25-2 青龍変化
「考えがあるの。白虎は人間の姿から虎の姿に変身できるでしょ?他の
白虎がたちまち険しい顔をしてみせる。
「姫、君は知らないかもしれないが、あの
「でも、白虎は……」
「白虎は特別だ。前世では白虎は血筋によって受け継がれるものだっただろう?幼いころから術を操る修行をしてきたんだ。現世では私も極力控えているよ」
「あたしも変化のことは聞いた記憶があるけど……ううん、でも、むやみじゃないよ。今こそ使う時でしょ、白虎っ!」
さすが青龍だな、と京姫はまぶしそうに目を細めて青龍の決意を見遣りながら、大きく
「ダメだよ、青龍。私たちここで終わりじゃないんだもん。白虎が止めるぐらい危ないなら、やめておこう」
「青龍、君は前世でさえ変化の術を使ったことがなかっただろう。慣れない者が使うのは余計に危険なんだ。龍になった瞬間、君は自分を制御できなくなるかもしれない」
「大丈夫、みんながいるもの」
青龍の静かな言葉に、拍子抜けした皆の視線が集まった。驚いたことに青龍は微笑んでいた。白いリボンで結んだ、風になびく藍色の髪を手で押さえ、その瞳は力強く、けれどもどこかはにかむように。
「青龍……?」
「みんなのこと忘れるわけないもの。みんなの顔を見れば大丈夫っ!さっ、ぐずぐずしてる暇なんてないんだからあたしを信じて!姫、白虎、左大臣!」
三人は顔を見合わせ、そしてうなずいた。
「ならば、私が青龍にやり方を教えよう。いいかい、みんな?作戦はこうだ……」
――いいか、思考を絶やすな。それから、鏡は絶対に見るな。自己を人と認識しなくなったら終わりだ。その時は私たちでも救えなくなるかもしれない。
白虎の言葉を頭のなかで復唱し、言葉が漏れ出ないように目を閉じたまま、青龍はこくんとうなずいた。火照った頬に風を感じた。
――
大丈夫、わかってるよ、と、胸のなかでもう一度答えて、青龍は瞼を開いた。蒼玉の瞳が夕日を浴びてきらめいた。
己を高く放り投げるんだ、そして必ずつかみ取れ。謎かけのような白虎の言葉を刻み込んで、青龍は
『
身をくねらせて天空に浮かぶ凶悪な獣の姿を、京姫は白虎の背の上から見上げた。虎の姿へと変化した白虎は白銀の風のごとく町を駆け抜け、桜花市の東を流れる
「青龍、大丈夫かな」
「姫さま、不用意にしゃべると舌を噛まれますぞ!お気を付けなしゃれ!」
と、テディベア姿に戻った左大臣が、白虎の首元にしがみつきながら言った。
『姫、左大臣、話すなら私の風の力を使うといい。青龍は聞こえるかい?』
返事はなかった。京姫の胸に再び不安が萌した。
「青龍殿のことは心配なさりまするな。青龍殿はやるといったらやるお人ですからな……いやはや!まさしく!!」
左大臣が声を上げて示した方を、姫は省みた。振り返った頬に冷たい雨滴を受けたかと思われた瞬間と、激しい
緋色の刃のように黒雲に差し込んだ日が屈めたうなじにあたたかく触れて、姫ははっと顔を上げた。その目に映ったのは、まるでその身に海を浮かべているかのごとく青い鱗を波のようにさざめかせた、世に美しく、世にも荘厳な一頭の生き物であった。
「青龍!」
大きな船が荒波のなかで舵を切るときを思わせる厳かな軋みのような声が、姫の呼びかけに応えるように天いっぱいに鳴り渡る。雲の真下で一瞬身をしならせた青龍は、雲を蹴り、九尾の狐に向かって迷いなく急降下していった。
異変に気付いた九尾の狐は、顔をもたげて敵の姿をとらえるや否や、あのおぞましい毒の塊を青龍めがけて吐き出した。塊は
西日はすでに川面から遠ざかりつつあり、足元を流れる水は暗かった。京姫は白虎に跨ったまま、いつ
追い回す青龍を九尾の狐は巧みに交わしていた。しかし、俊敏ということでいえば青龍の方が勝るらしい。敵の行く手を見定めるや否やすばやくその前に立ちはだかって進行を妨げる。その動きはまるで九尾の狐のまわりに見えない巨大な鋼の籠を編んでいるかのようであった。
『そうだ、青龍!そのまま東雲川へ追い込むんだ……!』
苛立ったように九尾の狐が耳障りな咆哮を上げる。しかし、この邪知を体現した獣の感情は当然信じてはいけないものであった。九つの尾を収斂して一直線に飛び上がった狐の後を青龍はたちまち追いかけたが、狐は青龍に追い抜かれた直後になって身を翻し、毒の塊を町の北東に向かって吐き出した。
唸りを立て隕石のごとく飛んでいく毒の塊を、青龍は迷いなく追っていった。それが罠だということを恐らくは知っていたはずだった。
「青龍、ダメッ……!!」
そう言いながらも制止しきれないのは、毒の塊の向かう先に桜花中学があるからである。きっとまだクラスメートが残っているはずの学校に。美香や恭弥が、理沙や優美が、それに菅野先生が、まだいるはず学校に。
家々の屋根に触れそうなほど低く滑空をはじめた青龍の姿が、毒の石を追い越しざまに砂塵のなかに掻き消えた。
「青龍!」
「待つんだ、姫」
思わず白虎の背から飛び降りかけた時、毛皮越しに伝わる獣の肺のうなりが姫を留めた。
「大丈夫だ。きっと青龍なら……」
はたして
『青龍、思考を絶やすな!人としての自我を忘れるな』
返事はなかった。異様な気配を察したらしい九尾の狐が振り向いた瞬間、青き龍は邪知の化身へと襲いかかった。狐の首元に龍の牙が突き立てられるのを姫は見た。龍の牙は一刹那、夕日を浴びて剣のようにひらめいた。
うなりを浴びせ合う二頭の獣はその輪郭を時おり西日の鋭い光で縁どらせながら、暗い湖面のような影で、町を、甍を、樹々を、そして人をも貪欲に呑み込みつつあった。今この瞬間、桜花市中の人々が逃げることも忘れ、呆然として上空を見上げているに違いない。その胸にあるのは恐怖ではなく畏怖であったはずである。神秘と魔とが隈なく空を占めるその光景はまさしく異様でありながらも、そのあまりの克明さ、そのあまりの壮大さゆえに、もはや日常の一部かと錯覚されるほどであった。夢を見ているかと錯覚するよりは、これまでの何事もない日々を長い穏やかな眠りのうちにあったと思う方が、より容易なことであろう。
『青龍ッ!』
白虎の吼え声が京姫を我に帰らせた。
『狐を東雲川に追い込め!それが君の役目だろうッ!』
「青龍!」と、京姫も叫んだ。
「言ったじゃない、私たちがいるから大丈夫だって!」
変わらず返事はなかった。だが、狐の顎に食らいつこうとしていた青龍は何か思い出したようにすっと身を引くと、用心深く目をみはる九尾の狐に向かって、あの、舟の軋みのような荘厳な響きを持つ声音で啼いた。
その時、京姫の目に遠雷かと見えて西の空にひらめいたのは、
波の流れに乗って狐を追ってきた青龍の牙が、九つに割れた尾の根本を捕らえた。九尾の狐が抗う暇も与えずに、青龍は
「行くぞ、姫!左大臣!」
白虎が駆け出した。九尾の狐の巨躯が激しく水柱を上げながら川のなかに沈みゆくのが見えた。
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