第28話 路地裏の秘め事(※2019/09/20内容修正)


 1




 しょうかんって、何ですか?


 純粋無垢に放たれたその質問に、トキは頭を抱えていた。本当に何も知らないのかコイツは。どうやって今まで生きてきたんだ? とあまりの世間知らずっぷりに目眩がしそうになる。よっぽど過保護な保護者のいる環境で、何も知らずぬくぬくと過ごして来たに違いない。



「……あの……私、そんなに変なこと聞いてます……?」



 ふと、頭を抱えるトキの様子を察したのかセシリアがおずおずと口を開く。ああそうだよ、と心の中で吐き捨てながら、トキは彼女に視線を戻した。



「……本当に知らないのか」


「……え? え、ええ。名前ぐらいなら聞いたことはあるんですが、どういう所なのか尋ねてみても修道院の方々は答えてくれなかったので……」


「……」



 ほら見ろ、やはり過保護な保護者のいる温室育ちじゃないか。トキはじっと見つめて来る純粋な瞳から居心地悪そうに目を逸らし、溜息混じりに口を開いた。



「……娼館ってのは、だから……いわゆる夜の店だ。女が客を取って相手をする」


「夜の店……」



 トキの言葉を復唱しながらセシリアは手のひらを口元に当てて暫し考え込む。伝わったか……? と黙ったまま視線を向ければ、セシリアはやはり不思議そうに首を傾げていて。



「……酒場ですか?」



 ……違う……。


 はあ、と再び深い溜息が漏れる。その反応に彼女は慌ただしく「ち、違いましたか? ごめんなさいっ……!」と謝るが、何故謝っているのかすらも謎だ。


 心が綺麗なのは大いに結構だが、旅をしている以上、その無知さは非常に危険で。



「……アンタ本当、いつか必ず痛い目に遭うぞ」


「……え、何故です……?」


「何故って……何も知らないからだろ」


「でも修道院の方々は、世の中には私が知らなくて良いこともあると……」


「……ハアー……」



 どこまでも温室育ちな発言を繰り返すセシリアにトキは苛立ちを募らせるばかりだった。彼女に世間のことを教えなかった“修道院の方々”とやらに直接文句を言い放ちたい気分である。甘やかし過ぎだ、少しは世間の闇を見せろと。



「……とにかく。娼館はアンタにとっていい所じゃない。絶対行くなよ」



 トキは被っているフードの中に片手を突っ込み、ガシガシと後頭部を掻きむしりながら掴んでいたセシリアの肩を解放した。しかし一度離れかけたその手を、伸ばされた彼女の手が捕まえる。彼の眉間は訝しむように寄せられ、視線は再びセシリアの元へ。



「……何だ」


「……あの、結局、何をするところなんですか?」


「は?」


「娼館です。知らないと危ないから、知っておいた方がいいんですよね? ……だから、教えて欲しくて」



 手を握り、上目遣いに見上げてくる瞳にトキはぐっと息を飲み込む。おそらく深い意味は無い。しかしだからこそ、天然で放たれる発言の危うさに彼の眉間は深い皺を刻んだ。



(……だから、そういう危なっかしいことを軽々と言うな、この馬鹿……!)



 “娼館ってどういう所なのか知りたいから、教えてくれませんか?”、なんて、少なくとも暗がりの路地裏で男と二人っきりの時に言うべき言葉ではない。相手が相手であれば完全に勘違いされる。しかしもちろん、彼女は悪戯心で言っているわけでも無ければ誘っているわけでも無い。


 あくまで純粋に、自らに欠けた知識の一つを埋めようと情報を欲しているのだ。だから殊更タチが悪いのだが。



「……本当に知りたいのか? 聞いたら後悔するかもしれないぞ」



 脅しを掛けるように声を低めるが、鈍いセシリアは怯む様子もなく「はい!」と素直に頷いた。更には「教えて欲しいです!」「お願いします!」と詰め寄って来る始末で、トキは小さく舌打ちを放つ。


 そういう無防備な所が危なっかしいのだと、どうやったら伝わるのだろうか。他人のことをすぐに信用する。例えそれが旅の同行者だとしても、相手は男。完全に気を許してはいけないとなぜ分からないのか。


 ──ああ、もう、面倒くさい。



「……わかった、教えてやる」


「えっ、本当ですか!」


「ああ。ただし──」



 トキは薄い唇を開き、掠れた声を紡ぎ出す。直後、完全に油断しきっているセシリアの腕を強引に掴み取った。

 びく、と驚いたように肩が跳ね、翡翠の瞳が大きく開く。再び彼女の背を冷たい壁に押し付けた頃、ようやくセシリアは彼の瞳の奥でけぶる飢えた情欲に気が付いた。



「──直接、体にな。身をもって学べよ」



 え、と間の抜けた声が漏れる。その時には既に、彼の手は彼女の身体へと伸ばされていた──。




 2




「……っ、え、あのっ、……!?」



 身を以て学べ。そう言うが早いか、セシリアのレインコートを留めていたボタンはトキの手によって一瞬で開け放たれる。

 抵抗する間もなくするりと滑り込んで来た冷たい手が、ワンピースのスカートをたくし上げて彼女の素肌にそっと触れた。



「ひゃ、冷た……っ!?」



 雨に濡れて冷え切ったその手の冷たさにセシリアは眉根を寄せて身をよじるが、そんな彼女の反応などお構い無しにトキの手はどんどん上へと上がって行く。「やだ、トキさん!」と抵抗の声を上げながら、セシリアは片手で封じられている腕に力を込めた。



「……何だよ。アンタが教えて欲しいって頼んだんだろ? 娼館がどんな所か」


「……っ、た、確かに、言いましたけど、何でこんなこと……! こんなの駄目ですっ……外なんですよここ……!」


「ああ、よく分かってるじゃないか。だったら黙ってろよ? 誰かに見られて恥ずかしい思いしたくねーんならな」


「……!」



 にやりと口角を上げ、トキはセシリアの両手を掴んだまま器用に彼女の被っていたフードを取り去ると赤く色付いた耳に歯を立てた。びく、とセシリアは肩を震わせて唇を噛む。



「……っ、」


「……いいか? 娼館ってのはまず、女が男を客として取るんだ」



 弱い耳を食みながら、吐息混じりに耳元で囁く。セシリアはぞくぞくと背筋が波立つのを感じ、強く目を閉じた。



「部屋に入ったら、男は買った女の身体を触る。こうやってまず上から」


「……ん、っや……!」



 衣服に入り込んでいた手がもぞりと動いて、セシリアの胸に冷たい指先が走る。円を描くように周辺だけをなぞり、肌に触れるか触れないかというギリギリのラインで動くその手の感触がむず痒い。


 焦らすように触れてくる不埒な指先が、彼女の体内に痺れるような熱を生む。指先は冷たいはずなのに、トキに触れられた箇所が溶けてしまいそうなほど熱を帯びて、セシリアは漏れそうになる声を懸命に押し殺した。



「……女が昂って来たら、次は直接触れる。場所はどこでもいいが、だいたいココだな」


「だ、だめ、待っ……!」



 下着を器用にずらされ、トキの骨張った手のひらが程よく膨らんだ柔らかな丘を包む。制止するセシリアの声など聞くつもりもないのか、彼の手は止まることなく動き続けて。

 思わず声が漏れそうになり、セシリアが腰を引く。押さえられている腕にはもはや力が入らず、高揚する熱に抗うことが出来ない。その様子を満足げに見下ろし、トキは嘲るように笑った。



「……あーあ、硬くしちまって。外でこういうことするの好きなのか?」


「……や……違っ……、人に見られたら、やだ……!」


「アンタいつもより感度いいぜ、本当は見られたいんじゃないのか?」


「……ぁ……っ」



 ぢゅ、と耳を舌が這って吸い上げる。少し触れるだけでもいちいち反応を見せる彼女の様子はトキの征服欲を掻き立てるばかりで、彼は瞳を細めて舌舐めずりをした。



「……ああ、そう言えば、娼館の説明の途中だったな」



 ふと、トキは白々しく呟いて片手で捕らえていた彼女の両腕を解放する。そのまま空いた手でワンピースを大きく捲り上げれば、「きゃあ!?」と悲鳴を上げ、セシリアは自由になった両腕で捲れ上がったスカートを押さえ付けた。

 しかし力の抜けた彼女の抵抗など何の意味も成さず、容易く服の中へと潜り込んだトキは目の前の白い素肌に長い舌を伸ばしていて。



「あっ、やだっ……!」



 触れた熱い舌の感触が肋骨付近の肌の上を滑る。ぞくっ、と背筋に痺れが走り、セシリアの顔は急速に熱を帯びた。

 トキは徐々に顔の位置を上げ、片手で包み込んでいる方とは逆の胸に軽く歯を立てる。



「娼館で戯れる時は、指だけじゃなくて口も使うんだ。男も女もな」


「……だ、だめっ……、やめて、トキさん……っ」


「だめじゃねーよ、教えてやってんだろ。こうするんだよ」



 掠れ声が呟き、肌に舌が這った。熱く蠢く舌の感触にセシリアの口からは耐え切れなかった声が漏れる。トキは楽しげに喉を鳴らし、薄紫の瞳を彼女に向けた。



「……おいおい聖女様。そんな大きい声出すと人に見られちまうぜ?」


「……っ」



 トキの言葉に、セシリアはかあ、と頬を赤らめて口元を手で押さえる。涙の浮かぶ瞳を閉じ、懸命に声を押し殺すその様子に彼の欲は煽られるばかりで。



「……顔、赤。また熱上がったんじゃないのか」


「……っ、もう、やめ、恥ずかしい、です……っ」


「何言ってんだ、恥ずかしいことさせてんだよ」


「……う、ぅ……」



 熱を帯びた呼吸を繰り返す彼女は、薄く瞳を開いて困ったように眉尻を下げる。しかしその表情は恍惚と蕩けて、ちっとも嫌がっているようには見えない。



「……なあ、アンタ、ほんとは喜んでるだろ?」



 胸から舌を離し、再びトキはセシリアの耳元に唇を寄せる。彼女の身体はふるりと震え、動揺したのが手に取るように分かった。

 否定しないんだな、と口角を上げて、トキは空いている手を彼女の小ぶりな尻にするりと滑らせる。



「……っ」


「……上半身に触って、女を悦ばせたら……次はどうなると思う?」


「……やだ、だめ……っ」



 つつ、と長い指先に太腿を撫でられ、次なる展開を察したセシリアは密着しているトキの胸を押し返した。しかしそう簡単に彼が離れてくれるはずも無く、いやらしく太腿を撫でる手のひらは彼女の抵抗を無視して徐々に前へと移動して行く。


 そしてとうとう、未だ誰にも触れられた事の無いその場所にそっと指先が押し当てられた。



「……ん……っ!」


「……くくっ。おかしいな、聖女様」



 耳元で愉快そうに喉が鳴らされ、トキの掠れ声が囁く。セシリアは瞳を潤ませて口元を覆い、片手で彼のレインコートを握り締めた。



「……こんな所まで雨が入ってきたのか? 随分湿ってるみたいだが」


「……~っ……!」


「なあ? 答えろよ」



 耳を啄まれ、ショーツの上で指先が動く。心底楽しそうな彼の声に、セシリアは小さく首を振って漏れそうになる声を押し殺すしか無かった。

 触れる指先が溶けるような熱を発して、もはや抗う気にもなれない。ああ、そんな所、触っちゃだめ。そう思っているのに、身体はその刺激を求めるばかり。



「っ……トキ、さん……っ、も、だめ……」


「……女が十分濡れたと思ったら、」



 セシリアの言葉も無視して、彼は再び耳元で囁く。そのまましっとりと湿った下着の中心を、とんとんと指先で軽く叩いた。



「ここの奥に、男のを突っ込む」


「……っ」


「優しい客が相手ならいいが、そうでない客が相手だと気が狂うほど痛いかもな」



 脅すように放たれた低い声が耳の奥に響き、「だから娼館なんか行くなよ」と暗に告げられているようで。はあ、と熱い吐息を繰り返しながら、セシリアは震える声を絞り出した。



「……い、行かない、です……知らない人にも、ついて行かないから……っも、許して……」


「……」


「お願い……私、これ以上、触られたら……っ」


「……触られたら?」


「……っ」


「どうなるんだよ」



 楽しげな口振りで口角を上げるトキがわざと指先を強く押し付ける。ぞくん、と全身を駆け抜ける痺れに耐えきれず声を発すれば、気を良くしたのか彼は何度もそれを繰り返した。やめて、と必死に訴える彼女だが、その表情はどう見ても嫌がっているようには見えない。



「……くく、外でこんなことされてんのに蕩けてんじゃねーよ」



 トキは漏れそうになる笑いを噛み殺しながら、セシリアの顎を持ち上げ、そっと自らの唇を近付ける。


 あ、キスされる──そう察して、セシリアはぎゅっと目を閉じた。


 しかし唇が触れ合うまで残り数センチ──というところで、トキはハッと我に返ってその動きを止める。彼の脳裏には、夢の中でドグマに告げられた「依存」の警告が響き渡っていた。



「……っ」



 唇が触れる寸前、トキは眉間を寄せ、己を制して持ち堪えた。セシリアの顎に添えていた手を離し、そのままその手で彼女の口元を塞ぐ。



「!?」



 え、と閉じられていた翡翠の瞳が驚いたように大きく見開かれた。完全に口付けられるとばかり思っていたセシリアは、突然手で口を塞がれたことに動揺し、戸惑ったように視線を泳がせる。

 そんな彼女の顔を見ないようにしながら、トキは足の間に滑り込ませている指の動きを速めた。



「っ……!?」



 不意に与えられた刺激にセシリアの腰は浮き上がった。得体の知れない感覚が下腹部の奥から込み上げ、表情が切なげに歪む。

 ぞくぞくと身体の内側から波のような熱が押し寄せ、体内の熱が火を放つように上昇する。息が上がり、レインコートを握る手に力がこもって、縋るようにトキの目を見つめた。──しかし、薄紫色のその瞳と視線が交わることは無くて。


 胸の奥が、切なく締め付けられる。



「……ん、ん……」


「……ほら、さっさとイけよ」


「ん、ぅ……っ!」



 大きく身体が震え、とうとう限界値まで広がった熱が彼女の全身を溶かそうと膨らむ。口元を強い力で押さえ付けられたまま、熱を帯びて膨らんだ情欲が、いよいよ弾ける──という直前で。



「……あの、大丈夫ですか?」


「──!!」



 不意に耳に届いたのは、第三者の声。


 二人はハッと目を見開き、トキはセシリアの足の間に滑らせていた手を離すと素早く彼女のレインコートの前を閉じてその肌を隠した。くたりと力無く倒れ込んで来たセシリアの身体を支え、トキは何事もなかったかのように振り返る。


 声を掛けてきたのは青い雨具に身を包んだ童顔の女で、心配そうな表情でじっとこちらを見つめていた。



「……あの、本当に大丈夫? 変な声が聞こえたから、何だろうって見に来たんだけど……」


「……ああ、そうか。ご心配どうも。でも大丈夫だ、何でもない」



 腕の中にセシリアを隠しながら、平然とした様子でトキは女に言い放った。しかし彼女は心配そうな表情のまま、真っ赤な顔で息を乱しているセシリアを見つめる。



「……でも、その子の顔、すごく真っ赤よ? 呼吸も辛そうだし、念のため病院に行ったほうがいいんじゃ……」


「──アミラ!」



 ふと、そこまで続けた彼女の背後からまたもや別の声が響いた。ばしゃばしゃと水溜まりを散らしながら駆け寄って来たもう一人の女は、“アミラ”と呼ばれた女の腕を掴むと強引にその手を引く。



「バカ、あんた何やってんの! 行くわよ!」


「えっ……でもあの人体調が……」


「いいから!」



 女はアミラを叱咤し、気まずそうな表情でその手を引いて足早に去って行く。アミラは終始心配そうにこちらを見ていたが、結局その女に連れられてどこかへと消えて行った。


 薄暗い路地に、降り頻る雨の音だけが静かに響く。何だったんだアイツ……とトキは嘆息し、腕の中で震えるセシリアの身体をゆっくりと解放した。



「……ほらな、誰かさんが声出すから。訳の分からん女に見つかっただろ」


「……」


「……? おい、」



 反応のない彼女に眉を顰め、トキはそっと屈んで俯いているその顔を覗き込む。刹那、目の前にフッと影が差して。


 ──べちんっ!



「……いっ!」



 トキの顔面に一発、そこそこ威力のある平手打ちが放たれた。ぱちりと目を瞬くと、目の前では真っ赤に頬を染めたセシリアが潤んだ瞳でこちらを睨み付けていて。



「……トキさんの……」


「……?」


「トキさんの──あんぽんたんっ!!」



 吐き捨てるように一言放ち、彼女は勢いよく顔を背けた。そのまま黙って歩き始めてしまったセシリアの背中をトキは暫くぽかんと見つめていたが──ややあって、何かが込み上げたらしく彼は小さく吹き出してしまう。


 ──ああ、なんだ。



「……アンタ、怒れるんだな」



 てっきり何をされても怒らない聖人君子とばかり思っていた彼女の新たな一面を垣間見て、トキは無意識に頬を緩ませながらその背を追い掛けた。……まあ、悪口のセンスは絶望的に無かったようだけれど。



(……あんぽんたんって……)



 初めて言われたな、と思わず喉が鳴る。それをどうにか噛み殺して、トキはムッスリと頬を膨らませている聖女様の背中に追い付いた。



「そう怒るなよ聖女様。これで娼館がどういう所か分かっただろ?」


「……普通に説明してくださいよ。わざわざ実践しなくてもよかったじゃないですか」


「危機感が足りないようだったんでな。教育してやろうと思って」


「……ばか。えっち」



 未だに頬を赤らめたまま、セシリアは拗ねたようにぼそぼそと言葉をこぼす。そんな彼女の耳に唇を寄せ、「最後までして欲しかった?」と囁けば、再び目の前には影が差した。


 ──ばっちん!!



「いってえ!」


「変なこと言ってないで早く行きますよ!」


「……チッ、暴力的な聖女様だな……」



 トキは引っぱたかれた頬を摩りながら、不服げに舌を打ってセシリアを睨む。しかしやはり彼女は怒っているようで、ぷい、と即座に顔を背けられてしまった。



(……ま、少しは警戒心を覚えたようだから良しとするか)



 ふう、と小さく息を吐く。あとはご立腹の聖女様をどう鎮めるべきかという難題が残っているわけだが、まあそれは後ほどどうにかするとしよう。



(……口では怒っちゃいるが、反応は満更でも無さそうだったしな)



 くく、と再び喉が鳴る。そんな彼の前を早足で歩きながら、セシリアは未だに体内で燻っている熱を誤魔化すようにぎゅっとレインコートを握り締めた。



 ──最後までして欲しかった?



 先ほどの彼の掠れ声が、耳の奥にずっと染み付いて。



(……あつい……)



 きゅ、と下腹部の奥が静かに疼く。そんな疼きを抑え込むように、セシリアは深くフードを被った。


 暗い空からこぼれ落ちる雫は未だ降り止む様子もない。


 二人は一言も言葉を交じわさないまま、雨の降り注ぐ白んだ街の中へと、その姿を消してしまったのだった。




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