第16話 想いの矛先
1
情報収集目的で酒場に入って一時間。トキは四杯目のウイスキーに口を付けながら、目の前でむすっと口を尖らせている女店員の視線を心底面倒に感じていた。
こちらは有益な情報を得ようと周囲の会話に集中している最中だというのに、いつまでも恨みの篭った視線を向けられては気が散って仕方がない。
(チッ、面倒だな。店を変えるか)
うんざりと眉根を寄せ、残った酒を一気に飲み干そうとグラスに口を付ける。しかし不意に店の扉が勢いよく開いたことで、向けられていた視線が自然と横にずれた。
「やっほー、シェリー! ロゼくん居るー?」
甲高い声と共にヒールの音が響く。店内に入って来た女はきゃぴきゃぴとわざとらしく首を傾げるが、対するシェリーの態度は相変わらずで。
「なんだ、シャンディか。ロゼなら今買出しに出てて居ないけど。飲むなら座れば」
気怠げに対応するシェリーに、シャンディと呼ばれた女はあからさまに肩を落として口元に手を当てた。体をくねらせ、えー、と唇を尖らせる。
「ロゼくん居ないのぉ? せっかくシャンディ特製のサンドイッチ作って来たのにぃ……」
「ざーんねん。ま、そのうち帰ってくるんじゃない? 座って待っときな」
「えー、どうしよっかなあ……」
シャンディは気乗りしない様子で眉を八の字に下げ、ちらりとカウンターを一瞥する。──しかし、そこに座るトキの姿を視界に入れた途端、その瞳の色はガラリと変わった。
耳が隠れる程度にまで無造作に伸びた黒髪、物憂げにグラスを見つめる紫色の瞳、端正に整った横顔。それらが胸のド真ん中を豪快に撃ち抜き、即座に彼女のスイッチが切り替わる。
「あ~っ!! やっぱり飲んで行っちゃおーっと! ってわけでお兄さん、お隣いいですかあ?」
きゅるん、と上目遣いにトキの顔を覗き込み、シャンディは返事も待たずトキの隣の椅子に腰を下ろした。そんな彼女の様子にシェリーは頬を引き攣らせる。
「……え、え~……ちょっと、シャンディ……その男の横はやめとけば……?」
「何でよぉ、別にどこに座ってもいいじゃない! ねー、お兄さんっ」
にこ、とシャンディはトキに笑いかける。しかし当然、彼がシャンディの相手などするはずもない。それどころか一瞥すらもくれない彼に、シェリーは肩を竦めた。
「ムリムリ、そいつ態度超悪いよ。ガン無視されるって」
「えー! クールなんですねえ! シャンディときめいちゃう!」
「……ダメだこりゃ」
完全にトキの事をロックオンしてしまっている肉食系女子の様子にシェリーは頭を抱える。トキはやはり彼女に一瞥もくれることは無く、残り少ないウイスキーを喉に流し込んだ。
「お兄さん、かっこいいですねっ。お名前何ていうんですかあ?」
「……」
「私この街でお花屋さんやってるシャンディって言うんですけどぉ、お兄さんの横顔にときめきが止まらないって言うかぁ、」
「……」
「あ、お酒! もう少しで空になっちゃいますね! シェリー! この人にもう一杯同じのあげてー!」
……うるさい。
隣でキィキィと喧しく喋り続けるシャンディにトキは眉間を寄せた。香水の香りを身にまとって、馴れ馴れしく腕に寄り添って来るその体をウザったそうに振り払う。
(……くそ、面倒臭いな)
人との距離を詰める事を嫌うトキにとって、彼女のような人間は最大級に苦手なタイプだ。さっさと店を出てしまおうとグラスを一気に呷るが──ガチャン! と音を立てて開いた扉の奥から聞き覚えのある声が響いた事で、その動きは再び止まる。
「──離せよ、バカ! はーなーせー!!」
「……」
耳に届いたのは、喧しい子どもの声。つい一時間ほど前に、街の外れに置いてきたその姿。
「──リモネ! あんた何してんの、こんな時間に」
極めつけには、シェリーの口から放たれたその名前。
チッ、とトキは無意識に舌を打った。面倒なのがまた増えたじゃないか。
見知らぬ青年に首根っこを掴まれ、ずるずると引きずられるようにして入って来た少年・リモネは、舌打ちの音に気が付いたらしくパッと顔を持ち上げると不機嫌そうなトキの顔を見つめる。──ややあって、その目は驚愕に見開かれた。
「……ああーッ!?」
「……」
はあ、とトキは頭を抱える。その場にいた一同は突然叫んだリモネに何事かと視線を向けた。
かと思えば、リモネは自分の首根っこを掴んでいた青年の腹を力一杯殴り付ける。「いって!」と呻いて手を離した青年の拘束を脱し、リモネはトキの元へ駆け寄った。
「おい、怖い兄ちゃん! 何でこんなとこに居るんだよ!?」
「……こっちの台詞だクソガキ」
うんざりしたように吐きこぼせば、シェリーとシャンディは目を瞬く。
「え? リモネ、こいつと知り合い?」
「やーん、声もかっこいいんですねっ!」
少しズレた発言を放ったシャンディにひくりと一瞬頬を引き攣らせるが、シェリーはそれを無視してリモネに問い掛けた。すると彼は視線を泳がせ、言いにくそうに唇を尖らせる。
「……別に、シェリーには関係ないし」
「あん? 何なのよその態度」
「……」
リモネはぷいっと顔を逸らし、シェリーの質問を無視してトキの横に腰掛けた。しかしその首根っこは再び先程の青年に捕まえられる。
「……何しれっと座ってんの。ここは大人の来る店なんだよ、家に帰れって言っただろ」
「うわっ、離せよロゼ! 俺に触るなばーかばーか!」
「本当に可愛くないガキだな……!」
青年は額に青筋を浮かべ、頬を引き攣らせる。その意見には全面的に同意だとトキは心の中だけで深く頷いた。
どうやら、彼が先程話題に上っていた“ロゼ”らしい。サラサラとした金髪のストレートヘアで、色が白く整った顔立ちをしている。
暫くリモネと小競り合いを続けるロゼに、横からシャンディが口を挟んだ。
「いいじゃない、ロゼくん。リモネちゃんもきっと夜遊びしたい年頃なのよぉ。ねっ?」
ぱちん、と放たれたウインク。しかしロゼは眉を顰め、「ダメだ」と一蹴する。
「そういう問題じゃないんだよ、保護者同伴じゃない限り子どもは立ち入れないルールなんだから。それに親が心配するだろ、一人でこんな店に来て」
「そうそう、分かったらさっさと家に帰りな」
ロゼとシェリーが突き放すように言うと、リモネはぐっと唇を噛み締める。そして「嫌だ!」と力強く首を振った。
「俺は帰らない! 今日は用があってここに来たんだ!」
「……用? 何それ?」
「……っそ、それは……!」
不思議そうに問い掛けるシェリーと目が合った途端、リモネは頬を赤らめる。そのまま俯いて視線を泳がせ──しかしやがて決意したのか、彼は一際大きな声を張り上げた。
「お、お前に! 明日渡すものがあるから!! 昼の三時に広場の噴水の前に来い!!」
「……へ?」
「それだけ伝えに来たんだよ! じゃあな!!」
一気に捲し立て、リモネは勢い良く立ち上がる。頬を赤らめたまま逃げるように店を飛び出した彼を、ロゼが慌てて追い掛けた。
「お、おい、リモネ!」
リモネはロゼの呼び掛けを無視して、いつの間にか小雨の降り始めていた街の中を走り去って行く。あっという間に小さくなってしまったその背中を見送り、ロゼは嘆息して扉を閉めた。
「……何なんだ、アイツ。雨降ってたけど大丈夫かな、一人で」
「大丈夫でしょ。家近いし」
心配そうに表情を曇らせるロゼの言葉に適当な相槌を打ち、シェリーは大きな欠伸をこぼす。
一方、一連の流れを黙って眺めていたトキは訝しげに眉を顰め、カウンターに頬杖を付く目の前の女を見上げていた。
(……あのガキの言ってた好きな女って……、まさか、この女じゃないよな……?)
そんな可能性が浮上して──いやいやまさかと首を振る。しかしあの反応を見る限り、そうである事はほとんど確定したようなもので。
衝撃的な事実に、トキはげんなりと顔を顰めてしまった。
(……おい、冗談だろ。趣味悪……)
そんな彼の視線に気が付いたのか、凝視して来るトキをシェリーも負けじと睨み返す。
「……何よ。なんか言いたいことでも?」
「……」
目を逸らし、トキは黙って並々と注がれた酒に口を付けた。すると不意に、うーんと唇に手を当てて何かを考え込んでいたシャンディが口を開く。
「リモネちゃん、何でシェリーのこと呼び出したのかなあ?」
「……そんなの知るわけないでしょ」
「あ! もしかしてアレじゃない? 明日でシェリー、この店に勤務するのも終わりだからお別れの挨拶とか!」
「……」
シャンディの言葉に、シェリーは何も言わず視線を逸らす。ロゼも一瞬その目を伏せ、ややあって「……どうだろうな」と声を絞り出した。
トキはふと、『俺の好きな人は、明後日この街を出てしまう』と俯いていたリモネの声を思い出し、固く閉ざしていたその口を開く。
「……アンタ、明後日この街出るんだってな」
ぼそりと言葉を発したトキに、シェリーは顔を上げて目を見開いた。
「……っは? 何で知ってんの?」
「さあな。どっかのガキが言ってたんじゃないか」
「……」
シェリーは苦い表情で目を逸らした。何も答えない彼女に代わって、空気の読めない隣の女が「そうなの!」と続ける。
「シェリーったらすごいのよぉ! 貴族の息子さんに見初められて、明後日お嫁に行くんだから!」
「!」
「北の森の奥にあるお屋敷の御曹司なんだけど、もうとっても素敵なの! 羨ましいわぁー」
うふふ、とシャンディが笑顔を振り撒く。予想外の答えにトキは一瞬目を見開いたが、そこでようやくリモネがやたらと“指輪”に執着していた理由がすとんと腑に落ちた。
なるほど。彼女が結婚してしまう前に、自分から結婚を申し込もうとしていたわけだ。──いかにも子どもの考えそうな発想そのもので、トキはやれやれと額を押さえる。
シェリーは面倒臭そうに嘆息し、嬉々として話を続けていたシャンディの言葉を遮った。
「……やめてよシャンディ。あたしまだ了承してないんだからさ」
「えー!? 何でえ? 玉の輿なのにぃ」
「……」
「だってすっごくイケメンだし、優しそうだし! それにあそこの御曹司だったら、“伝説の指輪”よりもすっごい指輪用意してそうじゃない!?」
「……!」
伝説の指輪、という単語にトキはぴくりと反応した。──ずっと、リモネが執着していたあの指輪だ。
すかさずトキはシャンディに視線を向け、指輪について尋ねる。
「……その伝説の指輪ってのは、有名な指輪なのか?」
「え? あ、そっかあ、お兄さん他所の人だから知らないのね。この街に伝わる伝説」
にこ、と笑ってシャンディは腕に絡み付いて来た。一瞬突き飛ばしそうになったが何とか堪え、「教えてくれるか?」と不慣れな微笑みを浮かべてみる。
すると彼女は容易く頬を緩ませ、「もちろんよぉ~」と更に身を寄せて来た。チョロい女だ、とトキはストールで口元を隠し、口角を上げる。
「伝説の指輪はぁ、昔話に出てくる素敵な結婚指輪なの。絶対に叶わない恋をした王子様が、相手に渡すはずだった指輪をドニア山のどこかに埋めたって言い伝えがあるのよ。で、それを掘り起こして好きな人に渡すと、必ずその人と結婚することが出来るんですって」
「……へえ」
「絶対に叶わないはずだった恋も叶う指輪なんて、素敵よねえ! きっとキラキラした綺麗な宝石が付いてて、とっても美しい指輪なんでしょうね!」
「……」
トキはシャンディから目を逸らし、ロックグラスの中の氷を見つめる。
──叶わない恋も叶う、伝説の指輪。結婚して街を出てしまう女を引き止めるため、藁にもすがる思いで、リモネはそれを探しに行こうとしたのだろうか。
「……なるほど」
トキはようやく少年の
そんなことを思って溜息をついたその時、後方で扉の開く音がした。どうやらまた別の客が入って来たようで、コツコツとブーツを踏み締める音が耳に届く。
「……ああ、いらっしゃいませ。空いている席にどうぞ」
ロゼがぎこちなく対応すると、今しがた入って来た客は困ったように眉尻を下げた。そして、口を開く。
「……すみません、私、お酒は飲めないんですけど……急に雨足が強くなってしまって。少しの間だけでいいので、雨宿りさせて貰ってもよろしいでしょうか……?」
「……!」
聞き慣れた鈴のような声に、トキは勢い良く後方を振り返った。その視線に気が付いたらしく、雨でしっとりと全身を濡らした少女が嬉しそうに微笑む。
「──あ! トキさん! ここにいたんですね!」
ぱあ、と表情を明るくする彼女──セシリアの姿に、トキは目を見開いた。否、何も彼女自身の登場に驚いたわけではない。
問題なのはその格好。彼女の纏う服の状態に、彼は目を見開いたのだ。
雨に濡れ、ぴたりと張り付いた薄手の白いワンピース。普段着ているワンピースよりも簡素な作りであろうそれは、水に濡れたことによって透けてしまい、下着の色がうっすらと見えてしまっている。どうやら風呂上がりに、そのまま外へ出てきたらしい。
当の本人は気が付いていないのか、呑気にトキの元へと駆け寄って来る始末で。トキは眉根を寄せ、表情を引き攣らせた。
「よかった、実は少し迷子になってたんです。夜道だと地図を読んでも良く分からなくて……。よかったら、宿まで一緒に帰りませんか?」
相変わらず長い手袋の中に収めている両手を胸の前で握り、申し訳無さそうにセシリアは頭を下げる。普段長いタートルネックに隠れている首は太めのチョーカーで隠されていたが、白い胸元はいつもより広めに開いていた。そんな状態で頭を下げれば、うっかり胸元が見えてしまっても不思議ではない。
ちらりと周りに視線を巡らせれば、先程までゲラゲラと笑って談笑していた中年の男や若い青年達が総じてチラチラとセシリアのことを覗き見ている。トキは舌を打ち、ロックグラスを置いてシャンディの腕を振り払うとその場に立ち上がった。
「……? トキさん? どうし──」
──ぽすん。
唐突に立ち上がったトキは、ふらりと倒れ込むとセシリアの肩口に顔を埋め、雨に濡れたその体を自身の腕の中に隠すように抱き込んだ。突然のことに周囲の人々は絶句し、客からはどよめきの声が上がる。
──しかしその行動に一番驚いているのは、抱き込まれているセシリア本人であるわけで。
「……!?、!? ……っ!?」
言葉を失い、セシリアは目を真ん丸に見開いて顔を真っ赤に染め上げる。オロオロあたふたと戸惑う彼女は、周囲から向けられる好奇の目に耐え切れず口を開いた。
「とっ、とととトキさん!? な、ななな何を……!?」
「……」
トキは何も言わず、彼女を抱き込んだまま肩口に顔を埋めている。ややあってもぞりと顔を上げ、真っ赤に染まっている耳に唇を寄せればセシリアはぴくっと小さく反応した。
そして、掠れた声が囁く。
「──酔った。宿まで連れて帰って」
「……へっ……?」
その言葉を最後に、がくん! と彼の体重が突如セシリアへとのしかかった。「へあ!?」と奇声を発して足元をふらつかせる彼女だったが、何とか倒れないように踏ん張り、倒れ込むトキの体を支える。
「と、トキさん!? 大丈夫ですか!? お、お水とか……!」
「……要らん。帰る」
「わ、わっ、重い! 重いです! 分かりましたから、ちゃんと立ってください!」
今にも倒れそうなトキの体を何とか抱きとめ、セシリアはふらふらと歩き出した。するとロゼがカウンターから飛び出し、心配そうに声をかける。
「……だ、大丈夫ですか? 俺、送りましょうか」
「……え!」
その提案にセシリアは顔を上げるが、途端にトキがぐぐぐっと拒否するように彼女の首を締め付けた。ひっ、と喉を鳴らし、セシリアは首を横に振る。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫です! あ、あの、宿の場所だけ、教えてもらえませんか?」
「……え? あ、あぁ……宿なら、この道を真っ直ぐ進んで、二本目の十字路を左に行けばすぐですよ」
「あ……そうなんですね! ありがとうございます!」
セシリアは微笑み、ぐったりと凭れ掛かっているトキの体を引き摺って扉を開ける。雨を心配していた彼女だったが、どうやら通り雨だったようで、既に止んでいた。
(よかった、トキさんは濡れずに済みそう)
ほ、と胸を撫で下ろし、セシリアはロゼにぺこりと頭を下げる。そのまま扉を閉め、ふらふらとぎこちない足取りで、二人は店を出て行った。
2
──ぱたん、と扉が閉まった後、ロゼは黙って店内に戻る。相変わらずカウンターに頬杖を付きながら、シェリーは死んだ魚のような目で彼を見た。
「……ちゃんと帰れそうだった? あの二人」
「大丈夫だろ。雨も上がってたし」
シェリーの問いにロゼは答え、ふっと頬を緩める。
「──それに、あの男酔ってないだろうし」
そう続けられた言葉に、小さく息を吐いてシェリーは「だろーね」と苦笑した。シャンディだけが不思議そうに首を傾げる。
「えー、でもフラフラしてたよぉ? 酔ってなかったのぉ?」
「酔ってるわけないじゃん。見た? あの目」
「目?」
シェリーはくつくつと喉を鳴らし、グラスを拭いて棚の奥にしまう。先程、男が「酔った」と呟いて少女に凭れ掛かった際、周りで見ていた客に向けられた彼の目はハッキリと牽制の意を示していて。
「見てんじゃねーよ殺すぞ! とでも言いたげなあの視線よ。酔ってて出来るわけないじゃん。確信犯よあれは」
「えー、そうだったあ?」
「そうそう。俺もさっき送るって言った時、すごい目で睨まれたし」
震え上がったね、と苦笑するロゼにシェリーは「ご愁傷様~」と鼻で笑った。そんなやり取りを見つめながら、はあぁ~、と唐突に深い溜息を吐きこぼしてシャンディがカウンターに突っ伏す。
「なぁんだ、やっぱりあの子カノジョかあ。つまんなーい」
「何、本気であの男狙ってたの? アンタ」
「だってかっこよかったもーん」
正直に物を言うシャンディにシェリーは呆れ、やれやれと肩を竦めた。そんな彼女の横で、ロゼはトキの使っていたロックグラスを洗い始める。その姿を眺めながら、シャンディは微笑んで熱い視線を彼に投げた。
「やっぱり、私にはロゼくんしか居ないみたい! 付き合ってよぉ、ロゼくん。あ、サンドイッチ食べる?」
「要らん。帰れ」
「いやーん、つれなーい」
きゃはは、と楽しげに笑い、シャンディは腰を上げる。自分が飲んだ分の代金をカウンターに置いて、そのまま彼女は出口へ向かって歩き始めた。
「でも、これで安心でしょ? ロゼくんも」
「は? 何が?」
ロゼは蛇口を捻りながら怪訝そうに眉を顰めて顔を上げる。シャンディは足を止めて振り返った。
「血は繋がってないとはいえ、兄弟みたいに一緒に育ってきた幼馴染のシェリーがお嫁に行くんだもん。シェリーって素直じゃないし態度でかいし不器用だから、嫁の貰い手があるか心配って前に言ってたでしょ?」
「……」
「それがあんなにいい所に嫁ぐなんて! これで安心ね、ロゼくん!」
満面の笑みを向けるシャンディに、ロゼはややあって「……そうだな」と力無く返した。シェリーはその隣でそっと目を逸らし、グラスに付いた水滴を黙って拭き取って行く。
シャンディは相変わらず楽しそうに笑ったまま、カツカツとヒールを鳴らして出入口の扉を開けた。
「それじゃ、また来るねーロゼくんっ。あ、シェリーも、結婚おめでと! 幸せになってよね! また明日顔見に来るからー!」
ばいばーい、と手を振り、シャンディは店を出て行く。その姿を二人はカウンターの中で見送り、ややあってシェリーがそっと目を伏せた。
「……」
虚空を見つめ、数秒。何も言わないシェリーの横顔を静かに盗み見て、ロゼもまた何も言わずに唇を噛んだ。
「……ねえ、ロゼ」
ふと、シェリーが口を開く。ロゼはグラスを洗い流す手を止めること無く、目も合わさずに「何」と素っ気なく答えた。
「……あのさ……」
「……」
「……今夜、アンタの部屋に行っていい?」
ザーー……。
蛇口から流れる水の音だけがやけに大きく耳の奥に響く。ロゼはグラスを洗っていた手を止め、その手に掴んでいたスポンジを強く握り締めた。
「──……いいよ」
ややあってこぼれた声は、酷く掠れていて、震えそうで。
精一杯吐きこぼした返事は、流れる水の音にかき消されてしまいそうなほど小さく──やはり少しだけ、震えていた。
.
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