第6話 彼女らの青春
ファンタジー習作 part.6 彼女らの青春
「魔物だ」
と、カルルが何処か呆けたような声で呟くのをリーアははっきりと聞いた。
あっさりとベルカントを飲み込んだヘドロの山は大雑把で下半身の無い人型をしていた。
下腹部は足元の沼に繋がり、朽ちかけた廃材だのガラクタだのが骨片の様にあちこち突き出している。
「魔物だ!!ベルカントが食われた!!」
悲鳴が路地裏に響く。怪物はベルカントをぶら下げたまま身悶えするように震えていた。
叫び出したいのは全くリーアも同じだったが、辛うじて冷静さを保っているのは
自分以上に少年の方が恐慌を来しているからに過ぎない。
死、という単語が再び浮かぶ。そして幸運は二度も三度も続かないであろう。
「バカっ!しゃんとしなさい!!」
武器を構えて叫んだ。奥歯を噛み潰して胃液と唾を飲み下す。怪物と同行者を見比べる。
だが、事態が好転した訳では全くない。こいつは一体何なのだ。
「この化け物見た事は!?」
「無いよ!っていうか何なんだよこんな事聞いてないぞ!
畜生、ベルカントの奴が死んじまう。助けないと死んじまうぞ!」
「どうやるってのよ!!」
今度こそ自棄っぱちの悲鳴がリーアの口を吐いて出た。
武技の心得はなし。おまけに状況も不明で混乱さえしている。
考えが事実に追いつかないと言った態。幸いにして動きは鈍く、
まるで冒険者たちに関心など無いかの如く茫洋と沼の上を滑っている。
「こん畜生!」
「あ、ちょっと!」
切りかかったカルルの鉈が粘ついた化け物にぶち当たる。
だが、半ば程まで食い込んで動きを止めていた。両手で引き抜こうとするがびくともしない。
化け物の頭部──そう呼んで良いならば──がカルルに向いた。
少年は仰け反って恐怖に歪んだ顔を晒す。少し離れていたリーアは、それに加えて
鉈の刃に黒っぽい泥、つまりは魔物の体の一部が這い上っていくのを見た。
リーアが体当たりして鉈から腕をもぎ取る。
その数秒後に少年の獲物はヘドロに飲まれて消えた。
冒険者たちは顔を青くして数歩後ずさった。
化け物はにじり寄る。何の人間らしさも無い塊を乗せただけの頭部は
今や確りと彼等の存在を捕まえていた。周囲の沼をも飲み込みながらにじり寄って来る。
旺盛な食物に恵まれたか、見る間に背丈を伸ばしていく。
「おい、冗談だろ。まさか、デカくなって……おい、やばいぞ!」
「アンタのせいでしょうが!どうしてくれるってのよ!!」
果たして。怪物はとうに冒険者たちの背丈を追い越し、見下ろす程の大きさだ。
姿は既にはっきりと下半身のない人型を取っている。
酷く緩慢にリーア達へ突き出した腕からは、重さに耐えきれないのかぼとぼと、
ヘドロの中身が剥がれ落ちた腐肉のように落ちて音を立てていた。
そうして、巨きな怪物は掴みかかろうと迫って来る。
ばっ、と化け物から先に背を向けたのはカルルだった。
見事な逃亡の姿勢であった。呆然と見送る事数秒。
「逃げやがったあのクソ野郎!!」
罵声を交わしながら逃げる冒険者と追いかける怪物。その間もどんどんと膨れ上がり、
再び振り向いた時には屋根に手をかける程にまでになっていた。
足を縺れさせたカルルが転ぶ。どうする、とリーアは一瞬思考した。
彼女が向き直ると化け物も追いつく。顔を引きつらせながら見上げる。魔物の顔が遥かな高みから二人の冒険者を見下ろしていた。
落ち着け、とリーアは大きく息を吐いた。伸びる黒い腕から這う這うの体で逃げ回る。
解った事だってある。ゴミが粘性の体躯から吐き出される。リーアは観察結果を必死で思い浮かべる。
大きさはある。だが動きは酷く鈍い。走っても十分逃げられる。
武器は効かない、乃至効果が薄い。正体は解らないが下手に殴ってもべとべとした泥に飲み込まれる。
逃げ回っていれば死にはしない。表通りに出れば大騒ぎになって他の冒険者の助力だって──いや、そうしたら面倒にならないか。
思考の閃きは瞬きをするほどの刹那。集中した瞳孔が収縮した。──この化け物、何故体からゴミを吹き出すのか?
はたと思い至った時、少女の手が腰に提げた何かにぶつかった。
ロープであった。これだ。リーアは直観し、そして腹を据えた。
「カルル!!」
「へ?」
「腰抜けカルル立ちなさい!助かるかもしれない!」
怒鳴りつつ腰のロープを解くと、片方の端をカルルに押し付ける。
「何だこんな」
「いいから!」
若干の弛みを持たせつつ、少女もロープを握って少年に言った。
「ロープであの化け物を切る!」
「気でも狂ったか!?お前も見てたろ」
「あんたこそ見てみなさい!ボトボト落ちてるじゃない。
アイツ、大きくなり過ぎて自分を支えられなくなってるのよ!」
ひょっとしたら。もしかしたら。ちらつく期待と叫喚で恐怖を誤魔化す。
何れにせよ進退は既に極まった。横目にカルルが綱を腕に巻き付けるのを認める。
ヘドロの山は相変わらずだ。幸いにして頭も良くないらしい。
魔物へと向き直る。少女は聳える悪意を睨み上げた。
「いい?1,2,3で」
「……解ったよ。やるよ。死んだら化けて出てやるからな」
「1、勝手にどーぞ。2」
「3!」
二手に分かれて飛び出した。茶色く頑丈なロープが後に続く。
重い手応え。むっ、とするような臭い。どしゃどしゃと魔物の腰部から吐き戻されるように
ロープに引っかかったゴミの山が地面に落ちる。
身悶えする巨人は背後に回った小人二人へと体を捩る。
「重ッ……!この!」
腰を入れ、体重を込めて力の限りに綱を引く。
腰骨が抜けたようなものだったのだろう。瓦礫が抜けた化け物の下腹が拉げて崩れた。
上体を捻り、捕らえようと腕を伸ばした姿のまま巨体が前のめりに倒れる。
その真下を掻い潜り、反転、食い込んだロープもそのままに「もう一回!」、叫び、膝下の沼を蹴る。
「もう一度!」、吐き出された汚物が跳ね返って飛沫を上げる。
「もう一度!!」、勢い任せに引き抜かれたロープが壁に当たって音を立てる。
辺り一面にヘドロとゴミを撒き散らし、元の大きさに戻った魔物の胴体に
とどめとばかり再び荒縄が食い込んだ。ず、と沈み込み、引っかかった何かが化け物から転び出る。
途端、それまでは寄せ物のように粘性を帯びていた魔物の身体が形を失い直下に崩れた。
後には一抱え程もある固着した塊だけが沼の中に沈んでいた。
そして、それが周囲の泥を飲み込み、再び形を取ろうとしているのを見て、
今度こそリーアは斧を振り上げ、力の限りに打ちかかった。
「死ね!このっ!死んでしまえ!」
やがて、外殻の剥げた中心から淡く光る石が現れ、リーアのなまくら刃が二つに砕いた。
それが路地裏に現れた化け物の最後だった。
/
惨めな帰路に就く冒険者たちへ声を掛ける者とてない。
カルルは死体を背負い、リーアは化け物の光っていた石と二人分の荷物を負っている。
まるで敗戦の風だった。白馬亭で二人を出迎えたエメスはてきぱきとしたものだ。
湯を用意し、遺骸を清めにかかるとリーアとカルルを話もそこそこに彼らの部屋へと押し戻す。
ウォル=ピットベッカーが一人の客を連れて戻って来たのはそんな折だった。
「おや……これはお邪魔したらしい」
と、その客が言う。地味な装束に身を固めては居たが、マント一つとっても解れも痛みも見えない。
つば広の帽子に丈の長い真新しい外套。それから上等と見えるブーツという恰好だ。
どうにも場末の宿には相応しくない、と値踏みしていた女主人にウォルが歩み出た。
彼は簡易寝台代わりのテーブルに横たわる死体を一瞥する。
「いや、その通りではあるが──エメスさん。何かあったみたいだけど」
問いに応え、エメスは亡骸へ導いた。
「魔物が出たって。リーアちゃんと、あとカルル坊。それからベルカント君が仕事してる時に」
数え切れぬ程見て来たものではあろうが、気分が良い物ではないのだろう。
感情を押し殺した声でエメスは告げた。冒険者は眉を顰めつつも事態を飲み込む。
「運が悪かったのよ。幾ら裏通りでも。やくざ者相手なら兎も角。
詳しくはまだ聞けてないわ。ただ、色々と手配はしてあげないと」
藪をつついて蛇を出した格好だ。死はこの街の何処にでも転がっている。
ともあれ暫くは落ち着くのを待つしかあるまいし、急いて解決するような話でもない。
ウォルは頷き、それから脇でじっと話を聞いていた人物に向き直る。
「トゥルシィ、どうするんだ?何日も戻らない訳にもいかないだろう」
「改めて使いを寄越すよ。何なら君が成ってもいい。──ん?」
と、トゥルシィと呼ばれた男がエメスに向き直り、まじまじとその顔を眺め──
「これは懐かしい顔!世間は狭いものだ!」
と、帽子を脱ぐなり突然言った。誰であろう、トゥルシィ=アーキィであった。
女主人はと言うと、男二人の顔をまじまじと見比べ、頭痛を堪えるように米神を抑える。
「さても今日は事件が起きますわね」
それで一体何の用か。一体全体何処で油を売っていたのか、とエメスは男二人を睨む。
言葉も無い、という風にウォルは押し黙り非難を受けている。
一方のトゥルシィは提げていた鞄から一冊の──見事に皮と鉄で装丁された大著を取り出した。
表題には魔物生態辞典とある。
「これを冒険者諸君に試してもらいたくてね」
「マモノセイタイジテン?」
「その通り。世のあらゆる種族を網羅せんと志す学問の成果だよ」
「じゃあ、早速成果を見せてよ」
と、エメスは割れた石ころを学者に押し付ける。
「ふむ」
手渡された欠片を検める。件の魔物が残したものだ。正体を明かしてみせろ、と言いたいらしい。
汚れを洗い流された表面には、よく見るとびっしりと細かい文字が記されている。
モノクルのような薄いルーペで隈なく探り、一つの文字を凝視する。
「恐らくは魔法で拵えた怪物だね。魔術の業には明るくないが、これが人の手によるものだという事は解る。
それもここ最近のものらしい。これを見給え、平文の刻印があるだろう。詳しくは」
彼は懐から蝋板を取り出すと、そこに皇室付魔術師、という言葉を刻み、
それから2、3の記号を刻み込んだ。
「見ての通り。これは宮廷の魔術師が作ったものだ。この記号は役人の文書で良く使われてる。
そもそもの出どころで間違いないだろう。それが何かの拍子で、という事かもしれないね。
──まぁ、私としてはどういう挙動か、どんな機能を持っていたのか、そういう所が気になるが」
ウォルが目を凝らして石の刻み目を見ると、曲がりくねったルーンの中に確かにそのような文字が見えた。
大方、先だって人類圏が大混乱に陥っていた時期に処分に困って捨てでもしたか、と想像を膨らませる。
「そちらでは解らないか?皇城の書庫にでも保存されていそうなものだが」
「文書の所在を訪ねた所で知らぬ存ぜぬだろう。貴族にさえそうさ。
まぁ、どう動くか、というのは譲ってくれればこちらの魔術師と調査はするよ」
「辞典の為だな」
「その通り。記述や研究はまだまだ途上──」
「それなら私も一枚噛ませてもらってもいい?ほら、昔のよしみで」
と、エメスが言う。彼女は辞典を見る。
「横の繋がりもあるし。──ほらさ、ウチの子らにも情が移って来ちゃってね」
「ほう。私の用事もそれなら頼めそうかな?と、言っても一人一冊とはまだ行かないが」
分厚く、重く、荘厳で壮麗な経典の様にすら見える。綺麗な羊皮紙の上には緻密な字と彩色された押絵が続いている。
恐らくこの一冊で白馬亭よりも高値が付くだろう。ぱらぱらとエメスはページを捲るものの、すぐに顔を顰めた。
「難し過ぎる。学者先生か魔法使か、兎も角しっかりと教育を受けてないと読めたもんじゃないわ。
字が読める子のが少ないってのに。有難いのは有難いけどさー、高級過ぎて客層に合ってないわよ」
「これは手厳しい。では、これを機会に新しい客層でも開拓してはどうかね」
「確かに。化け物の知識は口伝えか実地で経験するかだから見たがる冒険者は居るだろうけど……」
「成程。識字の問題か。それは考えていなかったな」
「売る気あるの?」
「売れると思っていた。まぁ、そちらの計画は西国から取り寄せる印刷機待ちになりそうだ。
何でも、新しく普及させる版の経典を造ってるらしくてね。その副産物さ」
「ふぅん……まぁ、良く解らないけど頑張って」
「無論だよ。ゆくゆくは冒険者の必携本だからね。頑張って宣伝してくれ給え」
ごほん、とウォルが咳払いをする。
「──話を戻すが。魔法生物の類と言ったな?
泥人形か、人造精霊か、それとも合成生物か何かか。推測で構わないから一席ぶってくれ。
後始末に僕が出る事になるかもしれないから。予備知識が欲しい。
あの子たちから今聞き出す訳にもいかない」
言うと、ウォルは疲れたようにジョッキを一息に干す。
「全く。大変な一日だ」
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