1-2 ルカの手紙


 結局プリャーニクを三つたいらげ、すっかり元気を取り戻した舞であったが、母が「あっそうだ」と言って差し出したものを見た時、心臓がどきりとするのを覚えた。それはクリーム色の封筒で、その表には、流麗な字で「舞へ」と記されていた。


「白崎さんから預かってたのよ。舞が元気になったら渡してくださいって。本当に親切ね」

「う、うん……」


 舞はどうしてもその場では読む気になれずに、適当な理由をつけて自分の部屋に戻ってから封筒を開いた。舞の手にはいささかもてあますほどの立派な紙に、ルカはさらさらと文章を綴っていた。




 舞へ


 君が目覚めたらすぐにでも伝えておかなければいけないことがある。もしかしたら君は私との面会を拒むかもしれないからこの手紙を綴った次第だ。君を傷つけたり苦しませたりする意図は一切ない。だから、どうか目を通してほしい。


 君は寝込んでいた間に前世の記憶を少なからず思い出したことだろう。私の記憶が蘇る時もやはり同じように高熱が出て数日間寝込んだものだ。だから君のことはあまり心配していない。たとえ38.9度の熱があろうとも――但し、体については、だが。


 君の心についてはとても心配していると言っておく。前世のことを話しはじめる前に、懐かしいばかりの話ではないと私が言ったことを君は覚えているだろうか?今の君にはその意味がわかると思う。京姫の前世での最期はあまりにも惨い。それに加えて君のことだからきっと罪の念で苦しむことだろうと思う。そして罪の念ゆえに私たちを避けようとするのではないかと危惧している。


 舞、まずはこのことをしっかり理解してほしい。前世の出来事はあくまで前世の出来事だ。京姫の行いは君の行いではないし姫の罪は君の罪でもない。京野舞は京姫ではない。白崎ルカが一条家の白虎ではないのと同様に。私たちは前世に存在したひとりの少女あるいはひとりの女性から、記憶と使命とを引き継いだ。それからいくらかの想いとを。だが、それだけだ。だから、君が前世の行いのことで自分を責める必要は全くない。これは私だけではなく、翼、奈々、左大臣、前世からの仲間全員の見解だ――思い出してほしい、舞。君は私に、君を「舞」と呼ぶことを許してくれた。そして私も君を「舞」と呼ぶことに決めたのだ。それだけで私たちが京姫と白虎ではないことの証ではないだろうか。


 どうしても京姫の罪が君の罪ではないと君が認められないとしたら……改めて考えてみたほしい。京姫のしたことは本当に罪と呼べるものなのかと。


 君は姫が感じていた孤独もさびしさを思い出せるはずだ。私には想像することができる。京姫は生まれながらにして京姫だった。生まれてから一度たりとも桜陵殿の外の世界を見たことがなかった。物心ついたころから京姫として世話をされ、奉られ、それに応えるべく務めを果たす。そうした自分の在り方を受け入れるよりほかになかった。そうした人生しか許されていなかった。与えられていなかった。……それはあの玉藻の国では致し方のないことであったとはいえ、人間の本質が前世でも現世でも変わらないことを考えればなんと残酷なことだっただろうか。


 長くなってしまいそうだから簡潔に言おう、舞。外に出たいと思った京姫の気持ちも京を離れた姫の行為も罪ではない。自立した人間ならばどんな人間であれ、明日の居場所を誰かに定められる謂れはない。しかし、あろうことか、人々は姫から自立する機会さえも奪おうとした(白虎さえも!)。花の蜜だけで育てられた少女にどれだけの成長が見込めると思う、舞?その甘ったるい残酷さは君もわかるだろう。


 それでも京姫はまっすぐに育った。あの玉藻の国には鬱悒い女部屋のなかで物ひとつ考えることなく一生を終える深窓の令嬢たちが大勢いたにも関わらず、姫はそうならなかった。姫は与えられた人生にただ納得するのではなく外の世界に出たいと考えた。それが人間としてごく当たり前に与えられるべき権利だったからだ。

 なるほど、たとえ姫の気持ちが罪でなかったにしても結果的に京に滅亡をもたらしてしまったではないか。悪しきものどもに侵入を許したのは、姫が京を離れ結界が弱まったためではないか。それに対して姫は何と咎めも受けなくてよいのか?――そう君は反論するかもしれない。だが……不確定なことを断言するのは避けておこうね、舞。だが、京姫の離京と結界が弱まったことにどれほどの因果関係があったのか、私は疑問に思っている。漆は京姫が京を離れる機会を待っていたというのか?そんなありそうにない事態を待ち受けていたというのか?万に一つもあり得ないと思われていた事態を?そんなばかげたことがあるだろうか。漆というのは偶然などというものに頼るような男ではない。そのことは君もよく知っている通りだ。


 漆はただ京姫の離京を鐘代わりに使っただけだ。京を守護する姫巫女の失踪だなんていかにも終焉の始まりに相応しいから。無論、これはあくまで推測に過ぎないが、私だけの推測ではない。左大臣も同じ考えだ。


 左大臣は京野家と私の家を行き来している。君のことが心配だから離れたくない気持ちはある一方で、君が自分と顔を合わせたがらないのではないかと不安がってもいる。もし目が覚めたときに君の元にいなければ私の家にいると思ってくれ。そして、君が会いたいと思ったタイミングで連絡を寄こしてほしい。



 最後になったがもう一度言おう。舞、君には何一つ罪はない。今はとにかく早く元気になってくれ。そしてどうかまた明るい笑顔を私に見せてほしい。随分長いこと君の笑顔を見られていない気がするからね。



待ってるよ、舞。



Лука



追伸


翼や奈々にも連絡してあげてほしい。二人はすでに熱も下がって君のことを心配している。

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