第99話 闇の中の誓い

 ヒュン、と風を裂き、エドナの銀の髪が刃となって迫る。トキとロビンは彼女の攻撃を避け、時折肌を裂かれながらも迫り来る刃を凌いでいた。



「きゃはははっ! 意外と俊敏じゃーん! ボク、追いかけっこって好きだよぉ♡」


「……っ、くそ、何だあのガキ……!」



 ──攻撃が速すぎる……!


 神速の斬撃に、トキは二本の短剣ダガーでエドナの髪を弾き返すのが精一杯だった。片やロビンは防御壁を張って攻撃を防ぎつつ、隙を見て魔弾を放つ。



「装填、〈紅玉ルビー〉!」



 シリンダーが音を立てて回り、カチンと動きを止める。刹那、あかい光を宿した銃口は火を噴いた。


 銃声と共に放たれた火球はエドナの髪に着火して燃え上がる。途端に彼女は「きゃー、あっつーい!」と楽しそうに笑い、火のついた髪をぶつりと切断した。



「チッ、なるほど……! 自分の意思で着脱可能ってワケか……!」



 切り離されて地面に落ちたエドナの髪は、霧のような粒子になって炎諸共消えて行く。一時的に攻撃の手が休まり、ロビンは目尻を鋭く吊り上げてトキを一瞥した。



「……トキ」


「!」


「今のうちに、お前だけ先に行け。俺がここに残る」


「……は!?」



 ぼそりと告げたロビンに、トキは目を見開く。「何言ってんだ!」と声を張るトキだったが、ロビンは珍しく真剣な表情で「お前の武器じゃ相性が悪い」と冷静に続けた。



「あいつ、大して動かなくても、あのナイフみたいな髪を伸縮自在に操って攻撃してくる。近接武器で相手すんのは不利だ。魔銃士ガンナーの俺が残った方がいい」


「……っ、でも、お前……!」


「いいから行けって! セシリアが待ってんのはお前だろ! さっさと姫を救い出してやってくれよ、王子殿」



 じゃねーと俺がかっさらっちまうぜ、と不敵に笑い、ロビンは二丁目のリボルバーを取り出して構える。再び猛攻を仕掛けてきたエドナに銃口マズルを向け、彼は引き金を引いた。



「装填、〈蒼玉サファイア〉──氷結凍っちまえ!」


「!」



 複数の銃声と共に発砲された魔弾はエドナの髪を凍り付かせる。「キャハハッ、髪がパリパリ〜」と楽しげに笑う彼女を後目しりめに、ロビンは硬直しているトキの背を突き飛ばした。



「何チンタラしてんだよ! 早く行け、トキ!」


「……っ」


「コイツぶっ倒したらすぐ追い付くっての! 先にセシリアを奪い返して待ってろ! 盗むの得意なんだろ!?」


「……っ……、くそ……っ!」



 トキは何かを言いたげに唇を噛んだが、やがて躊躇ためらいながらもロビンの誘導に従って地面を蹴る。そのまま駆け出した彼は、「テメェ、死んだら承知しねえぞ!!」と最後に吐き捨て、遂にその場から走り去って行った。


 残されたロビンは薄く微笑み、銃把グリップを強く握り込む。



「……おー、任せとけ」



 振り向きもせず答えを返した頃、凍りついていた髪をエドナは力技で強引に振り払った。解き放たれた髪を振り乱してにたりと口角を上げる少女に、ロビンもまた不敵に笑む。



「──ここから先は、賞金稼ぎオレの仕事だ」



 そして彼は呟き、構えた銃を彼女に向け、再び引き金トリガーを引いた。




 * * *




「……はあっ、はあっ……!」



 エドナの足止めをロビンに託し、トキは暗い廊下を全力で駆け抜けて行く。不気味な装飾や骨董品が並ぶ城内を走りながら、彼は妙な胸騒ぎを落ち着かせようと奥歯を噛み締めた。



(……大丈夫、大丈夫だ……。アイツは馬鹿だが、魔力も俺より遥かにあるし、ちゃんと強い。たとえ相手が魔女の手先でも、きっと、生きて……)



 そこまで考えた瞬間、トキの脳裏には血溜まりの中に転がるロビンの姿が過ぎる。まるで幼い頃に見た両親のむくろのような、事切れた彼の姿を想像して──トキは息を呑み、更に奥歯を軋ませた。



(ダメだ、やめろ考えるな……! そんなわけねえだろ、アイツには〈魔女の遺品グラン・マグリア〉も持たせてある……簡単にやられるわけない……! セシリアも、ロビンも、アデルもステラも連れて、全員で、ここから帰る──)



 ──何処へ?



「……っ……!」



 ぴたりと、足が止まる。荒らぐ呼吸を繰り返し、トキは汗の滲む手のひらを握り締めた。

 振り返れば、目の前には深い闇ばかりが広がる長い廊下。誰もいない、何の音もない、孤独の闇。それを視界に入れた瞬間、トキの胸には言いようのない不安が襲い掛かってきた。


 セシリアは、いつか消える。

 ロビンも、次生きてまた会える確証はない。

 外に残して来たアデルとステラだって、今頃凍えて死んでしまっているかもしれない。

 家族も、故郷も、師も──全て、もう、無い。


 トキは呼吸を一瞬震わせ、ストールの下に隠している呪印を指先でなぞる。



(……このまま、ずっと、走って……、もし、この呪いが解けたとしても……)



 ──その時、俺の傍には何が残ってるっていうんだ?


 その問いを自身に投げ掛け、トキはその場に立ち尽くした。


 帰る場所など、何処にもない。

 長らく過ごしていたディラシナに戻ったとしても、師は二度と戻らないし、あんな掃き溜めのような街にセシリアやアデルを長く留めておく訳にはいかない。


 だが、逃げ場だって、何処にもない。

 どんなにセシリアの手を強く引いて、例え世界の裏側まで逃げたって。彼女の命の階段はいつか途切れて、消えてしまう。



「……」



 トキはその場で立ち止まったまま、再び前方へ視線を戻した。その先にもやはり深い闇が広がっているばかりで、視界には何の光も映らない。今の自分と同じだと──彼はらしくも無く戦慄した。


 前も、後ろも、この先の未来も。

 歩む道は、どこもかしこも真っ暗で、何も見えない。



「──立ち止まるな、このたわけが」



 しかしその時、臆して足を止めていたトキの耳にはハッキリと鋭い声が届く。ハッと我に返って右手を見下ろせば、中指に嵌められた金の指輪が青い光を帯びて輝いていた。



「……、ドグマ……?」



 呼びかければ、淡く輝いていた青い光はたちまち小さくなって収束する。一瞬確かに聞こえたはずの魔女の声は、もう彼の鼓膜を揺らす事はなかった。


 ──励ましにでも、来たつもりだろうか。


 そう考えると、不思議と体が軽くなったような気がした。トキは奥歯を噛み締め、目の前の暗闇を見据えると再び地を蹴って走り出す。



 ──未来の事など、何も分からない。


 だが、見えない未来を臆するよりも、自分にはすべき事がある。


 背中を押した仲間を。

 大切な人を。

 師の遺した、最期の頼みを。


 そして、今、このトキを生きる自分を──守るために。



(俺はもう、負けないって決めたんだよ)



 遠い昔に師から譲り受けたストールを引き上げ、トキは更に走る速度を上げる。


 不気味に飾られた装飾品を蹴飛ばし、進路を遮る柵や段差を迷わず飛び越えて。彼はついに長い通路の最奥部まで辿り着き、固く閉ざされている錆び付いた扉を、振り上げた長い脚で豪快に蹴り開けた。


 ──ガァンッ!!



「ひぎゃあッ!?」


「……っ!?」



 息を切らしたトキが扉を蹴り開けた瞬間、その近くを通りがかっていたらしい何者かが奇声を上げて飛び上がる。若草色の髪をばさりと振り乱し、目を見開いて硬直した顔面蒼白のそいつは見覚えのない女だったが──その手に抱えられているのは、紛う事なく彼の探し求めていた愛しい人であった。



「──セシリアッ!!」



 彼女の姿を視界に捉えたトキはすぐさま目の色を変え、見知らぬ女を睨み付ける。



「テメェ!! セシリアに触んな!! 誰だか知らねえが、今すぐそいつから離れ──」


「ぎっ、ぎぃやああああッッ!!? ドブネズミぃぃ!!!」


「っ……!?」



 耳を劈くような叫び声。突として断末魔の如き絶叫を廊下に響かせた女に、トキは言葉を失って狼狽うろたえた。更にその直後、女はそれまで抱えていたはずのセシリアを突如彼に投げ渡す。「なっ……!?」とトキは焦燥しつつ慌ただしく彼女を受け止め、華奢なその身を守るように強く抱き寄せた。


 何が起こったのか全く理解が追いつかぬまま彼が顔を上げれば、先程悲鳴を上げた女が柱の陰に身を隠してガタガタと震えている。



「び、びええ……!! き、気持ち悪、気持ち悪ぅ……っ! ど、ど、ドブネズミのクソ野郎と目が合っちゃった、し、死ぬ……死んじゃう……ひいいぃ……!!」


「……」


「……い、いや、頑張れ……! 負けるな私ぃ……! さ、さっき、“自分男嫌いと戦う”ってセシリアに誓ったばっかりじゃない……! だ、大丈夫、深呼吸よ、深呼吸……。あれは男じゃない、男じゃない……ただのネズミ、ただのネズミ……」



 ブツブツと独り言を繰り返し、若草色の髪を乱した女は、蒼白に染まる顔面をおずおずと柱の陰から覗かせる。程なくして、彼女は呆気に取られているトキと目が合い──刹那、口元を押さえて豪快に嘔吐えずいた。



「ヴォエ……ッ、ぎっもぢわる……」


(何だアイツ、殺されてーのか)



 無礼な態度を繰り返す見知らぬ女の発言にトキの額がピキリと青筋を浮き立たせる。しかし、先程あっさりとセシリアを引き渡された上に、こちらを攻撃するような様子もない。

 敵じゃねーのか……? と訝りつつ、彼は眉を顰めて口を開いた。



「……なあ、アンタ……」


「っげえ……! ちょ、ホントに無理……ホントちょっと待って、今どうにか汚物を視界に入れようと頑張ってるんだから、喋らないでクソドブネズミ……」


「おい誰が汚物でドブネズミだ殺すぞ」



 思わず眉根を寄せて低音をこぼせば、彼女は顔を一層蒼白に染め上げて「ひいっ!」と柱に隠れてしまう。不可解な女の行動に首を捻っていれば、不意にトキの指輪が光り、そこから青い炎が飛び出した。



「──ふん、全く黙って見ておれば……。貴様の男嫌いはまだ治らんのか? アルラウネよ」


「っあ!! ドグマ姉様!!」


「……! アルラウネ……!?」



 指輪から飛び出した火の玉ドグマの発言に、トキは目を見開く。なんと、先程から失礼な発言を繰り返している彼女は──十二番目トゥワルフの魔女、アルラウネだというのだ。


 件のアルラウネは未だに柱の陰に隠れたまま、ボソボソと言いにくそうに言葉を発する。



「だ、だぁって〜、姉様ぁ……。こんなクッソ汚い男ですよ? 性欲まみれのけがらわしいモンを下半身にぶら下げたクソゴミ野郎ですよ? きっしょく悪い! セシリアに触んな死ね死ね死ね死ね!!」


「……おいドグマ、あの魔女クソムカつくんだが刺し殺していいか」


ゆるせ小僧。彼奴あやつは昔から男嫌いが激しいのだ。貴様がおるというのに、こうして指輪から出ておる事すらまれなのだぞ」



 呆れたように言い、ドグマは嘆息した。トキは「男嫌い……?」と眉を顰めてアルラウネに視線を向ける。

 味方であるはずの彼女の憎らしげなその眼光からは、明らかに敵意のようなものを感じた。そして、ようやくトキは理解する。



(……ああ、なるほど。オレが嫌いだったから、今までずっと指輪の中に籠ってたってわけか)



 花の街・アリアドニアでセシリアにアルラウネの指輪を手渡して以降、トキは一度もその姿を見た事がなかった。どうやら意図的に避けられていたらしい、とこれまで彼女の姿を見かけなかった原因がすとんと腑に落ちる。



(つーか、実体化までしてやがるし……、いや、そりゃそうか。セシリアはマドックの娘なんだからな。王族の血が流れてるってんなら、アルラウネがセシリアの魔力で実体化出来るのも当然だ。……ウマは合いそうにないが)



 トキは舌打ちを放ち、未だに無言で敵意を放っているアルラウネから目を逸らす。ドグマはトキの魔力を消費する事を懸念したのか、「まあ、木の根の先ですら男に触れられん奴だ。貴様に攻撃はすまい。後は任せたぞ」と言い残すと指輪の中へと戻って行った。


 やがて青い炎が消えた空間に、暗闇と静寂が戻って来る。トキは深く息を吐き、腕の中に抱えているセシリアを見下ろした。


 アルラウネの態度は気に入らないが──ひとまずはセシリアと無事に再会出来た事に安堵する。トキは近くの壁に凭れ、力無く項垂れている彼女の体を抱き寄せた。



「……セシリア、遅くなって悪い……。アンタを迎えに来た。ここから逃げるぞ」


「……」


「……、? セシリア……?」



 呼び掛けるが、反応はない。彼女はトキに抱かれたまま、虚ろな瞳で虚空を見つめている。

 トキは眉を顰め、「おい、どうした?」と再びその顔を覗き込んだ。しかし、やはり反応は返ってこない。軽く頬を叩いてみるが、視線すらも合わなかった。


 ぞくりと、トキの背筋が途端に冷える。



「……っ!? おい、セシリア……!」


「……」


「どうしたんだよ、返事しろ!」



 何度呼び掛けても、結果は同じだった。そんな彼らを遠くから見つめ、アルラウネは視線を落とす。



「……やっぱり……ドブネズミと会わせてみても、ダメみたいね……」


「アルラウネ! コイツに何があった!?」


「……」



 弾かれたように振り返ったトキの問いに、アルラウネは口を閉ざして言い淀んだ。何も告げない彼女にトキは苛立ち、つい声を荒らげかけたが──ふと、暗闇に慣れた彼の視界が、セシリアの首に残された締め跡のような痕跡を捉える。



「……!」



 トキはすぐさま襟元をずらし、彼女の首に残っている青黒い痕を指でなぞった。



「……何だよ、これ……」



 それまで気に留める間もなかったが、セシリアの衣服は普段と全く違う。常に手首の刻印を隠していたレザーグローブは無く、コバルトブルーのワンピースのスカートの丈も随分と長い。視認出来る範囲の素肌には、数箇所の痣や噛まれたような跡も見て取れた。


 それらを視界に入れ、トキの心臓がどくりと鈍い音を立てる。脳裏を過ぎったのは、憎らしくて仕方がない、あの男の顔。



「……まさか……」



 ぽつり。トキは呟くと、すぐさまセシリアの着ていたワンピースドレスの胸元のボタンを外し始めた。手早くそれらを外し、呼吸を震わせながら彼女の素肌をさらけ出す。


 刹那、トキの表情は悲痛に歪んだ。



「……っ……!」



 白い素肌に残された、噛み跡や切り傷、痛々しい痣に、鬱血痕。

 煙草の火を押し付けられたような火傷までも数箇所に見受けられ──彼女が無残な恥辱を受けた事を、まざまざと物語っている。


 まるで、後頭部を鈍器で殴られて、目の前がぐらぐらと揺さぶられるようだった。腹の奥底から黒い感情が溢れ出し、無意識に握り込んだ手のひらに爪が食い込む。


 トキは奥歯を軋ませ、言いようのない怒りと憎しみに手を震わせながら、セシリアの身体を強く引き寄せて抱き締めた。──彼女が何をされたのか、聞かなくても分かってしまうのが、歯痒い。



「……殺す……」



 こぼれ落ちたのは、怒気を孕んだ低い声。トキは今にも叫び散らしたくなるほどの激情を必死に抑え、傷付けられたセシリアの身体をより強く抱いた。


 脳裏に浮かぶのは、ただ一人。

 己から全てを奪った、あの憎い男だけだった。



「……っ殺してやる……!!」



 唇を噛み、憎悪の籠った声を絞り出したトキの姿を、アルラウネは柱の後ろから黙って見つめている。やがて、彼女はおずおずと口を開いた。



「……セシリアは……あの蛇のクソ男の、を体内に注ぎ込まれたせいで……中毒症状を起こしているの……」


「……!」


「アンタに会わせれば、治るかもしれないと思ったけど……ダメみたいね……」



 アルラウネは肩を落とし、俯く。彼女の言う“闇属性の体液を注ぎ込まれた”という言葉の真意を嫌でも理解してしまい、アルマに対する憎しみが増して吐き気がした。


 怒りに震えるトキから目を逸らしたまま、アルラウネは続ける。



「……ドルチェの話によれば、“セシリア”は女神の涙ラクリマに宿っていた魔力で造り出された人格よ。元々不安定な存在なのに、そこに相反する属性が大量に注がれてしまったから……もしかしたら、セシリアの人格自体が消えそうになっているのかもしれない」


「……は……? 何だと……? 女神の涙で、造られた人格……?」


「なんか、生前は色々あったみたいでね。ドルチェが死ぬ時に、体の中に女神の涙の魔力を注ぎ込んだらしいのよ。それで、セシリアの人格が生まれたんだって」



 アルラウネはドルチェから聞いた真実を、ぽつぽつとトキに語り始めた。


 ドルチェが二度死んでいる事。

 セシリアはドルチェの最期の望みによって、女神の涙の魔力で生み出された事。


 それらに黙って耳を傾け、トキは腕の中のセシリアへと視線を移す。そこにいるセシリアは相変わらず、生気を無くした瞳で虚空を見つめていた。



「……もし、セシリアの人格が、消えたら……、どうなる……」



 情けないほどに小さな声で、トキは尋ねる。アルラウネは目を伏せ、「……言わなくても、分かってるでしょ」と力無く答えた。



「人格を無くしたら、アルタナの体だけが残るわ……そうなれば、この子は廃人からっぽになってしまう」


「……」


「それに……多分、セシリアの体の方も、限界が近い。……傷が全く治らなくなってるわ」



 アルラウネの指摘に、トキの胸がずくりと更に重くなる。アルマに甚振られたセシリアの体の傷は、未だに癒えていない。それは、“アルタナ”としての彼女の寿命が迫っている事を意味していた。



「……ふざけんな……」


「……」


「ふざけんなよ……っ何で、コイツばっかり……」



 声を震わせ、トキは悔しげに拳を握り込む。


 彼女が、一体何をしたというんだ。

 ただ純粋に生きて、神を信じて祈って、いつも他人の事ばかりを気にかけて──いつだって、誰かを救おうとしていたじゃないか。


 そんな彼女が、なぜこんなに残酷な運命を背負わなければならない。なぜ──死ななければ、ならないんだ。



「……神なんか、居てたまるか……っ」


「……」


「殺すなら、代わりに俺を殺せよ……! 何で俺ばっかりずっと生きてるんだよ!! 俺が死ねばいいだろ!! 女神が居るとしたらとんだクソッタレだ!! ふざけんなッ!!」



 トキは悲痛に怒鳴り、肩を震わせてセシリアを抱き締める。今にも涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に耐え、彼女の肩口に顔を埋めた。掠れた声が、「セシリア……」と何度も呼び掛ける。しかし彼女からの反応はやはり帰ってこず、代わりに、ツカツカと歩み寄る足音がトキの耳に届いた。



「──アンタが死んでどうすんのよ」



 続け様に鼓膜を震わせたのは、ずっと物陰に隠れていたはずのアルラウネの声。彼女は何かに耐えるように衣服の裾を握り締め、トキの前に立ちはだかる。



「アンタが代わりに死んだって、セシリアは報われない。絶対に喜ばない。この子はずっと幸せになれない」


「……っ」


「弱音ばっかり吐きやがって。いい加減にしろ、このクソネズミ。アンタがセシリアに告白する前に自分で誓った言葉、忘れてんじゃないわよ」



 アルラウネはトキを睨み、低音をこぼす。



「“俺がセシリアを救う。消えさせない”って。アンタ、そう言ったでしょ」


「……!」


「アンタがセシリアを守るって、そう誓ったでしょ!!」



 カーネリアンの街の、ターミナルの中で。

 トキはセシリアと向き合い、確かにそう告げた。



『──俺が……っ、俺がアンタを救う! 俺がアンタを守るから……絶対消えさせないって誓うから! だから、聞けよ……!』



 おそらくそれを、アルラウネは見ていたのだ。セシリアの薬指に嵌められた、指輪の中から。



「……アンタが、諦めてどうすんの……」


「……」


「セシリアは、まだ生きて存在してるのよ。セシリアを救うって、アンタが自分で言ったんでしょ……だからあの時、あの子に愛してるって伝えたんでしょ……! だったら簡単に諦めてんじゃねえよ!!」



 アルラウネは声を荒らげ、トキの胸ぐらを掴み上げる。その肌には男に対する拒絶反応からか発疹が浮かび上がっていたが、それでも彼女はトキに怒鳴った。



「代わりに死ぬ覚悟があるんなら、死ぬ気で救ってみろよクソネズミ!! どうにもならなくて嘆く事なんて誰にでも出来んだよ!! 抗って足掻け、クソ野郎!!」


「……っ、アルラウネ……」


「あーーっ気色悪い!! もう無理限界、テメェ次また諦めて弱音吐きやがったら木の根で刺して内臓も目玉も全部抉り出してやっからな!!」



 彼女は鳥肌と蕁麻疹だらけになった腕をさすり、顔面蒼白で怒鳴り散らすと中指を突き立てて指輪の中へと戻って行く。──程なくして、ようやく薄暗い空間は、静寂を取り戻し始めた。


 沈黙が辺りを包む中、トキはセシリアを抱き寄せたまま奥歯を噛み締め、目尻に浮かんでいた涙の粒を拭い取る。ぼそりと口を開いた彼の唇からこぼれたのは、小さく掠れた声だった。



「……ドグマにしろ、アルラウネにしろ……、魔女ってのは、うるせー奴しか居ねえのかよ……」



 渇いた笑みと共に皮肉を漏らしつつ、トキは放心状態のセシリアをそっと抱き上げる。相変わらず何の反応も示さない彼女の額に口付けを落とし、「……待ってろよ、セシリア」と彼はその耳元に囁いた。


 ──言われっぱなしは、性にあわない。


 口喧しい魔女の叱咤を心に刻み、トキは真っ直ぐと前を見据える。視線の先に広がるのは、どこまで続くか分からない、深い闇。



「……俺が、必ず……」



 ──アンタを、救ってみせる。


 トキは強い決意と共に宣言し、再び地を蹴って、不気味な暗闇の中を駆けて行った。




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