第98話 魔女の鉄槌

 ──ドンッ、ドンッ、ドンッ!


 次から次へと壁や地面を突き破る木の根が、逃げ惑うテディを追い掛けて迫る。テディはようやく再生し始めた皮膚と穴の空いた腹を庇い、刃と化した脚で根を切り裂いて応戦した。しかしいくら木の根を切り落としても、またすぐに黒い根が地面から飛び出して来る。



「……っ、くそ! 十二番目トゥワルフ風情の使い捨て魔女がァ!!」



 テディは憎らしげに瞳を血走らせ、迫る木の根を軽快な動きで避けて躱した。アルラウネは相変わらず冷たい視線を送り、「はぐれ者の捨て駒が喋ってんじゃねーよ」と辛辣に吐き捨てる。彼女は更に木の根を増やし、彼女の行く手を阻むと遂にテディを追い詰めた。



「ぎ、あ……っ!!」



 ギチギチと、即座に絡み付いた木の根がテディの四肢を締め付けて引き裂かんとする。彼女は目を見開き、「ナメんなクソがアァ!!」と絶叫しながら二度目の脱皮によって難を逃れた。


 剥き出しになった皮膚の内側は赤黒く染まり、歯茎や血管までも鮮明に視認出来る。バラバラと髪は抜け落ち、血走った紅い双眸がぎょろぎょろと殺意を帯びてアルラウネを見据えた。



「テメェェ、十二番目最下等のゴミ魔女がァ……!! 二度もテディの肌を台無しにしやがってェ!! 殺してやる……!!」


「黙れよ、内臓全部グチャグチャに引きずり出して一つ一つ踏み潰されたいわけ? 元々大した素材でもないくせに」



 ぴくりとも表情を変えず言い放つアルラウネに、テディはブチブチと剥き出しの血管を浮き立たせる。彼女は新しい皮膚の再生も間に合わぬままに牙を剥き、右脚のみならず左脚までも漆黒の刃へと変貌させた。



「あッはァッ!! マーーッジでムカつく!! テディぶちギレちゃったァ!! アンタさあ、一応同胞みたいなモンよねェ!!? だったらアンタも、テディちゃんが頭から丸ごと噛みちぎってべてあげるゥ!!♡」



 長い舌をでろりとこぼし、テディは両頬を自身の手で抉るように覆いながら狂気に満ちた甲高い声を張り上げる。アルラウネは彼女の様子を暫し黙って眺め、やがて黒い木の根を壁中に張り巡らせ始めた。



「……さっきからゴチャゴチャと……。キィキィ喚いてうるせえんだよ、たかが十三番目ハイレシスに飼われた毒蛇ペットの一匹が。私は今最高に虫の居所が悪いんだからさあ……黙って死んでくれないと──」


「……っ!」



 ──ドドドッ!


 突如、壁中に張り巡らされていた木の根がテディに向かって槍のように伸び、多方向から彼女の体を貫く。ブチブチと肉を引き裂いて木々が貫通し、テディは血反吐を吐いて動きを封じられた。



「アッ……がァ……ッ!」


「ほーら。串刺しにしちゃった」


「……く……そ……ッ」



 ごぽ、とおびただしい量の血が口や全身から流れ、地面を黒い血溜まりで染めて行く。息を上げ、憎らしげにアルラウネを睨むテディの顔面の皮膚はようやく再生し始めていた。じわじわと本来の顔を取り戻す彼女だが、四方八方から木の根に貫かれた体は頑丈に固定され、もはや脱皮によって逃げる事すらも叶わない。



「勝負ありね、クソビッチ」



 アルラウネは無情に吐き捨て、身動きの取れないテディの髪を掴み上げる。



「その首吹っ飛ばして、バラバラに踏み潰してやるよ」



 冷酷に言葉を紡ぎ、伸ばした木の根をテディの喉元に突き付けた。そのまま表情一つ変えずに彼女を貫かんとしたアルラウネだが──不意に、この期に及んでくつくつと笑い始めたテディに眉根を寄せる。



「……ふ……、ふふ、ふ……あは……あはァ……」


「……?」


「……アンタってェ……、確か、だったわよねェ……?」



 ──オ・ト・コ……♡


 そう呟いた瞬間、再生しかけていたテディの顔の形状が変形し始めた。更には、膨らみを帯びていた胸や身体付きまでも徐々に変化して行く。

 柔らかかった肌はやや筋肉質になり、肩まで伸びていた亜麻色のウェーブ掛かった髪も、耳の下辺りの長さまでバラバラと切れて落ちてしまった。


 やがてアルラウネは息を呑み、「ひっ……!」と顔面を蒼白に染めて弾かれたようにテディから離れる。ぞわぞわと全身に鳥肌が立ち、彼女は目を見開いてがくがくと震え始めた。


 彼女の前に現れたのは、もはやテディではない。

 ようやく皮膚を再生したその姿は──以前、テディと共に行動を共にしていた双子の弟──ベンジーそのものだったのだ。



「っひ、い、いやあああぁッ!!! 男無理ぃぃっ!!」



 アルラウネは涙目で絶叫し、テディを貫いていた木の根を引き抜いて逃げるように引っ込める。解放されたテディ──否、ベンジーは、床に倒れ込みながらもにたりと口角を上げ、血の滴る口元を拭ってふらふらと立ち上がった。



「……あはァ……ッ……、やっぱりぃ、男の姿苦手なのねぇ……? あはっ、まさか……この愚弟ぐていの姿が役に立つなんて……♡ あの時、ベンジーのクッソ不味い肉を喰って飲み下しといて正解だったわぁ……♡」


「……っ、く、喰って飲み下したぁ……!? 男の肉を……!? うえっ、キッッモ……! 正気じゃな……っおえ……」



 想像するだけで気分を害したのか、アルラウネは口元を押さえて嘔吐えずき始める。

 ベンジーの姿となったテディの容姿は、単なる擬態や変化の類ではない。同じ“魔女に造られた存在”である彼を喰らって体内に取り込んだ事で、完全にベンジーそのものに成り代わる事が出来ているのである。


 明らかに怯んだアルラウネの様子にベンジーは口角を上げ、べろりと舌を突き出して紅い眼を見開いた。



「クソブスカスのゴミ魔女が、調子に乗っちゃってムッカツク♡ よくも、繊細なテディの体を穴だらけにしてくれたわねえ……? あっは! 今度はベンジーが、アンタのこと追い詰めてあげるぅ……っ♡」


「……っう、……!」



 徐々に近付くベンジーからアルラウネは後退り、ガタガタと震えて唇を噛む。中身は女だと頭では理解しているが、声や見た目は完全に男体化しているため触れる事が出来ない。こうして顔を合わせているだけでも耐え難く、今にも指輪の中に逃げたくなる衝動を必死に抑えた。



(ここで逃げたらダメ……! セシリアは、私が守るの……!)



 アルラウネは奥歯を軋ませ、ベンジーを睨む。しかしやはり彼に触れる事は出来ず、試すように伸ばされた彼の手を「ひいっ!!」と無意識に避けてしまった。


 途端に、セシリアを守るべく張り巡らされていた木の根までも消え、彼女の元へと続く進路を遮る物が無くなってしまう。



「……っ!」


「あはっ、ラッキー! クソ魔女のだーいじなご主人様、ゲット〜♡」



 ニタァ、と不気味に笑い、ベンジーは倒れているセシリアの身体を強引に引っ張り上げて拘束した。アルラウネは「セシリア!!」と叫んだが、やはり相手が男では体が震えて動けない。



(くそ、くそっ、くそ!! 動け!! 早く動いてあの男をぶっ殺せよ私、ふざけんな!! ああ、くそ、私の可愛いセシリアに触んな、くそ、殺す、死ね!! 死ね死ね死ね!!)



 ぎりぎりと奥歯を軋ませ、憎しみを帯びた瞳がベンジーを映す。彼は放心状態のセシリアを捕まえ、左脚を黒い刃へと変貌させた。



「さーて、可愛い可愛いセシリアちゃん? クソ魔女が見てる前で、ベンジーが八つ裂きにしてあげましょうね~?」


「……っ」


「ギャハ、その顔サイッコー! もっと絶望しろよゴミ魔女ォ! アンタのご主人様、このままぐっちゃぐちゃにしてあげるゥ!」



 下卑た笑みを浮かべ、ベンジーはセシリアを床に投げ捨てると刃と化した脚を振り上げる。セシリアは微動だにせず、高々と振り上げられた刃を見ていた。



「グッバァイ、さよーなら♡」



 そして遂に、不敵な笑みと共に刃が振り下ろされる。


 ──しかし、その鋭利な切っ先が彼女の肌に到達する事はなかった。なぜならベンジーの片脚は、彼女の肌を貫く直前で、ぴたりとその動きを止めてしまったからで。



「……っ、!?」



 彼は大きく目を見開き、困惑した様子で「はァ!? 何で動かねーんだよ!!」と声を荒らげた。アルラウネは眉を顰め、突如動きを止めた彼を訝しむ。


 ベンジーの刃はセシリアの体を完全に捉えてはいるが、ぎりぎりと震えるばかりで、やはりいつまでも動かない。



「……!?」


「……クソ……ッ! ハア!? おい、ざっけんな!! 何で動かないわけ!? ホンットに使えないわね、この愚弟ぐていがァ!!」



 ベンジー──否、彼の体を動かしているテディは、苛立ちをあらわにして怒号を上げた。するとその直後、彼女の視界はぐにゃりと歪む。



「……っ、……」



 一瞬の立ちくらみに襲われながら、テディは何とか体勢を保った。チッ、とつい大きく舌打ちが漏れる。


 ──その刹那。彼女の耳には、声が届いた。



『……テディ……』


「……、……」



 ──は? と、テディの目が見開かれる。彼女の鼓膜を確かに震わせたのは、、彼の声だった。



「……ベン、ジー……?」



 そう呼び掛けた瞬間、動かない左脚が誰かの手に掴まれる。手のひらを刃に食い込ませ、黒い血を滴らせながら、皮膚が剥がれ落ちた赤黒い腕がじわじわと刃を伝って彼女に迫った。



「……っひ……!?」



 テディは戦慄し、振り払おうと脚に力を込める。しかしやはりそれは動かず、やがて『セシリアに触るな……』と囁く声と共に、彼女の背後からも皮膚の剥がれた手が伸びて彼女の首を締め付けた。



「……ぐ、……う、……何、何なの……!?」


『……テディ……』


「ひ、」


『テディ……どうして……僕をべたの……』



 耳元で囁く、彼の声。己が殺して飲み下したはずの愚弟の声に、テディは顔を青ざめて後ずさった。

 どこからともなく現れた無数の手は、じわじわとテディへと伸びて迫ってくる。彼女はそれを手で振り払い、「来るな!」「やめろ!!」と怒鳴り始めた。


 そんな彼女の様子を、アルラウネは怪訝な表情で見つめる。なぜならテディは、、一人で怒鳴っているのだから。



「……何してんの? アイツ……」



 テディは気でも狂ったかのように、誰もいない場所に向かってひたすら「来るな!!」と怒鳴り散らしている。幻覚でも見ているのだろうか、と首を捻りつつ、アルラウネは今のうちにと、ようやくテディの隙をついて倒れているセシリアを奪い返した。


 何かに怯えるテディは、相変わらず虚空を睨みながら一人で怒鳴り続ける。



「来るな! 来るなよ!!」


『テディ……僕を喰ったんだろ……馬鹿な姉……僕の片割れ……』


「黙れ! お前もう死んだんだろうがッ! 黙って消えろよ!!」


『テディ……ねえ、テディ……僕の目を見ろよ……』


「黙っ──」


『僕の姿が見えるんだろ?』



 はあ、はあ、とテディは息を荒らげ、顔を青ざめる。違う、違う、そんなわけない。コイツベンジーは死んだ。わたしテディが喰らった。だから彼の姿なんて、見えるはずがない。


 見える、はずが……。



「……はあっ、……はあ……っ」



 頭の中で、テディ、と何度も呼ぶ声がする。愚かな弟の声だ。人間なんかに憧れた、愚鈍な、哀れな弟の。


 テディは耳を塞ぎ、血走った眼球をギョロリと動かして乱れた呼吸を繰り返した。見えるはずがない。もう、アイツはこの世に居ない。だからこの場に、居るはずがないんだ。


 そう自分に言い聞かせ、彼女は床に広がる血溜まりを見下ろす。しかし、その赤黒い血溜まりの中には──愚弟ベンジーの姿と化した、テディの顔が映っていた。



「……ベン……ジー……」



 血溜まりの中に映る彼の口元が、にたりと弧を描いて自分を見る。



『ほーら、見つけた』



 そんな不気味な声と共に、血溜まりの中から飛び出した無数の腕がテディの首に絡み付いた。赤黒く染まる手が細い首を絞め付け、鋭利な指先が喉元に食い込む。


 広がる血溜まりに映し出されたベンジーはずぶりとそこから這い出し、亡霊さながらの様相でテディへと近付いた。



『ねえ、テディ、』



 やめろ。



『僕、お腹が空いたんだ、』



 こっちに来るな。



『今度は僕が、』



 ──お前を、喰ってやるよ。


 そう告げ、揺らめく亡霊の口ががぱりと開く。テディは目を見開き、得体の知れない恐怖に苛まれながら狂ったかのように悲鳴を発した。



「いやあァァあああッ!!!」



 彼女は取り乱して絶叫し、それまで“ベンジー”を模していた顔を咄嗟に本来の“テディ”の姿へと戻した。するとそれまで彼女の目に映っていた、愚弟の亡霊が姿を消す。


 息を荒らげ、我に返ったテディの視界はようやく鮮明な彩りを取り戻した。しかし彼女の目の前には、テディがベンジーの姿を放棄した事で再び戦闘態勢に入ったアルラウネが迫っていて。


 ──ドゴッ!



「あぐっ……!」



 腹部を蹴り飛ばされ、テディは脚をもつれさせて真後ろに倒れる。アルラウネはすかさずパチンと指を鳴らし、倒れたテディの四肢を黒い木の根で拘束した。



「う……くっ……!」


「……なーんかよく分かんないけど、一人で勝手に暴れて、女に戻ってくれて助かったわ」


「……っ、黙れ、黙れ黙れ!! 十二番目最下等のゴミ魔女の分際で……!」



 テディは赤い瞳を血走らせ、アルラウネを睨み付ける。アルラウネは若草色の髪を掻き上げ、憐れむような眼差しをテディに向けた。



「そうね、十二番目最下等のゴミで結構よ。……でも、テメェ如きにける理由は一つもない」



 アルラウネはサンダルの底でテディの頭を踏み付け、絶対零度の冷たい瞳で彼女を見下ろす。ズズ、と地面を突き破って現れる無数の木の根。それらを構え、アルラウネはやはり冷たく、彼女に告げた。



「──だってテメェは、十三番目もっと下だろうが」



 その言葉を最後に、アルラウネは鋭利な木の根でテディの首を貫く。悲鳴を上げる間もなく彼女の首は引き裂かれ、切り離された頭部は、先程の宣言通りにアルラウネの踵が容易く踏み砕いた。

 直後、絶命したテディの身体は、霧のような細かい粒子に変化して消えて行く。


 暗い空間が沈黙で満たされた頃、アルラウネはフン、と不機嫌そうに鼻を鳴らした。



「……ほんと、馬鹿よね。本物の魔女に如きが太刀打ちしようだなんて、思い上がりも甚だしいんだよ」



 ペッ、と唾を吐き捨てたアルラウネは血溜まりを蹴り、倒れているセシリアの元へと一直線に駆け寄る。すると彼女の態度はころりと一変、瞳に涙を浮かべてセシリアの体を抱き締めた。



「うわぁーーんっ、セシリアぁ〜!! ごめんね、ほんとにごめんね! 怖かったよね! 痛い思いさせてごめんね……! セシリアの事を傷付けるクソビッチは、私がぶっ殺しておいたからね! 大丈夫、私がセシリアを守ってあげるよ!! もう安心して!!」



 早口で捲し立て、アルラウネはセシリアを抱き上げる。しかしセシリアからの反応は無く、アルラウネは悔しげに歯噛みした。



(……チッ……。あのクソ蛇アルマに、穢らわしい“闇属性の体液”を流し込まれたせいで……軽く中毒症状を起こしてる……)



 闇魔法で造られた毒蛇達が光属性の魔力に弱いように、体自体が純粋な光属性であるセシリアもまた、闇属性の魔力に弱い。先程アルマから体内に闇属性の体液を注ぎ込まれた事で、体が拒絶反応を起こし、放心状態になってしまっているようだった。


 目は虚ろにどこか遠くを見つめ、呼び掛けにも反応はない。煙草を押し付けられた火傷痕や傷痕も未だに癒えず、彼女の治癒能力が低下している事も明らかだった。



(……ひとまず、体を洗い流して、服を着替えさせないと……)



 衣服を引き裂かれ、もはや裸同然の姿となっている彼女を凍えぬように抱き寄せる。アルラウネは立ち上がり、閉め切られた扉を木の根で強引に破壊してこじ開けた。緩んだ戸を蹴り飛ばし、彼女はセシリアを抱えて外へと飛び出す。



「……確か、クソビッチテディの部屋が、この部屋の正面だって言ってたわよね……」



 数十分前、テディがセシリアを甚振ろうとした際、彼女は「この部屋の向かいにある私の部屋まで悲鳴が聞こえていた」とのたまっていた。それを覚えていたアルラウネは、真正面にある部屋の扉を豪快に蹴り開けて中へと入室する。

 蹴り飛ばしたせいで些か歪んでしまった扉を強引に押し込んで閉め、ドレスやぬいぐるみ、ファンシーな小物で彩られた部屋のベッドにゆっくりと傷付いたセシリアを降ろした。やがてアルラウネはクローゼットや棚を手当たり次第に開き、セシリアの着替えを見繕い始める。



「……大丈夫よ、セシリア。今は苦しいだろうけど、もう少しできっと、あなたのが来るから」


「……」


「私、感じるの。近くにドグマ姉様と、アウロラ姉様の気配があるわ。きっとあのドブネズミが、セシリアを迎えに来たのよ」



 クローゼットの中身を漁りながら、アルラウネは一瞬拗ねたように唇を尖らせる。「ほんとはあのクソドブネズミにも、セシリアに触って欲しくないんだけど……」と小声で付け加えながら、彼女は虚ろな瞳で倒れ伏すセシリアへ向き直ると彼女の柔い髪を撫でた。



「……あなたが望むのは、彼だけなんでしょう?」


「……」


「……大丈夫。私が必ず、セシリアをあのドブネズミの所まで連れて行くわ。絶対に」



 アルラウネは微笑み、未だに放心状態のセシリアのひたいに口付けを落とす。「元気になるおまじないよ。ドブネズミの受け売りだけど」と続けた彼女は、再び棚の引き出しを開け始めた。



「……何でか、分からないんだけどね、」



 ──アイツトキなら、セシリアの運命に抗ってくれる気がするの。


 アルラウネは小さな声で呟き、強い決意を秘めた目で虚空を睨みながら、「だから私も、自分と戦うわ」と力強く宣言した。




 * * *




 一方、その頃。


 トキとロビンは「おそらくここなら城内に通じているだろう」と鉄柵をこじ開けて地下へと潜り、下水道を通ってカルラディア城への侵入を試行していた。すると彼らの目論見通り、地下を進んだ先に城内へと繋がる梯子はしごが現れる。



「……ここから上がれそうだな」


「早く出ようぜ、トキぃ……。ここクセーし寒いし、マジでもう無理……」


「チッ、忍耐力ねえな筋肉ゴリラのくせに」


「筋肉と悪臭の耐性は関係ねーだろ〜……? ってか、逆に何で平気なのお前……」


「俺はもっと酷い街に住んでたんだよ」



 あの街よりはマシだ、とトキは嘆息し、カビの生えた梯子を淡々と登って行く。ロビンは鼻を摘んだまま瞳を潤ませ、「お前、苦労したんだなあ……」としみじみ呟いていた。あー、暑苦しい……、とトキはげんなりしつつ、彼を無視して梯子を登る。


 やがて頂上までたどり着いたトキは、どこに繋がっているとも知れない鉄製の蓋を慎重に持ち上げた。注意深く辺りを見渡すが、どうやら人の気配は無い。



「……よし、大丈夫そうだな」


「トキぃ~……早く出て~……。俺、もう鼻曲がりそう……」


「チッ、うるせえ……」



 急かすロビンに苛立ちながら、トキは物音一つ立てず迅速に蓋をズラして地下から出た。……その一方で、ロビンはガシャガシャと慌ただしく音を発しながら這い出て来る。トキは眉間を寄せ、頭を抱えた。



「……、お前な……」


「はー、空気がうまいぜ!」


「あーっ! もうテメェうるせえんだよ、いちいち! 声のボリューム落とせ、このクソゴリラ!!」


「今のトキが一番声デケェけど」



 何の悪気もないであろうロビンの顔面に一発重たい拳をぶち込みたいトキであったが、ブチ切れそうな怒りに何とか耐えて踏みとどまる。「お前ほんとにいい加減にしろよ……」と額を押さえ、彼は自身を落ち着かせると改めて周囲を見渡した。



「……ここは……何だ? どこかの通路か」


「うへえ、悪趣味な装飾だな」



 壁を見上げたロビンが呟き、頬を引き攣らせる。確かに彼の言う通り、薄暗い通路の壁には動物の剥製や不気味な絵画が飾られ、一層不穏な空気感を醸し出していた。彼に同調する事には抵抗がありつつも、概ね同意だな、とトキは頷く。



「……とりあえず、この先に進むか」


「おっし! 最優先はセシリアの救出、そんでトキの呪いを解く事だな!」


「……俺の呪いの事なんか考えなくていい。セシリアの救出が何より最優先だ」


「いやん、トキくんかっこい……俺ドキドキしちゃう……」


「……」


「アッ、待って! 置いて行かないで! ココめっちゃ怖い!!」



 相も変わらず楽観的なロビンを無視しつつ、二人は慎重に廊下を進み始める。

 そんな中、トキは首元を覆うストールをずらし、その下に隠された呪印にそっと自身の手を触れた。一瞬目を伏せ、彼は暫し考え込む。



(……魔女の元には辿り着いたが、この呪いが解ける確証は、どこにもない)



 ──魔女に呪いを掛けられた、あの日。


『その呪いを解くことが出来たら、貴方の勝ちよ』


 イデアがトキに告げたのは、ただそれだけだ。呪いを解く方法を具体的に提示されたわけではない。


 そもそも、イデアはトキが生きているとすらも思っていないだろう。あの日、彼は呪いによって死んでいるはずだったのだ。彼女から差し向けられたのは、九割九分、魔女が一人勝ちするためだけに設けられた理不尽なゲーム。


 しかし、その僅かな勝利への可能性を、彼はセシリアによって繋ぎ止められた。そして、ようやくここまで辿り着いたのだ。


 けれど。



(……もし、俺の呪いが、解けなかったら……)



 そう考えると、途端に不安が胸を覆う。呪いが解けなかった、その時──二人の旅は、一体どうなってしまうのだろうか。


 セシリアがアルタナの寿命を使い果たして朽ちる時、おそらくトキの命も共に砕け散る事になるだろう。

 だが、彼女と共に死んだとしても、彼女と同じ場所には逝けない。アルタナである彼女は、暗い闇の中に堕ちて、二度と会う事は叶わないのだから。


 例え此処からセシリアを救い出して、共に逃げ出したとしても──それで? その後、二人はどこへ行けばいい? どこまで逃げれば、彼女を幸せにしてやれるんだ?



(……馬鹿だな。そんなの、考えなくても分かってるだろ)



 彼女を幸せにする方法なんか、どこにもない事ぐらい──本当はもう、痛いほどに分かっているんだ。


 トキは考え込み、首に下げた彼女の女神の涙ラクリマを握り締める。冷たいその宝石は、トキの手の中で美しく輝いていた。



 と、その時。


 不意に背後から感じた殺気を、トキとロビンは瞬時に察知する。彼らは目を見開き、その場からすぐさま飛び退いた。



 ──ジャキンッ!



「……っ!」



 鋭い銀の刃が、はさみのように交差して二人の居た場所で空を切った。彼らがそれを寸前で躱した直後、暗闇の中から響いたのはくすくすと笑う楽しげな声。



「あっれぇ〜、惜っしいな〜。バレないよーに近付いたつもりだったのにぃ」



 コツ、コツ、コツ。


 響く足音と、暗闇に浮かぶ微笑み。

 二人が武器を取って見据えた視線の先からは、銀色の髪をツインテールに結い上げた黒いドレスの少女が現れる。「子供……!?」とロビンが驚いた声を発する中、ホットドッグを齧りながら近付いてきた彼女はニタリと笑い、真っ赤な双眸でトキとロビンを見据えた。



「はーい、侵入者、はっけ〜ん! というわけで! 哀れな人間くん達にはぁ、退屈してるボクの遊び相手になって貰いまぁーす!」



 満面の笑みで宣言し、彼女──エドナは、口元についたケチャップをぺろりと舌先で舐め取ったのであった。




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