこはもう二度とは目の前に現れないのだと悟って。それでもあいつは失望することなく君に仕え続けた。そうせざるを得なかった?そうかもしれない。だが、あいつはやっぱり最後まで三の宮さまのために戦おうとしたのではないかな。愛した人が守りたかった現世みらいのために。繋いだ現世のために。


 ……ああ、でも柏木はやはり君のことを想っていたよ、玲子。心は三の宮さまひとりを守りながら、赤星玲子を尊んでいた。君を愛していた、というのとは少し違う。柏木は――君の幸せを誰よりも望んでいたんだ。そのために柏木は戦っていたのかもしれない。そうだ、だから、柏木あいつは姫を……だから、柏木は私に…………



 風の力で魔物をまとめて掻き消し、白虎は肩をすくめる。繁華街の中心だけあって、敵の姿は尽きなかった。息をひとつついて、白虎は地を蹴り出した。休んでいる暇はない。たった今、手の甲で拭ったのは凍えるほどの寒さのなかでも滲み出てきた汗のはずだった。


 ところで、玄武と青龍はどうしているだろうか。きっと大丈夫だろう。先ほどから定期的に状況を報告し合っているのだし、もし何か危険があれば知らせてくるはずだ。それに何よりあの二人がこれしきの敵に敗けるはずがない。むしろ心配なのは左大臣である。左大臣の腕を疑う気は全くないが、やはり四神の霊力によって守護されている自分たちとは違うはずだ。それに左大臣は京姫の霊力を借りて前世の姿を取り戻しているのだから、京姫と遠ざかることで影響はないのだろうかということも危ぶまれる。なによりも白虎が不安に思うのは漆の戦いでのあの傷のことである。玄武が治癒したとはいえ、何かあの漆の技には引っ掛かるものがあった……


『左大臣、大丈夫かい?』 

『いやはや、老いぼれにはお構いなさりまするな……!』


 呵々と笑う声が一瞬途切れた気がしたのは、距離が開いてきたせいだろうか。白虎はふと不安になった。このまま皆がめいめいの方向に突き進んでいけば、やがてはこの風の力も届かなくなるのではないか。


『みんな、どんな調子?!』


 と、今度は青龍の声だ。


『こっちは順調だ』

『あたしもなんとかやってるよ。みんな怪我してない?』

『掠り傷ぐらいはあるけど、でも大丈夫!』

『もし危ないと思ったら一度撤退するのもありだぞ、玄武、青龍。我々が命を落としては元も子もないからな』

『そうだね、さすがにちょっとへばってきたかな。まだ頑張れるけど。でも、もし何かあったら言ってね!あたしと合流しよう。怪我なら何でも治してあげられるから。えっ、なにこまちゃん?あっ、うん、そうだね。毒とか呪いとかはちょっとね』


 呪い……?


『姫と朱雀は大丈夫かな?』


 ……ああ、また同じ話題だ。でも思わず空を見上げてしまう。今この時、青龍と玄武も同じように空を見上げているのではないだろうか。足は止めず、心だけを月に託して。


『……きっと大丈夫でございましょう』


 左大臣が低くつぶやく。


『漆のやつがどんな……とも……姫さまは…んせでも……おひとり…勝利なさっ……から』

『そうだよね。姫なら勝てるよ、きっと!』


 いつも通り明るい声で青龍が言う。その声につられて白虎は思わず微笑んだ。


『それに朱雀もいる。朱雀ならば姫を守ってくれるだろう』

『五人一緒じゃないのはちょっと悔しいけどね』

『だいじょーぶ。いつだって気持ちは一緒じゃん!……ところでさ、なんか左大臣の声聞きづらくない?電波のせい?』

『電波って、玄武、携帯電話じゃないんだから』

『あっ、そうだった。じゃあ、えっと、電波じゃないとすると……?』


「左大臣っ!!!!」


 白虎の吼え声に青龍と玄武はびっくりして口をつぐんだようだった。そればかりではない。今まさに襲いかかろうとしていた魔物どもさえもが怯んでその場に立ちすくんだ。白虎は声をあげていたのだ。



「左大臣、どうしたんだ?!返事をしてくれ!」




『左大臣!!』




『左大臣!』




『左大臣……!』

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