24-3 宝物

「朱雀殿、私たちは無暗に変化へんげの力を用いてはなりませぬ。私たち四神はかつて黄櫨一族を討伐した折、京姫さまに特別に罪を赦されて乙女の身をいただいたのですから」


――えぇ、知っておりますわ、玄武殿。


「軽々しく浅ましき禽獣の身に戻れば、いつしか心まで禽獣になりはて人の心を忘れてしまいます。獣どもを見なさい、鳥どもを見なさい。あれらもかつては神であり、言葉も持っていたというのに、いつの間にやら心を忘れてしまいました。京姫さまは格別に深い御恵みと御憐おんあわれみを垂れて、私たちにこの清い身をくだすったのです。それを忘れてはなりませぬよ」


 ――えぇ、、玄武殿。


 あの日のことは決して忘れませぬ。朱雀は受け継がなければならないのです。黄櫨大王はぜのおおきみを、桜乙女を、しいしましたあの夜のことを。


 姉君を奪われた稲城乙女がどれほど朱雀を憎んだことか。朱雀はこうべを深く垂れて、あのお方の憎悪も、お怒りも、涙も、罰も、自らの罪も、全てを受け止めたのでした。


 いつかこの玉藻の国が深い永久とこしえの眠りに沈むとき、朱雀は地獄へ下らなければならない。地獄だけは永久の場所であり普遍の場所であるから。この国の人々が皆、来世へと旅立つときも、朱雀は孤独のまま自らの炎に苦しむ罪人たちとともに取り残されるのです。あのお方が思いつくかぎりもっとも厳しい罰でした。

あのお方は泣き疲れて朱雀の胸に顔を埋めたまま眠りました。朱雀もあのお方の身を抱いて眠りました。朝日がのぼるより早く、朱雀は目覚めました。そして……あのお方の姿がどこにもないのに気がつきました。朱雀は声をあげました。その声は世にも清らかな声でした。世にもいとおしい声でした。あのお方は朱雀にたったひとつ赦しをくださいました――でも、何を赦されたのでしょうか?朱雀にはわかりませぬ。ただあのお方いとしさに泣きました。ひたすらに我が身を抱いて。それは誰よりも愛したあのお方の御身からだだったのですもの。紅の髪と紅の瞳と。


 ……いつか、貴女がずっと幼かったころ、私の翼に乗せて海に連れていくと約束いたしました。その約束を今果たせたなんて。でも、どうしてこんな風に。

 

 姫さま、貴女は覚えていらっしゃいますか?京姫と朱雀のはるか遠い約束を。二人だけの記憶を。



 記憶、記憶――私だけが覚えている。


 これは私の罰。


 そして、私の宝物――






 傷ついた野禽は日暮れになってようやく南の海へと降り立った。垂れた尾が線を引くかと思いきや、緋色のあしうらはやわらかい砂浜を掴みそこね、崩れ落ちた胸の羽毛がたちまち砂にまみれた。翼を閉じる力もなく、朱雀は時おり痙攣するように足を動かして立ち上がろうとしながらも、長いこと砂浜に横たわっていた。その背の上では少女がうつぶせになって眠っている。朱雀はどれほど苦しげに喘いでも、少女を背から振り落とすようなことだけはしなかった。


 やがて、残照までもがこまやかな夜の刷毛に塗り立てられるころ、これまでは陽光を憚っていたかのように朱雀の身は乙女の身に戻った。左腕から流れ出す血を砂の吸うままにまかせ、朱雀は涙に濡れた瞳でただかたわらの少女の亡骸をじっと見つめていた。宵闇に浸されて少女の皮膚は玻璃のごとき硬質を示し、うっすらと見開かれた翡翠の瞳はきらめいていたが、そこに込められた一番星の輝きは人間が持ちうるどんな感情とも相容れず、故にこそ京姫は今こそ正しく神代かみよの巫女であった。


 姫さま、約束通りに参りしましたよ、南の海へ――ささやきかける力もなく、朱雀はただ胸のうちでそうつぶやいて微笑みかけた。それから、耐え切れなくなったように京姫の肩へと腕を伸ばすとその傷ついた胸に縋りついて、幼子のように嗚咽を漏らしはじめた。ここでは誰も聞きとがめる者もいないだろうから。


 ……しかし、朱雀は力強い腕に抱き起された。涙に咽びながらも拒もうとする手はたやすく抱きすくめられ、やがてぐったりたしなだれたその身は男の胸に預けられた。


「宮さま……!」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る