19-2 最高の誕生日

 いい一日だったと思う。最高の誕生日だ。本当に今年はすてきな年だった。


 十二月三十日の夜―― 今年一年を振り返ってみればいろいろなことがあった。五月に舞と翼と出会った。自分が四神であることを知って、けれども、どうしても戦う勇気を奮い起こせなくて笑うことしかできなかった。どうして自分が戦わなくてはいけないのかという思いが強くあった。どうして愛する日常にとどまっていてはいけないのか、と。どうして自分だけが……自分だけではないと気づいたのは、螺鈿との戦いのなかでだった。燃え上がる桜花町を救うべく必死に戦う舞の姿が、火に焼かれ苦しみながらも鈴を渡してくれた翼の姿が、教えてくれた。ひとりではなかった、今までもこれからもずっと。


 六月にはルカと出会い、仲間になった。七月には前世の記憶を取り戻した。胸苦しくなるほどに辛く、悲しく、懐かしい記憶だった。玄武の想いと奈々の想いとが二重に迫りきて、奈々は泣いた。誰かをいとおしいと思う。その人はもう現世ここにはいないのだと気づく。帰りたいと思う場所があり、そしてもうそこには帰れないのだと知る。でも、涙に濡れた顔を上げれば、姿かたちを変えながらも、かつて愛した人たちが、帰りたい世界が微笑んでいることに気づくのだ。そうだ。あたしは転生して、現世ここへ帰ってきた。


 八月、玲子と出会った。九月、水仙女学院の文化祭で芙蓉と再び戦った。十月、琥珀と戦った。十一月はなにごともなく平穏に過ぎた。そして十二月もまたなにごともなく終わろうとしている……


(このまま今年が無事に終わればいいんだけど)


 もちろん、漆との戦いは来年も続くわけだけどさ。でも、いいじゃない。せめて、あと一日ぐらい……吹きつけてきた冷たい風に思わずコートの襟を掻き合わせつつ、奈々はつぶやいた。夜空を見上げてひとつ吐いた溜息は白く、澄明な冬の夜を照らし出しながら却ってぼやかしている街灯の色と重なって、もっと夜をあいまいなものに見せた。けれども、溜息の凪いだ後には、漆黒の板に刻み込まれたような鮮明な星の瞬きがあった。


 奈々は立ち止まる。いつか兄が言っていた。星というのは人間が目視できるかぎりで一番遠い場所なのだと。そして、前世の、玄武の兄が言っていた。玉藻国の星々はすでにこの世界を去り次なる世界を求めて旅立った神々なのだと。でも次なる世界って?


 まったく脈略なしに、奈々は痛みともつかない疼きを胸に覚える。このところずっと胸に引っかかって消えてくれないもの。思い出させたのは、この腕に提げている誕生日プレゼントの包みの重みだろうか――舞がくれた料理用エプロン(奈々さんお料理するから……!)、ルカがくれた高級画材一式(プロにこんなものでよいのかわからないが)、玲子がくれた来年開催される美術展のチケットと手袋(あなたは受験生なんだから風邪を引かないように)。それから……



 ――奈々さん、お誕生日に、お祝いの場にいっしょにいられなくてごめんなさい。



 手紙の書き出しにはこうあった。



 ――あたしはこの冬休み中におじいちゃんの知り合いのところで剣道のおけいこに励むことにしました。それがなによりもみんなのためになると思って。あたしはまだまだ弱いから、もっと強くならなきゃいけないんです。だから、みんなといっしょにお祝いする資格はないんです。



 そこまで読んだ時、晴れやかな仲間たちの顔に囲まれて奈々の表情は曇った。



 ――でも、あたしは奈々さんと出会えて、奈々さんとすごせてすごく楽しかったです!お友達として一緒にいる奈々さんも、お姉さんとしてがんばってる奈々さんも、画家としての奈々さんも、そしていっしょに戦っている玄武としての奈々さんも、すごくすてきだなって思います!

 ほんとうに、お誕生日おめでとうございます、奈々さん!!これからもよろしくお願いしますね。受験もがんばってください!!


                                     翼より

P・S

お誕生日プレゼント、気に入ってもらえるといいんですけど…




(気に入ったよ、すっごく。気に入ったけどさ……)


 別に誕生日パーティーにいてくれなくたってかまわない。翼が誕生日をお祝いしてくれる気持ちは本当だろうから。だが、ここしばらくの翼の横顔が瞼にちらついて仕方がない。時には思いつめたように虚空を見つめていた。時には今にも泣き出しそうに瞳を揺らしていた。それでも翼は弱音ひとつ吐こうとせず、いつも通りに振舞っていた。振舞おうとしていた。


「琥珀戦のことがまだ気にかかっているのね」


 今夜、翼のことが話題になったときに、玲子がそう言った。「翼ちゃんのことって?」と毒に伏せってあの場にいなかった舞がふしぎそうに尋ね、奈々が状況を説明した。北山の麓で琥珀を討ち損じたときのことだ。


「でも、なにも翼ひとりのせいじゃ……」

「そうさ。それに結果的にはあれでよかったとも言えるんだが、翼のあの性格だ。当然気にするだろうな」


 まさしくルカの言った通りだ。翼なら絶対に気にする。強くなりたい想いは誰よりも強い翼だもの。


 ……でも、それだけではないのだと、奈々は他の誰にも気づかれぬように目を細めた。みんなはまだ知らなくてよい。特に舞は。つい数日前に結城司と想いが通じ合って幸せいっぱいの舞にはどうすることもできないのだから。もしそれを知ってしまったとして舞は友達を想うまったくの善意から動くのだろうし、翼はきっと舞を恨んだり嫉んだりはしないだろうけれども……だけど、やはり…………


 朝日がを落としていた横顔、髪、制服の肩。後ろを歩いている奈々と翼にはその話し声は遠く、ただ楽しげな二人の笑い声が日の光とともにさざめいていた。それは、凍えるような長い夜の後に訪れた明るい朝の景色と調和した、一幅の幸福の絵であった――


「ななねぇちゃん!」


 幼い子の甲高い声で奈々ははっと我に返る。マンションのエントランスから弾丸のように飛び出してきて腰元に抱きついたものを見下ろしてみれば、弟の悠太であった。きちんと耳当て、マフラー、手袋、コート、ブーツのセットを着せられているところを見ると、勝手に家を出てきたのでもなさそうだ。それにしてもなぜ保育園児の悠太がこんな時間に一人で?


「あっ、奈々ねぇ、おかえりー!」

 揃った声がまたしても飛び出してきて奈々に引っ付いてきた。今度は双子の妹の音々と美々だ。こちらもきちんと厚着をしている。


「あんまりおそいからお迎えいこうと思ってたんだよ」

「そうなんだ、ありがとう」

「お誕生日パーティー楽しかった?」

「うん、すっごく楽しかった」


 奈々は微笑んでうなずく。嘘はない。本当に今日という日はすばらしかったから。


「でも、ぼくもきょうおいわいしたかったなあ」

「昨日みんなでしてくれたでしょ?」

「きょうがいいんだもん!」

「あっ、奈々姉!お兄ちゃんからのお誕生日プレゼント、さっき届いたよ!」

「ほんと?!」

「よかったね!奈々姉、ずっと楽しみにしてたもんね」

「ななねぇはおにいちゃんがいていいなあ。ななねぇのおにいちゃん、ぼくもあいたい」

「きっと近いうち会えるよ。今度帰国するってそう言ってたから。その時にみんなで会おうね」

「ほんと?やったー!」


 左手で悠太の手をつなぎ、右手にプレゼントの包みを抱え、双子の妹に囲まれながら奈々はマンションのエレベーターに乗り込んだ。幸せだった。大切な家族に囲まれ、友人たちにお祝いしてもらって、最愛の兄からプレゼントが届いて、疑いようもなく幸せなはずだった。このまま幸せに年が暮れるものと、そう信じていたのに。

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