第83話 幻の見た夢


 1




 貨物庫を飛び出した三人はカルラ教団の信徒に扮したまま、飛行する白鯨ヴァラエナの内部を移動する。通路の壁際には小さな窓がぽつぽつと設けられており、そっと覗き込めばその向こうには見た事も無い景色が広がっていた。

 普段見上げているばかりだった青々とした空や白い雲の中を、この大きな船体に乗って進んでいる。眼下に広がる青い海は太陽の光をキラキラと反射し、雲の隙間で穏やかに揺らめいていた。


 そもそも、雲を上から見下ろしている、という事自体がトキにとっては未知の体験である。トキは幾度となく窓の向こうに視線を奪われながら、前を歩くロビンに付いて行った。



「……もう少しで、白鯨ヴァラエナの最後尾だ。多分、この辺のどっかに非常用の脱出口があるはずなんだけどな……」



 ふと、ロビンがそんな言葉を呟いて、トキは視線を前に戻す。



「……お前、ちゃんと場所分かってんだろうな」


「おう! 多分!」


「多分……」



 堂々と曖昧な答えを返すロビンにトキはじとりと冷ややかな視線を向けるが、目の前の馬鹿はそんな視線にも気が付かない。割と追い込まれた状況だというのに気楽なもんだな、と彼は呆れた。そんな心境を知ってか知らずか、もう一人の能天気も口を開く。



「ふわあ……すごいですね、トキさん! 見て下さい、雲がこんなに近くに!」


「……アンタも何はしゃいでんだ。観光しに来たんじゃないんだぞ」


「あ、ご、ごめんなさい。つい……」



 小声ながらも興奮したように窓の外を眺めていたセシリアがしゅん、と肩を落とす。仮面で顔が隠れてはいるものの、その下でどんな表情を浮かべているのかなど想像に容易い。トキは緊張感のない二人に嘆息しつつ、周囲をきょろりと見渡した。


 捕らえられていた部屋から出て暫く経つが、時折すれ違うカルラの連中が信徒に扮して歩く彼らを訝しむような様子はない。ひとまずうまく紛れ込めているようで、無駄な戦闘に労力は割かなくて済みそうだな、とトキは安堵した。

 それとちょうど同じタイミングで、ふとロビンが足を止める。



「……あ! ここだ、多分ここ! この中!」


「うるせえ騒ぐな」


「へぶぐ!!」



 途端に大きく声を上げたロビンに鉄拳をお見舞いすれば、「すみましぇん……」と彼は涙目で声を抑えた。そんなロビンを無視して、トキは前方に視線を向ける。“立入禁止”と記されたその扉を試しに開けようとしてみるが、どうやら鍵が掛かっているらしく開く様子はない。



「……施錠されてる。おいゴリラ、本当にこの奥で間違いないのか?」


「た、多分」


「チッ……。曖昧な答えしか出来ねえのかよテメェ」



 トキは苛立ちながらロビンを睨み、続いてどこからともなく細長いを取り出した。不思議そうに瞳を瞬いたロビンに構わずトキが鍵穴にそれを突っ込んだ頃、セシリアはそっと彼に近付いて耳打ちする。



「心配しなくても大丈夫ですよ、ロビンさん。トキさんは鍵を開けるのお上手ですから」


「え、そうなのか? へえ〜、器用だな〜! なんかドロボーみてえ!」


「えっ!? ……あ、あは……そ、そうですね……!」



 ロビンの発言にセシリアは肝を冷やし、渇いた笑みを漏らす。実際泥棒なのだが、賞金稼ぎである彼にそれがバレるとややこしい事態になるという事は鈍い彼女でも流石に理解できた。


 そうこうしている間に、トキは鍵の解錠に成功したらしい。カチン、という音と共に扉が開き、「おお!」とロビンの感嘆の声が上がる。



「すげえ! やるな〜、トキ!」


「……フン。これくらい朝飯前だな」



 細長い器具を指先で回しながらトキが得意げに鼻を鳴らせば、ロビンはへらへらと笑って彼の背中を叩いた。そのまま開いた扉の奥へと入っていく二人に続いて、セシリアも室内へと入って行く。──直後、彼女の背後に影が落ちた。



「──何をしているんだ?」


「……!!」



 ハッ、と三人は目を見開いて振り返る。彼らの背後から険しい表情で睨んでいたのは──魔女の仲間の一人であるベンジーだった。彼が訝しげに目を細めてセシリアの肩を掴んだ瞬間、トキとロビンは武器を構えてベンジーに突き付ける。



「──!」


「チッ、見つかっちまったか! しょうがねえ、ちぃーと手荒だが眠って貰──」


「だめ! 待って!」



 銃を構えて引き金に手をかけたロビンの前に飛び出したセシリアは、アデルを床に寝かせると両手を広げてベンジーを庇うように立ちはだかった。そんな彼女の行動に一同は目を見張る。



「は!? ちょ、何してんだよセシリア……!」


「だめです! この人、悪い人じゃないの! 攻撃しないで下さい……!」


「……っ」



 頑なに敵を庇おうとする彼女に、ロビンは困惑しながらトキへと視線を向けた。警戒心の強い彼はさぞ腹を立てている事だろうと危ぶんでいたロビンだったが──意外にも、トキは落ち着いた様子でセシリアとベンジーを見つめている。



「……、あれ? 怒んねーの? トキ」


「……普段ならキレてるかもな」



 彼は冷静に答え、引き抜こうと構えていた短剣から手を離した。そのまま動揺したようにその場に立ち尽くしているベンジーへと視線を送り、口を開く。



「……アンタ、カーネリアンのターミナルで俺達を見逃した男だろ。あの時、何で見逃した?」



 トキは徐ろに仮面を外して問い掛けた。ベンジーは既に彼らの正体に気が付いていたのか特に驚く様子もなく、気まずそうに視線を逸らす。そして、彼は開きっぱなしだった扉を静かに閉めた。



「……そんなの、僕が聞きたいよ。どうして自分が、アンタらみたいな人間を庇う真似なんかしたのか……」


「……」


「僕らはただの、魔女の玩具ペットなのにね……」



 ふ、と自嘲的な笑みが漏れる。ベンジーはセシリアの腕を徐ろに掴み、「いいよ、別に庇わなくて」と広げられている彼女の手を降ろした。

 ロビンは未だに状況がよく飲み込めていないようだったが、どうやらベンジーに敵意は無さそうだと判断すると構えていた銃を静かに下ろす。トキは更に続けた。



「……アンタも、アルマと同じ蛇の化物なんだろ。アンタ達は何だ? 魔女の使い魔の一つか?」



 トキの問いに、「まあ……そんなとこだよ」と曖昧にベンジーは答える。彼は渇いた笑みを漏らしながらその場に座り込んだ。



「……僕らは、魔女の魔法によって生み出された不安定な存在。使い魔……とは少し違うけど、似たようなものさ。魔女の“感情”や“欲望”、“知性”……そんなを混ぜ合わせて作られたのが僕達だ」


「……」


「僕らは、この世に存在しているようでしていない。生きてないし死んでない。“幻”みたいなものだと思うといいよ」



 淡々と語り、自らの事を「幻」だと称した彼に、トキとセシリアは一瞬言葉を飲んだ。幻──それは“逆さまの十字架”を背負った彼女の運命と重なって、トキはそっと視線を落とす。



「……僕は、他の蛇達に比べると出来が悪くてね。人間を殺したり、痛めつけようとする時……いつも心に迷いが生まれる。僕が“ベンジー”として作られた時に、余計な“感情”が多く混ざり込んだのかも」


「……だから、私をいつも助けてくれたんですか?」


「……」



 セシリアは問い掛け、顔を隠していた仮面を外した。凛と澄んだ翡翠の瞳と視線が交わった瞬間、ベンジーはぎくりとたじろいで目を泳がせる。



「べ、別に、助けようとしたつもりはないし……で、でも、その……苦しむアンタを見ていられなかったのは、事実かもしれないけど……」


「……やっぱり、貴方は優しい人ですね」


「う……っ! いや、そ、その……」



 にこりと破顔するセシリアがあまりに眩しく見えてしまい、ベンジーは頬を赤らめると言葉を詰まらせた。


 そんな彼らの様子にトキは眉間の皺を深く刻み、ロビンは「おっ? なんかあの二人ちょっとイイ感じじゃね? ねえトキくん?」と苛立ち始めたトキに楽しげな視線を向ける。直後、思いっきり殴られた。



「いってええ!!」


「黙ってろクソ筋肉」


「ちゃんと“ゴリラ”まで言えよ! ……あれ!? いやゴリラじゃねえけど!! ……ん!?」



 混乱しているロビンに深く溜息を吐きこぼし、トキは彼を無視してセシリアに近寄る。そのまま彼女の肩を掴み、強引に引き寄せれば腕の中で小さく悲鳴が上がった。



「きゃ……っ! と、トキさん!?」


「……」



 じろ、と薄紫の瞳が目の前のベンジーを睨む。困惑しているセシリアを腕の中に閉じ込めたまま、彼は口を開いた。



「……アンタが俺達を見逃してくれた事には感謝してるが……こいつに手は出すなよ。なんでな」


「……!」



 唐突な発言にセシリアの頬が熱を帯びる。戸惑いがちに視線を泳がせ、「え、あ、あのっ……」と動揺する彼女と牽制するトキへ交互に視線を巡らせたベンジーは、やがて小さく口角を上げて目を細めた。



「……知ってるよ」


「!」


「セシリアは、最初からアンタの事しか見てなかった。……をして、分かったんだ。誰かに想われたり、心配されたりするのって、こんな感じなんだなって……」



 ベンジーは切なげに微笑み、俯く。



「……僕らはただの、魔女の玩具だ。彼女が飽きればすぐに消されて、居なくなる。感情も、意思も、ちゃんとあるのに」


「……」


「……アンタの振りなんて、しなきゃ良かった。偽のアンタを演じたばっかりに……僕は人間がどんな風に誰かを想って、どんな風に愛を形作るのか……少し、知ってしまったんだ。化物の癖にね」



 彼の言葉に三人は黙り込んだ。しかしややあって、セシリアがその沈黙を破る。



「……貴方は、化物なんかじゃないです。とても素敵なですよ。……だって、ちゃんと“人の心”を持っていますから」


「……!」


「たとえ幻でも、人間ではなくても……貴方はすごく素敵で、優しい人。私は、そう思っています」



 優しい声で言葉を紡いで、セシリアは柔らかく微笑んだ。慈愛に満ちた微笑みは、やはり眩しくてベンジーの視界を狭める。


 ──だが、その後更に続けられた彼女の発言に、ベンジーはひくりと頬を引き攣らせる事になった。



「あ、それに、紅茶も一緒に飲んでくれましたよね。私、すごく嬉しくて……また、紅茶の美味しい淹れ方も練習しておきます!」


「……、えっ……!?」



 ぎく、とその発言にたじろいだのはベンジーだけでなく、トキもである。セシリアはにこにこと嬉しそうに破顔して更に続けた。



「私、実はあまり手先が器用な方ではないんですけど、貴方のおかげで少し自信がついて……だから、あの、またお茶会とかご一緒して出来たらいいなって……」


「……い、いや、それは……ちょっと……」



 顔を青ざめたベンジーがトキへと視線を向ければ、彼もまた頬を引き攣らせ、「お前飲んだのか、アレを……」とでも言いたげな視線を向けている。飲んだよ、死にかけたよ……、と口には出さず目で訴えかけるが、セシリアはキョトンとするばかり。



「あ……もしかして、紅茶、お嫌いですか……?」


「い、いや、その、嫌いっていうか──」



 悲しげに紡がれたセシリアの言葉に、ベンジーが辿々しく返事を返そうとした──刹那。


 突如飛空艇の船内にけたたましい警報音が鳴り響き、一同はハッと目を見開いて顔を上げた。続いてノイズ混じりの音声が、ブツブツと途切れながらその場に響く。



『──……ザザッ……総員──……告ぐ! 捕らえていた二人と狼が脱走……──ザザッ……奴らは我々の仲間に扮して船内にいると──……女以外は殺しても構わ──……ザザ……至急捕らえよ! ……ブツッ──』



 放送が途切れると、トキは眉根を寄せて舌打ちを放った。断片的にしか聞き取れなかったが、どうやらトキとセシリアが逃げ出した事が露顕ろけんしたらしい。



「やっべ、もうバレたのかよ! 早いとこ逃げようぜ、二人共! 今度こそ捕まったら殺されちまうぞ!」


「……」



 慌てるロビンを一瞥し、トキは再びベンジーへと視線を戻す。彼はやはり、黙ってその場に座り込んだままだ。



「……みすみす逃がすような真似していいのかよ。見逃した事がバレたら色々マズいんじゃないのか」


「……そんな心配してる暇があるなんて、随分余裕だね。僕の気が変わらないうちに逃げた方がいいんじゃない? その気になればすぐ仲間を呼び集められるよ、僕」



 ベンジーは鼻で笑い、ローブの内側から小型の無線機器を取り出す。トキは眉を顰めたが──ややあって舌打ちを放ち、眠っているアデルを拾い上げるとセシリアの腕を引いて走り出した。ロビンも二人に続いて駆け出し、その場に残されたベンジーは静かに息を吐く。



「──ベンジーさん!」



 しかし不意に、鈴の音のような声が彼の名を紡いだ。ベンジーは顔を上げ、こちらに顔を向けているセシリアを見つめる。



「……ありがとう……! また、いつか!」



 それだけの言葉を残して──彼女はトキやロビンと共に、小型の飛空機の中に乗り込んで行った。ベンジーはやはりその姿を眩しそうに見つめ、徐ろに腰を上げる。



(……また、いつか……ね)



 今しがた放たれた言葉を脳内で復唱しながら壁際を沿って歩き、やがて「緊急時用」と記された赤いレバーに手を掛けると、彼はそれを一気に下ろした。すると凄まじい風と共に、大空へと続く脱出口のシャッターが開いて行く。


 ──その一方で、機内に乗り込んだ一行は、狭い機体の中で不安げに息を呑んでいた。


 というのも、操縦席に座っているのがだからで。



「……ほ、本当に、大丈夫なんだろうな……ゴリラ……」


「大丈夫だって! 一応操縦のやり方習ったし! ……えーと、どれ押すんだっけ」


「……」



 不安だ……、とトキとセシリアは頬を引き攣らせる。しかし迷っている時間も無ければ他の脱出手段も無い。セシリアが「神よ、どうかお守りください……!」と必死に祈っている間に、とうとう飛空機のエンジンは掛かってしまった。



「おっ、エンジン掛かった! おっしゃァ、行くぜ!」


「……っ」



 セシリアはトキにしがみ付き、ステラもこんな時ばかりトキを頼っているのか彼のケープの中に潜り込む。トキは未だに眠り続けているアデルを抱き、表情を強張らせたまま。

 そして、遂に──彼らを載せた魔導飛空機は、その場から飛び立ってしまったのであった。




 2




(……大丈夫なのかな、あれ……)



 機体を大きく傾かせ、ぐらぐらと安定しない動きで飛び立った飛空機を見つめてベンジーは嘆息した。冷たく吹き荒ぶ北風に煽られ、今にも墜落しそうな機体に頬が引き攣る。あの中では今頃、もしかすると阿鼻叫喚の嵐かもしれない。


 先行きが不安なそれを見送りながら、ベンジーは先程下ろしたレバーを引き上げて開いていたシャッターを閉めた。吹き込んでいた冷たい風も止み、彼らを乗せた飛空機が視界から消えた頃──ベンジーはそっと目を閉じ、何事も無かったかのような表情で静かにその場を後にする。



 ──ヴー、ヴー、ヴー……。



 白鯨ヴァラエナの内部では、変わらずけたたましい警報音が鳴り響いていた。仮面を被った信教徒達が忙しなく通路を駆け回る中、ベンジーは淡々と歩いてその横を通り過ぎる。


 ふと、脳裏を過ぎったのは最後に聞いたセシリアの声だった。「ベンジーさん、」と己の名を紡いだ彼女の言葉を思い出し、彼は僅かに頬を緩める。



(名前、初めて呼ばれたな……)



 そう考えて、ベンジーはニヤついてしまいそうな口元を片手で押さえた。


 今まではずっと、「トキの偽物」というフィルター越しにしか、彼女の瞳の中にベンジーの存在は映っていなかったのだ。それがたった一言、ただ「名前を呼んでくれた」という、それだけで──“ベンジー”として生まれた自分そのものを、認められたような気がした。


 ──また、いつか。


 そう告げた彼女の言葉を思い出すと、胸の奥が震える。また、いつか、会えるのだろうか。会ってどうするというのだろう。分からないけれど、もしまた会えるなら……。


 そう思い至ったところで、ベンジーは足を止めた。次いで、口元を押さえていた手の中でフッと渇いた笑みを漏らす。──もう、彼女には二度と会えない。そう分かっていたはずなのに。



「──随分と嬉しそうですねえ、ベンジー」



 警報の鳴り響く通路に立ちはだかる、二つの影。ベンジーは押さえていた口元から手を離し、彼ら──レオノールとテディへと視線を向けた。レオノールは穏やかに微笑み、口を開く。



「残念ですよ、君はもっと賢い子だと思っていたんですが。まさかここまで馬鹿だったとは」


「……その口振りだと、もう僕の行動はお見通しですか」


「ええ、大体把握していますよ。君から、ドルチェの匂いが強く香りますからねえ……」



 レオノールは破顔しつつも、その目の奥には怒りの色を濃く孕ませている。「テディ、」と傍らに経つ双子の姉に呼びかけ、それに対し彼女が「はーい♡」と高い声で返事を返すと──テディは突如、ベンジーの体を突き飛ばした。

 彼はすぐさま受け身を取るが、体を起こした瞬間には既に刃と化したテディの片脚が目の前にまで迫っていて。



「っ……!」



 ベンジーは寸前でそれを避け、即座に体をひるがえして後退する。だがやはりテディの猛攻が止まる事は無く、迷い無く斬り込んでくる片脚をかわす事しか出来ないベンジーは苦々しげに奥歯を噛んだ。


 彼女の見開かれた赤眼せきがんに、慈悲や戸惑いの感情は一切浮かんでいない。同じ魔女に生み出された弟であろうと、本気で殺そうと斬りかかって来る。──ベンジーはこんなにも、姉に刃を向けることを躊躇ためらっているというのに。


 ──ブシュッ、



「……うっ……!」



 真っ赤な血飛沫ちしぶきと共に刃が腹部を一閃する。深く斬り裂かれ、血の噴き出す腹を押さえてベンジーは壁際に背を付いた。しかしすぐさまテディが彼に迫り、鋭利な刃がベンジーの肩を貫く。



「っ、ああぁぁッ……!!」


「あはっ、ベンジーったら馬鹿なの? 避けるばっかりで攻撃してこないなんて、つまんなーい」



 くすくすと楽しげに口端を吊り上げ、テディはベンジーの肩から刃を引き抜いた。途端に真っ赤な鮮血が吹きこぼれるが、彼女は躊躇う様子も無く先程切り裂いた腹部を更に深く貫く。肉を裂き、体内に沈み込む刃。ベンジーは口からごぽりと血を吐き出し、その場に倒れた。



「……っ……か、……は……」


「ねーえ、ベンジー。お姉ちゃん悲しいなあ……最後の最後まで、出来の悪い愚弟ぐていだったのね〜、あなた」


「……、テ……ディ……」


「あは、もう喋らないでいいよ? あんまり時間経つとしちゃうし、さっさと終わらせましょ♡」



 にこ、と微笑むテディが明るく声を発して、刃と化した片脚を振り上げる。霞んで暗転して行く視界の中、脳裏に過ぎったのは──微笑む聖女様と、薄汚い盗賊の姿だった。


 彼の脳内に浮かぶ二人は、互いに思い合って、寄り添って、背を向けて──そのまま、どこかへ向かって歩き去って行く。けれど途中で聖女様が振り返って、立ち尽くすベンジーへと柔らかな微笑みを向けるのだ。眩し過ぎる、あの微笑みを。



 ──また、いつか。



 そう紡がれた言葉に、ベンジーは目頭が熱く痺れてしまうような感覚を覚えた。


 そして、とうとう気付いてしまう。幻である自分が、彼らに何を夢見ていたのか。



「……ねえ……テディ……」



 その場に倒れ伏したまま、消え去りそうな声を絞り出す。しかしおそらく、テディの耳には届いていないだろう。



「僕、は……」



 ヒュン、と風を切る音が近くで響いた。ああ、きっと、これで最後だ。


 彼の夢見た、眩し過ぎる二人の残像を、瞼の裏で追い掛ける。


 ──ああ、そうだ。僕は……僕は。




「……人間、に、なりたかっ──」




 ──ごとん。


 首に沈み込んだ刃が、彼の胴体からそれを切り離す。力無く倒れたその手足は、もう二度と動かない。


 幻の見た淡い夢は、泡沫のように弾けて、そこで途切れた。




 .

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