第93話 最初からその手の中

 1




「……マドック」



 トキは彼の背を見つめ、ぽつりとその名を呟く。金の髪が懐かしい風に靡く中、アルマはあざけるように笑ってマドックを睨んだ。



「……ハッ。あのガキの保護者だァ? 笑わせるねえ。アイツの仲間が蛇に飲み込まれて行くのを、部屋の隅で黙って見て見ぬふりしてやがったくせに」


「……」


「今更ノコノコ出て来て何が出来るってんだ、お師匠さん。メソメソしてやがるガキトキを、火の玉ドグマと一緒に慰めに来たのか」



 くく、とアルマはトキを一瞥しながら挑発的に笑う。トキは奥歯を噛み締めて彼を睨んだが、彼が声を発するよりも先に青い炎が大きな火柱を立てて燃え上がった。


 アルマは眉を顰め、目の前に立つ青髪の美女を見据える。



「……あまり調子に乗るでないぞ。たかだか〈十三番目ハイレシス〉の玩弄物がんろうぶつ風情が」


「……」


「我は偉大なる〈三番目ドゥリ〉の古代魔女、ドグマ。貴様のような虫ケラなど、相手にする価値もない」



 人型の姿を取り戻した彼女──ドグマは、大きく燃え盛る青い火炎を自在に操り、部屋のあちこちに火柱を燃え上がらせる。部屋が灼熱の空気に包まれる中、アルマは「おいおい魔女様、この宿ごと燃やす気か? 大事なご主人様も燃えちまうぜ」と肩を竦めた。


 臆する様子もないアルマの挑発的な態度に目を細めたドグマは、長い髪を掻き上げると鼻で笑う。



「いつまで自分が優位に立っていると思っておるのだ、このたわけ」


「……あ?」


「所詮、貴様はただの玩弄品。この部屋に足を踏み入れた時には既に、貴様は我があるじてのひらの上よ」



 ドグマがそう告げた瞬間、炎に包まれていた宿の殺風景な一室が、さながらパズルのピースが崩れるかのようにバラバラと別の形へと変貌して行く。その光景にアルマは目を見開いて息を呑んだ。まさか──と彼が訝った頃、閑散としていた宿は色とりどりの花が咲き誇る草原へと姿を変える。


 懐かしい風の吹くその草原は、トキのよく知る丘の上の風景に酷似していた。彼が目を見開いて言葉を詰まらせる傍ら、アルマは忌々しげに眉根を寄せる。



「……チッ、アウロラの魔法か……!」



 マドックの指で光る銅の指輪を睨み、アルマは舌を打った。


 ──〈六番目ゼクス〉の魔女、アウロラ。“夢の指輪”と称される事もある彼女のは、その名の通り〈夢〉を操る。簡単に言えば、を生成する事が出来るのだ。


 つまり、今、彼らのいる場所は──



「──ここは、アウロラの創り出した


「……」


「貴様はこの部屋に足を踏み入れたその時から、我らの術中に居た。つまり、貴様の言う“蛇地獄”とやらに飲み込まれた小娘セシリアゴリラロビンアデルも、」



 パチン。


 ひとつドグマが指を打ち鳴らした瞬間、大きく山を作っていた黒い蛇の群れが花弁になって消える。淡い色の花弁が舞う中に、先程蛇に飲み込まれたセシリアとロビン、そしてアデルがぐったりと横たわっていた。



「──この通り、無事だ」


「セシリア! アデル!」


「プギー!!」



 トキはステラと共に声を張り上げ、ようやく痛みの和らいだ体を起こしてセシリアとアデルの元へ駆け寄る。少し離れた場所でふらふらと上体を持ち上げたロビンは「俺の事も心配して~……」と力無くこぼしていた。


 そんな彼らの姿を憎らしげに見据えた後、アルマはドグマを睨む。



「……俺の空間転移魔法の経路を遮断したのか……」


「フン。闇魔法で創り出した蛇に飲み込ませ、あの娘をさらうつもりだったんだろうが……我らの主マドックの方が一枚上手だったな。最初から貴様の転移魔法は作用していない」


「……へえ。なかなか賢いだな」



 アルマは低く呟き、狂気を孕んだ視線をマドックに移した。と、丁度その頃、彼らの頭上では「ふあ〜ぁ」と何とも間の抜けた声が放たれる。


 穏やかな風の吹く草原の上空に浮かぶのは、ふわふわと揺れる薄桃色の髪。


 彼女を視界に映したアルマは更に舌打ちし、トキはセシリアの体を支えながら目を見張った。薄桃色の髪の女は眠たげに目を擦り、寝起きさながらの声をのんびりと発する。



「ふあ〜……ねむねむ……とーっても眠いですう。もうそろそろ終わりましたぁ〜? ドグマ姉様〜」


「まだ終わっとらんわ、この腑抜け。さっさとその年中寝惚けた愚頭を叩き起こせ、消し炭にするぞ」


「ふえ~ん、姉様怖いですぅ……むにゃむにゃ……でも眠いんですも〜ん……」



 プカプカと空中を浮遊する彼女は大きく欠伸をこぼし、ぐでんと怠けている。ドグマが「やれやれ……」と肩を竦める中、トキは彼女が何者なのか何となく察しがついていた。



(……〈六番目ゼクス〉の魔女、アウロラ……)



 彼女もまた、古代の王・カルラによって創り出された十二人の魔女の一人である。


 どうやら彼女の能力により、トキを含めた全員がアウロラの創り出した〈架空の世界〉へといざなわれてしまったらしい。


 懐かしい風景と穏やかな風は、幼い頃に彼がよく泣きじゃくっていた丘の上そのものだった。目を細めるトキの足元では、トーキットとジュリエットの花が仲睦まじく揺れている。



「……う……」


「……!」



 その時ふと、腕の中のセシリアがくぐもった声を上げた。トキは視線を落とし「セシリア、」と彼女に呼び掛ける。セシリアは薄く目を開き、トキを見つめた。



「……、トキ、さん……? あれ、私……どうして……」


「……っ、セシリア……」


「きゃっ……!」



 突如強い力で抱き寄せられ、セシリアは瞳を瞬いた。「良かった……」と耳元で弱々しく発せられた声に、彼女は戸惑いながらもやがて微笑む。



「……あの……ごめんなさい。心配かけちゃいましたね……」


「……」


「……それにしても、ここは一体……」


「──ああ、無事か、アンタ」


「!」



 不意にマドックの声が届き、セシリアは顔を上げた。彼の蒼碧そうへきの瞳と目が合った彼女は、マドックを見つめたまま暫し硬直する。


 風に揺れる、自分と同じ金の髪。

 こちらを見つめる、無表情ながらも優しい視線。


 その眼が、声が。

 未だに塞がれたまま開かない、己の記憶の蓋を揺らす。



 ──ドルチェ。



 彼女の本当の名を呼び掛けるその声が、セシリアの脳裏に優しく響いた。



「……わたし……」


「……」


「……貴方の事、知ってる……」



 ぽつりと呟けば、マドックの瞳が一瞬切なげに細められる。些かの間を置いて動いた彼の口は、「……気の所為だろ」と微かな声で言葉を紡いだ。


 するとそんな二人の会話を遮るように、牙を剥き出した黒蛇がその場に現れる。蛇は敵意を露わにし、トキとセシリアの元へ迫った。



「──!!」



 ハッ、と二人は目を見張る。しかし迫る蛇の毒牙が彼らに到達するよりも早く、二人の周囲には青い炎の壁が形成され、黒蛇達を一瞬で黒い灰へと変えてしまった。


 続いて、聞き慣れた怒鳴り声がトキの鼓膜をびりびりと震わす。



「何をボーッとしとるのだ、この小童こわっぱがァ!! 惚れた女ぐらい一人で守れ、戯け!!」


「……っ!」



 彼に怒号を投げつけたのは、言わずもがなドグマだった。普段とは違う“人型”の姿で怒鳴られ、思わずトキは狼狽うろたえる。


 その反応も気に入らないのか、ドグマの怒りは更に燃え上がった。



「返事ぐらいしろ、このクソガキがァ!! ふんっ! 全くいつまで経ってもおんぶにだっこで甘え癖の治らん奴だな! いつになったら負ぶさった師の背中から降りられるのだ貴様は!? グチグチと文句だけは一丁前にのたまいおって! いい加減に少しはまともに考えて戦えるようになれ! 頭に血が上ると後先考えずに突っ込む癖は治せと何度言ったら分かる!? そんなんだから貴様はいつまでも半人前で戯け者で要領の悪い──」


「説教はその辺にしておけ、ドグマ」



 堰を切ったように喚き出したドグマを溜息混じりにマドックが止める。ドグマはギロリとマドックを睨み付け、「貴様もそうやってすぐにこの小僧を甘やかすな!!」と更に激昂した。


 相変わらず無表情にその言葉を聞き入れる彼の背中では、アウロラが隠れて「ふえ〜ん! ドグマ姉様、やっぱり怖いですぅ……」と瞳に涙を浮かべている。アウロラの行動にもドグマは苛立った様子だったが──不意に視界を黒い影が横切り、彼女は目付きを鋭く吊り上げて手のひらをかざした。


 するとたちまち炎が燃え上がり、野の花と共に蛇の群れを焼き尽くす。



「……茶番はそこまでにしてくれよ。“同族”の仲良しごっこに付き合うのも退屈なんでな」



 アルマは言いながら煙草を咥え、ドグマに敵意の眼を向けた。一方でドグマは「……“同族”だと……?」と更に青筋を浮き立たせ、彼を睨む。


 その瞬間、アルマの周囲を青い炎の壁が包囲して燃え盛った。



「……っ」


「……偉大な魔女である我と、貴様のような下等なまがい物を一緒にするでない」



 燃える炎の合間で、マーメイドラインの青いドレスが煌めいて揺れる。切れ長の瞳はアルマを鋭く睨み付け、更に炎を燃え上がらせた。



「我らは古代の王──カルラによって生命を与えられし十二の魔女。この世界を創った偉大なる王と女神、そして我が遺品のあるじである者以外の無礼は断じてゆるさぬ」


「……」


「貴様のような“異端の十三番目ハイレシス”の絞りカスと一緒にするなよ、戯け者。イデアアレは我ら古代魔女の仲間などではない」



 青く燃え盛る火炎は程なくして一つに寄せ固まり、何らかの形を作り上げて行く。円を描くように旋回する炎は、やがて大きな龍の姿となり、アルマを囲うように燃えて牙を剥いた。



「──アレはただの、哀れな毒蛇だ」



 刹那、龍の姿に形成された炎が流線型を描きながらアルマの元へと迫る。大気を灼熱の火炎で熱し、丘に咲く草花を灰に変える炎龍を睨んだアルマは、舌打ちを放つと巨大な黒蛇をその場に出現させた。


 大きく口を開いた大蛇は炎を飲み込もうと身構える。しかし、灼熱の炎龍は瞬く間に大蛇を覆うといとも容易くその身を炎で焼き尽くす。



「クソが……!」



 恨めしげに声を発し、アルマは己の体を無数の蛇で包み込むと自身の周りを囲っている炎の中へと即座に飛び込んだ。間一髪で炎龍の猛攻を避け、彼はジリジリと肌を焼く炎に歯噛みしながら地面を転がる。



「熱ッちィな、畜生……!」



 アルマは炎の海を脱し、前方に手をかざすとドグマに向けて漆黒の球体を形成して放った。しかし彼女に辿り着く前に、どこからともなくふわりと飛んできたアウロラが、闇魔法によって形成されたそれを七色に輝く泡で包んで消滅させてしまう。


 ぷかぷかと宙に浮かび、「はわ〜、ドグマ姉様に当たったら大変ですぅ〜、むにゃむにゃ……」と寝ぼけ眼を擦っているアウロラに、アルマは苦く表情を歪めた。



(……チッ……、さすがに古代魔女二人を相手取るのはキツいな……)



 ただでさえ好戦的なドグマの相手は骨が折れるというのに、アウロラの創り出した異次元内で戦うとなれば相当に分が悪い。


 だが、それ以上に。



(……あの男……、〈魔女の遺品グラン・マグリア〉を二つも扱っている上、実体化までさせてるってのに平然としてやがる……。冗談だろ、化け物か……!?)



 アルマはマドックを見据え、じわりと汗を滲ませた。本来、〈魔女の遺品グラン・マグリア〉は人が扱えるような代物ではない。


 事実、トキはドグマを実体化させる事すら出来ず、その力もほとんど使いこなせていなかった。まともに扱えば人間の魔力などほんの数分で吸い尽くしてしまうような、危険な代物なのだ。


 しかし件のマドックは、二つの遺品を同時に扱いながらも、表情一つ変わっていない。



(……アイツ、何者だ……。本当に人間か……?)



 アルマは訝り、眉を顰める。


 いずれにせよ、彼の持つ指輪をどうにかしなければドグマとアウロラを撃退する事は到底不可能。そう悟り、彼は標的をマドックへと移した。



(先に、あの男をどうにかしねーとな……)



 ──少し早いが使っちまうか。


 ふと喉を鳴らした彼は、自身の懐から大粒のを取り出す。アルマは不敵に口角を上げ、マドックの目を見つめた。


 彼の行動に逸早く気が付いたトキは、ハッと目を見開いて声を張り上げる。



「──待てマドック!! アイツの宝石を見るな!!」


「……!」


「もう遅いぜ、なァ?」



 にたりと口元に弧を描き、アルマは青い輝きを放つ宝石、“女神の涙”を掲げる。その光を視界に入れた瞬間、マドックの身体はぴたりと硬直して動かなくなってしまった。


 ──女神の涙の光に魅了された者は、宝石を持つ者の意思に逆らえない。


 過去に二度もその光景を目の当たりにしているトキは、あの宝石の恐ろしさをよく知っている。



「まずい……っ! ドグマ!!」



 トキは焦燥した様子で叫んだ。するとドグマは「分かっておる!」と怒鳴り、燃え盛る火炎を纏いながらアルマへと駆け出す。


 だが、やはり一歩遅かった。



「残念。アンタらはここで退場だ、偉大な魔女様」


「……っ」


「また煙草の火が足りなくなったら、付けに来てくれよ」



 くく、とアルマは狂気に満ちた瞳を細め、手の中にある“女神の涙”を撫でる。刹那、宝石の光に操られたマドックは自身の指から〈魔女の遺品グラン・マグリア〉を引き抜いて投げ捨てた。


 からん、と指輪が地に落ち、ドグマは苦く表情を歪める。



「しまっ──」



 ──ぷつん。


 彼女が言葉を言い切る前に、ドグマとアウロラの姿はその場から消え去った。同時にアウロラの創り出した異空間も歪んで崩れ出し、やがて元の閑散とした宿の中へと景色が戻る。


 床に落とされた指輪は、もう何の光も発していない。



「……っ、ドグマ……!」


「あーあ、残念だったなァ、トキ。セシルやウェンディみたいな“その地を守護する”普通の〈魔女の遺品グラン・マグリア〉と違って、指輪になった三人はが居ないとその力を発揮出来ない。アルラウネの時みたいに、魔力を与えて暴走させりゃ話は違ェがなァ」


「……っ」


「つまり持ち主から切り離された今、あの指輪はただのガラクタだ」



 楽しげにアルマは笑い、咥えた煙草に火をつける。トキは憎しみを帯びた目で彼を睨んだが──先程女神の涙の光を浴びているトキは勿論、セシリアやロビンもまた、体が硬直して動かなかった。



(……くそっ、動け……! 動けよ……!)



 奥歯を噛み、力を篭める。しかしやはり、指先の一本すらも動かす事が出来ない。


 アルマは楽しげに煙草の煙を吐き、カツカツとマドックと元へ近付いて行く。



「……さて。色々と世話になったなァ、お師匠さんとやら。さっきまでの礼をしてやろうか、可愛い愛弟子の目の前で」


「……っ!」



 アルマは不敵に笑い、抵抗出来ないマドックの髪を鷲掴んだ。トキはゾッと背筋を凍らせ、アルマに向かって怒鳴る。



「ざっけんなテメェ! マドックから離れろ!」



 トキは叫ぶが、アルマは歪な笑みを浮かべるばかり。そのまま掴んでいる髪を引き、彼はマドックの頬を殴り付けた。



「……!!」


「さーて、綺麗な顔がどれだけ変形するか見物だな」



 アルマは更にマドックの胸ぐらを掴み上げ、無抵抗の彼を更に殴打する。セシリアは「やめて!」と悲痛に叫んだが、無視して殴打は続いた。トキとロビンは額に青筋を浮き立たせ、駆け出そうと宝石の光に抗うが──何度試みても体は動かず、歯痒さばかりが募って行く。



「無様だなァ、トキ」


「……っ」


「俺、あの時お前に言っただろ。『女神の涙を手に入れて、俺を殺しに来い』って」



 嘲るように告げるアルマに、トキは悔しげに奥歯を軋ませた。


 ──十二年前、彼に崖から突き落とされたあの日。彼は確かにそう言った。



『“女神の涙”の光を相殺し、対抗出来るのは──同じ“女神の涙”の光だけだ』


『“女神の涙”を手に入れて、俺を殺しに来い。待ってるぜ、弟分よ』



 その言葉を最後に、トキはあの丘から突き落とされた。

 そしてディラシナに流れ着き、マドックに拾われ、彼が居なくなって──ただ一人、孤独に“女神の涙”を探し続けて来たのだ。


 しかし結局、彼の探し求めた宝石は、最後まで手に入らなかった。



「──お前は“女神の涙”を手に入れられなかった。って事はつまり、お前が俺を殺す事はもう叶わない」


「……アルマ……っ」


「弱いだけのガキは黙って、そこで自分の師が甚振いたぶられるのを見てろ」



 アルマは吐き捨て、楽しげに喉を鳴らす。

 しかし、不意に「ふっ……」と呆れたような嘲笑がその場に響いた事で、彼の表情からは笑顔が消えた。


 アルマはふと視線を下げ、赤い双眸でじろりとマドックを睨む。



「……あ? 何がおかしい? 殴られて頭おかしくなっちまったか、お師匠さんよ」


「……いや。アンタ、こいつの兄貴分なんだって? ……それにしちゃ、何もこいつの事分かっちゃいねえんだな」


「……あァ?」


「こいつはなァ、バカで、手癖も態度も悪くて……人の言う事なんざ、ちっとも聞きやしねェクソガキなんだ」



 唯一動く眼球が、ちらりとトキの顔を一瞥する。視線が交わり、トキは息を呑んだ。



「……アイツがアンタを殺すために生きて来たってんなら、宝石やら魔女の遺品やら、そんなもん無くても、アイツは必ずアンタを殺しに行く。……そんな事も分かんねーのか?」


「……」


「“女神の涙を手に入れて俺を殺しに来い”って? そんなもん、アイツが素直に言う事聞くわけねェだろ。そんな行儀の良い弟子じゃねーんだよ、アイツは」



 マドックは淡々と告げ、再びアルマに冷たい視線を向けた。アルマは声を詰まらせ、マドックの胸ぐらを掴む手に汗を滲ませる。


 何故だか分からないが──その瞳に、畏怖にも似た得体の知れない感情を覚えた。アルマは眉を顰め、彼の腹部を豪快に蹴り飛ばして壁へと叩き付ける。ガン! と背中を打ち付けた彼はその場に倒れたが、やはり冷たい眼がアルマを睨み続けていた。



「……気色悪ィ……」



 アルマはぼそりと呟き、赤眼せきがんを細めて“女神の涙”を翳す。すると倒れていたマドックの体はひとりでに動き始め、薄紫色の宝石が埋め込まれた短剣を掴んだ。



「気色悪ィんだよ、テメェ……! 遊びは終わりだ、さっさと死ね……!」


「──マドック!!」



 宝石に操られたマドックの手は勝手に動き、トキの短剣を自身の喉元に突き付ける。トキは声を張り上げ、血走った目でアルマを睨み付けた。



「ふざけんな!! やめろアルマ!!」


「黙ってろクソガキ。テメェの師が無様に死ぬとこ見せてやるよ」



 アルマは口元を歪め、更に手元の宝石を光らせる。美しい青い輝きの側面にマドックが映り込み、トキの心臓がどくりと嫌な鼓動を刻み始めた。


 鋭い切っ先が、マドックの喉へと迫る。


 ごめんね、と微笑んで首を切った姉の姿が。

 涙を落として血飛沫に染まるセシリアの顔が。


 次々と、彼の脳裏に雪崩込む。



「……マドッ、ク……」



 美しく輝く、青い宝石の光。

 明確な死を目の前にしながら、相も変わらず表情一つ変わらない己の師は、ふとトキの顔を一瞥して口を開いた。


 程なくして紡がれたその言葉を、彼はよく知っている。




「──悪いな、トキ」




 ──ごめんね、トキ。


 それは十二年前に死んだ、最愛の姉の、最期の言葉と同じだった。


 ……ああ、また、俺は、



(──見てる事しか、出来ないのか……?)



 彼が表情を歪めた、刹那。


 ついにマドックの手に握られた短剣が、彼の喉元を目掛け、勢い良く振り下ろされ──




「やめてッ!!!」




 ──ようとした、その時。


 彼の手は、突如ぴたりと動きを止める。

 剣先が今まさにマドックの喉を貫く、という直前で、悲痛に響いたのはセシリアの叫び声だった。


 彼女の喉から発せられた悲鳴にも似たその声が轟いた瞬間、その場に突如ほとばしったのは青い閃光。


 キィン、と波紋が広がるように閃いた光は、トキやマドック、ロビンの体を瞬く間に包み込む。すると不思議な事に、それまで一切身動きの取れなかった体に自由が戻った。



「……っ!?」



 アルマは目を見開き、驚愕した様子で声を詰まらせる。

 続いて、有り得ない、と彼はか細く呟いた。



(……“女神の涙”の力が……されただと……!?)



 すぐさま手元の“女神の涙”を見下ろす。しかしやはり、その宝石の光は消え失せていた。



(……そ、そんなバカな……冗談だろ!? “女神の涙”の力は、同じ“女神の涙”の光でしか相殺されないはず……!)



 そう考え、アルマが当惑していると──不意に、彼の視界にふっと暗い影が落ちる。弾かれたように振り返れば、目の前には既にトキの拳が迫っていた。


 ──バキィ!!



「……っぐ……!」



 重くめり込んだ一撃でアルマの体が大きく傾く。その隙にトキは更に距離を詰め、その横っ面を殴打すると彼の腹部を全力で蹴り飛ばした。


 アルマはついに床に倒れ、衝撃によって弾き飛ばされたのか、その懐からは青い宝石の粒がカランとこぼれ落ちる。


 床に転がったそれは──ディラシナの街でセシリアが魔女に奪われた、“女神の涙”だった。しかし何故か、宝石自体が青く強い光を纏ってキラキラと輝いている。


 その青い光に、アルマは更に目を見張った。



「……っ!? “最初の涙プリミラ”の欠片が、何で光って……!」



 掠れた声を絞り出し、アルマは青い宝石の輝きを見つめる。彼は目を細め、暫し黙って考え込み──やがて、先程自身の“女神の涙”の力が相殺された理由をようやく理解した。


 おそらくこの宝石の輝きが、彼の宝石の力を邪魔したのだと。



(……だが、おかしい……なぜ突然“最初の涙プリミラ”が光った? 一体何に反応したんだ……?)



 アルマは起き上がり、切れた唇に滲む血を指で拭う。

 直後、彼は己の視界が捉えたものに眉を顰めた。



(……アレは……)



 彼の赤眼にハッキリと映し出されていたのは、床にぺたりと座り込むセシリアの姿。そして、その瞳からぽろぽろとこぼれ落ちる、彼女の流した大粒の涙だった。


 涙の雫は頬を伝い、床の上に滴り落ちる。


 彼女の涙が落とされる度、床に転がっている“最初の涙プリミラ”の欠片は、点滅するように淡い光を放っていた。


 その光景を見つめ──アルマはとうとう、“答え”に辿り着く。



「……分かった」



 ぼそり。アルマの口から声が漏れ、トキは眉根を寄せると拳を握り締めたまま彼を睨んだ。口角を僅かに上げ、アルマは更に続ける。



「……分かったぞ、“最初の涙プリミラ”の在処が」


「……あ?」


「くく、くは、はははッ! マジかよ、そういう事か!! そりゃ上手い事隠したモンだなァ、大陸のどこ探しても見つからねーわけだぜ!」



 やがてアルマは上機嫌に笑い出し、「あー、サイコー」と呟きながら自身の前髪を掻き乱した。真っ赤な双眸は飢えた獣のようにぎらつき、トキの背後に座り込むセシリアの姿を捉える。


 その眼は爛々と輝いて見開かれ、獲物を見つけた肉食獣さながらの歓喜に満ち溢れていた。



「……なァ? そうだろセシリアちゃん」


「……え……?」


「くくっ、とぼけんなよ。オジサン、もう分かっちまったぜ? 女神の流した、最初の涙……“プリミラ”の本当の在処をな」



 彼は楽しげに声を紡ぎ、ふらりと一歩歩み寄る。彼女は狼狽うろたえ、息を呑んでたじろいだ。



「……消えた“最初の涙プリミラ”の原石……その本当の在処は──」



 セシリアの涙が止まり、それと同時に床に転がる宝石の点滅も止まる。それを見つめ、アルマはいよいよ確信した。


 幻の宝石──女神の涙。

 その原石が隠されている、本当の場所は。



「──だ。セシリアちゃん」



 アルマの発言を耳に入れ、立ち尽くしていたトキは絶句する。


 彼がずっと探し求めていた、幻の宝石。

 十二年間、手に入れる事が出来なかったと思い込んでいたそれは──



 彼女と出会ったあの日から、ずっと、その手の中に在った。




 .

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る