エピローグ

エピローグ「やっと会えたね、愛しい人」

 ── 一年後、花の街・アリアドニア。


 大きな病院の待合室にて、トキはそわそわと落ち着きのない様子で両手を組み、貧乏揺すりを忙しなく繰り返していた。彼の左手の薬指に光るのは、シンプルなデザインの結婚指輪。

 そんな彼の様子を見かねたのか、隣からは「はあ〜……」と大きな溜息が吐きこぼされる。



「トキぃ〜、ちょっとは落ち着けって。そんなにそわそわしてもどうしようもねえだろ」


「……」


「いやいや、貧乏揺すり激しすぎぃ〜……地震起こす気かよ、お前」


「……ゴリラおじさんも、ちょっとは落ち着いた方がいいよ。さっきからコーヒーこぼして足にかかってるし……」


「え、嘘? ……って、あづづづづづ!!」



 手元のカップからこぼれたコーヒーで足元を汚した『ゴリラおじさん』こと、彼──ロビンは、垂れて来たその熱をようやく知覚して慌ただしく騒ぎ出す。


 カルラディアで失った彼の片脚は義足であるため、どうやらコーヒーをこぼしていた事に気付いていなかったらしい。時間差で騒ぎ始めた彼に呆れつつ、ティオは「はい、これで拭きなよ」と自身のハンカチを差し出した。ロビンは涙目でそれを受け取る。



「は、はああ〜っ……ティオは優しいなあ……。どっかの誰かさんが育てた息子だなんて、マジで信じられねえぜ……」


「……殺すぞクソゴリラ」


「あーらら、トキくんったら。またまたそんな事言っちゃってえ。俺がカルラディアで死にかけた後、生きてるって分かった時めっちゃくちゃ号泣して抱き着いて来たくせに。ほんと相変わらず素直じゃな──グブゥッ!!」



 ゴッ! と鈍い音を響かせ、トキはロビンの顔面に重たい拳をめり込ませた。「痛えええ!!!」と叫んで彼がのたうち回った頃、ちょうど通り掛かったミアが「ちょっと、うるさいですよ! ここ病院なんですから!」とロビンを睨んで通り過ぎていく。


 ミアに叱咤されたロビンは、「あああ、可愛い女の子に怒られた……」と肩を落とした。そんな彼に嘆息し、ティオはじとりと地面に転がるロビンを見下ろす。



「でも、今のはミアが正しいよ。ここ病院なんだからさあ……騒ぐのやめなよ、二人とも。少しはマルクさんを見習ったら?」



 ティオは呆れたように告げ、顎をしゃくった。すると彼の視線の先には、壁に凭れかかってこちらを見る──海辺の村・セシルグレイスの聖騎士──マルクの姿が。


 ふん、と鼻を鳴らしたマルクは、落ち着きのない彼らに冷たい視線を向ける。



「相変わらず野蛮だな、ドブネズミ。貴様の交友関係が低俗な事もよくわかる」


「……んだとテメェ。つーか何でここに居るんだよ。田舎の教会に帰れ、クソ聖騎士様」


「シスター・ドロシーからのご命令だ。俺達は親族として、最後まで見届ける義務がある。──セシリアの出産をな」



 マルクは無表情に告げ、そっと目を細めた。


 そう。彼らは現在、セシリアの出産を見届けるためにここにいる。今か今かとその時を待ち侘びるティオは、「妹かなあ。弟かなあ」と目を輝かせていた。


 マルクは小さく息を吐き、「どちらでもいい。セシリアが無事に産んでくれる子なら」と小さく呟く。だが、すぐにじろりとトキを睨んだ。



「……まあ、その相手が貴様だという事実だけは、未だに納得いかないがな」


「あ? 何だよ騎士様、嫉妬か? 残念だったなァ、おたくの聖女様はアンタよりもドブネズミの方が良いんだってよ」



 ハッ、と鼻で笑うトキの挑発に、マルクの額にはぴきりと青筋が浮かび上がる。「貴様ァ……」と目の奥に怒りを燃やすマルクとトキの間に、「もーっ、やめろって!」とティオが割り込んだ頃──セシリアが居る部屋からは、赤子の産声が響き渡った。



「──!!」



 一同は大きく目を見開き、即座に立ち上がる。程なくしてその扉の奥から「ヴァンフリートさん──」と呼び掛けられた直後、彼らは勢いよく室内へと雪崩込んだ。



「きゃああ!? ちょ、ちょっと! 落ち着いて下さい! 一人ずつ!」


「セシリア!! 体は大丈夫か!?」


「セシリアぁ!! 産まれたッ!?」


「妹!? 弟!? どっち!?」


「おいセシリア! お前、何でこんな男と結婚なんか──」



「……ふふっ。みんな、うるさすぎますよ。騒いでる声、ずっと聞こえてたんだから……」



 汗ばんだ額に乱れた前髪を貼り付け、セシリアは穏やかな微笑みを浮かべて彼らを見つめる。そんな彼女の傍らで、おくるみに包まれた新しい命が、ふにゃふにゃと小さな産声を上げていた。


 金の産毛に、湿り気を帯びた白い肌。たった今、この世界に生を授かったばかりのその赤子を──トキは、息を呑んで見つめる。



「……?」



 ──なぜだか、分からない。


 なぜだか全く分からないのだが、確かにその時、彼は産まれたばかりの赤子に──どこか不思議な既視感を覚えたのだった。



(……、何だ? この感じ……)



 彼が黙ったままその子を見つめていると、不意に、セシリアが口を開く。



「──女の子、でしょう? その子……」


「……え……」


「私、まだ、まともに顔を見れてないんですけど……、分かるんですよ。女の子だろうなって」



 セシリアは目尻を緩め、産まれたばかりの赤子へと手を伸ばす。程なくして彼女の手が柔らかなその頬に触れれば、閉じられていた赤子の瞼がぴくりと動き、涙の溜まる翡翠の瞳が僅かに覗いた。



「……ちゃんとね。分かるの。あなたの事」


「……」


「だって、あなたはずっと──私の中に、居たんだものね」



 セシリアは愛おしげに呟き、頬を緩める。



 ──この子は、きっと女の子。


 知っている。分かっている。


 あの日、きみがで自分の胸を貫いて。「もしも生まれ変われたら」と私の事を望んでくれた、あの日から。


 ずっと、ずっと、きみは──私の中に、居たんだものね。



 セシリアは目を細め、迫り上がった涙の雫を、静かに頬へと滑らせる。



 ──あなたは、王子の血。


 ──わたしは、女神の涙。



 ああ、今、やっと。




「やっと、会えたね──愛しい人」




 ……ねえ、そうでしょう?




「──ドルチェ」




 同じ翡翠の瞳に浮かぶ、涙の向こう。


 その名を静かに呼びかければ、産まれたばかりの命の頬に──宝石のような美しい涙が、滑り落ちていった。




 .


〈ラクリマの恋人 …… 完〉

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