第10話 村からの脱出


 1




 村の中に足を踏み入れると、空は未だ暗く星や月が瞬いて二人を見下ろしていた。月の位置から察するに、今は深夜の三時頃だろうか。いずれにせよもうすぐ夜が明けてしまう位置で月が輝いており、トキは眉を寄せて周囲に視線を配る。



(人影は無いが……いくつか気配はあるな。最悪背後から近付いて絞め落とすか)



 トキはこそりと物陰から村の中心にある広場へと目を向ける。そこでは数人の村人達が鉄製の柱の周りに木や紙などを寄せ集めていた。



「おい、もうすぐ夜が明けちまうぞ! 全然木が足りねえじゃねえか!」


「うるせえな! そもそも一晩で火刑の準備しろって言うのが無茶苦茶なんだよ! 無理に決まってんだろ、人手も少ねえのに!」



 村の男達は何やら言い争っている。その会話から推測するに、彼等は火刑の準備に追われているようだ。



(なるほど、魔女への見せしめに俺達を火炙りにするつもりらしいな)



 トキは冷静に状況を紐解き、セシリアへと視線を移す。彼女は唇を固く結び、不安げに瞳を揺らしている。



「……どうやら夜明けと共に俺たちは処刑されるみたいだぞ」



 小声で耳打ちすれば、セシリアの顔はみるみる蒼白に染まった。どうしましょう、と震える声を絞り出した彼女の口を手で塞ぎ、トキは自分の首元からストールを外す。



「……慌てるな。あとアンタの格好は少し目立つ。これで隠せ」



 そう言って彼はストールを広げ、セシリアの肩に掛けた。それを羽織り、真っ白なローブを夜色のストールで可能な限り覆い隠す。

 彼はセシリアの姿をじっと眺め、小さく息を付いた。



「……まだ目立つが、さっきよりはマシか」


「……す、すみません……」


「まあいい、さっさと逃げるぞ。次捕まったら即処刑台送りだろうからな」


「はい……!」



 トキとセシリアはそっとその場を離れ、村の出口へと向かって早足で進んで行く。木陰や物陰に姿を隠し、人の姿を警戒しながら難無く出口までやって来た彼らだったが──村の出入口に若い男が立っているのが視界に入り、二人は建物の陰に身を潜めた。



「……」



 息を潜め、様子を窺う。男は眠たそうにうつらうつらと船を漕いで、武器を片手に出入口の前に突っ立っていた。

 ふと、そこへ別の声が響き渡る。



「おいコラ、トムソン! 何居眠りしてやがる!」


「ふひい!!」



 突然の大声に驚いたのか、トムソンと呼ばれたその男は情けない声と共に大袈裟に飛び上がって武器を地面に落とした。そんな彼の前方から大柄な男が近寄り、フン、と偉そうに鼻を鳴らす。



「何ビビってんだサボり魔め。シャキッと見張れ、お前門番だろ」


「う、ううううるさいな! 大体君だってここの担当だろ! 部屋で酒ばっかり飲んでないで交代してよ……!」



 トムソンはカタカタと震えながら訴えるが、男はあざけるように鼻で笑うばかり。それどころか威圧的にトムソンへ迫り、その胸倉を掴み上げた。



「んだァ? お前俺に文句があるのか?」


「……ひ……!」



 トムソンは顔を蒼白に染め、内股に曲げた膝をガタガタと震わせる。そのまま彼は男に殴られ、ふらついた体は背後の壁に激突した。セシリアはその光景に思わず口元を手で覆う。



「これで目が覚めたろ? ちゃんと見張れよトムソン。今夜また野犬に羊が食われたらお前のせいだからな。ぎゃははは!」


「……」



 トムソンは力無くその場に凭れ、上機嫌で去って行く男の背を見つめた。その姿が小さくなり、建物の陰に消えた頃──彼の視界はぼやぼやと滲んで世界が歪む。



「……うっ、ぐす……っ」



 静かに嗚咽を漏らせば、とめどなく涙が溢れて来た。トムソンは壁に背を預けたまま膝を抱き、肩を震わせて泣き始める。


 そんな彼の姿を建物の陰で眺めながら、トキは一人冷静に村の状況を分析していた。



(なるほどな。野犬に村の羊が食われていたわけか)



 それ故、アデルを引き連れた自分たちが諸悪の根源だと思われたらしい。とばっちりもいいところだ、とトキは眉根を寄せる。

 再びトムソンに視線を戻せば、彼はぐしぐしと子どものように鼻を垂らして泣きじゃくっていた。情けない奴だな、と心底呆れつつトキはそっと彼に近付く。



「──……!」



 人の気配に気が付いたのか、トムソンは咄嗟に泣きじゃくっている顔を上げた。そして目の前にいるトキを視界に入れた途端、その目がギョッと見開かれる。



「だ、誰か──っむぐ!」



 慌てて叫ぼうと口を開いたトムソンだったが、その口はトキの手に塞がれ、喉元には短剣が突き付けられた。「おい、暴れるなよ」と低い声が耳元に届き、どくどくと心拍数が急速に上がる。



「痛い目に遭いたくなかったら、大人しくしてろ。俺の言っている意味は分かるか?」


「……っ!」



 膝を震わせ、トムソンはこくこくと何度も頷いた。従順な返答に口角を上げたトキだったが、背後から近寄る忙しない足音に気付いて彼はチッと舌を打つ。



「な、何してるんですかトキさん! だめですよ!」


「……!」



 駆け寄って来たセシリアはトキの行動を咎め、トムソンへと視線を向けた。先程男に殴られて腫れ上がった頬や飛び出している鼻血を悲しげに見つめ、彼女はそっと手のひらを彼に向ける。

 ポウ、と暖かい光が彼を包み、トムソンの怪我は消えて行った。



「おい! アンタ何してる!」



 今度はトキがセシリアの行動を咎める番だった。彼は彼女を睨みつけるが、セシリアは凛とした強い瞳で彼を見つめ返す。あまりに真っ直ぐと見つめてくるその瞳に、トキは喉元まで出かかっていた罵声をぐっと飲み込んでしまった。

 そんな二人のやり取りを、トムソンは戸惑いがちに眺める。



「……チッ、このお人好しが」



 トキは不服げに舌を打って、喉元に突き付けていた短剣を離して鞘に仕舞った。セシリアは胸を撫で下ろし、トムソンへと視線を向ける。



「大丈夫ですか? 痛いところ、ありませんか?」



 小さな子どもに問い掛けるような、慈愛に満ちた微笑み。トムソンは彼女の目を見つめ、頬に熱が集中するのを感じた。



(……て、天使……? いや、女神様……?)



 神々しさすら感じる彼女の微笑みにうっとりと見惚れてしまった彼だったが、その熱視線を断ち切るように横から低い声が割り込む。



「……おい、アンタ、俺たちがここに来たこと誰にも漏らさないって誓えるか?」


「……!」



 威圧的な声にひくりと喉が鳴る。突き付けられていた短剣は離れたものの、彼の眼光は刃のように鋭い。

 ──これは質問ではなく脅しだと、トムソンは瞬時に理解した。解答は一つしか用意されていない。もちろん、それを答える他に道もない。



「誓えるのか? 答えろ」



 再び威圧的に問いかけられる。

 口は塞がれているため、トムソンはこくこくと頷いて肯定の意を示した。形だけでも頷いておかなければ最悪殺される──そう考えての行動だった。



「……へえ、そうか」



 トキは暫し間を置いて呟き、塞いでいた手の力を緩める。──ああ、これで解放される。早く助けを呼ばないと。そう考えて安堵した瞬間──彼の腕が、ぐるりとトムソンの首に回された。



「……っ!?」


「……アンタ、」



 ──嘘をつくのが下手なんだな。


 耳元で囁かれた瞬間、強い力で首を締め付けられた。急激に増した苦しさに目を剥いて助けを求めるが、塞いでいる手が邪魔をしてうまく口が開かない。



「トキさん!」



 やめて、と悲痛な声がトムソンの脳裏に響き渡る。朧気な視線を上げれば、天使のような彼女が悲しげに自分を見つめていて。しかし無情にも、その視界は徐々に黒く塗り潰されてしまう。


 とうとうトムソンは目を閉じ、意識を闇の中へと手放した。



「……あ……」



 だらりと力の抜けたトムソンはその場にくずおれ、ようやくトキの手が離れる。セシリアは唇を震わせ、彼の元へ駆け寄った。──しかし、その腕をトキが捕まえる。



「……!」


「アンタ、いい加減にしろよ」



 鋭い眼光がセシリアを射抜く。彼女は息を呑み、目の前の薄紫色の瞳を黙って見つめ返した。



「状況分かってるのか? 捕まったら死ぬんだぞ。こいつらは俺たちを火炙りにしようとしてるんだ。アンタがどれほど平和な頭してるか知らないが、俺の邪魔はするな」


「……」


「分かったらさっさと行くぞ、コイツが見つかればまた騒ぎになる」



 ぱっ、と手が離れ、トキは先に村の門を出た。セシリアは暫し黙って俯き、壁に凭れて眠っているトムソンへと視線を向ける。



「……ごめんなさい」



 小さな声で謝り、セシリアは自分の荷物の中から薬草を一つ取り出した。それを意識のない彼の手に握らせ、彼女はトキを追って静かに地面を蹴る。


 ぱたぱたと離れて行く足音。

 薬草を握ったトムソンの瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ちていった。




 2




「はあ、はあ……!」



 村を出た二人は一目散に走り始めた。東の空は徐々に白み始め、もうじき夜が明ける。先を行くトキは凄まじいスピードで走り去り、一足先に森の出口付近まで辿り着いていた。



「……」



 はあ、はあ、と肩で呼吸を繰り返す。ややあってセシリアも追い付き、呼吸を荒らげながらトキの隣に並んだ。



「……っ、はあ、はあ……」


「……」



 トキは何も言わず、ただじっと前を見つめている。セシリアも乱れた呼吸を整え、彼の視線の先を追うように顔を上げた。



「──っ……!」



 そして、息を呑み、目を見開く。

 先程まで暗くてはっきりとしなかった視界が徐々に明るさを取り戻し、赤々と色付いた地面を鮮明に映し出していた。


 ──ここは昼間、アデルと別れた場所。つまりアデルが二人の帰りを待っていた場所だ。

 その場所は真っ赤な血溜まりで染まり、奥の方へ身を引きずった跡が点々と残されている。


 セシリアは口元を手で覆い、その場にくずおれた。



「……アデル……」


「……」



 周辺にアデルの姿は、ない。しかし二人を導くように、身を引きずったと思わしき血の跡が奥の方へと続いている。

 トキはセシリアをその場に残し、点々と続く血の跡を追って歩き始めた。



(……血の量が多い)



 おびただしい量の血痕に眉を顰める。全てがアデルのものだとは限らないが、この血が全て彼の血だとしたら──相当な深手を受けている可能性が高い。

 トキは血痕を追って歩き続け、最終的に辿り着いたのは流れの速い大きな川だった。轟々と流れる川岸に残された血痕を最後に、アデルの消息は絶たれている。



(……なるほど。川に追い込んで突き落としたのか)



 殺したよ、とのたまっていた若い男達の表情を思い出し、トキはそっと目を伏せた。やけに堂々と言い切った彼らの態度がようやく腑に落ちる。──確かにこれは、助からないかもしれない。



「……トキさん……」



 ふと、背後で弱々しい声が呼び掛け、トキは振り返った。そこに呆然と立ち尽くすセシリアは、アデルの残した血痕を見下ろしたまま続ける。



「……アデルは、きっと逃げられたんですよね……?」


「……」


「この川に飛び込んで……この場から逃げきれたんですよね……?」



 ──生きて、ますよね。


 自らに言い聞かせるようにセシリアは呟き、そっと顔を上げた。その目はやはり真っ直ぐと前を向いて、凛と澄み渡っていて──いくら揺すっても、こぼれ落ちそうにない。



(……やっぱり泣かないんだな、アンタは)



 トキは黙ってその目を見つめ、ふと身をひるがえした。流れの速い、荒れた川の流れを視界に入れ、彼はそっと目を閉じる。


 ──本当は、無理だと思った。生存している可能性は絶望的だと。


 けれど正論を告げようと口を開いたところで、脳裏を過ぎったのは、今朝方頬に感じた大きな舌の感触だった。



「……生きてる、だろ」



 口を付いて出た、本音とは真逆の言葉。セシリアは目を見開き、えっ、と声を漏らす。しかしトキは言い切った。



「──アイツは生きてる」


「……」


「……何驚いた顔してるんだ? アンタが言ったんだぞ。この目で見るまで、あの犬が死んだなんて信じないって」



 薄ら笑いを浮かべ、挑発的に紡がれる彼の言葉に、セシリアはつい呆気に取られてしまう。──しかしややあって、彼女もやんわりと口角を上げた。



「……はい、もちろんです! アデルは生きてます……必ず!」



 ぐっと拳を強く握り、セシリアは語気を強める。トキはフッと短く笑い、彼女が羽織っていたストールを掴んで奪い取った。


 夜の色に染まっていた彼女が一変、真っ白な光の色に戻る。



「……もう、夜が明けたからな。コソコソ隠れるのはしまいだ」



 東の空に目を向けると、大地を照らす太陽がゆっくりとその顔を覗かせていた。トキは眩しそうに目を細め、セシリアの横を足早に通り抜ける。



「……行くぞ。この川に流されて行ったんなら、下ればどこかで会えるだろ」


「……はい! 行きましょう!」



 先を急ぐ彼の横に並び、彼女はむんと胸を張る。待っててね、アデル。無事でいてね、と静かに神に祈り、二人は川沿いを歩いて行ったのだった。




 3




「──……ソン……、トムソン!」


「──!!」



 ハッ、と村の男の呼び声によって、気を失っていたトムソンは目を覚ました。がばりと体を持ち上げる。すっかり夜は明け、周囲は明るくなっていた。



「おお、トムソン! 目を覚ましたか!」


「……あ、あれ?何で僕は、こんなところで……」


「何寝ぼけてるんだ! お前、魔女の手先に襲われたんだよ!」


「……え?」



 はた、とトムソンは目をしばたたいた。村の中は何やら騒がしい。「魔女の仲間が逃げた!」「見張りの二人がやられてる!」などとあちらこちらで誰かが喚き散らしている。

 未だにトムソンの頭はぼんやりとモヤがかかったようにハッキリとせず、ひたすら騒がしい村人達の姿を目で追っていた。


 ふと、手の中に妙な違和感を感じ、彼は手元に視線を移す。すると、そこには見覚えのない薬草が握られていて。澄んだ瞳を揺らした彼女の声が、寝惚けた脳裏に響いた。



 ──ごめんなさい。



「……あ……」



 そこでようやく、朧気だったトムソンの意識は覚醒した。彼の向かいにいる男は心配そうにその顔を覗き込む。



「おい、お前本当に大丈夫か? ボーッとして……」


「……女神様が……」


「え?」


「……女神様が、いたんだよ……」


「はあ?」



 男は頬を引き攣らせ、トムソンの顔を見つめる。



「どうしたんだトムソン、本当にどうかしてんじゃねえのか? 頭でも打ったか?」


「違うよ、本当に僕の女神様が……へへへ」


「お、おぉーい! 誰か来てくれ! トムソンが魔女の手先にやられておかしくなっちまった!」



 男は村の中心に向かって叫ぶ。しかしその声に逸早く反応したのは、今しがたこの村に足を踏み入れようとした黒いドレスを着た女の子で。



「……んん〜? 魔女の手先ぃ?」



 銀の髪を高い位置で二つに結い、赤い瞳を細めた彼女は訝しげに眉根を寄せて呟く。そのままそっと二人に近寄り、「ねえねえ、」と子どもらしい高い声で呼びかければ、男とトムソンは振り返った。



「……あれ? 子ども?」



 トムソンはその場に立ち上がり、十歳前後と思わしき見慣れない少女の姿に首を傾げる。こんなところに一人で来たのだろうか、いやまさか。と周辺にいるであろう親の姿を探すが、それらしき人物は見当たらない。



「おお、どうしたんだお嬢ちゃん。一人か?」



 向かいの男が気さくに話しかければ、少女はにこっと微笑んだ。



「ううん、ママと来たけど今は一人でお散歩してたの。そんな事よりお兄さん、どうしてこの村こんなに大騒ぎしてるのぉ?」



 上目遣いに男を見上げ、少女はこてんと首を傾げる。すると男は視線を泳がせ、困ったように笑いながら答えた。



「あー……実はちょっと困ったことになっててねえ。悪い魔女の仲間を村の人たちが牢屋に閉じ込めてたんだけど、昨日の夜に逃げちゃったみたいなんだ」


「……ふーん?」


「だから君も早くママのところに帰りな。この辺は危ないから」



 男の忠告に、少女は視線を逸らして暫し何かを考える。やがて少女は頷き、ニコッと彼に笑顔を向けた。

 するとその会話を聞いていたトムソンが、不意に口を開く。



「……あの人達……本当に、魔女の手先だったのかなあ」


「……はあ!?」



 大声で返され、トムソンはハッと我に返った。しまった、と口を塞ぐがもう遅い。



「お前、いきなり何言い出してんだ!」


「あ、いや、その……!」



 トムソンは慌てて手に持っていた薬草をポケットに隠し、わたわたと慌ただしく弁明を始める。しかし男は険しい表情でトムソンに詰め寄った。



「……お前まさか、さっき言ってた“女神”って、あの女のことじゃねえだろうなあ!」


「えっ……!」


「!」



 男の口から放たれた“女神”という単語に、少女はぴくりと反応する。じろりと視線を持ち上げ、再び二人の会話に耳を傾けた。



「ち、違う、違うよ! さっきは寝ぼけてただけだ、たぶん……!」


「嘘つけ! あの女確かに美人だったが、アレは魔女の手先だ! 女神様じゃねえ! 目を覚ませよトムソン!」


「だ、だから違うよ……!」



 トムソンはたじろぎ、首を横に振る。そんな二人のやり取りに、少女はにんまりと口角を上げた。



「うんうん、ボクもそう思うよぉ?」


「え……」



 ──ズシュッ。



「──…………え?」



 ごとん、と。重たい物が地面に落ちる音が響いて、トムソンの目の前は真っ赤に染まった。生温い液体が顔に落ち、鉄臭い匂いが鼻の奥にツンと染みる。


 ──どしゃっ。


 目の前にいたはずの男は膝を曲げ、その場に力無く崩れ落ちた。全ての動きがスローになってしまったかのように、ゆっくりと流れて、流れて。


 トムソンはふと、自らの視線をそっと下に落とした。そこでは、今の今まで自分と話をしていた男が真っ直ぐとこちらを見つめている。


 しかし、その首から下には何も無い。

 胴体から切り離され、頭だけになったその男が、目を見開いてこちらを見つめていて。



「──っひ、……うわあああッ!!?」



 トムソンは叫び、迫って来る血溜まりから逃げるようにその場を退しりぞいて駆け出した。騒ぎを聞き付けた村人達は次々と門に集まり、「な、何だ!?」「どうした!?」と寄せ固まって、首を切り落とされた男の亡骸に息を呑む。


 一方、首を切り落とした少女は真紅の眼を見開いてくすくすと笑い、蛇のようにうねる銀の髪を揺らして舌舐めずりをした。べろりとこぼれ落ちた舌は蛇を彷彿とさせるように細く、長い。



「あーあ。女神なんて言葉出すから虫酸が走って、ついっちゃったぁ」



 かつ、かつ。黒いリボンの付いた大人びたヒールの踵を鳴らし、少女は近付く。村人達はその異様な形相にたじろぎ、顔を蒼白に染めて武器を構えた。しかし彼女は怯むことなく近付いていく。



「魔女と女神を混同するなんて、あっりえないよねえ。ボク、女神ってだぁい嫌い。だってママが嫌いって言ってたもん。だからボクも嫌ーい」


「……く、来るな!お前何者だ!?」


「え? まだ分かんない? それとも本気で、その“女神モドキ”を魔女の寄越した遣いだとでも思ってるのぉ? ホント頭悪すぎるんですけどぉ」



 少女は呆れ顔で溜息をつき、肩を竦めた。赤い瞳をにんまりと細め、彼女は口を開く。



「──魔女ママにこの村壊してこいって頼まれて来たのは、ボクだよぉ。ってわけで死んじゃいな、オジサンたち♡」



 てへ、と可愛く首を傾げてウインクを飛ばした後、彼女の前には赤い血飛沫が舞った。ばたばたと倒れて行く村人達を尻目に、トムソンは震える両足を踏みしめて村から飛び出す。


 ──その時脳裏を過ぎったのは、まるで女神のような、彼女の笑顔で。



「う、わあぁ、あ……っ!」



 トムソンはぎゅっと目を閉じ、嗚咽を絶え間なくこぼして咽び泣きながら、ポケットの中の薬草を握りしめた。




 .


〈旅の始まりと辺境の村……完〉

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