第63話 逆様の十字架


 1




 硝子の棺の中のセシリアが目を覚まし、トキがその唇に優しく口付けを落とした頃。二人の背後でそれを眺めていたマルクは、信じられないといった表情で剣を握る手を戦慄わななかせた。


 ──そんな、馬鹿な。


 ようやく手に入れたと思った彼女の“永遠”が、音を立てて崩れて行く。棺の中に横たわっていた彼女に口付け、現実へと呼び戻した忌々しい賊の背中を睨んだ。



(……コイツさえ……コイツさえ居なければ……!)



 憎しみが膨れ上がり、黒く淀んだ感情が胸に渦巻いて、じわじわとマルクを飲み込んで行く。



(この男さえ居なければ、俺は騎士として、セシリアを守る事が出来たんだ……!)



 どうして、みんな邪魔をする。どうして分かってくれないんだ。

 マルクは奥の歯を噛み締め、剣の柄を強く握り締めた。──しかしそんな彼に、背後から大きな手が伸びる。



「……もうやめろ、マルク」



 重厚感のある野太い声が、憎しみに包まれる彼に向かって静かに囁いた。大きな手が肩に添えられ、マルクはギロリと視線を移す。



「……やめろ……やめろって……? 俺に、セシリアを諦めろっていうんですか……?」


「……そうだ」


「……はは……っ。冗談じゃない……」



 マルクは乾いた笑い声を漏らし、再び棺へと視線を戻した。棺の中からセシリアを抱き上げたトキは彼の視線に気が付いたのか、薄紫の冷たい双眸を細めて睨み返す。

 マルクは二人を睨んだまま、恨めしげに声を発した。



「俺はセシリアの騎士だ……俺が守る……ずっと、傍に居るって誓ったんだ……」


「……」


「なあ、セシリア……そうだろ? 俺が必ず、お前を守るからな……。だからこっちに来い。もう一度、俺が眠らせてやる……」


「……マルク……」



 セシリアはトキに抱えられたまま、切なげに眉根を寄せた。剣を向けるジーンとガノンに挟まれながらも、光を無くしたマルクの虚ろな瞳はまっすぐとセシリアだけを捉えている。



「……」



 セシリアはそっと目を伏せ、不意にトキの腕の中で身をよじった。そのまま彼の手中から離れようとする彼女を、トキが強く引き止める。



「……馬鹿、行くな! アンタ、あいつに何されたか分かってんのか!?」


「……はい。分かってます」


「だったら……!」


「トキさん、」



 セシリアはやんわりと微笑み、安心させるようにトキの頬に触れた。伝わる体温と慈しむような彼女の微笑に、彼は思わず言葉を飲み込む。



「──大丈夫。私を信じて」



 凛と澄んだ瞳でそれだけを告げた彼女に、トキは息を飲んだ。声を詰まらせ、手の力が緩んだ隙に、セシリアはそっと彼の腕の中から降りて離れてしまう。


 そして、セシリアはマルクの元へと歩み寄った。



「……セシリア様! 今のマルクに近寄っては危険です、お下がりください!」


「大丈夫よ、ジーン。ありがとう」


「……しかし、セシリア様……!」


「全部、私のせいなの」



 セシリアはジーンに微笑み、剣を突きつけられているマルクに視線を移す。



「……私が、マルクにあんな事を言ったから──王子様が来るまで、騎士として私の事を守ってって……言ってしまったから……。マルクにずっと、“呪い”をかけてしまっていたのよね」



 セシリアは小さく呟き、コツコツとマルクに近寄って行く。暗く澱んだマルクの碧眼が恍惚と細められ、彼はセシリアに手を伸ばした。



「……セシリア……」


「ねえ、マルク。聞いて」



 きゅ、と伸ばされた手を取り、セシリアは優しく口を開く。幼い子どもに語りかけるような口調で、慈愛に満ちた翡翠の瞳がマルクを映していた。



「もういいよ。私を守らなくていい」


「……、は……」


「マルクはもう、私の騎士様で居ようとしなくていいの」



 目を見開くマルクを、セシリアがぎゅっと抱き寄せる。その行動に背後のトキが眉間に深く皺を刻んだが、駆け出して引き剥がしたくなる衝動を何とか抑え込んだ。



「ごめんね。ずっと、無理させてたね」


「……」


「ずっと、怖がってたでしょう? あの日から」



 ──三年前、セシリアの真実を知った、あの日。彼を変えてしまったのは自分のせいだと、セシリアは分かっていた。



「マルクがやろうとした事は、きっと間違いだったけど……全部、私を救うためにやってたんだって事、分かってたよ。……でも、もういいの」


「……やめろ……」


「私は、もう大丈夫だから」


「やめろよ!! 何でそんな事言うんだ!!」



 マルクは怒鳴り、セシリアの身体を引き剥がす。血走った暗い碧眼が、彼女に怒りの眼差しを向けた。



「俺は誓ったんだ……! お前を救うって……絶対一人にしないって!! お前と……“セシリア”と、一緒に居るって……っ」


「マルク」


「……なのに……っ」


「マルク、聞いて」



 セシリアは微笑み、表情を歪めるマルクの手を握る。マルクは下唇を噛み締め、彼女を見つめた。



「私ね、ずっと怖かった。過去と向き合うのも、未来を見るのも」


「……」


「でも、もう決めたの。……私は、“セシリア”から逃げない。全部受け入れて、“私”のまま生きて行くって」


「……嫌だ……」



 マルクはか細い声を紡ぎ、セシリアの手を強く握り返す。「俺は、嫌だ……」と弱々しく呟く彼に、やはりセシリアは優しく微笑んだまま。不意に彼女は、自分の手よりも大きなマルクの手のひらをやんわりと握り、そっとその手を頬に擦り寄せた。



「……!」


「……マルクの手、大きくなったね。いつのまにか傷も増えて、マメもたくさん」



 セシリアはマルクの手に頬を寄せながら、伏せていた瞼を静かに持ち上げる。



「──でも、あったかいのは変わってない」


「……っ」


「ねえ、マルク。私、ここに居るよ。今、貴方の目の前に居る」



 セシリアは震えるマルクの手のひらをゆっくりと開き、大きなその手で自身の頬を包み込む。暖かな彼女の体温が、じんわりとマルクの手に伝わって──目の奥が、ツンと熱を帯びた。


 にっこりと破顔した目の前のセシリアは、初めて出会ったあの日の、言葉すらうまく話せなかった少女と全く同じだった。



「だって、ほら。あったかいでしょう? マルクと、一緒だよ」



 ──まぅく、あたかい。せしりあと、いっしょ。


 出会ったあの日、拙い言葉と共に微笑んだセシリアの笑顔が、脳裏に鮮明に蘇る。暖かく伝わる温度が、彼女がこの場に居る事を教えてくれる。



 ──あの日、確かに、俺は彼女を守りたいと願ったのに。



 マルクは迫り上がって来る群青の塊の波に堪えきれず、震える唇からこぼれ落ちた嗚咽と共に、押し留めていた涙をぼろりと溢れさせた。



「……ッ!」



 ──三年前、セシリアの真実を知ったあの日。聖騎士でありながら、あの日ほど神を恨んだ日はなかった。狭い部屋の隅で身を寄せ合い、泣きじゃくるセシリアに誓った。「絶対に一人にしない」と。


 あれ以来、マルクは奔走したのだ。文献を読み耽り、夜中だろうが朝方だろうが、意味のない実験を繰り返して。

 すべては彼女を守るため、彼女を彼女のまま、自分の隣に繋ぎ止めておくために。──セシリアが、寂しい思いをしないように。


 ……なんて、そんなものは建前だった。


 本当はマルク自身が、ただ恐れていた。セシリアに定められた運命を。いつか来る階段の終わりを。


 だからその時が訪れてしまう前に、彼女の中に流れる時間を止めてしまいたかった。たとえ彼女の笑顔を永遠に奪い去る事になったとしても、どうしても──傍に居たかったんだ。



「……マルク」



 優しい声が鼓膜を揺らす。マルクは滲んで霞む視界の中、嗚咽を吐きこぼしながらセシリアを見つめる。ぼやけて揺れる視界の中でも、彼女は眩しい。



「私、もう、貴方の呪いを解くよ。もう、貴方は“セシリア”に縛られなくていいの」


「……っ、う……っぐ……!」


「これからは、私を守るんじゃなくて……、ここに残して行く、私の大事なみんな家族の事を……ずっと、守ってくれる?」



 震える手から剣を滑り落としたマルクに、セシリアは優しく問いかける。彼は肩を震わせ、こくりと静かに頷いて、華奢なセシリアの体を強く抱きしめた。



「……っ……うん……守る……守るよ……」


「……」


「……お前が残した、大事なもの……全部……全部、これから、ずっと……」



 声を震わせ、嗚咽を噛んで、マルクは涙をぼろぼろと落としながら彼女に告げる。ぼやけた視界の端で、ローゼリアの花弁が枯れ落ちるのが一瞬見えた。──ああ、もう、本当に終わりだ。彼女はこの手を離れて行く。



「……ずっと、俺が……」



 ──守って行くから……。


 消え去りそうな声を紡ぎ、おそらくもう二度と触れる事のない華奢な背中をマルクは強く抱いた。止めどなく涙を落とす彼の背後で、ジーンとガノンも目元を押さえて震えている。少し離れた場所から眺めていたトキだけが、不機嫌そうに眉根を寄せて視線を逸らしていた。


 ふと、泣きじゃくる声が響く空間に、コツコツと踵を踏み鳴らす足音が響く。



「──眠りの王女様は目が覚めたかしら?」


「……!」



 その場に居る面々が顔を上げ、声の主へと視線を向ける。穏やかな表情で現れたのは、シスター・ドロシーであった。



「……シスター……」


「セシリア、トキさんを連れて二人で部屋にお戻りなさい」


「……えっ……?」


「彼にしたい話があるでしょう?」


「……!」



 ドロシーの言葉に、セシリアはぎくりと身を強張らせた。一瞬たじろいだ彼女の反応を見逃さず、ドロシーは穏やかに微笑む。



「……あら、そういうつもりじゃ無かった? だったら、強要はしないけれど」


「……、いえ」



 セシリアは一瞬俯いたが、ぱっと顔を上げると凛と澄んだ翡翠の瞳をまっすぐとドロシーに向けた。ドロシーは穏やかに微笑んだまま、彼女の動向を見守る。



「……全て、お話しします」


「……そう」


「……トキさん!」



 すぐさまセシリアはトキへと向き直り、マルクから離れて骨張ったトキの手を掴む。少し不機嫌そうな様子で顔を上げた彼にぎくりと肝を冷やしつつも、セシリアは柔く微笑んでその手を引いた。



「……貴方に、伝える事があるんです。ついて来てくれませんか?」


「……」



 何かを決意したようなセシリアの澄んだ瞳に貫かれ、トキは眉根を寄せたまま小さく溜息を吐きこぼした。地面に落ちた短剣を拾い上げ、彼は頷く。



「……王子様なんだから、丁重にエスコートしろよ」


「……はい! もちろんです!」



 破顔したセシリアに手を引かれ、トキは歩き始めた。


 手を繋いで離れる二人の姿が、徐々に暗い通路の奥へと消えて行く。その背中を切なげに見つめ、マルクはそっと視線を落とした。



「……追い掛けないのね」



 大人しく身を引くマルクに、ドロシーは目を細める。マルクは彼女に視線を移し、己の目尻に浮かぶ涙を指で拭いながら口を開いた。



「……シスター、貴女でしょう」


「なぁに?」


「……あの賊の男をこの場所へと導いたのは」



 鼻を啜り上げながらぽつりとこぼしたマルクに、シスターは柔く微笑むばかり。「さあ?」とすっとぼける彼女にマルクは表情を歪めた。このたぬきめ、と胸の内だけでぼやく。



「……大方、俺の部屋の扉でも開け放って、あの男をおびき寄せた……って所ですか。狡い人だ」


「ふふ、憶測だけで物を言うものじゃありませんよ、マルク」


「よく言う。……しかし、分かりませんね。貴女は俺の計画に賛同してくれているとばかり思っていましたが。……ずっと俺のしている事に気が付いていながら、泳がせていたでしょう? 俺の勘違いでしたか?」



 赤くなった目元を擦り、マルクは青い双眸を向けて問い掛ける。ドロシーは「そうね……」と小さく呟き、瞳を伏せた。



「……賛同していましたよ。昨晩までは」


「……昨晩?」


「ええ」



 ドロシーは閉じていた瞼を持ち上げ、どこか遠くを見つめて切なげに微笑む。



「……昨晩、セシリアが彼と、中庭で口付けているのを偶然見るまでは……、ね」


「……!」


「……あの子、いつの間にあんな幸せそうな顔するようになったのかしら、って……。もしかしたら彼なら、あの子の全てを受け入れてくれるんじゃないかしら、って……思ってしまったのよ」



 歳かしらね、と付け加えて、ドロシーはにっこりと笑った。マルクは視線を落とし、「そうですか……」とこぼした後、更にぼそりと声を紡ぐ。



「……セシリアの回復速度は、半年前と比べても……格段に落ちています」


「……」


「……おそらく、もう……」



 俯くマルクの背後で、ガノンとジーンも一様に表情を歪める。ジーンに至っては未だに涙の粒を落としていた。


 ドロシーは「そうね……」と穏やかに呟き、セシリアとトキの消えた通路の奥を見つめる。



「……いつか、後悔するのかもしれないわ。ここでセシリアの時間を止めて、永遠に眠らせておけばよかった、って」


「……」


「……でも、変ね。自分でもよく分からないのだけれど……もしかして、彼なら──セシリアを救えるんじゃないかって、思ってしまったのよ」



 ──永遠の眠りの中に沈んでいたセシリアを、現実へと導いた、彼なら。


 微笑みを浮かべるドロシーの背後で、マルクは苦く表情を歪める。そんな彼の肩を、不意に大きな手ががしりと掴んだ。



「……さ、マルク。これからお前にはみっちりと説教に付き合って貰うぞ! なあジーン!」


「……当たり前です。聖騎士たる立場にありながら、このような無茶をして……!」



 不敵に笑うガノンと、ズビズビと鼻を啜り上げながら睨むジーンにマルクは目を向ける。彼は嘆息しつつ苦く微笑んで、「はあ、しょうがないな……」と地面に落ちている剣を拾い上げた。



 ──結局、俺は彼女の騎士にも、王子にもなれなかった。



 マルクは剣をしまい、もう一度二人が消えた通路の奥を見つめる。ローゼリアの真っ赤な花弁が枯れ落ちて行くのを視界に入れながら、彼はそっと、瞳を閉じた。



(……俺は彼女にとって、ただの“呪いの果実”でしか無かったんだ)



 己の手を取って微笑む可憐な彼女の笑みを思い描いて、また目の奥にツンと熱が染みる。


 それに気が付かない振りをして、マルクは身を翻し、彼女の居ない空っぽの棺の中から目を逸らした。




 2




 ──ガチャ。


 セシリアに手を引かれるまま通路を進み、トキが辿り着いたのは簡素な部屋の中だった。しかし何処となく室内にはセシリアの匂いが満ちていて、どうやら彼女の部屋らしいとぼんやり理解する。


 しばらく留守にして部屋を空けていたせいなのか、随分と殺風景で物が少ないように感じた。存外不器用な彼女の事だから自室もおそらく散らかし放題なのだろうと踏んでいた彼の予想が見事に外れる。


 セシリアは徐ろにトキの手を離し、暗い部屋の中に明かりを灯した。その時不意に、彼女はトキの肩口に付けられた傷を偶然見つけてしまったらしく、悲痛に表情を歪めて口元を覆う。



「……と、トキさん……その怪我……!」


「……あ? ……あぁ……」


「た、大変……! すぐ治しますね……!」



 見た目ほど大した傷では無いのだが、言うや否やセシリアは一瞬で治癒魔法を唱えてあっという間にトキの傷を癒してしまった。相変わらずのお人好しだな、とつい溜息が漏れる。



「……あとは、大丈夫ですか? 痛い所とか……」


「……別にない。大丈夫だ」


「……ごめんなさい。こんなに怪我させて……」



 しゅん、と肩を落とすセシリアに、トキの眉間の皺が深くなる。彼は居心地悪そうにガシガシと後頭部を掻くと、「いいから、さっさと本題に入れよ」と半ば投げやりに声を発した。その言葉にセシリアがぴくりと反応する。



「……っ」


「……何か、話があるんだろうが。聞いてやるから、ちゃんと話せ」


「……は……はい……」



 セシリアは俯き、気まずそうに視線を泳がせる。──この期に及んでまだ迷っているらしい。先程は凛として、話があると言い切ったくせに。

 トキは呆れたように溜息を吐きこぼし、先に口開いた。



「……どうせ話ってのは、例のアンタのの件だろ」


「……」



 セシリアは視線を逸らしたまま、おずおずと頷いた。トキはギシリと近くのベッドに腰掛け、不意に彼女に手招きをする。



「来い」


「……」



 呼べば、セシリアは素直に彼に歩み寄った。するとトキはその手を掴んでそのまま彼女を引き寄せ、多少強引に自身の隣へと座らせる。短く悲鳴を上げて腰掛けた彼女の手を握ったまま、トキは揺らぐ翡翠の瞳をじっと見つめた。



「……いいか、よく聞け。アンタが何を恐れてるのか、俺には分からない。だが、俺は何を言われても、今更アンタの事を嫌いになったりもしない。そんな事で嫌えるんだったら、もうとっくにアンタなんか嫌ってる」


「……」


「言ってみろよ、アンタの事。俺に教えろよ、全部。……例えアンタに汚い過去があろうと、例え人間じゃなかろうと……俺は、アンタを受け入れるから……」


「……っ」



 至近距離で囁かれる言葉に、セシリアは表情を歪めた。──俺は、アンタを受け入れる──そんな言葉が、セシリアの胸を刺して貫く。


 彼は優しいのだ。こうして醜い自分を全て受け入れようとしてくれる。けれどそれが辛かった。──そんな優しい彼を裏切っているのは、セシリアの方なのだから。



(……言わなくちゃ……)



 これ以上、お互いにのめり込んではいけない。彼が欲しいと感じてしまう、この感情の名前に気が付いてはいけない。


 もう今更、後には引けなかった。告げれば彼を傷付けてしまうのは分かっている。──だからせめて、これ以上、その傷口を深く抉らないように。


 セシリアは覚悟を決め、自身の首元を覆っているチョーカーに手を伸ばした。



「……トキさん……」


「……ん?」


「……私ね、ずっと……貴方に嘘をついてた……」



 カチリ。チョーカーの金具に細い指が触れる。トキは眉を顰め、彼女の動向を黙って見守った。



(……震えてる……)



 金具に手を伸ばしたセシリアの手が、痛々しいほどに震えている。


 ──この時はまだ、彼女の全てを受け入れられると思っていた。受け入れるつもりだった。例え彼女が何者でも、どんな過去があっても。全部受け止めて、これまで通りに旅を続けて行こうと。


 そう思っていた。


 だが、そんな考え自体、甘かったんだ。



「……ずっと、言えなくて……ごめんなさい……」



 ──カチン。


 セシリアの指が、チョーカーの留め具を外す。彼女の白い肌から離れ、ゆっくりと落ちて行く黒いチョーカー。


 その下から現れた“それ”に──トキは目を見開いて硬直する。



「──……!?」



 どくん、と嫌な音が胸の奥で鳴り響いた。次いで、背筋が一気に冷たく凍り付いて行く。


 顕になったセシリアの首元から、目が、離せない。



(……待て……待てよ……嘘だろ……)



 トキは息を飲み、目を見開いたままじわりと手のひらに汗を滲ませた。


 彼女の首元をぐるりと囲うように刻まれていたのは、浅黒い、“”の刻印。──神に仇なす者を意味する、この世のことわりに反した、「在ってはならない者」の印。


 によって、この世に呼び戻された者の──。



「……トキさん、あのね、」



 ──やめろ。


 あれほど求めていた彼女の言葉を、心が強く拒絶する。


 信じられると思った。

 セシリアの事なら、きっと信じられると。

 人の心を、信じる心を、取り戻せると信じていた。


 ──でも、甘かったんだ。



「私……私は……」



 にこ、と哀しい笑顔を作って、セシリアは今にも泣き出しそうな目尻を細める。


 ──ああどうか。誰か、嘘だと言ってくれ。




「……もう、死んでいるんです……」




 ──彼女の存在自体、全部、嘘だったなんて。




 .

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