第80話 君の良いところ


 1




「……そういや、トキ達大丈夫なのか?」



 テディとベンジーの猛攻を凌いでから数分。ふと、薄暗い通用路で頭を抱えていたロビンはそう思い至った。

 取り逃したレオノールはおそらく彼らを追い掛けて行ったに違いない。雷撃でダメージは与えているとはいえ、トキ達も手負いである。鉢合わせたらまずいかもしれない。



(カルラは元々空賊団みたいなモンだしな……。ターミナル内に潜んでる仲間もこの二人だけとは限らねーし、こいつらをギルドに突き出す前に親玉を追い掛けた方が……)



 冷静さを取り戻し始めた頭で状況を整理した──その刹那。

 彼は真後ろから感じた禍々しい気配にゾクリと背筋を凍らせた。



「──ッ!?」



 感じた殺気に素早く反応し、ロビンは腰元のホルダーから即座に銃を抜き取る。しかしそれを構える前に襲い掛かって来た無数の黒蛇は、一瞬で四肢に群がると彼の体を強く締め付けた。



「……っ、う、ぐぁ……!?」


「……あはぁ……、つーかまーえたー……♡」



 掠れた声が耳に届く。

 這い上がって来る蛇に締め付けられたロビンが薄く目を開けば、ズズズ、と地を這いずる二匹の大きな黒蛇の真っ赤な瞳と視線が交わった。二匹は無数の蛇の群れを自らの体内に取り込んで一体化させ、徐々に“ヒト”の形を形成して行く。

 先程手錠を掛けられたはずのテディとベンジーが転がっていた場所には、抜け殻のような黒い皮だけが残されていた。



(……っコイツ等……! 人間じゃねえのか……!?)



 禍々しく渦巻く“闇”の魔力に気圧けおされ、ロビンは息を呑む。四肢に絡み付く蛇の締め付けによって握っていた銃も滑り落としてしまい、カラン、と音を立てて地面に落ちたそれはテディによって拾い上げられた。


 黒い鱗で覆われていた皮膚が徐々に人間のようなそれを型取り、妖艶な口元がにんまりと弧を描く。



「あーあ、取り上げちゃった。君の武器♡」


「……っ、う……!」


「あは、苦しい? 首ごと折ってあげよっかぁ?」



 ずるずると、黒い蛇がロビンの首を這って囲う。奥歯を軋ませて睨むロビンに、二又に分かれた舌を覗かせたテディは上機嫌で近付いた。

 ロビンから取り上げたリボルバーの銃口マズルを彼の額に押し付け、引き金に手を掛けながら彼女は笑う。



「はい、ばーん。絶体絶命♡ どこから食べて欲しい? テディちゃんは美食家だからぁ、こーんな頭悪そうな男の硬いお肉なんて本当はお断りなんだけどね? あはは!」


「……っ、いっ、てええぇ!!」



 蛇に締め付けられている手をヒールで踏み付け、鋭利なかかとをぐりぐりと捩じ込む。ロビンは歯を食いしばり、チッと舌を打って両手に魔力を込めた。


 ──バリバリバリッ!



「いやんっ!?」



 突如ほとばしった雷撃に素早く反応し、テディはその場を飛び退く。「やだもう! 危ないじゃない!」と憤慨する彼女に、ロビンは乾いた笑みを漏らした。



「……ハッ。魔銃士ガンナーってのは、に魔力込めて弾丸にすんだぜ……っ、魔力の燃費が悪ィからあんま使わねーだけで……銃が無くても、魔法は使える……!」


「……あはっ、それで? まだ戦えるとでも言いたいわけ? 今にも絞め殺されそうなのに?」


「……うぐっ……!!」



 ギチギチ、と両手足に纏わり付いた蛇の拘束が強まる。四肢が引き千切られそうな痛みにロビンは目を見開き、首に絡み付いて威嚇する蛇の不気味な声に眉根を寄せた。



「……が、は……っ!」


「あはは! 無様で笑える!! ねえ、そろそろ辛いでしょ? 優しくイかせてあげるね? ほらベンジー、ヤっちゃって♡」


「……」



 テディに促され、それまで彼女の背後で黙って眺めていたベンジーが赤い瞳を持ち上げる。彼はゆっくりと歩み寄り、やがて左脚を黒く鋭利な刃へと変貌させた。



「……っ!」


「さーて、どこから穴開けてあげようかなあ? それともいきなり真っ二つにしちゃう? あははっ!」



 恍惚と頬を染めて舌舐めずりをするテディの横で、ベンジーは無表情のまま鋭利な左脚を振り上げる。まずい、とロビンは手足にありったけの力を込めて踠いた。しかし無情にも、蛇の締め付ける強さは増すばかりで。



(……畜生、ここまでか……っ)



 向けられる刃の切っ先に明確な「死」を悟り、ロビンは悔しげに歯噛みする。

 冷たく見下ろすベンジーによって、徐々に振り上げられて行く刃。しかしそれがいざ振り下ろされる──という直前で、聞き覚えのある声が彼の動きを止めた。



「──お待ちなさい、二人とも」



 ──ピタリ。


 振り下ろされる寸前だった黒い刃は、ロビンの腹を貫く直前でその動きを止める。薄暗い通路に響いた声に、テディとベンジーはすぐさま振り返った。

 黒いマントを羽織り、フードを深く被ったその姿。そこには何故か──先程この場から姿を消したはずのレオノールが立っていたのである。


 その腕に、くたりと横たわるセシリアを抱えて。



「……っ、セシリア……!?」



 ロビンが驚愕して声を絞り出すと、ベンジーの眉がぴくりと僅かに動いた。彼は目を細め、レオノールの腕の中で力無く瞼を閉じているセシリアを切なげに見つめる。

 一方のテディは、「あれぇ!? 導師様ぁ!」と驚いたように声を張った。



「やだぁ! 何で何で? せっかくお逃げなさったのに、どうして戻って来たりなんか……、はっ! もしかしてテディちゃんに会いたくて……とか……!?」



 ポッ、と頬を赤らめるテディが真剣に問い掛ける。するとレオノールは一瞬の間を開け、「……ああ、そうですね。君が恋しくて」と柔らかく微笑んだ。みるみるとテディの頬は赤く染まり、その目がとろんと愛おしげに細められる。



「はぁぁん……っ、抱いて……♡」


「……導師様。冗談はさておき、なぜお戻りになったのです? 先に白鯨ヴァラエナを占拠される予定では?」


「──!?」



 ──白鯨ヴァラエナを、占拠だと……!?


 冷静に問い掛けたベンジーの言葉に、ロビンは息を呑んだ。

 くじら型飛空挺一号機──“白鯨ヴァラエナ”。それはトキとセシリアが乗り込む予定だった、北大陸へと向かう大型飛空挺の呼称である。それが占拠されたという事はつまり、たった今レオノールの腕に抱えられているセシリアと共に、トキも捕まってしまった可能性が高い。



(まずいな……トキに至っては最悪殺されててもおかしくねーぞ……!)



 カルラの残虐性はロビンもよく理解している。最悪の場合を想定し、彼が苦々しく表情を歪めた頃──レオノールは穏やかに微笑んでベンジーの問いに答えた。



「──少し、彼に用があってね。君たちは先に行っててくれるかな」


「……用? この賞金稼ぎに? 一体何の用があるんです?」


「え? ……ああ、いや、ほら……情報収集とか」


「……」



 曖昧に答えるレオノールの様子にベンジーは眉を顰めて訝しむ。

 しかしふと、彼の腕の中に抱えられているセシリアの瞳が薄く開いて目が合った事で、ベンジーの胸はどきりと跳ね上がった。



「……っ! セシ──」


「……ぷ……」


「……、ぷ?」


「──プギ」



 鈴のような声で、不意に発せられた不可解な言葉。ベンジーが「は?」と思わず聞き返した瞬間──レオノールはセシリアの口をガボッ!! と片手で勢いよく押さえ付けた。「ぷごっ!?」と再び奇妙な声を上げてセシリアは目を見開くが、レオノールは何事もなかったかのように爽やかな笑顔を振り撒く。



「さあ! 君達は先に行ってください、僕らもすぐに追いかけますから」


「……あの、導師様。今この子、何か言ってませんでした?」


「いえいえ、気のせいですよ。先ほど少し眠ってもらったので、まだ寝ぼけているのかも」


「……」



 にこにこと微笑み、レオノールは「むー、むー!」とくぐもった声を発しながら足をばたつかせているセシリアの口元を頑なに塞ぎ続ける。そんな二人を暫し訝しげに眺めていたベンジーだったが──やがて「……分かりました、我々は先に撤退します」と告げて黒い刃と化していた左脚を元に戻した。


 相変わらず恍惚と頬を染め、レオノールに熱視線を送っているテディの腕を強引に掴むと、彼らはその場から去って行く。同時に、ロビンを拘束していた黒蛇は忽然とその姿を消した。ようやく痛みと息苦しさが和らぎ、彼はゴホゴホと噎せ返る。そんな彼の事は気にもとめず、「あぁん、また後で愛し合いましょうね導師様〜〜!」という言葉を残して、双子の背中は通路の奥へと消えてしまった。


 ──かくしてその場に残されたのは、苦しげに咳き込むロビンと、セシリアを抱き上げたまま彼を見下ろしているレオノールのみ。敵の数が減った事を確認したロビンは痛む体に鞭を打って顔を上げ、レオノールの隙を突くと素早く地面を蹴った。



「──!」



 ハッ、とレオノールが焦ったように反応する。ロビンはすぐさま捨て置かれていた自身のリボルバーを掴み上げると、彼に向かって銃口を突き付けた。その瞬間、ぎくりとレオノールの顔からは血の気が引く。



「おいおいおい! 油断しやがったなカルラの親玉さんよ! 仕方ねえから三秒だけ待ってやる、さっさと抱えてるセシリアを解放し──」


「わああー!! 待って待ってロビン!! 撃たないで、僕だよ!!」


「……!?」



 突如、慌ただしく首を振ったレオノールが両手を挙げて降伏の意を示した。態度の豹変した彼に一体何事かとロビンが目を見開いた瞬間、レオノールに抱えられていたはずのセシリアまでもが彼を庇うように両手を大きく広げて立ちはだかる。「プギー! プギギ!」と奇妙な声を発している彼女をぽかんと見つめ、ロビンは「まさか……」と脳裏に浮上した一つの可能性に頬を引き攣らせた。


 直後、ぼふん! と二人の体が白い煙に包まれる。



「──うおっ!?」


「プギぃ〜〜!!」


「んぶっ!?」



 立ち昇る煙の中から再び聞き慣れた鳴き声が響き、間髪入れず彼の顔面にへばり付いたのは丸い物体。バサバサと至近距離ではためく翼の男が耳に届き、ロビンが恐る恐るとそれを引き剥がせば、うるうると瞳を潤ませて見上げるピンクの子豚と目が合った。



「──ステラ!?」


「プギギギュゥ!!!」


「いだだだだ!? 何で噛む!!?」



 煙の中から飛びついて来たステラは何やら怒っているらしく、ロビンの鼻にがぶりと噛み付く。その様子を背後から眺めつつ、引き始めた煙の中から「多分怖かったんだよ、銃なんか向けたから」と苦笑する声が耳に届いた。その声の主が誰か、ロビンはすぐに理解する。



「……トムソン……!」


「ごめんねロビン、助けるの遅くなって……。怪我は大丈──」


「──この馬鹿野郎!!!」



 突如怒鳴りつけたロビンに、“変化属性”の魔法によってレオノールに扮していた彼──トムソンはびくりと肩を竦めた。怯えたように揺らぐ黒い瞳の奥に、目尻を鋭く吊り上げた彼の険しい表情が映り込む。



「お前、何考えてんだよ!? 敵側の親玉にだなんて……! バレたら即行殺されるとこだぞ!!」



 両肩を鷲掴んで叱責するロビンに、トムソンはややあって「……ごめん……」と弱々しく呟いた。次いで、彼は胸の前で自身の腕をぎゅっと握り、「でも……!」と震える声を絞り出す。



「でも……っ、僕、怖かったんだ……! 自分が死ぬ事よりも、ロビンが、殺されちゃう事の方が……!」


「……!」


「僕、本当はずっと、影から見てた……! トキさんとセシリアさんが敵に捕まってる時から、ずっと見てたんだ……! でも、助けなきゃって思っても、怖くて……飛び出せなくて……っ、……だけど!」



 トムソンは涙の溜まる目尻を手のひらで拭い、真っ直ぐとロビンを見上げた。



「ロビンは……ロビンだけは、守らなきゃって……! 助けなくちゃって、思って……!」


「……トムソン……」


「だってロビンは……っ、魔女に村を滅ぼされて一人ぼっちだった僕のこと、助けてくれた恩人だから……っ」



 目尻からこぼれて頬を伝う涙を拭いながら、トムソンは自身のポケットの中に手を突っ込む。そこから取り出されたのは、透明なケースに入った彼のお守り。たった一枚切り取られた、雑草同然とも取れる葉っぱの──“ドライリーフ”だった。



「ロビンが僕を見つけてくれた日……、僕が持ってた薬草が枯れないように……君が、ドライリーフにして渡してくれたでしょ……?」


「……ああ、あれな……」



 ロビンは頬を掻き、記憶の片隅に残る“出会った日”のトムソンの姿を思い出す。


青白い顔で膝を抱え、しおれた薬草を握り込んで、彼は泣きながら震えていた。どうしたのかと尋ねれば、村を襲撃されて逃げて来たのだと答えたのを覚えている。──その手に持つ薬草を、「女神様がくれた」と大事そうに握り締めて。


 しかし強く握り込まれて萎びた薬草は、徐々に生気を失って行くばかり。これではすぐに枯れてしまうだろうと、まだ萎びていなかった葉の部分をロビンが千切って乾燥させ、やがて“ドライリーフ”として彼の手に戻したのだ。


 それを今でもお守り替わりとして、トムソンはいつも持ち歩いている。



「僕ね、本当に……ロビンに感謝してるんだよ……。ロビンが居たから、僕、こうして生きてるんだ……。だから、どうしても、君に死んで欲しくなくてっ……!」


「……気持ちは分かるけど、危ねー事すんなよ……。なんかおかしいとは思ってたけど、危うく俺も撃つとこだったし……」


「うん、ごめん……」



 ぐすぐすと、トムソンは鼻を啜り上げながら嗚咽をこぼした。いつまでも泣きじゃくる彼に「本当に男なのかお前は……」と半ば呆れつつ、ロビンはその背中をばしばしと叩く。



「ほら、いつまでも泣いてんなよ! 何はともあれ、お前のおかげで助かったんだ。ありがとな。あと、さっきは怒鳴って悪かった」


「ううん……ロビンが無事で、よかった……」


「ったりめーだろ! 健康以外に取り柄ねーんだぞ俺は!」


「あるよ、たくさん……」



 涙を拭い、トムソンは笑った。「僕はロビンの良いところ、たくさん知ってる」とどこか誇らしげに言う彼に、ロビンは視線を泳がせながら照れ臭そうに頬を掻く。



「……あー……それ、どうせなら可愛い女の子に言われてーなあ……」


「ふふ、そうだよね。きっといつか可愛い女の子にも言ってもらえるよ! ……多分」


「いやそこは自信持って言って!?」



 若干自信なさげに励ますトムソンに思わず突っ込んでしまいつつ、二人はその場に立ち上がった。ステラは未だに少し怒っているのか、不機嫌そうにロビンの結髪をガジガジと噛んでいる。



「……まあ、色々と説教してぇとこだが……とにかくトキとセシリアが心配だ。白鯨ヴァラエナが乗っ取られたってんなら、あいつらも捕まっちまった可能性が高い」


「……あ、そういえば……隠れてる間、黒いフードの人達が集団で別の通路を歩いてるのを見たよ。多分カルラの連中だろうけど……結構な人数だったから、もう既にターミナル自体、カルラに乗っ取られてるのかも……」


「げ、マジか。じゃあ、そろそろギルドの連中も乗り込んで来る頃だな」



 ロビンは冷静に状況を紐解き、トムソンの腕を引いた。駆け出したロビンにトムソンも慌てて続き、二人は飛空挺の発着口へと続く階段を上り始める。



「いいか、最優先はトキとセシリアの生存確認と救出。その後でカルラの連中のだ。で、お前の最優先は自分の身を守る事。もう絶対危ない事すんなよ」


「う、うん、分かった。……でも、救出はまだしも……カルラと戦うんだったら、ギルドの応援が来るまで待った方がいいんじゃ……?」


「はあ!? 馬鹿言うなよ、他の連中が来ちまったら俺の“分け前”が減っちまうだろ!!」


「ああ、そういう事……。がめついなあ……」


「いいんだよ、世の中は金だ!」



 酒も女も金があれば買えるだろうが! と熱烈に語る大きな背中を追いかけ、トムソンはくすりと笑った。こういう正直な性格も、一応彼の良いところだと思っている。



「やっぱり僕、ロビンの性格いいと思うよ」


「マジで!? どんなとこ?」


「凄く頭悪いところ」


「褒めてねーしそれ性格じゃねえ!!」



 ロビン渾身のツッコミが暗い階段に響き渡り、彼の頭にしがみついているステラが「プギ」と呆れたように鳴いた頃──二人と一匹は、白鯨ヴァラエナが占拠されているであろう発着口へと続く階段を登り終えたのであった。




 .

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る