第14話 伝説の指輪


 1




 とっぷりと日が暮れ、三人の歩く山道は真っ暗な闇に包まれる。リモネは先程のトキの怪談話に恐れを成しているのか、ぎゅうっとセシリアの手を握り締め、落ち着かない様子で先を急いだ。

 同じく暗闇が苦手なセシリアも不安げに周囲を気にしながら、松明の灯りだけを頼りに前へ進んで行く。先導するトキの表情だけがいつもと変わらない。


 足場の悪い道を言葉少なに歩いて数分後、ようやく三人は暗い山道を下り終えた。ぽつぽつと灯る街の明かりが視界に入り、暗闇を怖がっていた背後の二人からは安堵の溜息が漏れる。



「や、やっと戻って来れた……アリアドニアだ」


「アリアドニアという街なの?」


「うん、花の街アリアドニア。南側じゃそこそこデカい街なんだぜ」


「そうなんだ……」



 セシリアは物珍しげに街の灯りを眺める。トキと最初に出会ったディラシナの街からここに至るまで、寂れた景色しか見ていなかった彼女にとっては大きな街が新鮮なのかもしれない。

 “花の街”というだけあって、街周辺には色とりどりの花々が咲き誇っていた。暗くて彩りがいまいちよく分からないのが些か残念だが、おそらく昼間は絶景だろうとセシリアは胸を高鳴らせる。


 その一方で、セシリアの前を歩くトキの眉間には深い皺が刻まれていた。その視線は咲き誇る花々に向けられ、げんなりした表情でそれらを見下ろしている。


 その様子に逸早く気付いたセシリアは、そっと窺うように彼の横顔を覗き込んだ。



「……お花、嫌いでしたか?」


「嫌いだな」



 ばっさり、即答。

 珍しくハッキリと物を言い切ったトキに目を丸くするセシリアだったが、彼はそれ以上何も言わず、早足で街の中へと入って行く。リモネは眉間を寄せ、「……何だよあの態度。感じ悪っ」と悪態をこぼした。その言葉に、セシリアは苦笑い。



「……うーん、どれだけ綺麗なお花や宝石でも、人によって好き嫌いはあるものだから……しょうがないね」


「えー、でもさあ……」


「ふふ、いいのよ。少しくらい嫌いなものがあっても」



 前を進むトキをフォローするようにセシリアは言葉を続けた。しかし横を歩くリモネは腑に落ちないようで、複雑な表情でトキの背中を見つめている。

 そんな彼の手を握り、セシリアは優しく問いかけた。



「リモネくんにも、嫌いな食べ物がいくつかあるでしょう?」


「……にんじん」


「ふふ、人参か」



 恥ずかしそうに俯いて答える彼の返答はいかにも子どもらしいもので、セシリアは頬を緩ませる。確かに私も、昔は人参あんまり好きじゃなかったなあ、などと少ない記憶を辿りながら、彼女は再びリモネに視線を戻した。



「じゃあリモネくんにとっての人参が、トキさんにとってのお花だったのよ。急に好きになれって言われても、なかなか難しいと思わない?」


「……たしかに」



 リモネはセシリアの言葉に頷き、俯く。

 彼女の発する言葉は常に優しく、心に寄り添うような不思議な魅力があった。頑なに納得したくないような言葉でも、無理に押し付けるのではなく、そっときっかけだけを与えて自分で腑に落ちる答えを導かせるような。


 どんなに刺々しい皮肉や悪態も、彼女の言葉一つでいとも容易くその棘を折られてしまう。



「……」



 人の悪いところばかり見てしまう自分がやけにちっぽけな男に思えて、リモネは奥歯を噛みながらふと彼女の手を離した。そのまま走って門をくぐり、彼は真っ直ぐと目の前の道を指差す。



「宿はこっち! 俺が案内するから付いてきて!」



 少しでも頼りになるところを見せようと、リモネは先導を切って歩き出した。ふと顔を上げた、その視線の先にはトキの姿。


 門の壁に背を凭れ、二人の到着を待っていたトキと目が合うと、リモネは「べえっ」と舌を出して宿屋のある方角へと走って行く。その様子にフン、と鼻を鳴らし、トキは凭れていた壁から背を離した。



「……可愛くないガキ」


「そうですか? 私はリモネくん可愛いと思いますよ」



 いつの間にか追いついていたセシリアがひょっこりと顔を出して答える。能天気に微笑んでいるであろう彼女の表情が見るまでもなく分かってしまい、トキはうんざりしたように肩を竦めた。



「……アンタが底抜けにお人好し過ぎるだけだろ」



 呟き、彼は煉瓦造りの街中を歩いて行く。セシリアもそれに続き、二人は先導するリモネを追いかけてアリアドニアの街の中へと消えて行った。




 2




 アリアドニアの街を歩き始めて数十分。

 街の中央部付近までやって来たところで、ようやく一行は宿屋の看板を見つけた。随分と入り組んだ場所にあったため、道案内をしてもらって正解だったな、とセシリアは一人安堵する。


 リモネは約束通り二人を宿屋まで送り届けたが、どこかそわそわと落ち着かない様子で宿の入口の前に立っていた。その表情は不安げで、何かに怯えているようなそれで。セシリアは心配そうに彼の顔を覗き込む。



「……どうしたの? 大丈夫?」


「え!? ……あ、いや、ええと……、なんでもない……」



 ぼそぼそと歯切れの悪い返事を返し、リモネは視線を泳がせた。どこか様子のおかしい彼に更にセシリアの表情が曇るが、再び彼女が声を掛けようとしたところでリモネの顔が勢いよく上がる。



「と、とりあえず! ここが宿屋だから! 案内も終わったことだし、俺はもう行くからな!」


「え?」


「じゃ!」



 早口で捲し立て、リモネはさっさと踵を返した。ちょっと待って、と呼び掛けたセシリアの声を振り切って、彼はそのまま走り出してしまう。



「あ、ちょ、ちょっと……!」



 セシリアが追いかける間も無く、その小さな体は行き交う人々の波に紛れて見えなくなってしまった。

 たいした別れの挨拶も言えず、お礼もしそびれちゃった、と気を落とす彼女をスルーして、トキはさっさと宿の中に入って行く。


 カランカラン、と客の訪れを報せるベルの音を聞きながら、セシリアは黙って人波の奥を見つめた。



(……リモネくん、様子が少し変だったような……)



 つい先ほどまで、夜の山に残る! と喚いていた彼だ。もしかしたらよっぽど街に帰りたくない理由があったのかもしれない。──何の目的で山に残ろうとしていたのか聞いておけば良かった、とセシリアは肩を落とす。


 彼女は暫くリモネの走り去って行った方角を心配そうに見つめていたが、彼の姿はもう見えない。やがて諦めたのか肩を落とし、セシリアはトキの待つ宿屋の中へと入って行った。


 ──カランカラン。先ほどと同じベルの音が、彼女を出迎える。


 先に中に入っていたトキは既に二部屋を確保したらしく、カウンターの女性から鍵を貰っているところだった。丁度そのタイミングで入ってきたセシリアに目を向けると、受け取ったばかりの鍵の片方を彼女に向かって突如放り投げる。

 予期せぬ彼の行動に、今しがた入ってきたばかりの彼女の両目は大きく見開かれた。



「え!? ……わ、わっ!」



 投げられた鍵に慌てて手を伸ばす。飛んできたそれは何とかセシリアの手の中に収まり、ホッと安堵の溜息をこぼしたところで、トキは口を開いた。



「ここからアンタとは別行動だ」


「!」



 放たれた一言にセシリアはまたも目を見開く。しかし彼女の返事も待たず、彼は更に続けた。



「物資の調達やら情報収集やら、それぞれ適当にやっておけ。必要な物資と情報を集めたら、明日の夕方此処ロビーで情報共有。その後どうするかはそこで決める。それでいいな?」


「あ、あの……別行動なんですか?」


「当たり前だろ、作業は分担した方が効率がいい。……それに、街の中でも四六時中アンタと過ごすのは御免だ」



 うんざりしたような表情を返される。しかしセシリアは不安げに視線を落とした。



「で、でも私、こんな大きな街、一人で来たこと無いので……無事ここに帰ってこれるかどうか……」


「いくら世間知らずでも地図ぐらい読めるだろ? コレ持っていけ」



 溜息混じりに折り畳まれた紙を渡され、セシリアはそれを受け取って開く。そこにはアリアドニアの街全域の地図が記されており、中心に“宿屋”の表記があった。どうやらカウンターで貰ったらしく、トキも同じ地図を持っている。



「随分と簡易的な地図だが、無いよりはマシだろ。迷ったらそれを見ろ」


「……わ、分かりました」


「それじゃ」



 素っ気なく言い捨て、不安そうに地図を見つめるセシリアを置いてトキは宿屋の階段を上がって行く。しかし彼はふと足を止め、「ああ、一つ言い忘れてた」ともう一度振り返った。



「──“クスリの時間”には、俺がアンタの部屋に行くから」


「……!」


「それだけ。じゃあな」



 ぴしりと固まってしまったセシリアに今度こそ背を向け、トキは階段の先へと消えて行く。ややあって頬を染めたセシリアは開いたままの地図に顔を埋め、深い溜息を吐きこぼした。


 クスリの時間──その言葉が指し示すのは、“呪いを緩和するための口付け”の時間に他ならない。未だに慣れない彼との“日課”の約束が、なんだかとんでもない色気を孕んだ言葉のように思えて。



「なんか、ほんとに、トキさんってずるい……」



 呟かれた声は誰の耳にも届くことなく、その場でこぼれて消えていった。




 3




 簡素な部屋のシングルベッドに旅の荷物を放り投げ、シャワールームで久々に暖かいお湯を被ったのがつい三十分前。

 さっぱりした体を柔らかくも小綺麗でもない安っぽいベッドの上に投げれば自然と瞼が重くなり、このまま眠ってしまいたい衝動に駆られた。──しかし、呑気に寝こけていられるほど暇ではない。トキは気怠い体に鞭を打って起こし、黒いインナーの袖に腕を通した。


 大きな街は情報の宝庫だ。

 人や物資の出入りが激しい分、外部の情報も入りやすく得られやすい。トキは藍色のストールを首に巻き、脱いでいたショートブーツに足を通した。これから、彼は情報収集へ向かうのだ。


 いざという時の護身用に愛用の短剣ダガーと財布のみを持ち、簡単な格好のまま外に出れば隣の部屋からは石鹸のような香りが漂う。トキは嘆息し、サアッと流れる水の音を聞きながら部屋の扉を見つめた。



(アイツまだシャワー浴びてんのか)



 呑気なもんだと呆れてしまう。

 野宿する際の水浴びも、セシリアはトキの倍以上の時間を掛けて行うことが多い。最初の頃はあまりに戻って来ないため溺れて死んでいるんじゃないかと思った程だが、単純に長風呂なのだと最近ではもう慣れてしまった。


 特に今日は山で雨に打たれて冷えた上に泥が跳ねて汚れたものだから、おそらくあと数十分は出てこない。今日はもう外に出る気はないのだろうか。



(……まあ、そもそもアイツの情報収集の腕に期待はしてないからな。か弱い聖女様には最低限の物資だけ集めて貰って、あとはせいぜい旅の途中でぶっ倒れて足でまといにならないように休んで貰えればそれで十分だ)



 トキは皮肉混じりに考えを巡らせ、石鹸の香りで満ちた廊下を進んで薄暗い階段を降りて行く。そのまま宿を出て街の中に踏み出すと、街灯に照らされた煉瓦造りの道を人々がまばらに歩いていた。

 女、子ども、老人……。年代や性別関係なく人々が夜道を行き交う光景に、ディラシナじゃ考えられないなとストールの内側だけで密やかに嘲笑をこぼす。


 ──花の街、アリアドニア。大都市カーネリアンとの交易が盛んで、ここ南のガルシア大陸では二番目に大きい街。もちろん警備体制もしっかりと整えられており、街の治安も維持されている。


 この十数年、掃き溜めのような街の殺伐とした裏路地か魔物の蔓延る森や高野しか歩いていなかったトキにとって、夜道を人々が楽しげに行き交う光景が違和感でしかない。落ち着かない感情を誤魔化すように口元をストールで覆い隠し、彼は夜の街を歩き始めた。


 ──しかし、直後に耳が拾い上げた声によって、たった今動き出したばかりのその足はぴたりと動きを止めてしまう。



「──おい、泣き虫リモネ! 約束のアレはどうしたんだよ!」


「!」



 聞き覚えのある名前に、ふとトキは顔を横に向けた。するとシャッターの閉まった商店の裏で、見覚えのある少年が複数の子供に囲まれて俯いている。



(……あのガキ、さっきの……)



 トキが訝しげに目を細めると、子どもの中の一人が「おい! なんか言えよ!」と語気を強めて少年──リモネの肩を突き飛ばした。リモネは怯えたような目で彼らを見つめ、震える声を絞り出す。



「……っだから、雨で地面が泥濘んでて、山の奥には行けなかったんだよ……!」


「嘘つけ弱虫! どうせビビって家に篭ってたんだろ!」


「でけー雷鳴ってたもんなぁ! ママに縋り付いて泣いてたんじゃねーの!」



 げらげらと下品な笑い声がその場に響いた。リモネは悔しげに奥歯を噛み締め、彼らを睨む。



「違う! 本当に山には行ったんだ!」


「じゃあ何でアレ持ってないんだよ!」


「……あ、アレは、……見つからなかった」


「はあ〜!?」



 少年達は大袈裟に反応し、リモネを責め立てるように威圧する。リモネは壁に背を付けたまま、恐怖の色に染まった瞳で彼らを見上げていた。



「それじゃあ明日のはどうすんだよ!」



 子どもの一人ががなり立てる。リモネは眉尻を下げ、俯いた。



「……そ、それは……」


「お前言ったよな! “伝説の指輪”を見付けて持ってきて、明日好きな女にみんなの前で公開告白するって!」


「お、俺が言ったわけじゃないだろ! お前らが勝手に……!」


「うるせえ! 口答えすんなよ!」


「うっ……!」



 ガン、と少年の一人が持っていた石をリモネに投げ付ける。リモネは小さく呻いて石の直撃した額を押さえ、壁際に座り込んだ。

 その様子に他の少年達はゲラゲラと笑い、もう一度投げつけようと足元の石を拾い上げる。



「おいリモネ、お前生意気なんだよ! 金持ちの息子だからって大人に贔屓されやがって!」


「そうだそうだ、山で化物に喰われちまえばよかったのに!」


「ぎゃははは!」



 罵声を浴びせられ、壁際で俯くリモネの目には涙が浮かんだ。けれど最後の意地で奥歯を噛み締めて耐え、こぼれそうになる嗚咽を必死で飲み込む。

 少年達は嘲笑い、再び石を持った手を振り上げた。



「もう一発食らえ!」



 振りかぶり、投げられる。次に感じるであろう痛みを覚悟して、リモネは固く瞳を閉じた。


 ──しかし、いつまで経ってもその痛みを感じることはなくて。



「……?」



 しん、と不自然なほどにその場は静まり返る。まるで時が止まったかのような、長い長い沈黙に感じた。


 恐る恐ると目を開ける。

 リモネがまず見たものは、あんぐりと口を開けて目を見開いた、自分を取り囲んでいる子ども達の姿。


 そして次に視界に入ったのが──投げられたであろう石を自分に当たる直前に掴み取った、“怖い兄ちゃん”の姿だった。



「……っ……!」


「な、なんだ、アンタ!」



 子どもの一人が戸惑いがちに口を開く。石を掴んだ男──トキは何も答えず、ただギロリと鋭い目で彼らを睨み付けた。その眼光たるや、殺人鬼さながらの冷たさが瞳の奥に孕まれていて。


 取り囲んでいた子ども達は一斉に怯み、血色の良かったその顔がみるみる蒼白に染まって行く。



「……に、逃げろ!」



 危険を感じた子どもの一人が叫び、瞬く間に彼らは走り去って行った。忙しない足音が遠ざかり──痛いほどの沈黙が、その場に戻って来る。


 直後、呆然と一連の出来事を傍観していたリモネに掛けられたのは、いつもと同じ淡々とした声。



「──まためそめそしてんのか、お前」



 なぜか、その声に酷く安堵して。

 途端に、大粒の涙がぼろりと彼の頬を滑り落ちていった。


 手に持った石をその場に投げ捨て、涙をぼろぼろと流し始めたリモネの目の前にトキはしゃがみ込む。うぐ、えぐ、と膝を抱えて泣き出したリモネを呆れたように見つめ、トキは溜息混じりに黒い袖口で彼の涙を拭った。



「な、んで、いるんだよ……っ」



 泣きじゃくりながらリモネが問う。するとトキはやはり表情を変えず、「さあな」と素っ気ない相槌を返した。


 冷たい、興味のない、優しさも気遣いもない、冷酷にさえ思える彼の言葉。最初は怖かったはずなのに、何故今、少し安心してしまったのだろうか。



 ──ふふ、大丈夫よ。ああ見えて本当は優しいから。



 ふと、リモネは山道で微笑んだセシリアの言葉を思い出した。優しい──トキのことをそう評価していた彼女の言葉を、あの時のリモネは半信半疑で聞いていたのだ。──信じられない。それが率直な感想で。


 しかしそう言った彼女の表情は酷く穏やかで、優しかった。そのたった一言の中に、とても強い信頼が含まれているような、そんな気がして。



(……この兄ちゃん、すげえ怖いけど……、セシリア姉ちゃんの言う通り、本当はすごく、)



 優しいの、かも?


 ──そう思ったところだったのに。



「……チッ、いつまで泣いてんだクソガキ。男ならさっさと泣き止め」


「──いっ!!?」



 ──ガツン!!


 突如舌打ちが放たれたかと思えば、次の瞬間リモネの頭部には豪快なゲンコツか落とされていた。鈍い音を立てて落ちてきたそれは目眩がしそうなほど痛み、脳内をぐらぐらと揺らす。

 途端にリモネはキッと目尻を吊り上げ、自分の中で見直しつつあった彼の評価を再び最底辺のドン底にまで叩き落とした。



「いってーなコラァ!! 何すんだよお前! ほんと気にいらねー!!」


「いつまでもメソメソしてんのが悪い。イライラすんだよ」


「それにしたって割と本気で殴ってんじゃねーよ!!」



 喚くリモネに「何だ、泣きべそかいてた割には随分元気だな」とトキは鼻で笑う。その態度も気に入らねえ! とリモネは湧き上がる怒りを感じながら、むすっと唇を尖らせた。



「……つーか、なんでここにいるんだよ。さっき宿まで送ってやっただろ」



 拗ねたようにリモネが問えば、トキは「さあ?」とまたも曖昧な返答を返す。むっと更にリモネは顔を顰めるが、彼の唇が文句を紡ぐよりも先に「そんなことより、」とトキの言葉が続いてしまって。



「俺の方が聞きたいんだけどなァ? ──明日告白するとか言う話」


「!!」



 予測していなかった爆弾を、いとも容易く投げ付けられてしまった。

 不敵に口角を上げる目の前の男に、リモネの頬がボッと赤くなる。



「き、ききき聞いてたのかよっ!!?」


「あんだけ大声で喚いてりゃ聞こえるだろ。何だっけな、伝説の指輪を見つけて好きな女に告白するとか──」


「うわっ、ばばば馬鹿! 黙れ!」



 すらすらと触れて欲しくない部分について言い連ねるトキの口を慌ただしく押さえ付け、真っ赤な顔でリモネは睨んだ。



「あ、あれは俺が考えたんじゃないからな! アイツらが勝手に盛り上がって、明日告白することになって、その、山に埋まってる指輪を探すことになってて、それで……!」


「ああ、それで山にいたってわけか。で、岩の間に挟まってピーピー泣いてたと」


「う、うるせー! 絶対言うなよそれ!」



 鋭く睨みながら口元を押さえつけようとするリモネの手を振り払い、トキは嘲笑を返して立ち上がる。そのまま壁に背を凭れ、座り込んでいるリモネを見下ろした。



「何にせよ、オモチャの指輪でプロポーズごっことは。いかにもガキの考えそうなお遊びだな」


「な……!」


「けしかけたさっきのガキ共もバカだし、それに乗せられてまんまと山に入ったお前もバカだ。告白ごっこの前に、少しは勉強してその残念な頭でも鍛えて──」


「──俺は!!」



 突如、リモネは大声でトキの言葉を遮った。トキは薄紫色の両目を瞬き、俯いているリモネの旋毛つむじを見下ろす。


 そして彼は、弱々しい声でその続きを語った。



「……俺は、お遊びで告白するんじゃない……」



 今にも泣き出しそうな、震える声を絞り出す。トキは黙ってその言葉の続きを待った。



「……俺の、好きな人は……明後日、街から居なくなるかもしれないんだ……」


「……」


「……だから俺は、その前に……指輪を見付けて、告白しようって……。アイツらに言われたからじゃなくて、自分の意思で……山に行ったんだ」



 リモネはぎゅっと拳を握り、更に声を震わせる。



「……でも、ダメだった。山道は一人じゃ登れないし、伝説の指輪もどこにあるか分かんないし、結局岩に挟まって、抜けられなくなるし……。俺、何しに行ったんだろう……? 告白するチャンスは、明日しかないのに……」


「……」



 弱々しく呟き、膝を抱いて顔を埋めてしまったリモネにトキは肩を竦めた。

 もしこの場にセシリアが居れば、いつもの慈愛に満ちた優しい言葉で彼を慰めてやれるのだろう。しかしトキに泣いている子どもを優しく慰めるようなすべはない。むしろこの状況が面倒臭いとすら感じてしまっている。


 だが、「好きな人に告白」などというくだらない理由では無かったにしろ、その涙には彼も思い当たる節があった。遠い昔に“泣き虫”と称されていたのは、自分も同じで。


 ──だからだろうか。気が付けば、口が勝手に動いていた。

 やめておけと胸の内でもう一人の自分が止めるが、聞こえていない振りをする。


 いつまでもめそめそしている彼の姿が、遠い昔の自分と重なって見えただなんて──きっと気の所為だ。



「──じゃあ、“指輪”があればいいんだな?」



 不意に発した言葉に、涙の溜まった焦げ茶色の瞳が持ち上がる。ずび、と鼻を啜り上げる少年の返事も待たず、トキは背を向けて歩き始めた。



「……えっ、おい、どこに……!」


「ついて来い、ガキ」



 トキは振り返り、紫色の双眸でリモネを射抜くと、珍しくはっきりとその続きを言い放った。



「──指輪。用意しに行くぞ」




 .

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