供養 穴

※没にした作品の供養です。



昏く、暗く、クラク、そして黒い。

その場所に光という概念は存在せず、星のない夜空のような漆黒が、深く、深く塗りたくられている。

円錐状に地下深くまで、果てのなく続くその空間。

ただ、ヒトという名前の生き物が捨てられる場所。

肉体だけが、行くことを許される、冥界への入口。



「お前またあの気味の悪いとこ行ってきたのか、廃棄孔。休憩時間だっていうのに」

同僚の声。

「ああ、どうか変に思わないんでほしい。最近死ぬことについて考えるようになって、というか生きていることが妙にずれているような感覚がするんだ。ほら、なにしろ周りに生き物がいない」

理由はどうなのか、自分でもわからないし安易に決めるのも違う気がするが、適当な理由でそう答える。

「その気持ち、わからないでもないけどよ」

と言いながら、同僚は向かいの席でむしゃむしゃとサンドイッチを頬張っている。

「だけど、くれぐれも、落ちるんじゃねぇぞ。明日明後日にはあっちに行けるんだから」

「わかってる。あと117人だったか。それで、この血なまぐさい日常ともおさらばだ」

でも、と繋げた。

「俺たちはどうせあの穴に落ちるんだ。後か先かっていう、ただそれだけの話」

「その後か先かってのが問題なんだよ」

同僚は怒ったように机をたたく。

ガタガタ、ギシギシと震えて、どことなく不快だった。


それに合わせたように、ブーーーーと、休憩時間の終了を示すブザーが鳴り響く。

「もうこんな時間か」

彼も自分も、席から立ち上がる。

「本当に何も食べなくて大丈夫なのか?いまさら、腹に物入れてアレ見ると吐いちゃうなんてわけじゃないだろう」

彼は心底心配しているようにそうやって俺を気遣う。

「勿論。最近、食欲が減ってきてるだけだ」

「そうか、気をつけろよ。あっちではそんなの関係なく生活できるんだから」

「そんなの、こっちだって同じさ」

彼を軽く見送ってから自分も、重い足を仕事場へと向ける。



現実は不便だ。

そう、不便でしようがないほど不便だ。

けれども、自分の仕事は単純。

矛盾してる。

いいや、そもそも比べるものではない。感情、無意識を以て物事を比較し、軽重をつけようとしている。解脱を欲しているわけではないし、そもそもそうしたら同じことだが、何かに縛られている感覚が自分、或いは人生に存在するという事実だけが多少の不快感を生じさせる。

息の絶えた人間の身体を、ある場所へと運ぶだけの単純な肉体労働。

それ故、こんな仕事がこの惑星に最後に遺された仕事なのだと考えると皮肉にさえ思えてくる。

一か所に集められた肉塊は一日に数回、ベルトコンベアで運ばれて奈落、つまり廃棄孔へと落とされる。

そして魂は、新しい場所へ移されるとでも言ったらよいのだろうか。

2016年のVR元年から100年経った今、とうとう現実リアル虚構バーチャルは役目を換えた。

100年でこの星からは多くのいのちが失われ、ヒトの居場所は消え去った。

生き残った人類は仮想空間を新たな棲み処とし、そして、肉体を捨てるに至る。

なんでも、その空間は自由で満たされているというのだ。

肉体という枷から解き放たれた人類は、疲労の存在しない世界で、食欲も性欲も自在に管理できる身体のうみそで、永遠に尽きない生を謳歌するという。

本当の肉体のうみそは水槽の中で管につながれたまま、ぷかぷかと浮かんでいるだけだというのに。


不思議と、その空間に憧れはない。

自由なんぞは欲しくもない。

薄暗い部屋で、ヒトだったモノを黒いビニール袋に詰め替えながら考える。

その、少女だったモノの身体は驚くほど軽い。脳みそが無くなって空っぽになっただけなのに、ヒトというのは恐ろしいほどにヒトではなくなくなってしまう。

そして、ナニカが抜けているはずの顔は、やはり未来への希望を浮かべたままだった。

自分はただ、死にたくないから、そこに行くだけ。

いや、生きたいという欲望さえない。死ぬのはちょっとだけ怖い。

台車の上には黒い袋が三つも載っているのに、それでも難なく押せるほどに軽かった。



その日の仕事はいつもより長くて、それから六時間も続いた。

赤黒かった手はより黒く、紅く染められて。死の匂いで鼻は機能を果たしていなかった。いつものことだ。

「これも今日で終わる」

モニター越しに声が飛んでくる。

「君たちを含めない5627人の移住がすべて完了した。つまり、明日より残った君らの移住を始めることとなる。やり方は何度も確認した通りだ」

「はい!」

元気のいい奴が返事をしていた。

不気味な儀式だ、と思う。

振り向くと、そこにヤツはいた。

全身をギラギラと光らせたロボットは、身体を小刻みに左右に揺らし、ギーギーと音を鳴らしていた。



その後催された、最期の日を祝う、ささやかな宴やらを早々に切り上げ、またあそこへ向かっていた。

足取りは重いのか軽いのか。疲労感は酒によって中和されたような気もするが、心にかかった靄のようなものが、どうにも拭えずにいる。

そのまま、そこに入る。

彼女と出会ったのは、これが初めてだった。








…………結末まで全部考えてはいたんですが、たぶんもう書かないと思います。

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短編集 @Pneuma

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