第50話 赤髪の新参者
1
ゆらゆらと、夢うつつを彷徨う意識が船を漕ぐ。現実と夢の間を行き来する微睡みの中、さらりと自身の前髪が、何者かの指によって掻き分けられたような気がした。
優しく額に触れる手。頭を撫でられる感覚。
遠い昔に、姉のジルがそうやって自分の髪を撫でてくれた事を思い出す。
トキはぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと瞼を持ち上げた。すると「あ、」と困ったような鈴の音が、心地よく耳に届いて。
「……ご、ごめんなさい……! 起こしちゃいました……?」
慌てたように声を発したのはセシリアだった。どうやら眠っていたトキの頭を撫でていた犯人は彼女らしい。
「……、セ、シリ、ア……」
己の掠れた声がか細くその名を紡いだ瞬間、トキは酷く喉が乾いている事に気がついて思わず咳き込む。目の前に座り込んでいたセシリアはそれを予期していたかのように、あらかじめ用意していたらしい飲み水をトキへと差し出した。
「だ、大丈夫ですか!? お水……!」
「……ああ……」
差し出された革袋を受け取り、カラカラに乾いた喉の奥へと水分を流し込む。ようやく喉が潤い、小さく息を吐けば潤んだ瞳を揺らしたセシリアが心配そうにトキの顔を覗き込んだ。
翡翠のようなその瞳が自分の姿を映している事に、トキは思わず表情を歪めてしまいそうになる。
「……アンタ……生きてるん、だよな……?」
ぽつり、問いかければ、セシリアの表情がぴくりと強張った。アルマによって傷付けられたはずの首元に、彼はそっと手を伸ばす。
「首、切っただろ……あの時……」
「……」
「血が……出てた、だろ……」
徐ろに伸ばされたトキの手がセシリアの首元に触れる。首回りを隠した黒いチョーカーと顎の隙間、ほんの僅かにさらけ出されている白い肌。彼が最後に見た彼女は、その場所をナイフで深く切り裂き、真っ赤な血をとめどなく流していた。
思い出すと思わず手が震えてしまいそうで、トキはぐっと唇を噛み締めながらセシリアの首を指でなぞる。そこにはもう、傷一つ見当たらなかった。
「……どうやって助かったんだ……あの状況で……」
「……そ、それ、は……」
セシリアは言い澱み、視線を泳がせる。暫く黙り込んだ彼女は、やがておずおずと口を開いた。
「……よ、よく、わかりません……気がついたら、その、森の中で……眠っていたので……」
「……」
「……」
セシリアは俯き、続く沈黙を恐れながらじわりと手のひらに汗を滲ませる。流石に無理があっただろうかと危ぶむ彼女だったが、彼は何も言わず、ただゆっくりとセシリアの首の上を指の腹で撫でた。その感触に思わずぴくりと瞼を震わせてしまい、セシリアはぎゅっと目を閉じる。
「……っ、くすぐったい、です」
「……ここに……」
「……え……」
「……ここに、居るんだな? ちゃんと……」
首元から離れた彼の手が、セシリアの頬に添えられる。確かめるように触れる不安げな指の動きに、セシリアは暫し呆然と瞬いてしまったが──やがてやんわりと微笑んで頷き、骨張った彼の手の上からそっと自分の手のひらを重ねた。
「……はい。居ますよ、ちゃんと。あなたの傍に」
優しく返された答えに、トキの胸がぎゅっと締め付けられる。彼はそのまま空いている手をセシリアの背中に回し、ぐっと引き寄せて彼女の肩口に顔を埋めた。
「えっ! と、トキさん……っ」
「……」
無造作に跳ねた、黒い癖毛が頬に触れる。まだ不安なのか、それとも安心しているのか。表情の読み取れないトキは黙ったまま動かない。
セシリアは戸惑いつつも、小さな子どもにでも接するかのように彼の後頭部をそっと撫で、「……心配してくれたんですか?」と囁きかけた。すると、背中に回された手に更に力が篭る。
「…………、した……」
「……ふふ、珍しい。素直なんですね」
「……うるせ……」
トキからの抱擁に答えるように、セシリアも彼の背中に両腕を回した。暖かい体温に包まれながら、トキは彼女の肩口にぐりぐりと額を押し付ける。「もう、くすぐったいです」と小さく笑う心地よい声を聞きながら、彼は目を閉じた。
とくん、とくん、と繰り返す鼓動の音が、彼女が生きている事を証明していて。そんな当たり前の事に、情けないほど安堵してしまう。
そのまま暫く、二人はその場で抱き合っていた。風に吹かれる森の木々の音だけが耳の奥に染み込んで、不安に満ちていた胸の奥が徐々に落ち着きを取り戻して行く。
そんな中、先に口を開いたのはセシリアの方で。
「……トキさんは、あの男の人と……お知り合い、だったんですか……?」
おずおずと、慎重に、セシリアはそんな事を尋ねた。“あの男の人”というのがアルマの事を示しているのだとすぐに理解してしまい、トキはぐっと言葉を飲んで黙り込む。
「……」
続く沈黙。おそらく答えたくないのだろうと、セシリアは静かに察してそっと彼を抱きしめた。何も言わないトキの背を優しく摩り、セシリアは再び口を開く。
「……ごめんなさい。言いたくないんですよね」
「……」
「……あのね、トキさん、私ね……貴方の事、何も知らないなって、思ってたんです」
背中を摩りながら言えば、トキは一瞬ぴくりと彼女の言葉に反応した。彼の黒い髪に頬を寄せ、セシリアは続ける。
「今までトキさんが生きてきた日々の事、私は何も知りません。あの男の人との間に何があったのかも、私には分かりません」
「……」
「……でも、私……貴方の事を全部知りたい、とか……そういう言葉は、言いたくないんです。トキさんはきっと、自分自身の過去の事を誰かに話したくはないと……、思い出したくはないと、思っているんでしょう?」
「……」
返事の代わりに、トキはぐっとセシリアの肩に深く顔を埋めた。そんな彼を優しく受け入れ、セシリアは更に言葉を続ける。
「貴方が話したくない事は、何も言わなくていいです。思い出したくない事も、思い出さなくていいです。私に何も教えてくれなくても、それで構いません」
「……」
「トキさんが私の知らないところで、どんなに醜い感情や、弱い心を内に秘めていたとしても……私は、貴方の事を咎めたりしないから」
迷いなく紡がれるセシリアの言葉が、トキの耳の奥に心地よく、染み込むようにじわじわと入り込んで来る。
彼女はどうしてこんなにも真っ直ぐに、いつも自分を甘やかす言葉ばかりを与えてくれるのだろうか。甘い言葉には罠があるのだと警戒して然るべき己の心は、どうしてこんなにもすんなりと、その言葉を受け入れてしまうのだろうか。──ぼんやりと考えてみても、答えは出ない。
黙ったまま何も答えないトキは、ただじっと彼女の肩口に額を押し付けて唇を噛むばかりだった。すると不意に、それまで迷いなく言葉を紡いでいた彼女の声が、「でも……」と一瞬の戸惑いの色を浮かべ、僅かに震える。
「……一つだけ、約束してくれませんか……」
セシリアは声を落とし、トキの髪に頬を寄せるとぎゅっと強く彼の体を抱きしめた。その耳元に囁きかけるように、彼女は小さな声を絞り出す。
「──無茶は、しないで……ください……」
「……」
「私は……貴方がどんなに醜い野望を掲げていたとしても、どんなに汚い感情を持っていたとしても、構いません。……でも、自分の命を
背中に回された手に力が篭もり、セシリアの声が震える。トキは肩口に表情を隠したまま、黙って彼女の言葉を聞いていた。
「私は……貴方の心の苦しみを知りません。だけど時々、どこか遠くへ消えてしまいそうな目をする貴方が、心配なの……」
「……」
「私は、私の命ある限り……トキさんが私の事を必要としてくれている限り、ずっと、貴方の傍にいます。だから……」
「……やめろよ……」
ぽつり。セシリアの声を遮るように、トキは掠れた声を紡ぎ出した。ひゅ、と息を飲むセシリアの細い体をぎゅっと抱き寄せ、トキは「やめろ……」と再び繰り返す。
「どうして、そんな事言うんだ……、俺は……」
「……」
「……俺はあの男を殺すためなら、命だって、捨てる気でいたのに……」
──自分の命を
そんな優しい言葉を吐いてくれるなと、トキは苦々しく唇を噛みしめた。
今まで復讐のためだけに、自分の人生を捧げて来た。アルマを殺せるのなら刺し違えて死んでもいいとすら思っていた。もちろんあの時も、そうだったのに。
「やめてくれ……アンタがそんな事言い出しちまったら……俺は……」
「……」
「俺は……死ねなく、なる……」
セシリアを抱きしめる腕の力が強くなり、トキは表情を歪めて声を絞り出した。
優しい言葉をかけないで欲しい。甘い言葉で揺らがせないで欲しい。自分が求めてしまっているその言葉に、気付かせないでいて欲しかったのに。
「嫌です」
──けれど、こちらがいくら冷たく突き放して、これ以上来るなと線引きしたところで──彼女はいつも軽々とその境界を飛び越えて、欲しいと願っている甘美な言葉を、当然のように与えてしまうから。
「私は……トキさんが死んだら、嫌です……」
「……っ」
「死なないで、欲しいです……。私は、貴方に……」
──生きていて、欲しいの。
真っ直ぐと放たれる言葉が、耳に痛い。痛くて優しくて、暖かすぎて──目の奥がじわりと熱を帯びた。ぐっと歯を食いしばって耐えるが、沈黙の中で吐いた呼吸の音が震えていたのが、もしかしたら伝わってしまったかもしれない。
(……くそ……)
情けない。情けなさすぎて顔が上げられない。そう思って黙ったまま、トキは零れ落ちてしまいそうな目元を誤魔化すようにセシリアの肩に表情を押し付けた。
そんな彼の様子にふと、くすくすと穏やかな笑い声をこぼしたのはセシリアで。
「……やっぱり、トキさんは大きな猫さんみたいです」
「……バカにしてんのか」
「ば、バカになんてしてません! 私、犬も好きですけど猫も大好きですし……!」
「……」
そういう問題じゃないだろ、と相変わらずの天然ボケっぷりに目尻に溜まっていた涙が引いて行く。やっぱりバカだなこいつ、と呆れてしまうが、その能天気な彼女の性格に救われているのは事実だった。
トキはようやくセシリアの肩口から顔を上げ、ほんのりと充血した瞳でじっと彼女を見つめる。
「……キス……」
「え?」
「キス、したい」
告げれば、セシリアが驚いたように目を丸めた。直後、その瞳がふるりと不安げに揺らぐ。
「え!? も、もしかして苦しいですか!? また発作が……!?」
「……違う。そうじゃなくて」
「へ、」
「俺は、“クスリ”が欲しいわけじゃなくて──」
先ほどまで顔を埋めていた細い肩を掴み、トキはセシリアにぐっと顔を近付けた。丸々と見開かれた翡翠の瞳に向かって、彼はぽつりと言葉を続ける。
「──アンタと、ただ、キスがしたい」
「……は、……え……?」
「……していいか?」
至近距離で囁く低い声。珍しく真剣な表情。セシリアの心臓は途端に大きく跳ね上がり、顔を赤く染め上げた。
──キスがしたい、って。していいか、って。……そんなの……──
「──……だ、」
「……」
「……だめ、なんて……言うわけ、ないじゃないですか……」
火照った頬を真っ赤に染めて、セシリアはおずおずと言葉を紡ぐ。トキは恥ずかしそうに視線を泳がせる彼女に小さく微笑み、満足げに目を細めるとそっと骨張った指を顎に添えた。
「……知ってる」
「……いじわる……」
「……そうかもな」
嬉しそうな笑みを引いた唇が近付き、ちゅ、と一瞬だけ重なってそれはすぐに離れた。薄紫の瞳に至近距離で見つめられ、薄く開いたセシリアの瞳が戸惑いがちに揺れる。
「……何、物足りない?」
「……っ、ばか……」
「くくっ……」
楽しげに喉を鳴らし、トキは再びセシリアの唇を塞いだ。柔らかなそれを啄みながら、彼女の耳の裏をそっと指でなぞる。ぞくっと肌が波打つのを感じ、セシリアの眉根が切なげに寄せられた頃、気を良くしたトキが彼女の服に手をかけようとして──ぴたりと、その動きは止まった。
(……あ?)
不意に感じた違和感。トキはセシリアの脇腹付近に手を添え、感触を確かめるように彼女が身に纏っている衣服の生地を指でなぞる。
セシリアが着ている服がいつもと違う事には気がついていた。だが、明らかにサイズが大きすぎる上に随分と着古されたような形跡がある事にはたった今気がついたのだ。ずっと腕の中に抱き込んでいたせいで全く気にしていなかったが、彼女の着ている服をよくよく見てみれば、それはどこからどう見ても──男性用の服に見える気がして。
「……おい、これ何だ?」
ぱっと唇を離し、トキはセシリアに問い掛けた。セシリアは一瞬きょとんと不思議そうに目を丸めたが、彼が自分の服の事を尋ねているのだと理解すると「ああ、これですか?」とやんわり微笑む。
「私の服、汚れてしまったので……少しの間借りてるんです」
「借りてる……? 誰からだよ」
「あ、それはですね──」
そういえば、彼にはロビンの事を話していなかった気がする。そう考えて説明しようとセシリアは口を開いたのだが、その直後、森の奥から響き渡った断末魔の悲鳴によって彼女の声はかき消されることになったのだった。
「──プギィィィーーー!!!」
2
突如、森の中に響き渡った悲鳴。二人はびくっと肩を震わせて振り返った。するとざわめく木々の向こうから、猛スピードでこちらに向かって来るピンク色の子豚と目が合って。
ぎくりとトキが身を強張らせたが、既に遅かった。
「プギュウ!!」
「ぐふッ!?」
「きゃあ!?」
猛烈な勢いで突進して来たステラの体当たりは見事トキの脇腹にクリーンヒット。彼は追突したステラごと真横に吹っ飛び、背後の大木に体を打ち付けて倒れた。
「と、トキさん!!」
大慌てでセシリアが駆け寄る。彼はピクピクと身を震わせ、額に青筋を浮かべながら苦しげに地面に蹲っていた。
一方、突進したステラもトキの体に押し潰される形で倒れており、短い手足をじたばたと動かしながら「ふぎゅ〜……」と力無く鳴き声を漏らしている。
「だ、大丈夫ですか?」
「……こ……っの……クソ豚……殺す……!」
「ふぎゅぎゅぎゅ……!」
怒気を滲ませるトキの下敷きになっているステラは懸命に踠き、ようやく彼の下から抜け出した。「プギ、プギ……!」と何かに怯えるように体を震え上がらせているステラだが、どうやら背後から睨み付けているトキの殺気に怯えているわけではないらしい。
「もう、ステラちゃん! 駄目じゃない、トキさんまだ体調が万全じゃないんだから……!」
「プギギ、プギィ……!」
「あ、え? ちょっと……」
ステラは怒り心頭のトキなどお構いなしに、慌ただしくセシリアの背後へと隠れた。何かに怯えているその様子に、セシリアは小首を傾げる。
「……? どうかしたの?」
「プギュ、プギュギュ……」
セシリアの背中に縋り付き、ガタガタと震えるピンクのフォルム。今にも泣き出しそうなほど瞳を潤ませているステラに疑問ばかりが募る中、もう一匹の仲間が「ガウ!」と威勢良く吠えながら二人と一匹の元へ駆け寄って来た。
ドシドシと上機嫌に走ってくるアデルを視界に捉えた途端、びくーっと慄いたステラは背中の羽根を大きく広げる。
「プギぃぃ〜〜!!!」
「きゃあ!?」
ふわり、突如浮き上がった体。セシリアを捕まえたまま飛んだステラは、好奇心に満ちた目で見上げてくるアデルと目が合うとガタガタと震え上がった。どうやらアデルを怖がって逃げて来たようだが、そんな事よりもパニックになったステラによって空中に浮いてしまったセシリアの方が今度は顔を青ざめる。
「ひっ……、た、高……っ! す、ステラちゃん、大丈夫だから! 落ち着いて、ね?」
「プギュギュ……!」
「ほら、降りよう? 大丈夫よ、アデルは優しいから、ステラちゃんを食べたりしないし……」
「フギュギュギュ……!」
ステラはぶるぶると震え、セシリアの背後からちらりと真下にいるアデルを見下ろした。一方のアデルは白銀の尻尾をぶんぶんと振り、キラキラと好奇心に満ちた金色の瞳を真っ直ぐとステラに向けている。──しかしそんな悪意のない視線も、ステラにとっては獲物を狩るような目に見えてしまうようで。
「プギィーーッ!!!」
「わ、わっ!? ちょっとステラちゃん、危なっ……!」
ぎゅんっ、とステラは一気に方向転換し、更に高く飛び上がった。ようやく痛みが治まって顔を上げたトキが騒ぎに気付いた頃には、既にセシリアとステラの体は十メートル程の高さを浮遊していて。
「……!? おい何してんだ!?」
ギョッと目を見開いたトキが叫ぶと、ステラはその声に驚いたのか「プギャ!?」と鳴いてぱっと口を開いてしまった。──その瞬間、支えを失ったセシリアの体ががくん、と急降下する。
「きゃあああ!?」
「──!!」
まずい、とトキは即座に地面を蹴った。あの高さから落ちればタダでは済まないだろうという事ぐらい誰が見ても分かる。彼は落下するセシリアに追いつこうと必死に手を伸ばしたが──どう考えても間に合いそうにはなくて。
(くそ、頼む……!)
間に合え、と強く願った──刹那。
猛スピードで落下して来た彼女の体を、木々の間から飛び出して来た何かが奪い取るように掻っ攫った。トキが息を飲んだ数秒後、二人の体は地面に転がる。
──ドサッ。
「きゃあ……っ!」
「いっ、て!!」
「……!!」
落ちて来たセシリアの体を抱き留め、転がるように地面に突っ込んだのは紺色のバンダナを頭に巻いた赤髪の見知らぬ男だった。彼はセシリアを抱いたまま即座に上体を起こし、焦ったように慌ただしく彼女の顔を覗き込む。
「セシリア!! 大丈夫か!?」
「……ろ、ロビンさん……?」
「怪我は!? 痛い所とか無いか!?」
「あ……だ、大丈夫です。ありがとうございます、受け止めてくれて……」
「……はぁぁ〜……びっくりさせんなよぉ……心臓止まるかと思ったぜ……」
「ひゃあ!?」
ロビンは安堵したのか、深い溜息と共にぎゅうっとセシリアの体を抱き込んだ。唐突な抱擁に思わず顔を真っ赤に染めたセシリアがおろおろと黙り込んでしまうと、一連のやり取りを眺めていたトキの額にピキリと青筋が浮かび上がる。
(……は?)
──誰だ、コイツ。
突如現れた見知らぬ男にトキは眉を顰めた。馴れ馴れしくもセシリアの体を抱き締め、先ほどまで自分が顔を埋めていた肩口に額を押し当てている姿に彼の中の何かがブチりと音を立てて切れる。
トキはどすどすと怒りを滲ませた足音を重々しく踏み鳴らし、密着している二人の体をベリッ! と引き剥がしてロビンの肩を突き飛ばした。「うお!?」と叫んで尻餅をついた彼を冷ややかに見下ろしつつ、トキはセシリアの腕を掴み取って自分の背後に隠す。
「わっ! ……と、トキさん!?」
「……」
唐突に割り込んで来たトキを見上げ、セシリアは驚いたように目を丸めていた。そんな彼女の頬がほんのりと赤く染まっているのを視界に入れると更に苛立ちは募るばかりで、トキは面白くなさそうにチッ、と舌を打つ。
一方、突き飛ばされたロビンは地面に座り込んだまま、じいっとトキの顔を見上げていた。暫しだんまりと彼の姿を見つめていたロビンだったが、ややあってその表情はにっこりと破顔する。
「……おお! アンタ目が覚めたんだな! 良かった良かった、セシリアが随分心配してたんだぜ? 無事で何よりだ、なあセシリア!」
「……」
──セシリア。
馴れ馴れしく彼女の名前を紡ぐ彼にトキはぴくりと眉を顰め、眉間の皺を一層深く刻んだ。どうやらトキの機嫌があまり良ろしくなさそうだという事を背後のセシリアは察したらしく、「あ、えと……その……」とたどたどしくロビンに返答する。しかし肝心のロビンは、トキの気が立っている事になど全く気が付いていないらしかった。
「いやあ、アンタも大変だったな! 俺はロビン! アンタの名前、トキだろ? よろしくな!」
へらへらと気さくに話しかけ、ロビンはトキの肩をぽん、と軽く叩く。大丈夫だろうか……、と他人に対する警戒心がとりわけ強いトキの背後でそんなロビンの動向をセシリアは危ぶむが──案の定、大丈夫なわけがなく。
バシン! と肩に添えられた彼の手を払い除け、トキはぎろりと目の前のロビンを睨み付けた。
「……気安く触ってんじゃねえよ」
「……へ……」
「俺はアンタみたいな得体の知れない男と慣れ合う気なんかない。……話しかけんな」
冷たく吐きこぼし、トキはセシリアの腕を掴んで背を向ける。セシリアはオロオロと戸惑いながら「ちょ、ちょっとトキさん……!」と説得を試みたが、やはり無駄な事だった。
そのままセシリアを引きずり、トキはロビンから距離を取るように遠くへと離れて行く。そんな二人を見つめ、呆然と立ち尽くしたロビンはひくりと頬を引き攣らせた。
「え、ええ〜……? “トキさん”は“優しい人”なんじゃねえのかよぉ……セシリアぁ〜……」
話が違う……、と一人肩を落としたロビンに、不思議そうに目を丸めたアデルだけが、「アゥン?」と返事を返してくれたのであった。
.
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