エピローグ ウェイク・ウェイク・アンド・アゲイン


ファンタジー習作 エピローグ ウェイク・ウェイク・アンド・アゲイン


 夕暮れ前の太陽が市街の墓場へ向かう少年少女の影を引き延ばしている。

葬儀はリーア、カルル、エメス=ホワイトホース、ウォル=ピットベッカーに加え、

宿の若者達の何人かだけのささやかなものだ。

雇われ坊主を先頭に棺を担ぐ葬列が歩いて行く。

昼頃に降った雨が地面をべしゃべしゃの泥濘へと変えていた。

掘られた墓穴に簡素な棺が納められ、墓堀人がシャベルで土を被せる。

弔いの聖句は古い言葉で語られていて、意味も取れなないまま空気に溶けて消えた。


 訳も解らぬまま世間に放り出され、その片隅で生きる。

木端の冒険者としては上等な最期と言えるのだろう。

悲しむ者が居る。惜しむ者も居よう。

道端に打ち捨てられる事も無く、人として葬られるのだ。

幾らかマシだったに違いない。

ぼんやりとそんな事を考えながらリーアは事実が脳裡に染み込むに任せていた。


 三々五々、宿の連中が帰っていく。リーアは墓の前で立ち尽くす。

後はウォルが残っている。何をするでもない。

暫くして、少女はそこらの墓石に尻を下ろした。


「ベルカント。もう少し長い付き合いになるって思ってたのになぁ」


 冒険者とは何か。世間を回る根無し草。冒険者とは何か。明日をも知れぬ放浪者。

冒険者とは何か。リーアにはその答えが解らなかった。

だから、目の前にあるものを見る事にした。

空には雲一つない。温い風が吹き、丈の高い草がそよいでいる。

死者は何も語らない。

真新しい墓碑はやがては乾き、薄暗くなった墓場には二つの影が残っていた。

影は混ざって進みだす。リーアと、それからウォルだ。


 思えば、最初の出会いからまだ三月と経っていない。

先の仲間たちと死に別れて冒険者や傭兵と出会い、

新しい仕事に、戦い、同年代の仲間の死。

色々な事があり過ぎたのだと思う。

一人きりのまま状況に流されていたせいもあろう。

このまま一体全体どこに行くのか。

何が待っているのか指針も何も無く、寄る辺も無いように思えた。

自分もきっとあっさり死んでしまうのだろうか。

漠とした不安を覚え、リーアは言う。


「ウォルさ」

「何?」


 冒険者が答えた。


「アタシ、冒険者になれるかな」

「嫌々するものでもないよ。

なるだけならすぐに名乗れるし、都なら他の仕事も一杯ある」

「じゃあ、どうしてウォルは続けてるの?」


 何時かと同じ問い。ウォルは顔を向けずに言う。


「僕には探している女(ひと)がいる。見つからないまま、もう30年ぐらいか」

「何よそれ。生きてたらとっくにオバサンじゃないの」

「幾ら老いても大切な人には変わりないさ。

だから僕の旅は終わらない。決して終わりになんてしてやるものか」

「だから冒険者なんて続けてるんだ。こんな仕事を」

「ああ、そうだね」


 黄昏に影法師たちが行き交い、流れていく。

行く者あり、戻る者あり、様々だ。その中に彼らの姿もある。


「アタシ、ウォルみたいに続けていけるかな。冒険者としてやっていけるのかな」


 繰り返す。ウォルは答えを与えない。何時もの様に冒険者の宿は客を待っていた。

戸口に影が二つに分かれる。役目は果たしたとばかり冒険者は一人で去っていく。

また何か用事でもあるのだろう。何時までも道連れでは居られないという事だ。


「さよなら、ウォル」

「ああ、また後で──と。年寄りの繰り言だが」

「へ?」

「もっと周りを見てごらん。

自分の考えより、仲間の方が自分が誰かを教えてくれるよ」

「え、でも……」


 自分は新入りであるし、知り合いなどいない。

そのくせ仕事で大きなヘマをやらかしたのだ。

どうやって顔を合わせればいいのか解らなかった。


「自分から一人ぼっちになっちゃいけない。

思い詰めて一人になると思わぬ重荷をしょい込むもの」

「……ウォルみたいに?」

「そう、僕みたいに。思い切って行ってごらん。からかわれても堂々とね」


 立ち止まるとウォルは振り返る。


「それじゃあ、また後で。ヤボ用があるんだ。遅くなるが、きっと戻る」


 そう言うと、彼は夜の街へ歩いて行った。


 /


 敷居を跨げば、待っている人々が居た。

冒険者たちだ。その中には気まずそうなカルルの姿もあった。

手に手にビールのジョッキ。既に半ば宴席じみた様子だ。

面食らうリーアを、若者の一人が背中を押し出すように陣取る卓に座らせる。


「飲めよ」


 押し付けて来たのはジョッキだ。縁まで淡い金色のエールが注がれている。

ふぅわりと果物のような香り。何処から手に入れたか知れないが、

随分と上等の代物らしかった。

訝るリーアに、一人の若者が「宿一同でいい樽を折半したんだよ。

半分以上ウォルさんがツケで出したんだけどな」と説明する。

成程。あれで中々懐事情は寂しいらしい。

今頃は酒屋と借金の相談をしているかもしれない髭面の冒険者を思い浮かべる。

薦められるまま一気に飲み干す。濃く、僅かに甘く、少し苦くて爽やかな味の液体だ。一杯目を薦めた少年はバートだ、と名乗ってから酌をした。

それから、めいめい何事か言い合っていた一同が押し黙ってリーアに向き直る。


「……何よ」

「いいから座ってな。もう一杯飲んでリラックスしててもいい」


 集まる視線に身構えたリーアを他所に、バートと名乗った若者は一同を見回す。

様々な与太者が居た。男が居る。女が居る。

誰も彼もがみすぼらしく、リーアと似たり寄ったりの恰好だ。

泣き喚きながら何事か言っているのもいたが、見覚えの無い顔だ。

ひょっとしたらお零れに在りつこうとしているのかもしれない。一瞬不愉快になる。

だが、万座の席の主役はリーアとカルルと故人には違いなく、

どうも宴会となるからには少々の事に動じてはなるまい。


「えー、諸君。皆さん。今日は忙しい中、暇な連中も居ますが、

集まってくれてありがとうございます。皆さん、知っての通りと思いますが。

先日、ベルカントの奴が死にました。ええ、残念ながら間違いなく死にました。

ヒナゲシ咲く墓場の下で一足先に楽になり、ぐっすりお寝んねしている事でしょう。

昼頃に奴の棺を運んだ方も中にはおられると思います。

不幸にも仕事の最中に化け物と顔を突き合わせたという事故のせいです。

これは重要な事であり、また皆様予めご承知の通りと思いますが──

事故は私たち全員にも起きうる事です。

何年も居た──ベルカントの奴はその代表ですが──

古株は皆知っている事だと思います。

無論、俺も何人も何人も同じようなついてない奴を見て来ました。

ベルカントの野郎もそうです。幹事の私が保証します。

昨日まで話していた隣人が死体になって帰って来る。

因果な事ですが、これが俺たちの稼業という訳です。

えー、リーアさん。それからカルル」


 長広舌を区切ると彼は卓を挟むように座る両名へ交互に向き直る。

喉を潤すべくエールを舐めるとすぐに演説を再開する。


「若い身空で冒険者なんてやってる時点で

孤児のようなものだと白馬亭の連中は判断しております。

勿論、俺達だってその例に漏れません。

こういう時は何時も酒で故人を見送るのが当店の習わしとなっております。

おい兄弟!湿っぽいのは無しにしようぜ、明日はありゃしないんだ、という訳です。

冒険者の死ごときで憎み合って何になりましょう。明日は我が身なのですから。

他所はどうだか知らないが、古株連中が仕来りというからには仕来りなのです。

泣き喚くのは神たる龍達とそれからベルカントが借金していた連中に任せましょう。

身近なる悪友である死の定めを酒と笑いで追い出してやる事にしましょう。

ともあれ明日は来る。明日までの今日はお楽しみ!諸君、死の奴めを愉快に叩き出せ!

すぐに奴めは宴に飽いて、大人しくベルカントの魂を冥府へ連れていくでしょう!

いいか、皆ジョッキは持ったか。持ったな?こぼすな畜生め!ええい、じれったい。

大丈夫さ。それじゃあ、乾杯といこう!」


 状況を理解できずに呆けたリーアを他所に宴は始まった。

ジョッキを叩き付ける音が大きく響いた。

それからはもう止めようとする者すら誰一人いない。

宿の主だけが遠巻きに見ている。

酒を飲む者、歌う者、肉を食ったり踊ったり。

葬式とも思えないが、言葉を信じるならそうらしい。

パイプを取り出し草を詰め、煙を吹かして輪を作る。

やがて故人についての話が始まり、聞いた事もないような話が飛び出す。

曰く借金の額に酒の強さ。何でもない人となり。付き合い騙りに

湿っぽくなりかけた所で誰かが怒鳴り、乱痴気騒ぎが始まって、

蹴散らすようなダンスが続く。

すっかり酒が回りかけ、顔をジョッキに突っ込んでいたカルルが

唐突に涙と酒でべしょべしょになった顔を上げるとリーアに泣きついた。

涙ながらに謝罪の弁を述べるが、最早誰に向けたものだか解ったものではない。


 と、エメスが何処からか小振りな像を持ってくる。

沢山の尻尾が付いた羽を持つ四つ足の獣、という姿だ。

どこかで見たような、と一瞬リーアは考え、

それが自室でウォル=ピットベッカーが拝していたものだと気付いた。

女主人は投げかけられたリーアの視線に神像を掲げて見せた。


「ん、あ、これが気になる?」

「あ、はい。……ちょっと、そっち煩い!ああもう完全に聞いてない。

いい?ちょっと席外すからね?」


 はーい、という生返事を背中にリーアはエメスに千鳥足で近づいた。


「こういう時は飾る事になってるのよ」

「でも見た事ない神様ですね……」

「まぁ、邪神悪神の類じゃないから安心して。お月様の神様で、

魂をあの世まで間違いなく連れて行ってくれるんだって」

「へー……」

「又聞きの話よ。兎に角、邪魔じゃなければ飾っとけ、ってね。

神様の類は多ければ多い程ご利益があるもの」


 掌で撫でさすると艶々した手触りだ。素材は陶器とも金属ともつかない。

カウンターの一角に敷物を敷いて置く。

カウンターの席にもたれかかり、リーアはぶつぶつと何事か言い始める。

すっかり酔いも回って頭が据わらない。


「明日から多分冒険者。いや、ひょっとすると昨日から?

何時からそうなのか解んないや」

「そーね。漸く解ったようで何より。誰が決める訳でもないのに今更ね」

「エメスさん。知ってたの?」

「ええ勿論」

「じゃあ何で」

「教えたげても納得するとは限らない……

とは言っても思惑が全てが上手く行くとも限らない」

「……」

「何でもお見通しって訳じゃないのよ。誰でもそうだし、解ってるとは思うけど」

「それでも決めなきゃいけないって……面倒臭っ」

「今更ね。他に選択肢が無いんだから。それに」 


 エメスは若い冒険者たちを眺める。


「アンタの居場所はこっち側よ。少なくとも今の所は。……あら」


 寝息。突っ伏して机にもたれ掛かっている。

冒険者の新米だ。まるで切り倒された木のように傍目構わず寝息を立てている。

荷物は部屋に、仲間たちは彼女の事など忘れたかの様に浮かれ騒いでいる。

明日は続き、少しばかり荷物が増えた。

人を食ったような出来事は過ぎ去り、酔夢の向こうからは明日が追いすがって来る。


 だが何れにせよ、冒険ははまだ終わらない事だけは確かだった。

 

 了

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