第六章 現世編――漆の巻――

第二十二話 始まり

22-1 新年会

 新学期が始まった。桜花中学校では、ある者は友人たちと楽しくはしゃぎまわり、ある者は他の生徒の模範となり、ある者は受験勉強に追われ、多様ながらにそれぞれが忙しない日々を送っていた。


 白崎邸で、これで何度目になるかわからない会合が開かれたとき、少女たちは真面目になろうとしながらも正月ぼけを引きずってどことなく身の入らないようすだった。集合からはや三十分、舞は左大臣とともに昼寝するボルゾイ犬に顔をうずめて至上の恍惚に浸っており、翼は数学の問題集を開いて玲子を質問責めにし、奈々は先ほどから庭園に出かけたきり帰ってこない。気持ちはよくわかる、とルカは小さく溜息をついた。ルカとて一度は永遠を信じたことがあった。翡翠の瞳を持つ少女に身を焦がすほどの憧憬を抱きながら、触れられなかったあのころ。彼女の笑顔を歯がゆくさえ感じていたあのころ。けれども、退屈なほどに盤石にみえる日常は脆くも崩れ去った。ぬるんだ日が差し込むのどかなこの午後にも、邪悪は呼吸いきをしているのだ。


 奈々が戻ってきた。どうやら庭のどこかに座り込んで絵を描いていたらしい。ズボンに草がたくさん貼りついたままになっていた。そのまま椅子に腰を下ろした奈々がクッキーに手を伸ばし始めたころ、ルカはひとつ咳払いをして、皆の注意を引いた。


「さて……今日集まってもらったのは単なる新年会じゃない。わかるね?さあ、舞、ボリスから顔を上げて」

「ねぇ、聞いて!ボリスってビスケットみたいな甘いにおいがするの!かいでみて!」


 きらきらと輝く目で報告する舞に、ルカはかすかに笑った。


「舞、今日はなんのための会だったかな?」

「えっと、翼の報告会」


 あと新年会、と小さく付け足された言葉は無視して、その通りだとルカはうなずいた。


「まったく偶然にも、翼が海原島で敵と遭遇した。華陽と名乗る女だ。篝火と同じで、正体は狐らしい。それもただの狐じゃない。そうだろ、翼?」

「うん!旭さまが最後に教えてくれたんです。確か、そうだ、華陽は白面金毛九尾の狐だって」

「な、なんと!かの九尾の狐ですと?!」


 ボルゾイの前脚にはさまれて驚愕する左大臣と、そのかたわらではてなマークをいっぱい浮かべて首をかしげる舞が、見事なコントラストを成す。


「キュ、キュービのきつね……?」

「九つの尾を持つ狐よ。尊い存在としても語られれば悪しき妖と見なされることもある。日本でもっとも有名なのは玉藻の前伝説ね。インド、中国で暴虐のかぎりをつくした九尾の狐が日本に渡り、絶世の美女に化けて鳥羽上皇をたぶらかしたといわれているわ」


 玲子の説明に、目をぱちくりさせてながら、「へぇー」と気のない声を漏らす舞と奈々に、左大臣はがっくりと肩を落とした。


「姫さまには以前にもお話ししましたのに……」

「でも、やがてその正体が明らかになって、九尾の狐は京を追われた。逃げ延び追い詰められた先で、九尾の狐は近づく生き物をすべて喰い殺す殺生石せっしょうせきとなり、砕かれたその破片は日本中に飛び散ったそうよ」

「華陽、とやつは名乗ったんだな、翼?まさしくインドを荒らしまわっていた時の九尾の狐の名が華陽夫人だよ。まったく、漆のやつもとんでもないやつを引き入れたものだ」


 あっ、漆といえば、と奈々が手を挙げる。


「旭さまがね、漆のことで変なこと言ってたんですよ。後になると忘れちゃうかもだから言ってもいいかな?」

「変なこと?」

「うん。そうなの。こんなこと言ってたんだよね……」




 ――私はある夜、貴方がたの敵の姿を見ました。囲炉裏の炎のなかにその横顔が、半身が、浮かび上がったのです。



 ああ、あれは震えるほどに美しく、そして冷酷なでした……


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