第2話 ソーシャル・ディスタンス


善光寺の起源は朝廷内で蔓延した病が

仏像に起因していると、非科学的な理由で

政権の奪取に成功し、仏像を池に沈めた。

物部は長野に追いやられ諏訪守屋山の真北に

鎮魂の社を作ることになる。

百済との交易で財を成していた物部を余程、嵯峨は

気に入らなかった、交易でやってきた大陸の病を

インドから来た仏像とすり替えたのだ。


なぜ地方が災害・病から守られたのか

それは距離であった。


当時の北信地域は 隣の家まで数十メートル

隣組まで数百メートル

隣村まで一,二キロ

隣の郡まで十数キロ離れ

人は箱で運ばれることは殆どなかった。

井戸は一軒づつ掘られ、厠は多少は染み込むが各家に有り

家・組・村・群、基本セパレートだった

城下・門前・都だけが密集していたのである


江戸・明治時代のコロリ《コレラ》も、共同、共用の

井戸によって感染が爆発したのである。

善光寺地震での火災や死亡者は善光寺近隣の密接した宿坊

に顕著に表れた。

農家地域は、離れた家には延焼しずらかった

藁屋根は瓦屋根の倒壊の比ではない。



善光寺が三輪氏の加護をうけたのは

貞観8年頃 都で乱や病気が蔓延した時

善光寺に乱や病気の鎮静を願い

法要をし、鎮圧した。

そのお礼として三輪氏は善光寺を加護した。

ワクチンの無い時代に感染による自然免疫

が収束の原因だったにも関わらずだ。




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