第51話 真実の泉(※2019/09/20内容修正)
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「あの、トキさん、どこまで行くんですか!?」
ざくざくと草木を踏み締め、トキはセシリアの手を引いたまま森の中を歩いていた。その足取りには怒気が感じられ、不機嫌そうに振り向いた彼にセシリアは戸惑う。
「……お、怒ってます……?」
おずおずと、彼女は問い掛けた。するとやはり不服げに、トキはチッと舌を打つ。
「……その服、アイツのか」
「……え……? あ……はい、そうですけど……」
「脱げ」
「……はいっ!?」
ガバッ、と突如トキはセシリアの服の裾を捲り上げた。セシリアは悲鳴と共に慌てて彼の腕を掴み、「何するんですかあ!!」と真っ赤な顔で抵抗する。
「うるさい、脱げ。得体の知れない野郎の服なんか着せられてんじゃねえよ」
「え、得体の知れない野郎って……! ロビンさんはいい人ですよ! 意識のない私を五日間も面倒見てくれて……!」
「……あァ!?」
セシリアの発言によって、トキの目は更に吊り上がった。怒気に満ちた低音を発した彼にセシリアはびくっと肩を揺らして慄き、たらりと嫌な汗が浮かべながら生唾を飲む。
「おい待て、アンタあの男とそんなに一緒に過ごしてたのか? 二人で」
「……え、えと……ステラちゃんも居ましたから二人では……!」
「ンなもん、二人なのとほぼ変わらねーだろ!」
鋭い声と共に、セシリアの身体は木の幹にドン! と押し付けられた。「きゃっ……!」と短く悲鳴を上げたセシリアの肩を掴み、トキは彼女の服を剥ぎ取らんばかりに胸元までたくし上げる。
「ひゃあッ!? や、やだ! 何するんですかトキさんっ……!」
「……のか……」
「……っ、え、」
「あの男に抱かれたんじゃねえのかって聞いてんだよ」
低く、怒りの滲んだ声が囁き、セシリアの白い肌をじろりと睨む。セシリアはカッと頬を赤らめ、ぶんぶんと首を横に振った。
「そ、そんな事あるわけないじゃないですか!!」
「どうだか。アンタは相手に迫られたら流され易いとこあるからな」
「……っあ、ちょっと……!?」
骨張った熱い手のひらが肌の上を滑り、彼女の
触れるか触れないかの焦れったい動きにセシリアは表情を切なげに歪め、身じろぎながら吐息混じりのくぐもった声を漏らす。普段はトキの情欲を煽るその反応も、今では苛立ちの材料にしかならない。
「……ほらな。こうやって触られると、アンタはすぐそれだ」
「……っち、がい、ます! 本当にロビンさんとは何もありません……!」
「何もされてない証拠はあんのかよ」
「きゃ……っ」
ぐり、と下着の中に入り込んだ指が強引に肌に触れる。更にトキは彼女の耳にがぶりと食らいつき、熱い舌で弱いその場所を
「……あ……っ、やだ……!」
「は、胸好きだよなアンタ。あんまり声出すとさっきのバンダナの男に聞こえちまうぞ、いいのか?」
「……っ」
耳元で囁かれた声にセシリアは小さく震えて、口元から零れ落ちそうになる声を抑える。ぢゅ、と耳からダイレクトに伝わる彼の舌の音に、ぞくぞくと背筋が波立って痺れた。
「あ、ぅ……、トキさん、や、やめて……」
「やめて欲しいんならもっと抵抗しろよ。簡単に俺を受け入れてんのはアンタだろ」
「……っ、そ、それは……!」
「仮にあのバンダナ野郎と何も無かったとしても……こうやってアイツに触られたら、お優しいアンタは受け入れちまうんだろうが」
苛々と、胸中に蔓延する黒いモヤ。それを吐き出すようにトキはセシリアに冷ややかな言葉を投げつけ、素肌に滑り込ませた指を弾いた。ぞく、と駆け抜けた刺激にセシリアの体が跳ね、揺らぐ瞳を切なげに細める。
「……いやっ、……っちが、違います……っ」
「へえ? じゃあアンタ、あんなガタイのデカい男に迫られて抵抗出来るのか? 俺の腕も振り払えないくせに」
「私はっ……!」
セシリアは潤んだ瞳で真っ直ぐとトキを見つめた。その視線に貫かれ、トキはぎくりとたじろぐ。
やめろ、その眼は苦手だ、と思わず身構えてしまうが、彼が怯んだ事になど気がつかないまま、彼女は震える声を紡いだ。
「私は……トキさん、だから……」
「……」
「相手が貴方だから……抵抗しようと、思えないんです……」
「……っ!」
真っ赤な顔でそれだけ伝えると、セシリアは視線をずらし、恥ずかしそうに唇を結んでしまった。僅かに震える肩に置かれた己の手のひらが、じわりと熱を持って汗を滲ませる。
(……なんだ、それ……)
一瞬、理解が追いつかなかった。続く沈黙の中で彼は静かにセシリアの言葉を咀嚼し、飲み込む。
──相手が、俺だから、抵抗しない。
そう言っているのだと理解した途端、あれほど蔓延っていたはずの苛々が何事も無かったかのように消えて行く。思わず頬が緩みそうになり、トキはさっと顔を逸らして漏れ出そうになる笑みを噛み殺した。誤魔化すように口から飛び出したのは、いつも通りの素っ気ない皮肉。
「……お優しいアンタの事だし、誰にでも言うんだろ、それ」
しかしそんな歯切れの悪い皮肉ですらも、素直さの塊である彼女は易々と飛び越えてしまうわけで。
「言いません! トキさんだけです!」
真っ直ぐな瞳で、そう言い切られてしまった。「……ああ、……そう……」とトキはたどたどしく相槌を打ち、やはり居心地悪そうに目線を逸らす。
彼女の素直さは、時々体に毒だ。薄汚れた自分には眩し過ぎるからやめて欲しい。──しかしそんな彼の心の声がセシリアに届く事はなく、むしろ自身が疑われているとでも思ったのか、「本当です!」「貴方にしか触らせたくありません!」と爆弾のような発言をぽんぽんと容易く投下し始めた。大真面目にとんでもない事を言い始める彼女にトキは眉間を寄せ、頬に集まる熱を引き上げたストールの内側に隠すとセシリアから離れる。
「……っ分かった、分かったから黙れよ、もういい」
「でも、誤解されたくなくて……! 私は本当に貴方だけにしか……!」
「ああ、くそ、分かったって……」
赤く染まる頬をストールで隠し、トキは必死に食い下がるセシリアに背を向けて歩き始めた。一方のセシリアも乱れた衣服の裾を正し、彼の背中を追いかける。
「……トキさん、あの……まだ怒ってますか……?」
「……別に」
「……そもそも、何で怒ってたんです……?」
「……」
アンタが他の男と居るのが面白く無かったから、とは言えなかった。そんなくだらない事で苛立っているのだと思われてしまったら──事実とはいえ、情けなさすぎる。
むすっと眉間に皺を寄せたまま、トキは何も答えず淡々と森の中を歩くばかり。セシリアも首を傾げつつ後に続くが、ふと、視線の先に硝子のように透き通った大きな泉が現れた事で二人の足はぴたりと止まった。
「……わ……綺麗な泉……!」
「……!」
キラキラと鏡のように反射する水面が、森の木々と青い空を鮮明に映し出している。トキはその泉に見覚えがあった。──確か、呪いによって死にかけている際に、一瞬この泉を見たような気がする。あの時は気にしている余裕など無かったが。
そんな事をぼんやりと考えていると、後方から「プギぃぃぃ!!」と唐突に断末魔が響いた。げっ、とトキが表情を歪めて即座に振り向けば、やはりステラが全速力でこちらに向かって来ていて。そのままトキにぶつかる──という寸前で、彼はそれをひらりと躱す。
「プギョーーッ!?」
──ズコォ!!
トキに避けられたステラは止まる事なく真後ろの茂みを豪快に突き抜け、顔面から全力で地面へと突っ込んで行った。フン、とトキは鼻を鳴らし、地面に転がるピンクの子豚を冷ややかに見下ろす。
「そう何度も同じ手を喰らうか、バーカ」
「おーい! 大丈夫かぁ!?」
「!」
不意に背後から別の声が響き、それがロビンのものである事を理解するとトキは盛大に眉間を寄せて舌打ちを放った。アデルと共にバタバタと駆け寄って来たロビンは、セシリアとトキの姿を交互に見て「……あれ、ストラフティルは?」と首を傾げる。彼からぷいっと顔を背けてしまったトキの代わりに、苦笑いを浮かべたセシリアが地面に転がるステラを指差した。
「あそこに……」
「……あーあ、気絶してら。さっきコイツがストラフティルのこと舐めたら、ビビって飛んで行っちまってさぁ……」
「ガウ」
アデルはブンブンと尻尾を振り、すりすりとロビンの腰元に頬を擦り寄せている。その光景に、トキは己の中で再びイラッと苛立ちが芽生えるのが分かった。
(こいつ、犬まで手懐けてやがる……)
魔物のくせに出会ったばかりの男への警戒心がこれっぽっちも見当たらないアデルへの苛立ちも募るが、「何だよ、腹減ったのか?」とへらへらしながらアデルに微笑みかけているロビンはより一層気に入らない。無意識のうちにじとりと睨み付けてしまっていると、その視線に気が付いたらしくロビンはふと自身の黒い瞳を持ち上げた。
「……あ、えーと、トキ?」
「……」
「あの……俺の顔に何か付いてる?」
へらり。困ったように笑って、ロビンはぽりぽりと頬を掻く。何も答えず睨み続けるばかりのトキの様子に、セシリアはハラハラと口元に手を当てて二人のやり取りを見守っていた。
「……別に」
冷たく発して、トキは透き通る泉の水面へと顔を背けてしまう。よほど警戒しているらしい、とセシリアは眉尻を下げ、ロビンに向かって「ごめんなさい、本当は優しい人なので……」と彼のフォローを入れるのが精一杯だった。
「良いって、俺もいきなり馴れ馴れしく話し掛けちまったからさ。やっぱ俺、人との距離感とか調整すんの下手なんだよな〜……」
「いえ、ロビンさんが悪いわけじゃないです! トキさんはその、少しだけ警戒心が強い人でして……」
おろおろと必死にロビンをフォローし始めたセシリアに、ロビンはデレっと鼻の下を伸ばしながら「可愛いなあ」「癒しだなあ」などと呑気な事を考えていた。──しかし突如鋭い殺気を感じ、ハッと目を見開いてロビンは彼女の背後に視線を向ける。すると、不機嫌なオーラを全身から滲み出し、鋭い眼光でぎろりとこちらを睨みつけている紫色の双眸と目が合ってしまって。
ロビンはぎくりと肝を冷やし、ぎこちなく視線を逸らすとセシリアからじりじりと距離を取った。
「え、あ、ああ〜……いやあ、はは、そっかあ」
「……?」
「ふ、二人は、これからどうすんの? つーか此処には何しに来てたわけ? 観光……ってわけじゃ無さそうだけど」
引き攣った笑みを浮かべるロビンの言葉にセシリアは首を傾げつつ、「ああ、それは……」と口火を切ったが──つい言い淀んだ。魔女の呪いの話も、女神の涙の話も、勝手にペラペラと喋ってしまったらトキがまた怒るのではないだろうか、と躊躇してしまう。
しかし彼女の心配とは裏腹に、答えを返したのは意外にも背後の彼であった。
「──俺の呪いを解く為に旅をしてる」
「……!」
唐突に会話に乱入して来たトキは、ぐっとセシリアの肩を掴むと自身の元へ強引に引き寄せた。「きゃ!」と短く悲鳴を上げたセシリアが困惑気味に視線を泳がせるが、お構いなしに彼は彼女の肩を抱き寄せる。
「訳あって、俺は北の果てに棲む災厄の魔女から死の呪いをプレゼントされちまったんだよ。で、こっちの聖女様と旅してるってわけだ。コイツがどうしても俺にクスリをあげたいって言うんでな」
「……な……っ!」
「……クスリ?」
トキの発言にロビンが眉を顰める中、セシリアは頬を真っ赤に染め上げてしまった。にや、と楽しげに笑う彼の横顔を睨むが、トキは知らん顔で更に続ける。
「ああ、毎晩クスリを飲んで呪いを凌いでる。とびっきり濃くて、甘いヤツでな。俺専用の」
「……っ」
「まあ、俺的にはもう少し濃いのを摂取したい所なんだが、この聖女様がなかなか強情でね。無理に
にやり、不敵に彼の口角が上がる。次々と紡ぎ出される暗喩的な言葉に、セシリアはとうとう耐えきれず俯いてしまった。しかし勿論、ロビンにはその真意が理解出来ない。
彼はぱちぱちと瞬きを繰り返し、にやつくトキを凝視しながら口を開いた。
「……クスリ……、死の呪い……? そのクスリを摂取しないと、アンタは死ぬ……って事か……?」
「ああ、特に最近はこの呪いも強くなって来やがってな。今夜も濃いのを貰わないと死んじまう。……なあ? セシリア」
「……」
ぎゅう、と胸の前で両手を握り締め、恥ずかしそうに目を逸らしているセシリアに囁けば、彼女は小さく頷いて更に頬を赤らめてしまう。その反応を満足げに眺めたトキがにんまりと口の端を持ち上げた頃──ガシ、と無骨なロビンの手がトキの両肩を強く掴んだ事で、彼の表情からは笑顔が消えた。
「……あ? いきなり何──」
「……ねえか……」
「……は?」
ぼそりとこぼれた低い声。トキが眉を顰めたその瞬間、ロビンは突如ガバアッ! とトキの体を自身の腕の中にしまい込んだ。
「──!!?」
「泣かせるじゃねえかあぁぁ!!!」
瞳一杯に溜まった涙をとめどなく流しながら、ロビンは叫ぶ。あまりに唐突な事で、トキは自分の身に何が起きているのか全く理解ができなかった。そんなトキを更に強く抱きしめ、彼は続ける。
「うぉおお!! まだそんな若ェのにクスリ漬けの毎日とは……ッ!! 俺はアンタを応援するぜ!! 必ず魔女の呪い解けよぉぉ!!」
「……ッ、……ッ!!」
「ちょ、ちょ、ちょっとロビンさん!? ストップストップ! トキさんが潰れちゃう!!」
「あ」
ロビンは鼻水を啜り上げ、「悪い悪い」と苦笑して腕の力を緩めた。筋肉質な彼の腕の中から解放されたトキは、ようやく鼻から入り込んだ酸素を肺の中一杯に取り込み──ブチブチブチッ、と音を立てて切れそうなほど血がのぼった血管を浮き立たせると、利き手である左拳をぐっと強く握り締める。そして──。
──ドッゴォ!!!
怒りの籠った彼の左ストレートは、見事にロビンの顔面を殴り飛ばしていたのであった。
2
「いっててて……」
「ごめんなさい、ロビンさん……」
「いや……大丈夫……」
完全にブチ切れたトキがロビンの顔を殴り飛ばし、綺麗な放物線を描いて彼が地面に突っ伏してから数十分。すっかり怒ってしまったトキは十メートルほど離れた木の陰からロビンを睨み付け、溢れんばかりの敵意を露骨に放っている。
(本当に猫みたい……)
威嚇する野良猫さながらの彼に、セシリアは苦い笑みをこぼすばかりだった。ちなみに先ほど彼女は、ロビンの衣服を着ている事を未だに根に持っていたトキにとうとう怒鳴られ、元々着ていたワンピースに無理矢理着替えさせられてしまったという一幕まである。子供みたいなんだから、と呆れる彼女は、遠くからこちらを睨んでいるトキにやれやれと肩を竦めた。
血の汚れが落ちた純白のワンピースに身を包む彼女がロビンの傷の治療を終えた頃、ロビンは「すげえなあ」と感嘆の声を漏らしつつ、再びセシリアに問い掛ける。
「……で、二人はこれからどこを目指すんだ?」
「あ、えっと、北の大陸に行きたいので……とりあえず飛空挺に乗る為にカーネリアンを目指そうかと」
「あー、なるほど。飛空挺なァ……」
ふと、ロビンは顎に手を当てて苦い表情を返した。セシリアが首を傾げる中、彼は続ける。
「今、空は物騒だぜ。“カルラ信仰”を掲げた空賊がやたらと飛び回ってて」
「カルラ信仰?」
「反ヴィオラ教っていうか……“自由”を崇拝する“カルラ教”っていう宗教があるんだよ。分かりやすく言うと、アンチ女神の過激派宗教だな」
「アンチ女神……」
聞き馴染みの無い単語にセシリアは眉を顰めた。セシリアが信仰する“ヴィオラ教”は、大地の女神ヴィオラを崇拝しており、この世界“シズニア”で広く信仰されるごく一般的な宗教である。
ロビンはセシリアの身分がヴィオラ教の神官であるが故に、カルラ教徒に狙われるのではないかと懸念しているようだった。
「本当に飛空挺に乗るんだったら、アンタが神官だってことはあまり表沙汰にしない方がいいぜ。ヴィオラ教徒が見せしめに殺されたって話も聞くし」
「……そんな事が……」
「カーネリアンの街自体は安全だと思うけどな。賞金稼ぎのギルドもあるし、デカイ街だから」
「……!」
賞金稼ぎ、という言葉にセシリアはハッと目を見張った。そういえばこの人賞金稼ぎだった……! と遠くから未だに睨んでいるトキをちらりと一瞥する。
(トキさんが盗賊だってバレたら、捕まえられちゃうかも……)
さっき殴っちゃったし……、と危ぶんだセシリアは、にこりとぎこちない笑顔を貼り付けて無理矢理会話の内容を“賊”から引き離した。
「そ、そう言えば、ロビンさんはなぜこの森に?」
「ん? ああ、俺は“真実の森”のパトロールに来てたんだよ。最近はこの辺も物騒な噂が多いからな」
「……真実の森?」
「そう。この森の事だけど……知らずにウロウロしてたのか?」
意外そうに目を丸めたロビンに頷くと、彼はふと、離れた所に座っているトキの背後に広がる泉を指差した。
「あそこに泉があるだろ? あれは“真実の泉”っていうんだけど、実は魔女の力で作られた泉なんだ」
「!」
「泉の底に〈
ロビンの説明を黙って聞いていたトキは背後の泉に目を向け、その透き通った水面を覗き込んだ。──そこに映し出されていたのは、普段と何ら変わりのない己の姿。
(……なるほど。普通の人間が水面に映った所で、何も起きないってわけか)
ちゃぷん、と指先を水面に滑らせる。つまり正体が疑わしい者をこの泉に映せば、真の姿を炙り出せるという事だ。試しに気を失って倒れているステラを引っ掴んで映してみたが、やはり何の変化もない。
(まあ、変装なんかを見破るのにはちょうど良い仕掛けかもな)
トキは小さく息を吐き、ぽいっとステラを後方に投げた。その体をアデルが見事に口でキャッチする。そのまま丸っこい子豚を楽しげにぺろぺろと舐め始めたアデルだったが、ステラが起きれば再び大絶叫だろう。
「……〈
トキは呟き、広い泉を見渡してみるが、底に沈んでいるらしいその姿は確認出来ない。真実を映す水、という事は、元の魔女は
(ドグマと話すと、機嫌を取るのが面倒だからな……)
ふう、と小さく溜息を吐き、トキは立ち上がる。「おい」とセシリアに呼び掛ければ、その後ろ姿がびくっと跳ね上がった。
「無駄話には気が済んだろ。そろそろ出発するぞ」
遺品が“指輪”でないのなら、例え〈
「……おい、何でアンタまで付いてくるんだ」
一気に声を低めたトキが牽制すると、ロビンは困ったように「いやほら、俺も一旦カーネリアンに戻んねーといけないから付いて行こうかと……」と微笑む。トキは眉間の皺をより一層深く刻み、ふざけんな筋肉ゴリラ、どっかに消えろ! と罵声を浴びせるべく口を開いた。──しかし、その声が発せられる事はなく。
(──は?)
トキは今しがた発しようとした言葉を飲み込み、食い入るように目の前の泉を凝視した。その水面に映し出された光景から目を離す事が出来ず、彼は硬直したまま動けなくなってしまう。
突如固まってしまったトキに、首を傾げたのはセシリアだった。
「……トキさん? どうしました?」
「……」
不思議そうに尋ねる彼女を、トキは見開いた薄紫の瞳で黙ったまま見つめる。どういう事だ──と、彼はたった今映し出されている“真実”を脳内で整理しようとするが、何一つそれが理解出来なかった。
再び水面に目を向けるも、やはり映し出されている光景は同じで。
「……? あの、トキ、さ……」
硬直するトキの視線を追うように、セシリアの視線も水面へと流れる。
そして、彼女の背筋はゾッ、と凍り付いた。
「──ッ!!」
三人と二匹が映し出されているはずのその水面には──セシリアの姿だけが、映っていなかったのだ。
「……は!?」
ロビンが驚愕に目を見張り、セシリアと水面を交互に見比べる。彼女は震える両手で口元を押さえ、その場にふらふらと座り込んだ。その表情は恐怖に慄くようなそれで、みるみるうちに顔面が蒼白に染まって行く。
真実を映すはずの泉に、彼女の姿が映らない──それがどういう事なのか、トキには分からなかった。
「……どういう事だ!? 何でセシリアだけ映らないんだよ!?」
「……」
ロビンが隣で叫ぶ中、セシリアは何も言わず座り込み、顔を青ざめたままガタガタと身を震わせている。トキは彼女の姿を見下ろしながら──いつかドグマが言った、ある言葉を思い出していた。
暗闇にふわりと浮かぶ青い光。『ああ、そうそう、』と口火を切ったドグマは、己に依存の警告をした夢の中でこう言ったのだ。
あの娘、貴様に何か隠している事があるぞ──と。
「……セシリア」
呼び掛ければ、セシリアの体がびくっと震える。トキはじわりと汗が滲む手のひらを握り締め、答えない彼女のつむじを見つめた。
「……アンタ……」
「……」
「俺に、一体……何を隠してる……?」
彼の問い掛けに、俯くセシリアは黙ったまま。
葉が落ちて揺れる透き通った水面は、ただ静かに、彼女の居ない森の中を映し出していた。
.
〈真実の森と彼の過去……完〉
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