第104話 友との約束

「──ねえ。君はどうして、見ず知らずの僕の事……こんなに親身に世話してくれるの……?」



 焚き火に炙られた魚を見つめ、目尻を赤く腫らした青年が問い掛ける。ああ、また昼間泣いてたんだな。そう察しながらも深く追及せず、ロビンは炙っていた魚をゆっくりと反転させて焼き加減を調整した。



「べっつに〜? 理由なんかいるか?」


「……いらないの?」


「いらねーだろ、別に。えーと、お前の名前……トムソンだっけ? 男のくせに森でぴーぴー泣いてるからさ、放っておけねーじゃん」



 視線を魚へと注いだまま、ロビンは「腹減ったなあ〜」と唇を尖らせる。トムソンは表情を曇らせて俯き、ぎゅっと自身の膝を抱えた。



「あ! そういえば、お前が持ってた薬草、良い感じにドライリーフにしておいたぜ! ほら!」



 そんなトムソンを元気づけるかのように、ロビンは彼が大事に持っていた薬草を取り出す。乾燥したそれは、最後に見た時よりも一回りほど小さくなっていた。



「……それ、ずっと持っててくれたの?」


「おー、もちろん! 腰に巻き付けて陽の光にさらしといた方が早く乾燥するだろ? でもこのまま持ち運んだらすぐ壊れちまうからさ、明日街に戻ったらコイツをしまえるケースでも買いに行こうぜ」



 ニッ、と白い八重歯を覗かせてロビンが笑う。一方のトムソンも一瞬表情に覇気を取り戻したものの、程なくしてまた暗い表情へと戻ってしまった。



「……でも、僕……どうしたらいいのかな……」


「ん?」


「……村が、魔女の手先に襲撃されて……一人になっちゃったんだ……。行く宛も無くここまで来たけど……この後、どうしたらいいのか……」



 そっと目を伏せ、トムソンは力無く呟く。ロビンは暫く黙って彼を見つめていたが、やがて再び白い歯を見せて破顔した。



「──俺ん家来いよ、トムソン」


「……え」



 思いがけない発言に、トムソンはつい顔を上げてしまう。目が合ったロビンはやはり笑顔で、すすのついた頬をぽりぽりと掻いていた。



「行く宛ねーんだろ? 俺ん家さ、使ってねえ部屋いくつか余ってるんだよ。丁度よくね? ……あ! その代わり、家事は分担だからな!」


「……っ、で、でも……さすがにそこまでお世話になるわけには……」


「いいって、遠慮すんなよ。生活費も、お前の仕事が見つかるまでは何も気にしなくていいぜ。金ならいくらでも作れるからな」



 さも当然のように告げ、ロビンは燃える火の中に薪を投げ入れる。次いで、彼は堂々と宣言した。



「なぜなら、俺は凄腕の賞金稼ぎ!! 悪いヤツは全員この俺が捕まえて、もれなくカネに換えてやる!」


「……」


「で、良いヤツの事は俺が全力で助けるって決めてんだ。正義のヒーローみたいでかっけーだろ?」



 な? とロビンは穏やかに目を細める。焚き火に照らされた彼の赤髪は、炎の色に染まって一層赤々と色付いて見えた。


 トムソンは彼を見つめ、ぎゅっと唇を噛む。



「……でも、僕……誰かといるの、怖いよ……」


「怖い?」


「いつかまた、君まで……僕の前から消えちゃうんじゃないかと思って……」



 不安げにこぼし、トムソンは自身の拳を握りしめた。しかし、そんな彼を「なーに言ってんだよ」とロビンが笑い飛ばす。



「俺が消えるわけねーじゃん。俺はギルド内でもユーシューでサイキョーでツメガアマイと名高い赤の魔銃士ルヴルム様なんだぜ?」


(……“詰めが甘い”って、褒め言葉じゃないんじゃ……)


「俺が死ぬ時は、超やべえ悪党と死闘を繰り広げてになった時だけだ! いいか、相討ちだぜ? 負けるんじゃなくて、あくまで相討ち!」


「……わ、わかったよ……」


「だからさ、何も心配しなくていいんだよ、トムソンは」



 炙っていた魚に塩を振り掛け、彼は顔を上げた。



「俺は何があっても、ちゃんと家に帰るって決めてるからな! お前は安心して俺の帰りを待ってりゃいーの。絶対帰るからさ」


「……」



 ──“絶対帰る”。


 自信を持ってそう宣言する彼を黙って見つめ、トムソンは眩しそうに目を細める。やがて「ほい、お前の分の魚! 骨に気を付けて食えよ!」と手渡された焼き魚を受け取り、トムソンは小さく微笑んだ。



「……君は、不思議な人だね」


「ん?」


「何の根拠もない言葉なのに……不思議と、信じようって思える」



 ぽつりと告げた彼は、空いている手で泣き腫らした目を擦った。直後、「……信じるよ」と小さな声が続く。トムソンは柔らかく破顔し、ロビンを見上げた。



「──君を信じる。ロビン」


「!」


「……必ず、帰ってきてくれるって」



 照れくさそうに続いた言葉に、ロビンはきょとんと目を丸めた。しかしすぐに目尻を緩め、「ったりめーだろ!」と笑う。



「俺は正義のイケメン魔銃士だからな! 約束は必ず守るぜ!」


「うん、約束ね」


「おう、約束な!」



 ──絶対、何があっても、お前のとこに帰る。


 数ヶ月前、友人トムソンと交わしたそんな約束を頭の隅に思い描いて──淡い光が揺らめく空間の中、ロビンは重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。


 すると目の前には、空中に浮かんで揺蕩たゆたう一人の女の姿。眠たげに瞳を瞬き、まるで羊の毛のようにふんわりと広がる髪を揺らして、彼女──アウロラはロビンへと近寄る。



 ──まだ、死ねないんでしょ?



 耳元で囁く声が鼓膜を震わせ、ロビンは何も声を発さずに頷いた。


 そうだ。まだ死ねない。



(俺は……こんな所で消えるわけにはいかないんだ……)



 ポケットの中に入れたままにしていた、トムソンの“お守りドライリーフ”を強く握る。『ちゃんと帰ってきて、僕にそれを返して』──その言葉と共に、カーネリアンの街で彼から手渡されたものを。



「……俺は……!」



 ──必ず、お前のところに帰る!!


 ロビンは力強く拳を握り、差し出されたアウロラの手を取って立ち上がった。




 * * *




「はあ〜、久しぶりに遊んだら結構楽しかったぁ〜♡ 人間の割にはガンジョーだったしねえ、ゴリラくん」



 切り離されたロビンの首を足蹴にし、まるでボールでも扱うかのようにコロコロと転がしながらエドナが笑う。幅の狭い通路で首を蹴って楽しむ様はあどけなく無邪気だが、周囲には血飛沫が散り、彼女の足元も真っ赤に染まっていた。


 エドナはロビンの首を器用に足先で蹴り上げると、トン、トン、と膝や足の甲を用いて連続で蹴り上げる。「おおっと、エドナ選手、華麗な足さばき!」とセルフ実況を混じえながらリズミカルにリフティングを披露した彼女は、最後にロビンの頭を一層高く蹴り上げた。

 そして、大きく振り被った右脚がボールに見立てた頭を豪快に蹴り飛ばす。



「はい、シュート!」



 ゴシャッ、と鈍い音を立て、血の色に染まったロビンの頭は壁に叩き付けられた。目や口、鼻の穴、至る箇所から大量の血が吹きこぼれ、原型すらも留めていないそれが地面に転がる。エドナはけらけらと笑い、返り血にまみれた顔を綻ばせて飛び回った。



「お見事! ゴール! エドナ選手、優勝ぉ〜! 賞品はハンバーガー百年分! やったねエドナ選手〜」



 人間社会で流行っているスポーツを真似て一頻りはしゃいだ後、今度は唐突に飽きたらしく「あー、お腹空いたぁ」とエドナはつまらなそうに呟いた。そんな彼女の周りでは、黒い手の群衆がその体を囲うようにうぞうぞとうごめいている。



「んー? なあにー? ボクの事取り囲んじゃって。君達もお腹すいたのぉ? でもボク、今日はハンバーガーもホットドッグも持ってないよぉ~」



 ──っていうか、なら今あげたじゃん?


 に、と口角を上げ、そう続けたエドナは深い穴の底を指さした。そこに倒れているのは、先程彼女が蹴り落とした首のないロビンの死体。



「ほら、あそこに──」



 ──と、そこまで続けた時。


 不意に、彼女は状況の違和感に気が付いた。



「……?」



 エドナは動きを止め、狭い通路の端に立ったまま首のないその亡骸を凝視する。おかしい、と彼女は眉を顰めた。


 彼女が先程蹴り落としたはずのロビンの骸には──常に空腹で飢えているはずの──化け物の手が、一切群がっていない。それどころか傷の一つすらもついていないのである。


 不自然なその状況を、彼女は訝しんでいた。



(んー……? この下に人間の体を投げ落とせば、一瞬でコイツらが群がって体をむさぼり食い始めるはずなのに……手を付けてないって、何かおかしくな~い?)



 この下に居るのは、飢餓きがの化身のような化け物だ。魔女ですら喰らおうとする彼らが、新鮮な人間の餌をみすみす逃すはずがない。


 一体なぜ──と、そこまで思い至った瞬間。

 彼女はある一つの可能性に行き着き、赤々と色付いたその双眸を大きく見開いた。



「……っ、まさか……!」



 思わず声を発し、すぐさまエドナは身をひるがえす。しかし、彼女が異常に気が付いた時には既に遅かった。



「──装填・蒼玉サファイア



 至近距離から届く低い声。カチリと上向うわむいた銃口。それはまっすぐとエドナを捉え、シリンダーが音を立てて回る。青い光が集束し、強く放たれたまばゆい閃光が、あまりに眩しく彼女の視界に焼き付いた。

 エドナは苦々しく舌を打ち、即座にその場から離れようと地を蹴る。


 だが、やはり間に合わない。



「──バン」



 ドォンッ! と激しく鳴り響いた発砲音。同時に火を噴いた銃口からは、青い光を帯びた巨大な氷の結晶が複数放たれる。回避が間に合わなかったエドナは犀利さいりな氷の結晶に肩と腹部を貫かれ、ごぷりと黒い血を吐き出した。



「……っが、は……っ!? お前っ……!」


「更に装填・黄玉トパーズ──」



 忌々しげに顔を上げた彼女の視線の先には、更に銃を構えるロビンの姿。彼は冷静にエドナを見据え、続けて引き金を引く。



「──放電」



 シリンダーが回転し、至近距離で発砲音が鳴り響いた。黄緑色の閃光は電撃となり、先程エドナを貫いた氷を伝って激しい火花を散らしながら通電する。「ぎゃあァああッ!!」と彼女は絶叫するが、電撃を受けながらもエドナは眼球を見開き、銀の髪を刃に変貌させてロビンへと振り下ろした。



「このっ……クソゴリラ!! 粉々にしてやるゥ!!」



 憎らしげに叫び、エドナの髪が風のような速さでロビンの体を八つ裂きにする。しかし、彼の体をいくら裂いても肉を貫く際の手応えを感じない。



(……!? コイツ……!)



 エドナは目を見張り、更に眉間の皺を深く刻んだ。


 ──まるで、煙でも切っているかのよう。


 全く手応えのないまま刃によって八つ裂きになったロビンの体の切断面は、やがて桃色のとなり──ぷちんと弾けて消えてしまう。



「……っ!」


「どこに攻撃してんだ、可愛いおチビちゃん。俺はこっちだぜ?」



 直後、別の方向からロビンの声が響いた。弾かれたように彼女が振り向いた先では、無傷の彼が再び銃を構えている。


 そしてエドナは確信した。



……! まさかアウロラの魔法……!? 面倒くさぁ……!)



 腹部に突き刺さった氷柱を引き抜きながら舌打ちを放ち、ようやくエドナは自身がアウロラの術中に嵌められた事を理解する。


 六番目ゼクスの魔女・アウロラ──彼女の能力は、『夢』だ。


 幻覚や異空間を一時的に作り出し、敵の目を欺く魔法を得意としている。つまり、最初にエドナが首を切って穴の底に落としたロビンの体は幻覚。先ほど蹴り飛ばした彼の頭もおそらくそうだ。化け物共が死体に群がらなかった理由も、これならば腑に落ちる。



「ようやく起きてくれやがったみてーだからなァ、俺の魔女様が」



 ロビンは不敵な笑みを浮かべて得意げに言葉を紡いだが、ややあって唇を尖らせると「ったく、マジで一瞬死んだかと思ったっての」と文句をこぼした。

 すると薄桃色に輝くあぶくがぷかぷかと彼の目の前に浮かび上がり、一つに固まって大欠伸おおあくびを漏らす。



「ふあぁ……だぁって、眠いんですもん〜。うるさすぎて起きちゃいましたけどぉ」



 のんびりとそう告げるは、ロビンの小指に嵌められた指輪の中で眠っていた魔女──アウロラである。彼女はしきりに欠伸をこぼし、不服げにロビンの周囲を浮遊した。



「っていうか、いつからご主人が変わったんですぅ? 前の方が良かったぁ〜、筋肉ゴリゴリの頭悪そうなご主人なんて嫌ですぅ」


「だーれが筋肉ゴリゴリで頭悪そうなご主人だ、この寝坊助魔女!! しかも何で泡!? 前はちゃんとヒトの姿してたじゃん! 可愛い女の子の姿だったじゃん! 露出度高めの! あっちの姿が良いんだけど俺!!」


「ふえぇ……ゴリゴリな上にエロい目で見てきますぅ、怖いですぅ……。大体、一般人の魔力で魔女の実体化なんて出来るわけないじゃないですかぁ? 干からびて死にたいなら別ですけどぉ……」


「泡のまんまでよろしくお願いします」



 ロビンが即刻意見をひるがえした頃、不意に二人の元へ銀の刃が迫った。しかしそのまま刃に貫かれた二人の体はやはり泡となって消え、エドナは苦々しく眉根を寄せる。



(これも幻覚……!)



 刹那、背後からドォン! と銃声が響き、エドナの体は再び電撃に包まれた。



「ああァああぁッ!!」


「おい、いきなり攻撃してくんな! びっくりすんだろーが、人が話してる時によぉ!」


「……っうぅ……ぐっ……!」



 強い電撃により焼け爛れた皮膚が崩れ落ちる。エドナは「むかつく……煩わしい小細工しやがってぇ……」とこぼしながら自らの手で皮膚を抉り、べりべりと剥がし始めた。


 その様子を眺め、ロビンは「あー……」と嘆息する。



「出た出た……知ってんだぜ、俺。お前らいくらカミナリで丸焦げにしても、蛇みてーに脱皮して復活すんだろ? カーネリアンでは酷い目にあったからな、忘れてねえぜ俺は」


「ぐ……ゥ……きゃは……ァは……」


「ま、いくら復活してもお前の攻撃はもう当たんねーよ。だってお前、俺の姿全然見えてねえんだろ? って事は、このまま俺の勝ち逃げだな。大した事なくて拍子抜けだぜ、そんなモンなのか? 魔女の手先ってヤツはよォ」


「……きゃは、キャハハッ!! キャハハハハ!!」



 エドナは焦げ落ちた皮膚を剥がしながら甲高く笑い出し、「楽しいねえ、楽しいねえ! ぶっ殺してあげる!」と血走った両眼を見開いた。ロビンは極めて冷静にその様子を見つめる。



「あんまりさあ! 調子に乗ると良くないと思うよぉ、ゴリラくん!」


「……」


「どこに居るのか見えなくても、君を八つ裂きにする方法ぐらいあるんだよぉ、ボクにはさぁ!」



 にたりと口角が上がり、剥き出しになった歯茎を覗かせたエドナの口元からは長い舌が滑り落ちる。刹那、彼女は自身の髪を二つに結い上げていたリボンを解いて奈落の底へと投げ捨てた。


 バサリと広がった銀の髪。

 それらは程なくして何万もの刃を形成し、全方位にその鋭い切っ先を向ける。おびただしいその数にロビンが言葉を失う中、キャハハ! と甲高く笑う彼女は舌なめずりをして彼を見下ろした。



「じゃーんっ! どお? 全方向を串刺しにすれば、どれか一つぐらいはキミに当たるでしょぉ!? ボクって天才ー!」


「……うわーお。こりゃすげえ」


「キャハハハハッ!! もうキミとは遊んであげなーい! さっさと死んじまえクソゴリラ!!」



 狂気的に眼を見開き、エドナは構えていた刃を一斉に放って全方位に突き刺した。正面にいたロビンの体は勿論、周囲で蠢いていた黒い手をも貫いた刃が次々と壁に穴を穿うがつ。


 ドドドドッ! と鈍い音を立てて刃が壁を破壊する中──ある一箇所を貫いた瞬間、ロビンが「うがァッ!」と苦鳴を発した。苦しげに表情を歪ませながら姿を現した彼を見つめ、エドナはくすりと不敵に微笑む。



「きゃはっ! はぁい、大当たりぃ〜♡ こーんなところに居たんだぁ? ざーんねん、かくれんぼもボクの勝ちだね♡」


「……っう……ぐぅ……!」



 銀の刃に貫かれたロビンは眉根を寄せ、苦しげに呻いた。エドナは楽しげに笑い、更に深く彼の肉を抉る。「あぁぁっ……!」という苦鳴と共に、ロビンは血を吐きこぼしたが──しかし。


 程なくして、その口角は上がった。



「──なーんちゃって」


「……っ!?」



 それまでの苦しげな声から一変。ロビンは悪戯を成功させた子供のようにへらりと笑うと、またもや泡となってその場から消えてしまう。

 エドナは「なっ……!?」と想定外の事態に思わず焦燥した。



「残念だが、そこにも俺は居ねえよ」



 刹那、目を剥いたエドナの真下から声が響き、冷たい銃口がカチリとあごに押し当てられる。ハッと息を呑んだエドナの視界が捉えたのは、己の足元で胡座あぐらをかくロビンの姿。



「……っ!!」


「だって俺は、ずっとお前の足元に居たんだからな」



 押し当てられた銃口が熱を帯び、エドナは焦りの表情を浮かべた。身の危険を悟り、彼女は即座にその場から退しりぞこうとしたが──全方位の壁を髪で貫いてしまったため、すぐには身動きが取れない。



「……っ、くそ……! お前っ……! まさか最初からコレを狙って……!」


賞金稼ぎハンターたる者、常に冷静であれ。標的エモノの挑発には耳を貸すべからず──悪党を相手取る賞金稼ぎオレたちにとっちゃ、初歩の教えだ」



 冷淡に告げ、ロビンはじろりとエドナを睨む。



「お前は俺の挑発にまんまと乗った。ただそれだけの事だ。もっと冷静に状況を判断するんだったなあ、おチビちゃん」


「……っ」


「っつーわけで、遊んでくれてありがとよ小悪党。お尻ペンペンの時間だぜ」



 にっ、とロビンは八重歯を覗かせ、最後の魔弾を魔銃に込めた。熱を帯びた銃口からは灼熱の光が眩しく閃く。



「装填・紅玉ルビー──炎獄弾燃え尽くせ



 刹那、爆音と共にエドナの顎は撃ち抜かれ、燃え盛る炎が彼女の髪に着火した。赤々と燃える火炎は次々とエドナの髪を焼いて灰にして行く。炎に包まれた彼女は絶叫し、焼け落ちていく髪をぶちぶちと切り離しながら、ついに狭い足場を踏み外してしまった。


 途端にぐらりと傾き、穴の底へと落下していく体。熱と痛みに身悶えるその体には、すぐさま飢えた化け物の黒い手が伸びる。



「う、あ、あぁァ、ぁ……ッ」



 エドナの華奢な体躯はあっという間に無数の手に覆い尽くされ、やがてブチブチとその身を引きちぎられる無惨な音が耳に届いた。「あ……ァが……」と悲痛な呻き声も暫くその場に響いていたが──程なくしてそれすらも聞こえなくなる。


 ロビンはふらりとその場に立ち上がり、悲惨な最期を遂げたエドナから目を逸らした。



「……遊びは終いだ。あの世でママに慰めて貰いな、おチビちゃん」



 ロビンは呟き、リボルバーをくるりと指で回してホルスターにしまう。やがてふらりとその場から歩き始めた彼だったが──その顔は青ざめ、額には脂汗が滲んでいた。



(……やっべえ、魔力使い過ぎた……。マジかよ〈魔女の遺品グラン・マグリア〉……燃費悪過ぎだろ……)



 己は魔力量が多い方だと自負していたつもりだが、ほんの数分間アウロラの指輪を使用しただけで、どうやらほとんどの魔力を使い切ってしまったらしい。勿論、アウロラの作り出した幻覚の効果も既に切れてしまっている。



「……しかもこいつ、また寝てやがるし……」



 指輪から微かに届くアウロラのイビキに呆れつつ、ロビンは力の入らない体を引きずってふらふらと部屋の出口へと向かった。


 早く、トキに追いつかなくては。


 そう考え、ロビンは狭い足場をゆっくりと進んで行く。

 しかし、事は上手く運ばなかった。



「……!?」



 ──ズズ、ズ……。


 まるで何かが地を這うような、不気味な音が耳に届く。ロビンはすぐに嫌な気配を悟ったが、魔力の不足した体では素早く反応する事が出来なかった。


 直後、彼の足首には黒い蛇が絡み付く。



「……っ、な……!?」



 蛇に足を強く引かれ、ロビンは受け身も取れずその場に倒れた。「うぐ……っ」と呻いて表情を歪めるが、絡み付いた黒蛇が彼の足を穴の底に向かって引っ張り始めた事でサッと血の気が引く。



(──コイツ……! 俺を穴の底に引きずり込むつもりか……!?)



 ロビンは目を見開き、「ふざけんな!」と足に絡み付く蛇を蹴り飛ばした。しかし黒い蛇は無限に増殖し、何度も足に絡みついては強い力で彼を引きずる。



「くそ……!」



 魔力の枯渇した体では抵抗もままならない。徐々に足場の淵が迫り、焦りばかりが募って行く。


 足元の蛇を睨めば、絡み付くそれらは総じてにたりと口元を歪め、まるで笑っているかのように見えた。



 ──もっト、あそボウよ……。



 そんな幻聴まで、ロビンの耳に届き始める。



「……っ、道連れにする気かよ、あのガキ……っ」



 引き攣った笑みを浮かべ、ロビンは床に爪を立てて踏ん張る。だがやはりそんな抵抗も意味を成さず、彼の体はとうとう足場を越えて無数の手が蠢く奈落の底へと放り出された。


 浮遊感が背筋をなぞり、天井が遠くなって行く。ああ、まずい。これは助からない──そう考えが過ぎった刹那、脳裏に浮かんだのはカーネリアンの街に残して来た相棒の姿だった。



(……トムソン……)



 彼から預かっているポケットの中の“お守りドライリーフ”が、ロビンの胸を締め付ける。『ちゃんと帰ってきて、僕にそれを返して』──そう告げた友の最後の言葉が、走馬灯のように彼の頭の中を駆け巡って。


 ロビンは苦く微笑み、頭の片隅に思い描いたトムソンに向かって、小さく言葉を紡いだ。


 ああ、やっぱり──赤の魔銃士ルヴルムは詰めが甘い。



「──だったから、許してくれよな……相棒」



 その言葉の後、ロビンの体は無数の黒い手の中へと落下する。


 四肢に絡み付く手が彼を喰らおうと蠢く中、ロビンは己の最期を覚悟し、静かに目を閉じた──。


 の、だが。



 ──ガブゥッ!



「……っ!?」



 突如、彼の襟元に何かが勢いよく噛み付く。その瞬間、ロビンの体は手の群衆の中から強い力で引っ張り出された。


 ふわりと宙に浮いたかと思えば、その高度はぐんぐん上昇して化け物の姿が小さくなっていく。そしてついに部屋の出口付近まで到達し、彼は柔らかな白銀の毛が生え揃った大きな背中の上へと落とされた。


 もふもふと暖かな柔毛に包まれ、ロビンはぱちりと瞳を瞬く。だが、やがて、「プギ!」「ガゥ!」と頭上から声が届いた途端に──強烈な安堵感がその胸を満たした。



「……っ」



 翼を広げてふわりと浮かぶ、ピンク色の丸い子豚。そして彼を背中で受け止めて尻尾を振る、白銀の毛を揺らした大きな狼。すっかり元気になった二匹の仲間が、得意げな顔で彼の目を見つめている。


 ロビンを奈落の底から救い出した──ステラとアデルの姿に、彼は心の底から安堵し、思わずじわりと視界を涙で滲ませた。程なくして「はは……」と力なく笑ったロビンは、ぼすりとアデルの背中に顔を埋める。



「お前ら……俺よりカッコイイ登場、してんじゃねーよ……正義のヒーローか……? 最高じゃん……」


「プギ?」


「アゥ?」


「……あー……良かった……。でも、マジで……、」



 しぬ……、と最後に言い残し、ぐったりと脱力してしまった彼は、アデルの背中に全体重を預けたまま遠のいていく意識の中でポケットの中のドライリーフを握り締めた。


 ──ああ、生きてる。まだ俺は約束を守れる。


 ぼんやりと霞みゆく頭の片隅でそんな言葉を思い描き、ロビンはゆっくりと、その瞼を下ろしたのであった。




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