一 予期せぬ来訪者②

「──磊落殿、いつまでこの屋敷に居座るつもりだ。先日はながれの使者すら、門前払いしたそうじゃないか。我々にも我慢の限界というものがある」

「我慢? 貴様は今、我慢と言ったか? 勘違いも甚だしいわ!」

 駆けつけたときには、もう言い争いは始まっていた。額に青筋を立てた磊落が、雷のような怒声を三人の八十瀬衆やそせしゅうに浴びせている。男たちも磊落に負けじと、居丈高に声を張り上げた。

「勘違いをしているのは磊落殿だ! 今この国を支えておられるのは、誰だと思っている。病床の王に代わり、帝国からこの六合りくごうの地を守り導いてきたのは、誰だと思っている!」

「だから、それと接収の件は関係ないと言っておるのだ! この玉響狼舎は九霄きゅうしょう陛下より賜り、儂が先代から引き継いで守ってきた。陛下がこれを是と言わんのなら、武勲名高い王弟殿とはいえ、それを取り上げる権利などない!」

「愚かな、最早九霄きゅうしょうなどただの飾りだ! 磊落殿、時代は流れるのだ。今や秋霖しゅうりん様が政を担い、国の中枢におられるというのが、まだわからねえのか」

「それでも、まだ秋霖様は王ではないわ。お身体が優れぬとはいえ、陛下はまだ──」

「女、お前はもっと愚かだ」

 栗花落の反論を、八十瀬の男が鼻で笑い飛ばした。

「時勢も読めない耄碌爺もうろくじじいならまだしも、貴様は爺を諫めて説得するくらいしたらどうだ。ああ、爺の影響でもう頭が凝り固まったか。見たところ、少々年増なようだしな?」

 男がにやりと唇を歪め、栗花落を貶める言葉を吐く。

とうが立っているばかりか、あんな耄碌爺の肩ばかり持つ石頭だから、嫁の貰い手もつかんのだ」

 「なあ?」と周りの男らに同意を求めると、揃ってげらげらと下品にわらいはじめる。磊落の拳が、震えるほどに強く握り締められていた。

(──! いけない、先生)

 張り詰めた糸が切れる。男の頬に磊落の拳が届く寸前、野火が腕を引いて制した。野火に掴まれてなお拳を振り上げようとする磊落の顔は、沸き立つ怒りに赤らんでいる。

「放せ! こいつは、栗花落を!」

「いけません。彼らはわざと栗花落さんを貶めたんですよ。あなたの怒りを買うために。──そうでしょう、八十瀬の皆様」

 柔和な笑みを貼り付けて、野火は男たちに話しかける。しかし声色にだけは、隠しようもない侮蔑が滲み出てしまっていた。空恐ろしさを覚えるその落差に、男たちが嗤って いた口を閉じる。

「狼藉を働いた罪人としてしょっぴいて、屋敷の接収を推し進める魂胆だったのだろう。……程度の低いはかりごとだな。こうも容易く、俺なんかに見透かされるくらいに」

「なんだ、てめえは」

 栗花落を率先して貶めた男が、野火に向かって息巻いた。「関係ねえやつは引っ込んでやがれ!」と語気を荒げながら、野火の胸倉を乱暴に掴む。

「いいのか?」

 弧を描いた唇が、装う笑みを深くする。

「俺は余所者で、あなたがたの言う通り、この玉響狼舎とは関係のない人間だ。だから──俺は、あなたがたの狼藉に耐える理由などないぞ」

 胸倉を掴んでいた男の手首を握り、力の限り締め上げた。男が苦悶の声を漏らして退こうとするが、まだその手を放してはやらない。

「あなたがたの上官殿は、このことをご存じなのかな。ながれでは術者や職人、優れた医師らを、新たな国づくりの担い手として、丁重に迎え入れているそうじゃないか。だからこそ、手荒な接収を良しとしていないはず。この謀……露呈すれば、流、ひいてはあなたがたの主導者である秋霖様の名声に、泥を塗ることになるんじゃないかい」

 さっと、男たちの顔が青ざめた。それを認めた野火は、声を凄めて仕留めにかかる。

「『玉響狼舎の接収に貢献した』という手柄が欲しかったか。──今すぐ去るなら、この下品な謀は黙っておこう」

 手を放してやると、男らは銘々に悪態を吐きながら、足早に屋敷を後にした。情けない背を見送っていると、栗花落がそばに歩み寄り、野火のよれてしまったえりに指を伸ばした。

「おじいちゃんを止めてくれてありがとう。あのままあいつらに怪我をさせていたら……屋敷の接収の、いい口実を与えてしまうところだった」

 衿の皺を撫でつけながら、栗花落は申し訳なさそうに項垂れた。

「あいつら、野火君が山から帰らない間に毎日来ては、ああやって汚い言葉を吐いていたのよ。おじいちゃんの堪忍袋の緒が切れるのを待っていたんだわ」

「ほんに、情けない……己のことならまだしも、栗花落のことを言われるのが、我慢ならんかったのだ」

 すっかり萎れてしまった磊落が、短く刈り込んだ白髪を掻き毟る。

「あやつらに栗花落の何がわかるというのだ。こんなできた孫娘に見合う男が、そうそうおらんだけだわい。見ておれ、今に良い男が、」

「やめてよ、野火君の前で恥ずかしい」

 ぴしゃりと言われ、磊落はむすりと口を噤んだ。

「前から言っているじゃない。私が仕事に打ち込むのは、私自身それが好きで、他に代えがたい充足感を得られるからよ。人とは違うけれど私が選んだ道なのだから、とやかく言うのはもうやめて」

「しかし──なあ、野火、」

「ちょっと、それ以上言ったら怒るわよ」

 縋るような視線を受けたところで、野火にはとても返す言葉が見当たらない。適当な言葉を思いついたとしても、自分などが口にすれば、全てが無粋なものに成り下がるような気がしてしまう。

「先生、怒らないで聞いてほしいのですが」

 衿を直していた栗花落の手を辞して、野火は磊落に向きなおった。

「おふたりがこの狼舎を守ることは、尊いことだと俺は思います。ですが……六合軍による接収を、いつまでも拒めるとは思えません」

 秋霖は王ではないとはいえ、六合軍の長を務めており、土地や建物の接収を指揮する立場にある。そのうえ九霄きゅうしょう王が不在の間、乱れた政を正した手腕は巧みであった。伏式ふせしきをもって敵対国を牽制し、また私設軍のながれを国内各地に配置して、一角狼から民を守る仕組みを作った。そうして民心を安んずることで、揺るぎ難い求心力へと昇華させているのである。

 男たちの言う通り、今この国の中心に腰を据えているのは、王弟秋霖であった。秋霖が玉響狼舎の接収を是とするならば、たとえ王の下した命でなくても、どう抗おうが是となるのであろう。

(流の使者や八十瀬衆ならいなせるかもしれないが……いずれ、そうもいかない相手が来るにちがいない)

 太白は、一角狼の住処たる、天座あまくら連峰の麓の町。秋霖が推進する角狩りの、最も重要な地点に位置している。玉響狼舎は六合軍にとって、喉から手が出るほど欲しい施設なのである。

「……怒らぬよ。わかっておるのだ、そんなことは」

 高く澄んだ蒼天を仰ぎ、磊落は顔を顰めた。目を眇めているのは、眩しさからではないのだろう。

「それでも儂は、最後まで抗うと決めている」

 ぎりと、拳を握っていた。感情を押し殺すために、関節が白むほどの力を込めている。

「秋霖のやり方は間違っている。儂は、儂の信念に従うのみだ」

 言って、磊落は踵を返す。「早く宵越を安心させてやろう」と、野火の背を押し狼舎へと歩き出した。


──その時は、遠からず来る。玉響狼舎に流れる日常に投じられる変化の一石を、磊落たちは否応なく受け入れなければならないのだ。それまでには宵越と細と、ここを旅立たなくては迷惑になると、野火はよくよくわかっていた。

けれども、それがこんなに早く訪れてしまうのだとは、露ほども思わなかったのだ。

「うん、上手に剥けたじゃないか」

「ほんとうか?」

「ああ、ほんとうだ。次は、残しておいたへたに紐を結ぶんだ。柿同士が重ならないように」

 八十瀬衆ともめた数日後、野火は屋敷の縁側で、宵越に干し柿作りを教えていた。山を下りる前に磊落たちへの土産として、いくつかの渋柿を拾っていたのだ。宵越とともに皮を剥いて紐で結び、橙色の数珠つなぎを何本も拵えた。野火が宵越をおぶってやり、軒下に順番に紐を括りつけていくと、それはさながら暖簾のように、晩秋の乾いた風にゆらゆらと揺れた。

「このまま二週間くらい干すんだ。途中で何度か揉んでやると、甘みが増してうまくなるよ」

「二週間もか! 待ち遠しいなあ」

 野火の背からおりると、宵越は楽しそうに言った。縁側に腰かけ、吊るした柿の並びが揺れる様を、飽きもせずに眺めている。

(二週間……そんなに長く、先生のお世話になるわけにはいかないな)

 この楽しげな宵越の顔を見ていると、それを言い出すのが躊躇われる。しかし接収の件が込み入っている今、二週間も細とともに匿って貰うことが磊落の負担になるのはもちろん、宵越曰く、向かう先は六合ノ國りくごうのくにの都、土座つちくらである。旅立ちを遅らせれば雪の季節と重なって、厳しい道程となるだろう。

(この時期ならば、どこかの出店に干し柿のひとつくらい並んでいるだろう。それで我慢してもらうしかないな。旅の間、町に入るときは細には外で隠れていてもらわなくちゃいけないか。それから──)

 宵越の隣に腰かけ、庭先の苔むした石を何とはなしに眺めながら、先のことを思案していた、そのときだった。

 慌ただしく廊下を走ってくる音がした。振り返れば、血相を変えた栗花落が転びそうになりながら、野火のもとへと駆けて来る。

「来たのよ」

「また八十瀬衆ですか? しつこいですね」

 追い返しに行こうと腰を上げた野火に、栗花落は「違うわ」と首を振る。そわりと、背に怖気が走った。栗花落の蒼白な顔が、来たのはそんな小物ではないと、野火に訴えかけている。

「来たのは──秋霖様よ。御自ら、接収の話をしにいらしたのよ」

「な……、王弟自身が、なぜこんな地方に?」

「わからない。でも、……おじいちゃんが、再三の接収命令を拒んでいたから。最近やけにしつこく八十瀬の使者が来てたのも、きっとこの来訪のせいだったんだわ」

 膝から崩れ落ちる。顔を覆う彼女の細い指が、かたかたと震えていた。

「終わりよ。秋霖様が動かれたのなら、もう……拒みようがない」

 目を潤ませる栗花落を助け起こし、皺ついた手ぬぐいを差し出した。そうやって、野火は取り乱した栗花落にばかり気を取られていた。だから。

「……秋、霖?」

 ぽつりとこぼした宵越の言葉に、気が付くことができなかったのだ。

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