孤独な部屋酒

しょもぺ

第1話 しめサバとSEX

すべてが順調なはずだった。

結婚して子供が生まれ、仕事も順調。念願のマイホーム。

すくすくと育ってゆく子供とともに、家族の笑いは尽きなかった。

いつまでも当たり前のように続く光景と幸せを約束されたかのような人生だった。

だがしかし。今、俺は自室でひとり酒を飲む。



「さて、今夜の酒のツマミは何にしようか……」


自宅から近いスーパーで、俺は、今夜の酒の肴を物色していた。

毎日、仕事が終わってからの一杯が至福の時間である俺は、ツマミ選びにはこだわっていた。

何も、高級なツマミを欲していた訳ではない。

年齢も46歳を過ぎ、若いときに食べていた物とは全く正反対の食生活となる。

脂っこい物とは無縁の、ヘルシー嗜好だ。

肉は少しで良い。そのかわり、野菜の甘みが旨みと変わった。

動物性たんぱく質より、植物性たんぱく質。

濃い味付けよりも、うっすらとした味付けが美味しく感じる年齢である。


俺は、最近うすくなった頭髪にハンチング帽をかぶるが、それがまた汗ばんで熱いので、時たま帽子を取って涼んだりする。ちょっと前までは薄毛を気にしていたが、今では全くどうでもよくなってしまった。

ようするに、回りに関心がなくなったのだろう。誰がどう思おうが関係はないし、気にするだけ疲れるだけだ。


最近は、デフレとかで、安い商品がとにかく多い。

肉や魚を大量に販売している店は、スーパーの追従を許さないくらいに安い。美味しくて安い店ならば、そこで当然のように買ってしまう。誰しも1円でも安い商品に飛びつき、それを求める傾向にあるのだろう。


俺も安くて美味しい食材を求めていたが、最近はそうでもない。

以前は、夕方になれば、子供達家族と夕食の団欒を過ごしていた。


でも、今は違う。

1階の居間や台所にはあまり寄り付きもせず、2階の自室兼仕事場にこもって、ひとり夕食をたしなんでいる。

いつからだろうか……ああ、そうだ。あれは数ヶ月前、俺が酔っ払って記憶を失った翌日あたりだった。その次の日あたりから、嫁の態度が急変したのだった。最初は、「え? どうかしたの?」と思っていた。たまたま虫の居所が悪くて機嫌が悪かったり、生理が原因なのかと、よくある出来事としか考えていなかったが、それは大間違いだった。


夜中、突然の怒号。

俺は、いつもどおり酒を飲んでいい調子になって眠くなって布団にもぐっていた。そこに聴こえてきたのは、俺の酔いを一瞬で吹き飛ばすような雄叫びが聞こえてきた。嫁の声は深夜寝静まって住宅地に響き渡るほどの大きさと勢いだった。それに、何か耳をつんざくような物と物がはげしくぶつかるような音。紛れもなく、泥酔した嫁が巻き起こした現実。叫ぶ、蹴る、何かを連続で刺しながらあげる雄叫び。俺は恐怖で震え上がり、胃がキュウと締め上げられた。何をすることもできず、ただ、それを耳をふさいでいることしか出来なかった。


一週間が経った。嫁とはひと言も口をきいてはいない。

相手が直接怒鳴ってくる訳でもない。俺も嫁に怒鳴ることもない。

ただ、お互いが目を合わせることもなく、口をきくこともなく。いつもどおりの生活が続いていくのだった。

子供達はいつもどおりに、いたずらをして親を困らせる。そのいたずらを叱る親の立場が、とてつもなく申し訳なく思ってしまうのは、やはり、嫁との確執を悟られまいとしている後ろめたさなのだろうか?


さて、愚痴はやめだ。酒を飲もう。


俺は、スーパーで買ってきた、『しめサバの刺身』を開封した。

刺身が好きなので、よく柵で買ってきて切っていたが、今は台所に立つのも気が引けるので、そんな面倒なことはしない。最初から『切れているサバ』をチョイス。ああ、なんて便利な食材があるのだろうか。このしめサバは、発泡スチロールの薄い板に乗っているので、そのままダイレクトに醤油をかけることができるスグレモノなのだ。ただ、置いた場所が傾いていると醤油が垂れるので、スーパーのビニール袋を敷き、醤油が垂れても良いようにティッシュを添えておくのがポイント。その様はまさに大根のツマを想像させる色使いだ。


俺は今、パソコンの前の机に座って酒を飲んでいるので、キーボードを置いてある引き出し式の場所に、キーボードをずらして酒とツマミを置いている。そのキーボードを置く引き出しが傾いているので、自然と醤油も傾いた方向に流れてしまうという欠点を持つ。いや、それは欠点ではないかもしれない。欠点と思うから欠点で、考え方を変えればそれは利点となるかもしれない。切れているしめサバにかけた醤油が、置く場所の傾きによって下方向に流れ、余分な醤油がティッシュに吸い込まれれば、減塩効果に一役買ってくれるのだ。まさにこれは利点以外の何者でもない。


酒の飲み始めはまずビールと思う人が多いと思うが、俺は違う。

いきなり最初から、『いいちこ』をチョイスする。それも、ガラスのグラスなどという洒落た容器には入れない。コンビニやスーパで200円位で売られている安い焼酎の空いた容器に焼酎の原液を注ぐ。そこに、これまた安いウーロン茶をドボドボと注ぐ。見た目には風情もクソもないが、この容器にはフタがついているので、何かと便利なのだ。酔っ払ってグラスをこぼす心配もなく、一口飲んだらフタをしめる。これで、お粗相(そそう)の心配は全く無くなりシャットアウト。見た目より機能性を追及したスタイル。俺は、これを気に入っている。というか、酒をこぼしたら後々面倒なので、行っているに過ぎないかもしれないが、まぁ気にしない。


いよいよ、シメサバだ。そう口の中が唾液であふれ出す。

割り箸でつかまれたサバの酢シメを口にほおばる。そこに酢の酸っぱみ。その後にサバの独特の匂いと臭み。最後に298円とは思えないほどの魚の脂身の旨みがドドドと訪問してくる。ああ、いくつもの味の階段を駆け上がって最後にベランダを出て屋上からダイブするような飛び降り自殺行為的破壊力のある味。


サバってすごい! ものスゴイ!


これだけ美味しいのに栄養価も高い。ドコサヘキサエンさんと呼ばれるどこか異国の人の名前のような栄養素も、いかにも体によさそうだ。そして、ほどよい酸味とアブラは、まるでシャワーを浴びていない女とのSEXに似ているかもしれない。脇の下の汗ばんだ酸味。秘部からあふれ出す発酵臭に似たアブラの味。ああ、これは擬似SEXなのかもしれない。いや、そうなのだ。しめサバを食す事とSEXをすることには何ら変わりは無い。どちらも、酸っぱくて脂が濃厚で旨いという表現だけで比べれば、人体の脳内が感じるそれは、どちらも同じ事なのだ。さらに体に良くて安いと言うことを考えれば、はるかにしめサバがSEXに勝っていることに間違いはないだろう。しめサバの勝ちだ! しめサバはSEXに勝ったのだ!


俺は、今夜悟った。

しめサバはSEXを凌駕すると。


みなさんも、イヤイヤ嫁とSEXするよりも、ひとり自室でしめサバを肴に酒を飲んでみてはいかがだろうか?

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