第105話 師の託した物

『あのね、アルマ。お願いがあるの』



 あの日、風が吹く丘の上。

 狭い小屋の中で震える声を発したの言葉を、なぜ今になって、こんなにも鮮明に思い出すのだろうか。


 月明かりに照らされる白い肌を、目尻に浮かんだ美しい涙の粒を。


 その手で奪って壊してしまえばよかったのにと、今でもまだ、悔やんでいる。


 なあ、どうしてだ?



『……俺は──』



 ──どうして俺はあの時、君に触れられなかったんだ。




 * * *




 ──ガキィンッ!



 万物の魔導書オムニア・グリムが眠っているという階段の先へと、セシリアを送り込んだ後。


 トキは師の形見である短剣を振り下ろし、対峙したアルマに向かって猛攻を繰り返していた。一方のアルマは彼の攻撃を避けてはその剣先をガントレットで弾き返し、時折長い脚を振りかぶってトキの体を蹴り飛ばす。


 だがトキも何度目かになる彼との戦いによって学習したのか、アルマの攻撃を受け流して避けると一度その場から退いて体勢を整える。無策に突っ込んでも太刀打ち出来ないと学んだようで、冷静に状況を紐解く事を覚えたらしい。


 独学で会得したであろう剣さばきには相変わらず粗が目立つが、戦い方の精度は随分上がったようだとアルマは素直に感心した。



(ほう、この短時間でちったァ成長したんだなぁ。頭に血が上ると後先考えずに突っ込んでやがったくせに)



 こちらを睨むトキの鋭い瞳と視線を交え、アルマは僅かに口角を上げる。


 出会った頃の、生意気でちんちくりんな泣き虫の少年は一体どこへやら。知らぬ間に大人になってしまったのだと、この現実を受け止めざるを得ない。



(いつも泣いてやがったくせに……)



 ふ、と無意識に口元が緩む。トキと出会ったばかりの頃の自分が今の彼を見たらどう思うのだろうかと、らしくもない考えまで浮かんだ。


 もしも。

 十二年前、あのまま──アドフレアの町で、彼らと共に暮らしていたのなら。



(……なんて、俺は何を考えてんだか)



 ──人間じゃあるまいし。


 アルマは密やかに自嘲し、トンと力強く地面を蹴った。



「……!」



 一瞬で彼に間合いを詰められ、トキは目を見開く。振り上げられた長い脚が迫り、すかさず彼は両手を交差させて攻撃を防いだ。



「チッ……!」



 間一髪で腹部への直撃は間逃れたが、続け様に飛び込んできたアルマの右拳がトキの頬を殴り付ける。今度は打撃を防ぎ切れず、重たく殴打されたトキの体はぐらりと傾いた。そこへ更にアルマが追撃する。



「ほら、もう一発」


「ぐっ……!」



 今度こそ脇腹を蹴り付けられ、トキは勢いよく地面に叩きつけられた。手の中から短剣が滑り落ち、ゴホッ、と噎せ返った彼に構わず、アルマは容赦なくその頭を踏み付ける。


 ──ガンッ!



「……っ……!」


「悪いなァ、トキ。可愛い弟分にこんな事すんのは心苦しいが、俺はお前の女を殺さなくちゃならねーんだよ。万物の魔導書オムニア・グリムで魔法を消されちゃ、流石にシャレにならねーんでな」


「いっ……!」



 ぐり、と靴底でこめかみを強く踏み付けられる。トキは歯を食いしばってそれに耐え、右手でアルマの足首をがしりと掴んだ。



「……っ、アイツのとこには、行かせねえぞ……!」


「……へえ? そうかい。じゃあせいぜい足止め頑張ってくれよ、王子様」


「うあっ……!!」



 ゴッ、と鳩尾を蹴られ、一瞬トキの呼吸が止まる。しかし彼は奥歯を軋ませ、すぐさま短剣を拾うとアルマの足を斬りつけた。

 一方のアルマはその攻撃を読んでいたのか、ひらりとかわして後退すると「おいおい、危ねぇなァ」と鼻で笑う。トキは憎らしげに彼を睨み、切れた唇の血を拭いながらふらふらと立ち上がった。



「……はあっ……はあ……!」


「ったく……そのしぶとさだけは褒めてやりたいねえ。いくら痛め付けても戻って来やがって」


「るっせえ……っ! 俺はっ……お前だけは……必ず殺すって……決めてんだよ……!」



 忌々しげに放たれる低い声。トキはアルマを睨みつけ、紫色の宝石が埋め込まれた短剣を強く握り込んだ。



「親と、ジルを殺しやがっただけじゃねえ……! 故郷を滅ぼしたのも、灰になったアレックスを殺したのも……! 俺の師にトドメを刺しやがったのも、全部テメェだ……!」


「……」


「挙句の果てには、セシリアにまで手ェ出しやがって……」



 怒りに震える声を紡ぎ、トキは剣の切っ先をアルマへと向ける。その首に下げられた美しい女神の涙ラクリマは、きらりとまばゆい輝きを放っていた。



「──殺してやるよ……! 今日こそ、必ず……この場所でな……!」



 強い意志を秘めた瞳がアルマを射抜く。対するアルマは肩を竦め、深く嘆息した。



「……はあ……バカの一つ覚えだな。何の算段も無くテキトーな事ばっかのたまいやがって」


「……っ」


「自分が強くなったとでも思ってんのか? 勘違いするなよクソガキ。お前は弱い。いつも周りの誰かに助けられねえと、結局のところ何も出来な──」


「ああ、そうだよ! 俺は弱い! 誰かに助けられねえと、何も出来やしない!」



 ぴしゃりと、アルマの言葉をトキが遮る。まさか肯定するとは思わなかったのか、アルマはつい言葉を詰まらせた。そんな彼に構わず、トキは続ける。



「俺は……十二年前あの頃から、まるで何も変わってねえよ。魔力も少ないし、喧嘩も弱い。口だけは達者で、いきがってばっかの、泣き虫で情けない臆病者のままだ。力じゃテメェに一生及ばねえ」


「……」


「──だが、俺の周りには“人”がいたんだ」



 続いたトキの発言に、アルマはぴくりと反応する。トキは力強い瞳で彼を見据えた。


 薄紫色のその瞳が、遠い昔に消えた“彼女”を、また彷彿とさせる。



「俺を拾って育てた、尊敬出来る“師”がいた。そいつが居なくなった後で、文句言いつつも俺を見守ってくれる“魔女”がいた。こんなロクでもない俺を信じて、ついて来てくれた“仲間”が……俺にはいたんだ!」


「……」


「俺は弱い。誰かに助けられねえと戦えない。……だが逆に考えりゃ、俺にはがいるんだよ」



 トキがそう告げた刹那、中指に嵌められていた指輪が閃光を放つ。そこから飛び出して来た青い炎は大きく燃え上がり、トキを守るように取り囲んだ。



「……お前には、居ないだろ。本気で信じてついて来てくれる仲間なんて──本気で守ろうと思えるヤツなんて」



 トキがそう語った瞬間、アルマの脳裏にはカラコロとよく笑う、あの声が蘇った。


 ──アルマ。


 愛おしげに瞳を細めて呼び掛ける、彼女の声が。



「……っせえな……」



 ぼそりと、アルマの喉からは低い声がこぼれ落ちる。刹那、トキの足元には無数の黒い蛇が群がった。



「──!!」


「……うるっせえんだよ……お前らは、いつまでも……」



 地面から湧き出る黒蛇がトキの足首を締め付ける。危ぶんだ彼が即座に「ドグマ!」と叫べば、途端に青い炎が絡みついていた蛇に火を放った。ふわりと浮かぶ火の玉は「言われんでも分かっとるわ!」と不服げに言葉を発し、次々と蛇を燃やして灰にしていく。


 しかし彼の足に絡み付く蛇がすべて灰と化す前に、アルマはトキとの間合いを急速に詰めた。トキは目を見張り、視界の端で光った鋭い刃の切っ先を避けて後退する。どうやらアルマの指先が刃へと変貌したらしく、彼は続け様にトキに向かって鋭い刃を振り下ろした。



「くっ……!」



 トキは押されながらも短剣でそれを弾き返し、持ち前の素早さを駆使してなんとか攻撃を防ぐ。すると再び足元から蛇が湧き出し、トキは舌打ちを放って迅速にその場から飛び退いた。

 だがアルマはそれを許さず、一瞬でトキの足首を掴むと豪快に壁際へ投げて叩き付ける。



「っ……、がァッ……!!」



 衝突した壁に背中と頭部を強打し、トキは苦しげに呻いた。激痛を伴う体は力無く倒れ、全身が悲鳴を上げる。強烈な耳鳴りと共に視界がぐらりと揺らぐ中、トキは奥歯を噛み、強引にその体を起こした。


 しかし間髪入れずにアルマの蹴りが直撃し、再びトキの体が吹っ飛ぶ。



「トキ!!」


「……っ……ゲホッ、ゴホッ!」



 倒れ込むトキの名を叫び、ドグマはチィッ! と舌を打って再び襲いかかろうと迫るアルマへ火を放つ。大きく燃え上がった炎の壁に遮られたアルマは一度足を止め、苛立ったように眉根を寄せた。


 その隙にドグマはトキの元へと近寄り、倒れている彼の頭部をベシンッ! と豪快に叩く。「いっ……!」とトキは表情を歪めたが、文句をこぼす前に火の玉が怒鳴りつけた。



「このたわけェ!! やられっぱなしでどうする!? なぶり殺しにされに来たのか貴様は!!」


「……っ、るっせ……っ、好きでやられてんじゃねえよ……! ゴホッ……!」


「さっさと立たんか、この小童こわっぱが! こんな所で貴様に死なれるわけにはいかんのだぞ、我は! あの世でマドックに合わす顔がないだろうが!!」



 べしべしとしつこく叩いては怒鳴る火の玉。トキはそれを「やめろ! 熱いんだよ!!」と憤慨して払い除ける。


 ドグマは炎をメラメラと燃やして不服げに飛び回り、「フン、全く甘ったれが……」と不満をこぼしながらトキの目の前へと迫った。



「良いか、トキ。よく聞け。今の貴様では、あの男には絶対に勝てん」


「……!」


「この炎の壁も、我がこうして指輪の外に出ておる事ですらも、貴様の貧弱な魔力では長くは持たん。我も火の玉この姿のままでは、魔法の力が彼奴あやつに劣るのだ」


「……」


「だが、勝機が無いわけではない。一つだけ方法がある」



 淡々と告げた魔女の言葉に、「は……?」とトキは息を呑んで耳を傾ける。彼女は一拍の間を開け、彼に続けた。



「──我を、させよ。さすれば貴様でも彼奴に対抗出来る」


「……、はあ!?」



 ドグマの口から飛び出したとんでもない発言に、トキは盛大に眉を顰める。「お前、何言ってんだ!?」とつい大きく声を張るが、彼女がこの状況で冗談を言うとも思えない。


 ──魔女の実体化。


 それは、膨大な量の魔力を〈魔女の遺品グラン・マグリア〉に投じる事により、古代魔女を生前と同じ姿──つまりヒトの姿の状態を保ったまま指輪の外で活動させるという事だ。

 だが、火の玉現在の状態でさえ魔力の消耗が激しく、長時間の使用が難しい〈魔女の遺品グラン・マグリア〉である。その上魔女の実体化など、ほぼ不可能に近い。そもそもトキの少ない魔力では、魔女を実体化させるほどの魔力量を補う事が出来ない。



「んなもん、出来るわけねえだろ! 俺の魔力が干からびるまでお前に注いだって足りねーよ!」



 苛立ちをぶつけるようにドグマに怒鳴れば、彼女は更に燃え上がって怒号を上げた。



「最後まで話を聞け、この戯けが!! 貴様の貧弱な魔力を使うなど一言も言うとらんわ!!」


「……っ、はあ!? じゃあ、どうやって──」


から受け取った物があろう!!」



 トキの声を遮って怒鳴り、ドグマは青く燃える炎で彼の手元のを照らす。トキは言葉を詰まらせて大きく目を見開き、紫色の宝石が埋め込まれたその短剣を見つめた。



「マドックが貴様に与えたのは、ただの使い古した短剣お下がりではない! その剣の中に込められた、を貴様に与えたのだ!」


「……!?」


「マドックはその短剣に埋め込まれた宝石の中に、自身の魔力を込めて貴様に託した。彼奴が“一人前になったら渡す”と言っていたのも、その短剣の事ではなく──彼奴自身の、魔力の事だ」



 続いたドグマの言葉を聞き、トキは目を見開いたまま硬直する。次いで、彼の脳裏に灰の町アドフレアでマドックから告げられた言葉が蘇った。



『──約束しただろ、七年前。お前が一人前になったら、この短剣をやるって』


『その短剣は“特別”だ。お前なら、きっとうまく使う──』



(……“特別”、って……そういう意味だったのか……?)



 トキは手の中の短剣の柄を強く握り締める。埋め込まれた紫色の宝石は澄んだ輝きを放っていて──己の瞳の色を彷彿とさせた。


 俯いたトキを見下ろしながら、ドグマは更に続ける。



「……その宝石は、マドックの妻が生前持っていたものだ」


「……!」


「妻の形見を、マドックはその短剣に埋め込んだ。そして今度は貴様に、己の魔力を込めてそれを託したのだ。カルラの末裔である彼奴の魔力は、使い方を誤れば世界をも破壊出来る力を持つ。それでもマドックは──トキならばうまく使うと、信じてそれを貴様に託した」



 ドグマはそこまで続け、ふわりと宙を舞う。彼女の炎に照らされた短剣は、埋め込まれた宝石の輝きをより一層強めた。



「師の魔力を使え、トキ。彼奴の魔力ならば我は実体化する事が出来る」


「……っ」


「全く、あるじが貧弱だと護るのもほとほと苦労するわ。死してまで師が面倒見てくれて助かったなァ? 小僧よ」


「……、いつも一言余計なんだよ、テメーは」



 ドグマの揶揄やゆに眉根を寄せ、トキは短剣の柄を強く握った。そのまま彼は顔を上げ、宝石の輝く剣を彼女に向けて掲げる。



 ──ずっと、自分は独りで生きてきたのだと思っていた。けれど、そうじゃなかった。



 いつも、誰かが傍にいたんだ。


 ろくでもない師。口うるさい魔女。人を信じすぎる聖女様に、人懐っこくて警戒心の薄い獣。いちいち突進してくる面倒くさい豚と、暑苦しくて情に厚い仲間。


 一人一人の顔を思い描き、トキは強く拳を握り込む。



(……俺は、俺を信じる誰かに……ずっと、支えられて生きてきたんだ)



 ──そう思い至った時。

 剣を構えた彼の左手に、背後から伸ばされた“誰か”の大きな手のひらが重なったような気がした。目には見えないその正体を、トキは頭の隅で何となく察する。



(……マドック……)



 トキは黙って瞳を閉じ、奥歯をぐっと噛み締める。閉ざされた瞼の裏で、彼は確かに──共に剣を握る師の姿を見た。


 やがてトキはゆっくりと開眼し、宙で揺蕩うドグマの姿をまっすぐと射抜く。その眼の奥に、強い意志を込めて。



「──俺達の魔力を使え、ドグマ……!」



 彼が力強く言い放った、直後。


 トキとドグマを囲んでいた炎の壁は、黒い大蛇によって轟音と共に突破された。炎を飲み込み、鋭い牙を剥き出した蛇の背後では、暗い瞳を細めたアルマが冷たくこちらを見据えている。



「……そろそろ興も冷めてきた。今度こそ死んでくれよ、弟分」



 禍々しい魔力を纏い、アルマは煙草を咥える。刹那、見上げるほどの巨大な大蛇が牙の覗く口を大きく開いて──トキとドグマを、ばくんと一瞬で呑み込んでしまった。


 とぐろを巻き、周囲の炎を蹴散らして、大蛇は赤い双眸をぎょろりと動かす。蛇が二人を完全に呑み込んだ事を確認したアルマは、やれやれと肩を竦めて息を吐いた。



「ふー……、流石にこれで死んだろ? ったく……こちとら魔女マスターを待たせてんだから、早くくたばれっての……」



 柱に背を持たれ、アルマは懐から取り出したライターを煙草の先に充てがうとそれをカチカチと指先で押し込む。しかしオイルが切れたのか、なかなか火がつかず彼は眉間に皺を刻んだ。



「はあ〜……んだよ、煙草もつかねえ……。そろそろ煙草も辞めっかなァ、別にうまくもねえし──」



 ──ねえアルマ、煙草っておいしい?



「…………」



 ふと、独りごちた彼の脳裏に再び響いたのは、やはり“彼女”の声。

 アルマは視線を落とし、オイルの切れたライターを徐ろに背後へと投げ捨てた。



「……おいしくねーよ、こんなもん」



 呟き、彼は力無く額を押さえる。


 アルマ、と己の名を呼び掛けるその声を早く忘れてしまいたいのに、いつまでも頭の中から消えてくれない。十二年前、彼女が死んで、その亡骸に背を向けてから──ずっと。



「……何なんだよ……」



 暫くは、人間の女を抱いたり酒や煙草を嗜む事で、その笑顔や声を忘れた気になれていた。だが、トキと真実の森で再会してからは、再び彼女の姿が脳裏にチラつくようになってしまって。それどころか、以前よりも明らかに症状が酷くなった。


 丘の上に咲くジュリエットの花を眺めて、穏やかに微笑む彼女の横顔を──ふと気が付けば、思い出してしまう。



(……トキを殺せば、多少はマシになるかと思ったんだがな……)



 ハッ、と自嘲気味に笑い、アルマは自身の前髪をぐしゃりと握り込んだ。


 ──消えない。ずっと。

 あの日のお前の笑顔も、涙も、呼び掛ける声も、柔い髪の感触ですらも。


 なあ、どうしてだよ。

 お前はあの日、俺に呪いでもかけたのか?



「……なあ? ジュリア……」



 ぽつり。胸を焦がして締め付けるその名前が彼の唇からこぼれ落ちた瞬間──先程トキとドグマを呑み込んだ蛇に、突如異変が起きた。


 とぐろを巻いていた蛇の腹部はボコリと膨張し、徐々にその膨らみを増していく。アルマは目を見開き、凭れていた柱から背を離した。



「なっ……!?」


「──“煙草の火が足りなくなったらまた付けに来い”と、貴様は少し前に我にのたまったな。玩弄物がんろうぶつ



 女の声が耳に届いた直後、蛇の腹を突き破った青い光がが爆炎を上げてゴウッ! と燃え盛る。腹を突き破られた大蛇はたちまち燃え尽き、黒い灰となって崩れ落ちた。


 瞬く間に炎は燃え広がり、周囲を火の海へと変えてしまう。続々と火柱が立ち上るその中心からは、「貴様の望みどおり、我が直々じきじきに火を付けに来てやったわ」と再び楽しげな声が響いた。



「火加減は出来んが、まあ、致し方あるまい」



 そう続いた言葉の刹那、渦を巻くように燃え盛る火炎がアルマの体を包み込む。「ぐ、あァああッ!?」と熱さに身悶え、火炎の中から即座に脱したアルマは焼け付く痛みに耐えながら爆炎の中心を睨んだ。


 やがて煙に満ちたその奥から、コツコツとヒールの踵を響かせて現れたのは──青く長い髪を揺らめかせ、切れ長の瞳でアルマを見下す美しい魔女。

 そして、その背後で光を帯びた短剣を構える──死に損ないの弟分の姿だった。



「……っ、トキぃィ……!!」


「また死に損なっちまって悪いな、アルマ」



 トキは冷淡に口を開き、こつりとブーツの底を響かせる。そのまま少しずつ彼に近寄り、皮膚を焦がしながら忌々しげに睨むアルマの正面に立ちはだかった。


 座り込む彼を冷たく見下ろし、トキは静かに、師の魔力が込められた短剣をアルマに突き付ける。



「──お前の負けだ」



 その言葉の直後、マドックの魔力を得て実体化したドグマの火炎がアルマの体を呑み込んだ。ごうごうと燃える魔女の炎が、彼の体を骨ごと焼き尽くさんと火柱を上げる。


 アルマは苦鳴を上げることも出来ず、ただ炎に焼かれ、皮膚が剥がれて焦げ落ちて行く苦痛に身悶える事しか出来なかった。青く燃える炎に包まれた視界の奥で揺らぐトキの姿は、焼け付く熱と共にぐにゃりと歪んで溶けていく。


 ──その時、不意にアルマの脳裏を過ぎったのは、野花の咲き誇る草原に座り込んで泣いていた幼いトキの姿だった。町の子供に虐められて、蹲って震えていた、小さな体。



(……こいつ、あんなにチビで、弱虫で、泣いてばっかりだった癖に……)



 そうぼんやりと思い至った時──アルマの視界に、短剣を振り上げた現在いまのトキの姿が映り込む。その鋭い切っ先がアルマの首へと迫る中、彼の耳には彼女の声も届いた。


 もう、この手で触れる事の出来ない、彼女の声が。



「……ジュリ、ア……」



 ああ、今の自分ならば。

 あの日の君に、触れる事が出来るのだろうか──。




 .

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