22-4 新月
「芙蓉、なぜこの地に月修院が置かれたか知っていますか?」
いいえ、と女は答える。すでに三日間にわたって不眠の業を行っている月修院さまのお言葉は澱むことなく、その変わらぬ明晰さは、横顔にじっと寄せられている芙蓉の瞳のほの暗い熱をも受け付けぬ。新月に垂れた
「教えてあげましょう、芙蓉。さあ、いらっしゃい」
供の者もなく、月修院さまは自ら灯りをとって芙蓉を先導した――
「芙蓉、あなたには以前話しましたね。『暁星記』に記された神話の意味するところを」
月修院さまは灯籠の灯に照らされた半身を森の奥へと向けたまま語られた。
「はい。月修院さまはあれは虚構だと」
「正しくは多くの歪曲や誇張が含まれていると言ったのですよ。帝がこの国を治めるためにはその正統性を説かねばなりません。しかし、まるきりの虚構というわけでもないと私は考えます。確かめる術はありませんが」
降り積もる葉を踏む音は自分が立てているとわかっていても、闇のなかでは、足元をなにか知らない生き物が這いまわっているかのように思われる。芙蓉はいつになく不安になっている自分を叱った。こんなことで怯えてどうするというの。わたくしは決めたのでしょう。月修院さまの右腕となるのだと。
「芙蓉、あなたは
「満月媛さまが……?」
「
急な羽音に驚いて頭上を仰いだ芙蓉の目に、わずらわしいほどの銀の星々がまたたいた。
「この国ははじめから呪われているのですよ、芙蓉。満月媛さまの羞恥と悲しみによって……黄櫨の一族は白菊帝によって征服されるより前にこの地に暮らしていたのでしょう。荒ぶる神々に怯えながらも、つましく、たくましく暮らしていたはずです。白菊帝が従属を強いたその時、彼らは誇り高くもまつろわぬ民となる道を選びました。そして、土地を追われるうちにこの北山の麓へとやってきたのです。そこで彼らは見つけました」
いつの間にか、芙蓉は泉のほとりへとうち出でていた。そうと知れたのは、水面に月修院さまの持つ灯りが揺らいだためである。こちらを顧みられる月修院さまの肩越しに、芙蓉は闇に慣れた目で泉の全貌を見渡した。ここでは
「この泉の底に。この泉こそ、この目で確かめられる最後の
「……満月媛さまはここにいらっしゃるのですね」
芙蓉が震える声でささやくように言った。月修院さまを仰ぐ瞳が危ういほどの輝きを放っていた。
「今のお話で芙蓉は全てわかりました、月修院さま。京姫と四神たちは再びここに満月媛さまの
月修院さまは莞爾とされた。
「その通りです。満月媛さまの
その時、月修院さまはおもむろに芙蓉の方へと歩み寄られて、芙蓉の頬に手を当てられた。芙蓉の頬の赤らむのは、闇のうちでも明らかだった。
「……悦んで」
「私は自分の才を試してみたいのです。幼いころから私は誰に目をかけられるでもなく見捨てられるように
月修院さまの灰色の瞳の動きに倣って、芙蓉もまた泉を見遣った。
「……私ならば、この世を創り変えることさえできる」
「ああ、月修院さま!!」
芙蓉は叫び跪いて、僧衣の膝を抱きしめた。
「そのためにはこの泉に眠る天満月媛さまの力をよみがえらせなくては。その方法を探しましょう、芙蓉。私は何年も探ってきました。時は近いはずです。私たちは終焉を、そして終焉の更なる果てへと向かうのです」
月修院さまの灰色の瞳は、その時はじめて光を失った。光を失ってもなお、その奥から怜悧に、冷ややかに、世界を射抜く目であった。その瞳に映されて、泉はなおも深い闇のなかに沈んでいる。
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