第二十一話 人魚の夜

21-1 「なんだか嫌な予感がする」

 これが幸せってことなのかな、と思う。ソファの上に寝転がって、年末の特別番組を見るというでもなく眺めながら、大みそか恒例メニューのすき焼きで満腹になった胃を休めている時。父も母もほどよく酔い、姉は年末年始を利用して京野家に泊まりにきた香苗と楽しげに語らっている(香苗は両親が仕事で出かけてしまうというので、京野家に遊びにきたのだ)。部屋は明るく、温かく、あとはただ過ぎ去る時を名残惜しみつつも心地よく見送るだけ。指と指のすきまをやわらかな砂がこぼれおちていく優しく切ない感覚だ。背もたれが目隠しになっていることをよいことにして、左大臣までもがソファの上でうつらうつらしている。


 誰の目を憚ったわけでもないが、舞は手にしている携帯電話の画面をそっと盗み見た。まだ返信は来ない。夕食前に送ったのだから、そろそろ返事があってもよいころなのに……それとも結城君も今日はお母さんとのんびりしているのかな。だったら邪魔しちゃいけなかったかな。でも、年越しの前にもう一回声を聴きたいし、できれば年明けの一番初めにも――こんなことは贅沢すぎるかな。


 その次の瞬間、舞がはっと飛び起きたのは、携帯電話の着信音のためではなかった。左大臣がうたた寝から目を覚まして小声でどうかしたかと尋ねたが、舞は黙ったまま左大臣を引っ掴むとそのまま階段をのぼっていった。が、機嫌のよい京野家のひとびともその客人も、末娘の異変には誰一人として気がつかなかった。


「どうかいたしましたか、姫さま?」


 階段の半ばで左大臣が不審げに訊くと、舞はその場に立ち止まり、携帯電話を握りしめた手で胸元をおさえながら首を振った。


「わからない……なんだか急に、胸のあたりがぞわってして。なんだか嫌な予感がする」

「もしや敵襲ですかな」


 居ずまいを正す(引っ掴まれたなりに)左大臣に、舞は再び首を振った。


「ううん。そうじゃないと思う。なんとなくそう思うだけなんだけど。そうじゃなくて……なんだろう。すごく大切なひとに危険が迫ってる、みたいな。ものすごい遠くで、誰かが助けを求めてるみたいな。そんな気がして…………」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る