最終章
「いくら何でも早すぎねえか?」
「そ、そんなことは無いよ。僕の集めた情報によれば、地域最速導入で店の告知の仕方も今までに無い力の入れ方だよ。それに、あ、朝は並び順だからね」
早朝六時前。新橋駅前のSL広場で、パンク風の皮ジャンを着た男と、ベースボールキャップを被った太った男は待ち合わせをしていた。
コンビニに寄って朝食を買い、ゴミ収集車が走りカラスが飛び交う人気の少ない通りをダラダラと歩いていく。
「しかし、久しぶりの新橋だよな」
「ひ、ひどい目に遭いましたからね………」
「タカシさん、まだこの辺で打ってるのかな」
「かも知れません………でも『もうあのことは手打ちだ』って言ってくれましたし」
「ああ、もうタカシさんの情報はあてにできなくなっちまったけどな」
「仕方ないですよ、あんなことしたんだから」
「お前だってあんなゴト道具持ち出しやがって。あれ店にチクられたら間違いなくサツのお世話になってたぞ」
「じ、自分で使わなければセーフと思ってたんですけどね」
「アウトだろ、どう考えたって」
皮ジャンの男が足下に転がる空き缶を蹴り飛ばすと、電信柱に当たり角度を変えて交差点を曲がった方向へと転がっていった。そして、それは二人が進もうとしている方向でもあった。
ベースボールキャップの男はあくびをこらえながら角を曲がると、その場で立ち止まった。そして、菓子パン三個にファンタグレープが入ったビニール袋を手放して落としてしまった。
「何してんだよ、炭酸吹くぞ」
皮ジャンの男はその後に続いて角を曲がる。下向いたまま蹴り飛ばした缶を見つけ、そのまま視線を上げると───
「ア、ア、アウトだろ、これ………」
二人の視線の先には、早朝のビジネス街にはあり得ない、人また人の行列。
目当てのHOPSまではまだ数百メートルはあったはずである。
二人は目を合わせて頭を抱えたが、ここまで来て帰るわけにもいかず落胆のまま行列の最後尾へと向かった。
「はいはーい、烏龍茶の人は?」
「お嬢ちゃんこっちだよ!」
「俺の缶コーヒーある?」
「待ってー、次に買ってくるから」
「あんがとよー」
キャスは両手に抱えたビニール袋を運びながら、行列に並ぶ老若男女たちに飲み物を配っていた。
朝六時に歩道を埋め尽くす大行列。それは文字通り本来ホールに並ぶ客層とは異なる『老若男女』でごった返していた。
「いいのかい八百森さん? 朝の仕入れは」
「いいんだよカアちゃんに行っとけって命令したから」
「どうせ両手合わせて頼み込んだクチだろ」
「な、何言ってんだ! お前んとこだって築地行かなくていいのかい?」
「いいんだよ、今日は卸し相手の店もみんな臨時休業だよ。なあ、朋来の旦那」
「ああ。すまない、八百森さんも魚八さんも」
そう言って朋来の店主は、深々と頭を下げた。
「やめてくれよ旦那。中華の人たちが俺たちに手伝って欲しいって言うんだ」
「そうだよ、普段から世話になってるお得意様なんだからよ」
「ありがたい。この街もまだまだ捨てたもんじゃない」
店主は、新橋界隈で店を構え、生活を営む地元の人々で作られたこの行列を見つめながらつぶやいた。
HOPSの店舗前、入口の自動ドアの前には光一、タカシ、渡辺、そしてパーラー弘樹で働く和美が並んでいた。光一が到着したのが四時半。念のため電車の始発より前に到着しておきたかったのでタクシーで無理をしたが、当たり前のようにまだ誰も並んでいなかった。そして日の出の頃には約束どおりここにいるメンバーが姿を見せ、さらに朋来の店主が手配した新橋の人々が瞬く間に大行列を形成した。
「すごいな、あの人は」
渡辺は列の後方でも頭一つ抜け出して目立っている巨体の朋来の店主を見つめながらつぶやいた。
「ああ。華僑グループだけでなく地元民にまで顔が利く。お前達みたいなホールはメーカーとか警察より、あの人のいうこと聞いていた方がいいかもな」
光一はうなずいて同じく自分の後ろに続く行列を眺めながら答えた。
「初めてですよ、こんな朝からの並びを見るのは。池袋や新宿でこれくらいの人数を見ることはありましたけど、ほとんど抽選でしたからね」
この人数に興奮を抑えられないらしく、普段は冷静に状況を見つめ立ち回るはずのタカシも声のトーンが上がっている。
「そりゃそうだよな、普段は並んでも4~5人のこのホールで抽選なんてありえない。いいもんだろ、こういうのも。人ってのは集まるだけで空気を変えてパワーを生み出す………で、なんだけどさ。何で弘樹の和美さんがここにいるの? 別に構わないんだけどさ」
渡辺の横にくっついて離れようとしない和美を指差して光一は渡辺に尋ねた。
「指差すんじゃないわよ! 学校の先生に教わらなかった!?」
和美は自分の店にもよく出入りする光一に対して、しっしっと犬を払うような仕草をしてみせた。
「まあまあ………和美さんにはそこのタカシ君の応急処置の時にお世話になったんですよ」
「それって七竜に運び込む前の話?」
「ええ、近くで頼りになる所が他に思い浮かびませんでね」
「そうだったんですか、ありがとうございます………」
事情を知らなかったタカシは、和美に対して頭を下げる。
「いいのよ、うちの子ももう少ししたらあなたくらいだし、放っておけないじゃないの。それにね、いつも頭取りに来るゴールデン6のイケメンの頼みとあっては、ねえ」
そう言って和美はさらに渡辺の腕を掴んで身をすり寄せる。
「ねえ、って………和美さん、露骨過ぎますよ」
光一は普段は見せない渡辺の困惑している様子を楽しんでいた。
「ふーん、お前はこういうの好みか」
「こういうのって言うな! ここは店じゃないんだよ、客じゃないエロ中年だったらいくらでも蹴り飛ばしていいって、ダーリンも言ってたわ」
「ダーリンってなあ……これって不倫じゃないの?」
「若い子と遊ぶの許す甲斐性くらい、イイ男なら持ってるものよ」
「なあ渡辺。今この女はっきりと『遊び』って言ったぞ」
「ええ、遊びですよ」
「そこら辺は割り切ってんだな」
(深すぎて何も言えない………)
光一・渡辺・和美の三人の会話に入ることができず黙っていたタカシだったが、行列の向こうから戻ってくるキャスの姿を見つけると救われたかのように手を振った。キャスは空になったビニール袋を手に持ったまま、元気よく走ってくる。
「お疲れさま、亜夜」
「うん、楽しかったー! みんないい人だね。今度お店に来たらサービスしてくれるとか、うちの息子の嫁に来ないかとか、気のいい人たちばっかり」
キャスは満面の笑顔で応えるとタカシの横に立った。「飲み物配ってくる!」と言って買い出しに出掛けたのはキャス自身の発案だった。確かに開店は十時、まだまだ時間はある。無理を押してこうして並んでくれている人たちに何かしてあげたい、という意見にはみんなが賛成した。その際に光一はスポンサーを買って出て金をキャスに渡しながら、ついでに頼みごとをしていた。
「どうだった?」
光一はキャスからお釣りを受け取って尋ねた。
「みんな楽しそうだったよ。何だかお祭りを待っている子供みたいではしゃいでた。朋来さんもよろしくって言ってたよ」
「そいつは良かった。数は?」
「137人」
「よし!」
光一はその場で開いた左の掌に右の拳をパチンと当てた。キャスにとって、飲み物を配りながら行列の人数を数えて記憶することなど簡単すぎる注文だった。彼女の記憶力はこんなものではない。
「いけますか?」
渡辺が尋ねると光一は大きくうなずいた。
「スロットは全部で125台。まずは第一関門クリアだな」
「これは壮観ですね、HOPSが朝から満台なんて見たことも聞いたこともない」
渡辺の言葉に和美も同意した。
「うちの店もそこまでいったことはないわね。ナベちゃんの妹さんが来たときも、お客さん増えるのは昼過ぎからだったからね。あ、そうだ! 今日はモロミちゃん来るの?」
「ええ、恐らく………今日は新橋で仕事が入ってると言ってましたから。どう考えてもHOPS以外に考えられません」
「楽しみだわ。あの幼女体系で巨乳な感じ、私好みだなー。頑張ってもう一人作ろうかしら」
「和美さん、アグレッシブ過ぎてツッコめませんよ! ああ、光一さんは聡子……モロミを見かけても目線を合わせない方がいいですよ」
「ああ、男として保留玉2個は確保しておきたいからな」
光一たちが冗談交じりに会話を続けていると、徐行運転の赤いGOLFが通りをこちらに向かってきた。通常速度で駆け抜けるわけでもなく、行列を横目にゆっくりと近付いてくる。そして店の前にたどり着くとハンドルを切って駐車場に入っていった。
車を止めて降りた男は、行列を気にしてやたらキョロキョロしていたが、やがてHOPSの裏手へと走っていった。
「分かる?」
光一は渡辺と和美に尋ねた。
「店長ですよ」
「間違いないわ」
光一は二人の答えにうなずいた。
(まだ設定をいじる時間はあるか。いい方に転ぶ分には構わないっちゃあ構わないが)
腕時計を見つめながら、光一は考えを巡らせた。
「お、おはようございます」
「遅いぞ牧! 今日は開店業務一時間前倒すって言ったろ!!」
牧が社員通用口からHOPSに入ると、すでに店内は数人の店員によって慌しかった。
「い、いえ、聞いてませんが。き、昨日は非番だったので」
「ちっ、使えないなどいつもこいつも……店長から命令が出てる。設定変えるぞ」
「は、はい」
フロアリーダーの男に言われて、牧はすぐに更衣室で着替える。室内に誰もいないのを確認して牧は携帯電話をポケットから取り出した。
(まずい………仕込みがパーになる)
牧はリダイヤルから光一の番号を選び通話ボタンを押す。
「おい、まだか? お前、設定キー使えないだろう。とりあえずこの番台の鍵開けだけしておけ! ああ、あと台清掃とドル箱の整地もしっかりしておけよ」
突然更衣室の扉が開き、怒鳴り声で急かされた。自分の体で隠しながら携帯電話の通話をキャンセルする。牧は室内に入ってきたフロアリーダーから紙を受け取って書かれた番号を確かめた。
(多すぎる。伝える時間が無い)
牧は受け取った紙を制服のポケットにしまった。携帯電話は勤務中の持ち歩きを禁じられている。牧は制服のネクタイをきつく締めた。そのまま更衣室を出ようとしたが、自分が焦っているのに気付く。他の人間から見たいつもの牧になるべく、わざと襟元を広げて整わない制服姿に自らを仕立て上げてからフロアへと向かった。
「失礼しまーす、顔は出しませんので撮影させてくださーい」
詩乃の会社、L&Dクリエイティブが手配したスタッフだろう。開店前の行列の様子をカメラマンが撮影して回っている。パチンコ店の列に並んでいたり、店内で打っていたりする姿を撮影されて都合の良い客など普通はいない。どんなに業界がイメージアップを図ろうと、大衆娯楽にしては足をはみ出してしまった後ろ暗いギャンブル場なのだ。
だが、今日の行列はいつもの客層とは違う。朋来の店主が触れ回った華僑や地元商店街、飲食店の面々がカメラに向かってピースをしている状況だった。
列から離れていたタカシが、紙の手提げ袋を持って光一たちの元に戻ってきた。Mの字が大きく書かれたマクドナルドのマーク。
「待ってたよ、早く早く」
キャスは袋を受け取るとすぐにソーセージマフィンを見つけ出し、包みを剥がして両手で豪快にかぶりついた。
「やっぱお前太るよ、近いうちに………痛っ!」
光一の言葉に対してキャスは爪先で脛を蹴り上げながら、器用にほんの数口でマフィンを平らげてしまった。そしてハッシュドポテトをつまみに、ソーセージエッグマフィンの攻撃に取りかかる。
「頭を使うとお腹が減るって言ったでしょ。この後だってまだあるんだから」
「亜夜、すまないね。今日は普通に楽しんでもらいたかったけど」
タカシは中身が空になった紙袋をキャスから受け取る。
「どうしてかなー、タカシは私に気を使い過ぎ。コマとして動くの、私は嫌いじゃないよ。必要とされているってすごく嬉しいんだから」
キャスは先ほどと違い、優しくタカシの靴を爪先で小突いた。
そんなやり取りを横で眺めながら平静を保ちつつ、光一はどうしようもない気がかりを頭の中で必死に抑えていた。
数時間前にあった牧からの電話。
それはこちらが話そうとする間もなく切れてしまった。
この時間に牧から連絡がある予定は無い。
昨日のうちに、牧からは開けられて設定変更された台の番号を聞いていた。
それで牧の役目は終了、今日は一店員としてことの成り行きを見守るはずだった。
当日に怪しいアクションをするのは、あまりにもリスクが高い。
だがらこそ牧からの電話には絶対に意味がある。
おそらく───設定変更。
今朝、キャスは頭の中にすべての設定変更台の番号を叩き込んだ。
あとは開店して着席した客たちに、それをごく自然に伝えるだけ。
だからこそ、そもそもの情報が変わってしまうとどうにもならなくなる。
考えが甘かったか。
これだけの人数を動員して駄目でした、では済まない。
もしかしたら高設定の配分を直前で増やしてきた可能性はある。
それでも良くて赤黒トントンまでのことだろう。多少は店の赤が出るかもしれない。
だが、それでは意味がない。
今日一日で決めなければならないのだ。
確証が無い以上はここまでのプランを変えることはできない。
全台の設定をすべて打ち直すとも考えにくいから、情報どおりに動くのも無駄ではないとも判断できる。
(どうする)
光一は黙ったまま携帯電話を眺めていたが、その着信ランプが光ることは無かった。
その時、HOPSの入口のシャッターが開き始めた。開店三十分前で、この店は客に番号が印刷された『台確保券』を並んだ順に配布する。開店後、席に着いた客から回収する仕組みだ。
シャッターが開き切ると、自動ドアの鍵を開けて店内からハッピを着た二人の店員が出てきた。
一人はよく見かける冴えない顔でよくパチンココーナーで見かける若い店員。
そしてもう一人は、牧。光一は手に持つ携帯電話を強く握りしめた。
「お並び順で拳をお配りしまーす! 二列にお並びください。近隣のご迷惑にならないようよろしくお願いしまーす」
冴えない男の方がそう叫び、牧が券を配る役目のようだった。本来はドル箱として使われる黄色プラスチックの箱に券を入れて付き添っている。
光一は列整理のタイミングで一番前からキャス達を前に促して五番目に位置した。
「それでは一番の方から」
牧が先頭に立ったキャスに券を手渡す。続いてタカシ、渡辺。和美が受け取るとすぐに光一の番が回ってきた。
パウチされた大きめの券が牧から差し出される。
光一は券を両手で受け取り、牧の手に触れた。
券の裏には───何もなく、牧の手は素っ気なく離れていった。
思わず牧の目を凝視する光一。
牧は駐車場の方へ視線を逸らしてすぐに次の客へと移動していった。
(情報無しか)
振り返って牧の姿を追うが、何も感じ取ることができなかった。
光一は髪を掻き毟りながら胸ポケットの煙草を取り出した。頭が沸騰している。ニコチンでも吸収して心を落ち着けないとおかしくなりそうだった。一本取り出して火を付けようとすると、それを和美が取り上げた。
「何だよ和美さん」
「お店の迷惑。あっちに灰皿置いてあるんだから吸ってきなさいよ」
そう言って和美は駐車場の壁際に置かれたスタンド型の灰皿を指差した。確かに数人の客がそこで吸っている。
「結構、真面目なのな」
「掃除する苦しみはどのお店も共通よ」
光一は言われるまま火を付けるのを止め、駐車場へと歩いていった。
無言で煙を吸い続ける男達に混じって、灰皿スタンドの脇に立つ。駐車場には数台の車が止められていた。
(車ってのもな。東京でスロ打つ限りは必要ないってか)
自分には縁の無いことだと思いながら煙草に火を付ける。遠目に行列を眺めたが、券の配布ははかどっていないようだった。それはそうだろう。並んでいる客のほとんどが、普段はパチンコ屋など覗きもしない素人。券を渡されても何をどうすればいいかも知らない人たちばかりだ。
そんな様子を見つめていると、牧が明らかにこちらを見ているのに気付いた。光一が気付いたのを悟ると、牧は駐車場の方向へ目を逸らす。そこにはが店長が乗っていたGOLFが一際目立って止められていた。
(………ん?)
一指し吸ってから口を付けていなかった煙草から、灰がこぼれ落ちた。
光一はまだ長く残っているセブンスターを灰皿に落とし、列へと戻る。
先頭に並ぶ他のメンバーは他愛も無い冗談や何を打つかの話で盛り上がっており、光一もその会話の輪に加わった。
そうしているうちに、ようやく券を配り終わった店員二人が行列の先頭へと戻ってくる様子が見えた。光一はその姿を確かめると、二人に向かって声を掛けた。
「なあ、今日は『店長極秘指令』なんだろう? 出してくれるんだよな?」
「いやー、もう今日はお客様次第でいくらでも」
冴えない男の方が、分かりやすい愛想笑いを浮かべながら答える。
「俺も勝たせてもらって、あんないい車乗ってみたいもんだわ」
光一はそう言って赤のGOLFを指差した。すると、冴えない男は目を輝かせて返してきた。
「いいっすよね、GTI! あれ、三百万はしますよ。いいスポコンですよ、あの赤いブレーキキャリバーがいかしてるんだよな。お客さん、車好きなんですか?」
「あ、ああ」
お前が喰い付いてきても嬉しくも何ともないと思いつつ相槌を打ちながら牧を見つめると、牧は強くうなずいてみせた。
「いいですよね、俺も店長みたいなの乗りこなして……」
カラン!
話を遮るように、通りに乾いた音が鳴り響いた。それはドル箱がアスファルトの路面にぶつかる音だった。プラスチックの箱は大きな音を立てて光一の足下に転がってきた。光一は拾って牧に差し出す。
「す、すす、すみません」
「何やってんだよ、ウスノロが! ったく券配りもろくにできねえのかよ」
「ほ、本当にすみません………」
牧は車の話で盛り上がろうとしていた男から罵声を浴びながら、光一が拾ってくれたドル箱を受け取る。
その受け渡す時。ドル箱の片方を光一が持ち、片方を牧が持つ状態になった。光一は離そうとしない。そして牧も離さずにわずかにうなずく。
ほんの一瞬の間があってから牧は受け取った箱を脇に抱えた。
「あ、ありがとうございます」
「気を付けな」
光一はそう言いつつ、自分の胸が一気に高鳴っていくのを感じていた。
「ただ今より入場を開始します。走らないで席にお付きになって、台確保券を台の分かりやすい場所に置いてください。ただ今より………」
まだ電源の入っていない自動ドアが店員の手によって開かれる。
───十時。
直前までは笑いが耐えない馬鹿話を続けていた光一達だったが、店員の声と同時に誰もが黙り、表情を引き締めていた。別に今日だからというわけでは無い。ホールに出入りする人間とはそういう風にできているのだ。
先頭のキャスは、走るなと言われているのに小走りでまっしぐらに新台の新鬼武者に向かっていく。タカシは台に挟まれた通路をゆっくりと歩き、エウレカの角台に券を置いた。渡辺はBLOOD+へ。和美は緑ドンへと足を進めた。
光一は特に当てもない様子でふらふらと歩きながら周囲を見回して歩き続ける。続々と入店してくる客によって台は埋まっていく一方だったが、光一は構わずに券を手に持ったまま通路を歩き続けた。
(気付け。絶対に意味があるはずだ。気付け、俺)
光一は台のランプ、リールの揃い方、液晶画面のズレ、ゲーム数カウンターの表示など台の朝一の挙動に目を配って歩き続けた。
目に留まる目立つ違いは感じられない。
規則性の中にある不規則。
日常の中にある違和感。
必ずあるはずだ。
「光一さん、どうする?」
無事に台を確保したらしいキャスが近付いて声を掛けてきた。
「打ち合わせ通りでいいなら私、五分後くらいに肩を触って周るよ」
「ああ……そうしてくれ」
「大丈夫? 何か違うよ、今日の光一さん」
「大丈夫さ、きっとうまく行く。牧が何かを………」
血走らせていた目を休めるように視線を台から離すと、そこにはびっしりと客で埋まったパチスロの島。
いい風景だ。
ホールはこうでなくちゃいけない。
熱気と欲望が渦巻いて、喜怒哀楽が弾け飛ぶ。
こんな風景が久しく失われていた気がする。
原色の光と甲高い音が響く狂騒の空間。
目に飛び込んでくるのは。
(ああ!)
そのまま声が出てしまったのだろう。
キャスが目を丸くして光一のことを見上げていた。
光一は、もう一度視線を高くして周囲を見渡した。
(でかしたよ、牧)
光一はキャスを通路の突き当たりに呼び寄せ、手で口元を隠しながら説明をした。キャスはうなずくと通路に踵を返す。光一もキャスと反対の島に向かって一台一台、その朝の挙動を確かめながら歩く。
───数分後。
先ほどの場所に戻ってきた二人は互いにうなずいた。
「間違いないだろう」
「覚えた番号は全部当てはまってた。設定変更が分かる台も該当してる。それに十台くらいプラスされてた感じね」
光一とキャス、二人は声を合わせた。
「ビンゴだ!」
開店して客が台に座ってしまうと、いくらその人数が多くても意外にホール店員は忙しくない。客はひたすら打ち込み始めるばかりで、朝から早々にメダル補給に呼ばれることもない。
そんな様子を事務所奥のホールコンピューター室のカメラ映像で眺めていたHOPSの店長は、終始笑顔が絶えないでいた。
「やっぱりここまで客が付くなら、少しは一般客にも餌を撒かないとな」
映像の先では、設定変更の副産物であるリセットから早々に初当りする台がいくつも見えていた。出玉が見える。客が夢を見る。高設定が稼動する。低設定も稼動する。これがホールの理想的な状態だ。無理をした甲斐がある。それに今日の出玉もほとんどは自分の手に戻ってくる。
店長は自分の成し遂げた充実感に満ち溢れ、満足そうにただひたすら映像を眺め続けた。
出玉推移を表示するPC画面を見ること無しに。
光一とキャスは開店してから十分後、手分けして通路を歩きながら打っている客の肩を軽く触って周った。触られた客は振り向くことなくうなずくと、メダルを投入していた手を離す。一方、触られなかった客は一心不乱に台を回し続ける。
肩を触られた客の頭上には、黄色のドル箱。
触られなかった客の頭上には赤のドル箱。
肩を触られた客は、席を離れたり、リールを回したままボタンを押さないでいたり、傍らにある説明プレートや小冊子を手に取ったりしてメダルを投入しなくなった。
光一は一通り自分の分担を終えると、通路に立ったままでいる台にあぶれた客を眺めた。そのほとんどが空台を探しているのではなく、特定の台を凝視している。落胆、焦り、怒りなど表情は様々だった。明らかに共通するのは、対象となる台はすべて昨日まで光一たちが掴んでいた台番号と一致している。
つまり、指示された狙い台をつかめなかったサクラだ。
光一は心の中で手を合わせて謝りつつ、自分の目論見が当たっていることに胸を撫で下ろした。
通路の反対側にいるキャスがこちらを見てうなずいた。向こうも終わったようだ。
光一はまだ手に持ったままの台確保券を見つめた。
「俺、どうすっかな」
光一は肝心な自分の打つ台がないことに気付いた。完全に満台御礼。ゲーム回転数が進んでいるのは頭上のドル箱が赤い色をした台だけ……ではなかった。
「あちゃー、打ってるし」
思わず光一が声を掛けたのは、緑ドンを打つ和美。
「勝てばいいのよ、勝てば!」
止めることもできるわけなく、光一はすぐにその場を離れた。
そして嫌な予感は的中した。
エウレカを淡々と打ち続けるタカシ。
早くもボーナスを引き当て、演出バトルの行方を見守っている渡辺。
すでに蒼剣RUSHに突入して目を輝かせているキャス。
誰もが頭上のドル箱は黄色だ。光一は苦笑いをしながら通路をさまよった。
通りがかりに目押しを頼まれたりしながら島の風景を眺める。
(でも大したもんだ、三分の一以上は入れてきてる。店長が本気なのは間違いないな)
台枠ランプの光り方が当たりの多さを証明している。光一はスロットをあきらめてパチンコにでも手を出そうかと歩いていると
「コーさん、コーさんや」
呼び止める声に振り向くと、いつもゴールデン6でジャグラーを打つ爺さんだった。
「どうしたよ、ジャグ爺」
「空台が無くっての、しかたなくこの台に座ったんだが、ワケが分からん」
ジャグ爺さんが座っているのは銀河英雄伝説。バッキバキのART台であり、ジャグラーとは対局に存在すると言ってもいい。ART台より先にジャグラーが埋まるというのは、まだこのホールが信用されていない証拠とも言える。
「今日はお祭りじゃって聞いて珍しくこっちに来てみたんじゃが……こんなマンガの台じゃおっ勃つモノもおっ勃たん」
「そうだよな、ジャグ爺はピエロが精力増強剤だもんな。爺、その台俺が五千円で買い取るよ」
ドル箱の色は黄色。このままジャグ爺が打ち続けたら、根こそぎ年金を引っこ抜かれるに違いない。
「金なんていらんよ。コーさん打つ台ないんじゃろ。わしゃいゴールデン6でいつもの打ってくるわい」
「いいのかい?」
「ああ、若いのには若いのに向いた台があるさの。設定とか確率とかそんなのは知らんわ。相性のいい台でヒキの強い奴が勝つだけじゃよ」
ジャグ爺はそう言ってニッカリと笑うと、キラリと光る金歯がまぶしかった。
「そうだよな、出来レースは街のみんなに任せるとして。この腕一本でブチ込んでやればいい」
光一は自分の腕をパンと叩くと、譲り受けた銀河英雄伝説に座り千円札をサンドに投入した。
最初に異変に気付いたのは、朝の台確保券を配る時に牧といっしょにいた車好きの店員だった。どの島もほぼ満台で当たっている台も多い。ホッパーエラーのメダル補給で呼ばれることも通常営業よりは多かったが、予想していたのよりは少ない。
そしてどこか違和感を感じながら仕事を続けていると、ようやく思い当たった。
「なあ牧」
「な、何ですか」
インカムではなく近くに寄り添っての生の会話で、冴えない顔をした車好きの店員は牧に話しかけてきた。
「お前さ、サンドのメダル補給とかタンクフローエラーの処理って今日やったか?」
牧の顔が一瞬曇る。
「は、はい。何度か、や、やりましたよ」
「そうか……俺がたまたまやってないだけか」
牧は自分の腕時計を見た。時刻は昼の十二時前。
(まだ大丈夫と思ったが、こいつ勘はいいな)
「ぼ、僕が頑張りますから、須藤さんは休んでくれていいですよ」
「いいのか?」
その須藤という店員は、パチスロ島を訝しげに眺めて首を捻っている。しばらく考えているようだったが、あきらめたらしく牧の肩を叩いた。
「そっか、じゃあ先に休憩取るからよろしく頼むわ!」
そう言うと須藤は控え室の方へと去っていった。
(勘はいいが、馬鹿でよかった)
牧は心中穏やかではなかったが、呼び出しランプを確認するとおぼつかない手付きに見せてメダル補給タンクからカップを取り出した。
「うーん、続かない」
浮かない顔でそう呟いているのは、新鬼武者を打つキャスだった。
チェリーが一直線に並んだり、中段に止まる強チェリーをよく引けていることもあり、ボーナスや蒼剣RUSHには当たるのだが、その蒼剣RUSHが継続しない。
通常時にはよく引けるチェリーやスイカも、蒼剣RUSHに入ると図ったように姿を現さなくなる。そして継続も良くて2連。幻魔京バトルで蒼鬼や天海があっけなく負けるばかりである。
両隣を見ると、左の台は自分よりもレア小役の回数は少ないのに蒼剣RUSHの初当りが多い。見上げれば赤いドル箱、これがまさに高設定の挙動なのだろう。右の台はBIG中に阿倫が3段階まで移動する演出で蒼剣RUSHに当選して以来、驚異的なゲーム数の上乗せで早くも黄色いドル箱にメダルを移し変えている。レア小役に対して30Gや50Gの上乗せが目立ち、浜崎あゆみの曲が流れながら蒼剣RUSHが終了しない一撃の出玉を感じる。
「何が必要なのかな……あー茜ちゃん可愛いなぁ、その泥に汚れた太ももがステキ」
そう言いつつも宝玉を奪おうとした茜は無情にも天井からの罠に捕らえられてしまっていた。
「何だか、いろんな出方があり得る台。これはこれで面白いかも」
キャスは自分の出玉にこそ満足していなかったが、周囲の爆発っぷりや、まだ見慣れていない演出を楽しみながら新鬼武者を打ち続けていた。
エウレカの角台を打つタカシは、今までにない猛烈なプレッシャーと戦っていた。
隣は赤いドル箱の当り台。つぶさに観察していたが、弱チェリーや弱スイカでARTに当選することもあり高設定の力を痛感していた。だが、打ち手のヒキがいまいちなこともあり、出玉は下皿が埋まるくらいに留まっている。
そして自分の台。それはタカシにとって初めての経験。
『低設定』と確信を得ている台に正面から金を突っ込む、という胸が張り裂けそうな行為をタカシは体感し続けていた。
普段の立ち回りなら絶対に犯さない行為だった。他の街の協力者と同じようにハズレ台だったら一分で1Gの超スローペースで打つ、という事前の取り決めに従うことも考えた。でも、今日だけは逃げたくなかった。
設定1上等、いっそのこと1の挙動を確かめるくらいのつもりで戦えばいい。
低設定を打つことが高設定を打つのよりも興奮するという逆転現象。
タカシにとって新鮮なこの体験は、自然とレバーオンに込める力を強くし、演出の行方を祈る思いを熱くさせた。
その結果として、これも今までにない経験。
12本の千円札をサンドに投入してようやく当てた赤BIG、そして運良く白7揃いで得たART。それが契機となってすでにARTは9回目に突入していた。間に一回だけ挟むことができたREGで全部自力の4問正解、そして強チェリーからボーナス非当選ながらコンパクトフラッシュが光ってのセット数上乗せ告知。
すでに下皿からメダルはこぼれそうでタカシはドル箱に手を掛けた。タカシのいつもの習慣は、この後の最低出玉を想定して必要なだけドル箱にメダルを移すやり方。今回もそうしようとした時、液晶画面に映るタルホが言った。
『見守ることが愛情なんてウソ。本当に好きならそれを態度で示しなさい』
胸の奥がドクっと熱く響いた。
タカシはドル箱を両足に挟んで固定すると、両手を使って下皿のメダルを一気に流し込んだ。
「さすがジャグ爺、やっぱヒキは強いよな」
そう言いながら銀河英雄伝説を打つのは光一。自分が打ち始めてからは単調な演出が続き、チェリーやスイカの出現率も分かってはいたが散々な状況だった。ただ、朝一でリセットだったのか、画面右上のスターマイルはあと一つまで溜まっている。おそらくベルのハズレ目を引く前にレア役を引き当てたのだろう。時間はかかるだろうが、初当りのチャンスは空戦アタックからになりそうだった。
しかし、低設定の銀河英雄伝説は本当に厳しい。レア役は落ちないしモードが上がる気配を微塵も感じさせない。同盟軍の平和な艦内風景を観察するだけの誰にでもできるカンタンなお仕事である。こうなってしまうとボーナス中の7揃いを何とか引き当てるか、空戦アタックで128分の1を転落前にモノにするしかない。
「マイル溜まれー、マイル溜まれー。ビュコック爺さんで全然OKですよー」
なかば呪いのようにつぶやきながら打ち続ける。思い出したようにスイカが落ちてくることもあるが、それくらいでは微動だにしない安定感すらこの台は漂わせている。意気揚々と座りはしたが、目の前に立ちはだかる絶望感も半端が無かった。
そんな時にリプレイが右上がりに揃う。モードアップに若干の期待が持てる小役だった。格納庫ステージに移動すれば高確移行に期待も持てる。そんな気持ちでレバーを倒すと、いきなり轟音と同時にART突入時に表示される装填画面が現れた。
「っと! 通常Cのリプ抽選か!?」
第一リールを止めると、7・ベル・リプ。これで通常Aへの転落は無い。ベルハズレ目だったら通常Bへ。右上がりリプレイなら通常C継続。そして、もし30分の1を引いていたら。
「……怖くて押せねえだろ」
光一は中リールと右リールのどちらを先に押すか、伸ばす指を震わせた。
「やっぱ───右だよな」
光一は右リールのただ一点、上段に7が止まることだけを祈った。
キャスの新鬼武者に動きが出始めたのは、下皿の攻防に破れて追加投資の5本目だった。
スイカからステップアップ形式のキャラ連続予告に入り、お初の抱擁演出へ。今までは優柔不断だった蒼鬼がいつになく強気なイケメンでお初をものにした。しかし無情にもボーナス告知はREGの鬼ボーナス。
「あー60枚役……これってアリなのかな。信じられない」
今まで打った台では経験が無かった、あまりにも恩恵が少ないREGにキャスも口を尖らせた。何事も起こらずREGが終わりBETボタンを叩く。すると、今まで見たことのない夜の石段の向こうに鳥居が見える背景画面に変わった。
「天海ステージじゃない?」
パチスロの違和感は幸運の兆し。キャスは期待を込めてレバーを叩く。数ゲームをこなして演出の様子を見たが、特に前兆や鬼モードへの突入は無い。
「何だろうな……困ったときは」
キャスは周囲を見回すとエウレカを打つタカシが目に止まった。聞きに行こうと席を立ったが、よく見るといつにない真剣な眼差しで液晶画面を見つめている。遠目から様子をうかがうと、
『私はこの星の尊厳と共にいくっ! 泣けっ! 喚けっ! これが新たな地球の始まりだっ!』
(銀河号演出……もう当たってる)
キャスは液晶演出の声を聞いただけで少し目頭が熱くなってしまったが、それ以上にいつも隣で打っていたタカシが食い入るようにシャウト・トゥ・ザ・トップを見つめているのに心を揺さぶられた。
(これは、タカシとエウレカの時間なんだね)
キャスは踵を返すと景品カウンターの横に置かれた新鬼武者の小冊子を手に取って席に戻った。パラパラとめくっていくと、お目当てのページにたどり着く。
「……超高確率?」
そうつぶやきながらレバーを叩くと、小役示唆演出で左リールがスイカまですべる。ハサミ打ちをすると中段にベルがテンパイした。さっきからスイカと思わせてベルという残念な思いを繰り返していたので、キャスは期待せずに中リールを押すと、ベルは揃わなかった。
「ただのハズレ?」
解析や前情報を掴んでいなかったキャスは、頭上に?マークを浮かべながらプレイを続けた。
目の前にはスピアヘッド、流れるのは『GET IT BY YOUR HANDS』。ARTは12セットに突入していた。今まで設定1をはるかに下回っていたボーナスが当たり始め、枚数は1500枚を超えようとしている。
タカシはいつに無い高揚感を覚えながら、リズミカルでありながら空をゆったりと漂うようなクラブミュージックに身を委ねてレバーを叩き続けていた。
自分に起こること全てがポジティブに変わる。
ネガティブなことなど何も起こらない。
この時は永遠に続く。
そう思わせてくれる『波ニ乗レ』をそのまま体現しているような状態だった。
分かっているARTのストックは残り3個。ここでもしART開始時やSBを契機に曲が『太陽の真ん中へ』に変われば、さらに保証セット数が伸びる。
ここまでのトリガーは、おそらくREG4問正解がセット数の濃い方に傾いたのと、ART中の強レア役での上乗せだろう。仮に強チェリーで3セット乗ったとしたら、薄いことには変わらないが奇数設定であることをより確信できる。
さらに望むこと。
ARTがさらに継続して、THE ENDで『太陽の真ん中へ』。
もう一つは『星に願いを』。方法は二通り。一つはフリーズ、もう一つはストック5個以上の状態で赤7BIG。
思いは届くのだろうか。
ARTが終了し、まだストックありが確定している状態で通常時に戻った。およそ8~12ゲームの前兆を経て再びARTに当選するはずだ。ほどなく連続演出から月光号に警報が鳴る。
その時、タカシは次のARTに心を奪われていて目押しをミスしていた。リールには、第2リールで取りこぼしたスイカのハズレ目。タカシは今の状態では気にすることは無いと、後悔することなく次のレバーを叩く。
フットサル演出での成功からARTを予想していると、見たことの無い画面に変わった。
守るべき者のため命を懸けて戦う者たち
彼らの戦いの果てに待つものは
次回 メメントモリ
タカシは初めて、パチスロを打ちながら鳥肌が立つのが自分で分かった。
「顔アップ!」
白ボーナス絵柄付きチェリー狙い。
「顔アップ!」
白ボーナス絵柄付きチェリー狙い。
「顔ドアップで!」
白ボーナス絵柄付きチェリー狙い、すべって7絵柄残らず。
光一の念力はまるで銀河に歴史の一ページを残す気配は無かった。
右上がりリプレイからの直撃ARTも逃し、スターマイルが一向にたまらず空戦アタックにも行かないままリプレイ重複のボーナス。ならばボーナス中の7揃いにすべてを賭けると意気込んだが、ヤンとラインハルトのカットインすら入らずに終了した。
自分が好んで打つ台だけに、低設定の挙動はよく分かっている。何よりも通常時のレア小役からモードアップしてARTを射止める、なんてことが起こらない。それだけチェリーやスイカの出現率の設定差が大きいのだ。そして異色揃いボーナスでのチェリーや7揃い重複チェリーにも設定差がある。
つまり『設定不問』と呼べる要素はえげつない仕様と思われているが意外に多くなく、高設定ほど素直に爆発しやすい。
「これはもうワンチャンス待ちだよな………空戦アタックで虹とかこないかな」
1%に満たない確率に望みを託す切なさだったが、とにかくARTに当選しなければ始まらない。正確に言えば、ARTに当選し7揃いから『G.S.RUSH』を開始しないと勝負にならず、それまではひたすら耐えるしかない。すでに三人目の諭吉先生を両替して漱石先生をメダルに交換している罰当たりな状態だった。
「いかんな、ちと冷やそう」
光一は周囲の状況を確かめるのも含めて、気分転換に席を立った。
時刻は午後二時を過ぎようとしていた。
当り台をつかんだ客は、大よそ順調に出玉を伸ばしドル箱を使っていない者はほとんどいない。打ち始めて数時間経てば、展開次第のART機も素性のよさを発揮してくれる。
一方、ハズレ台に座る客達。正直に言えば非常に辛い思いをさせてしまっている。店側に指摘されない程度に、極端なスローペースで打つことを事前に指示しているのだ。一分で1Gくらい、あくまで打っていることを示しながら実質稼動無しの台にしてしまうことが狙いだ。運良くそれで当たりを引ければ問題ないが、当たらなければ退屈この上ない時間となる。なので、交代できる人間も用意しておくよう、朋来の店主にはお願いしておいた。
そして予想はしていたが、指示に反して全ツッパをしている者が知った顔で数名。ただ彼らなら無抵抗で負けることも無いだろうし、規則性に対するカモフラージュにもなる。
「結局一番負けるの俺になりそうだな、オイ」
自虐的に独り言をつぶやきながら通路を徘徊していると、景品カウンターの奥にあるスタッフ出入り口から何人かの集団が出てくるのが見えた。光一は何かしらホール側の動きがあるのかと警戒して様子を観察する。
すると出てきたのは『出るぞ☆ガール』の女性コンパニオンと、それを見守るスタッフ。見覚えのある低い身長ながら驚異的な破壊力で自己主張するバストは、間違いなく渡辺の妹・芸名モロミ、本名・聡子だった。光一は慌てて自分の台に戻る仕草で体を反転させたが、すぐに背後から声が掛かった
「お客様」
お客様は俺以外にもいっぱいいる振り向く必要は無い、とそのまま歩き続けようとすると
「お待ちください!」
必要以上に高く可愛い声で呼びながら光一の肩に手を掛ける。それは見た目には優しいタッチだったが、実際は壊れたマッサージ機のように加減を知らない力で筋肉を鷲掴みにしていた。
「おしぼりいかがですか?」
逃げようがなく振り向くと、モロミが目を細め満面の営業スマイルでおしぼりを両手で広げていた。
「いやー、ありがとう、うん」
光一は冷や汗を拭くには丁度いいとばかり受け取り、手や顔をまんべんなくその場で拭き始めた。
その様子をにこやかに見守っていたモロミは声を発しないまま口を動かしていた。
(コ・ロ・ス)
読唇術の心得が無い光一にもはっきりと分かるその動きに、光一は下半身のあたりが締め付けられる感覚を覚えた。恐る恐る使用済みのおしぼりを返すと、モロミは自然な動作を装って光一の耳元に近付いて囁いた。
(冗談よ、お兄ちゃんに話は聞いてるから。今日は事情があるってのも教えてもらってる)
そしてすぐに営業会話に戻る。
「キャンディもいかがですか?」
「あ、ありがとう。今ちょっと奥歯が痛くてね、遠慮しておくよ」
「それは大変ですね……。あとでみなさまの席に飲み物をお配りにあがりますので、ごゆっくりお楽しみください」
そう言ってモロミは離れていった。真に恐ろしいのはやはり女性、男よりよほど肝が据わっているのかもしれない。光一は指で頭を掻きながら銀河英雄伝説へと戻ることにした。
『第十一話 大甲冑秀吉』
キャスの新鬼武者は、相変わらず蒼剣RUSH中のレア小役がなかなか落ちてこない。
しかし、味方の台詞が青や赤で表示されることもある中で、今回は幻魔京バトルでの勝利、蒼剣RUSHの継続に恵まれていた。
次々に話が展開していくのが、エウレカセブンとはまた異なる面白さがある。
周りや自分の台を見ていると、幻魔京バトルでの勝ち負けはそれまでの攻撃パターンで大体予想ができるし、負けてもPUSHボタンでの復活や、終了後にナビが発生しての復活もある。特に終了後にベルハズレ目が出るか、ベルナビが出るかは心臓に悪い。ただキャスが感じたのは、今の自分の台のように継続話数が多いと終了後復活も多い気がする。それとも、終了する機会が多いから自然と出会うことも多いということだろうか。
キャスは色々と考えながら蒼剣RUSHを消化していく。
するとレバーオンで画面が一瞬暗くなり、下から大きい体の鬼が出てきた。『ガッチャ』と言うらしい。色は白だったので何の小役示唆か分からない。キャスは素直にチェリー落としの小役狙いをすると、何も小役が揃わないまま白ガッチャは倒れた。
「何だ、ただのハズレか……」
キャスは落胆のあまりため息をついて肩を落とす。次のゲームへとBETボタンを押そうとした時、隣の客の視線に気付いた。左のお客さんは、キャスの次のBETが気になって仕方がないらしい。右のお客さんは自分が打つ手を止めて、目がもう『押すんだ!』と主張している。
ならば期待していいのかしら、でもこれでスカしたら恥ずかしいじゃないか、と思いながらおそろおそるBETボタンを押す。
「ほあ!」
『GET +300』
バーンと弾けるような豪快な音と共に画面いっぱいに上乗せゲーム数が表示され、キャスは驚きの余りに仰け反って後頭部を椅子の背にぶつけてしまった。左の客が左手を、右の客が右手を持って、キャスを起こしてくれる。どこかで見た宇宙人のポスターのようだ。
「ど、どうも」
キャスは顔を赤らめて礼を言うと黙して語らず、両隣の客はただ微笑んだだけで自分の遊戯へと戻った。
(スロッターって……こういう生き物なのかしら)
キャスがレバーを叩くと、浜崎あゆみの『Startin'』が流れ始めた。そしてその後の幻魔京バトルで蒼鬼は『極限一閃』を繰り出すこととなる。
激しい波も、いつかは静まる。
これまでのハマリの辻褄を合わせるようなART中のボーナスの連打が止むと、26連のARTはフットサル演出の失敗でようやく幕を閉じた。
太陽の真ん中にも到達し、気付けば3000枚に近い出玉。これ以上無い結果だ。ましてやこれが低設定ならば、続ける理由は無い。
「ふうっ」
大きく息を吐いて張り詰めていた肩から力を抜いた。ARTの間、どれだけのエンドルフィンが脳から分泌されたのだろう。気が付けば、自分自身が都合の良い実験台と化していた。
高設定なら出る、低設定なら出ない。ただそれだけなら、パチスロはここまで客の支持を受けて発展しただろうか。
定められた確率の中で渦巻く『運』。それはどうしようもなく平等なシステムで、どうしようもなく不平等な結果を生み出す。台の前に座ってメダルを入れ、レバーを叩く。この行為の前では、アメリカ合衆国大統領でも生まれたての赤子でも、違いなく平等だ。
自分は今まで高設定をただひたすら追い求めてきた。そして結果も残してきた。短いスパンでの運不運はある。だが長い期間で考えると確実に差は付いてしまう。自分が進んできた道は、間違っていない。
だが、ここまでの興奮を感じたことは今までになかった。何だろう、この自分の手で勝ち取ったことを誇りに思える感情は。もしかしてホールに来るほとんどの一般客は、この『刹那の興奮』を求めているのだろうか。だとしたら……これは危険だ。ドラッグよりきっと性質が悪い。自ら脳内麻薬を生み出して楽しんでいるようなものだ。
「お客様、お飲み物はいかがですか?」
打つ手を止めて休憩していると、コンパニオンの女性が缶コーヒーを差し出してきた。
ありがたく頂戴してサンドに設置されたドリンクホルダーに置く。
「どうも」
「ふふーん」
コンパニオンの名札には『モロミ』と書かれていたが、缶コーヒーを渡した後もタカシのことを興味深げに見つめていた。
「あの、何か……」
「どれどれ」
そう言うとモロミはタカシの頭に手を伸ばして髪をかき上げる。
「えっ!?」
「おお、治ってる治ってる。あの中国人先生、本当に腕は確かね」
モロミの突然の接触とその言葉に、タカシはきょとんとして反応できないでいた。
「キャスちゃんいい子だよね、大事にするんだぞ。このイケメン」
モロミはそう言って軽くタカシの額を小突くと、隣の客に虹色をした缶コーヒーを用意し始めた。
「長かった………」
総投資3万7000円。赤の空戦アタックを200G近く継続させた上で、ようやくユリアンが敵艦を撃破した。天井は1600Gなので、これくらいならまだ当たってくれた方が助かる。神々しいタイトル演出と共に、G.S.RUSHの装填画面へと移行した。ここから右上がりリプレイが揃うまでが、すべての勝負だ。
一気に精神を高揚させるクラシックが流れ、レバーを叩く。
もちろん望むのは『CHANCE』表示………が出ることも無く押し順ナビ。
力を入れることも押し順に従い、一回目の赤7が揃う。巨大な赤7が画面いっぱいに広がり、ドラムロール音とともにARTゲーム数がカウントアップする。
「やっぱ反則級だよな、この盛り上がり方は!」
セット数を表す☆が一個、そして33Gが表示された状態で再びレバーを構える。もし2セットで終わるならばもうラストチャンスだ。
「せいやっ!」
現れたのは押し順ナビ。揃ったのはベルでセーフ。
再びレバーに魂を込めて
「ほいやっ!」
そして押し順ナビ。あふれ出す力が無駄となり、地面へと流れ落ちていく。7が揃って、3セット目に挑戦となる。
ここからは少しモチベーションが変わってくる。もちろん『CHANCE』表示からのボーナスを一番期待するが、それによる恩恵は『一回以上の7揃いが残っている状態で』で初めて受けられる。そして2セット66GまでがARTの最低保証ゲーム数なので、ようは7揃いが継続してくれなければどうにもならない。
「こなくそっ!」
掛け声を変えるなど工夫を凝らしたが、安心安定の押し順ナビ。表示順は『1・3・2』、ハサミ打ちである。
左リール停止で『7・ベル・リプレイ』、危険な出目だ。もしここで『リプレイ・スイカ・7』など右上がりリプレイもベルも否定する出目だったら、7揃い一確である。
続いて右リール。これはもう上段に7が止まればニ確だが………『リプレイ・ベル・スイカ』。
「ベル、ベルでお願いします────セーフ!」
ハサミ打ちで7揃いが否定された中で、右上がりリプレイかベルの二択でベルで凌いだ。
「……ハァ、ハァ、エイ」
スタミナが切れかけた状態のレバーオンで、今度は順押しのナビ。左、中と押していくと、右上がりにリプレイがテンパイして、『銀河RUSH』と画面に表示された。
「ああ、ダメかよー」
「ダメねー、よく分からないけど」
「おわっ!」
コンパニオンのモロミが落胆する光一にブラックの缶コーヒーを差し出してきた。光一はモロミが持つ籠の中身を覗いた。色んな種類の缶コーヒーが用意されている。そして背後や左右の台を確かめる。緑の緑茶缶、赤のコカコーラ、虹色の缶コーヒー。なかなか古典的な手法だ。
「俺、ブラックが好きだってよく知ってたね」
「そんなの知らないわよ。それよりさ、ちょっと気になったんだけど」
モロミは光一の耳元に手を当てて囁いた。こういうシチュエーションなら周りには怪しまれない。音また音の洪水の中で会話をするのに顔を寄せるのは、ホールではそれほど珍しいことではない。
(なんかさ、上の箱が赤いのが出てるんだけど)
ストレートど真ん中の大正解だった。
(なして分かった?)
(すぐに気付いたわ。私いつも設定配置分かって巡回してるから、こういうのも珍しくないもん)
(さすがだな、お見それしました)
(イヒヒ……そして、あなたは大ハズレ)
(んなーことは分かってる!)
「怖い怖い!」
光一が睨み付けると、モロミは愛想笑いと共に手を振って光一の元を離れていった。
HOPSの駐車場に白のレクサスが入ってきたのは午後3時頃。
車からは詩乃と森本、そしてコンサルタントの元宮だった。運転手のスーツの男はそのまま社内に待機している。詩乃が携帯電話をかけると、間もなく店内からL&Dクリエイティブのスタッフ、そして裏口から店員らしき男が出てきた。
「森本さん、お久しぶりです。元宮さん、こちらがL&Dの?」
「伊ヶ崎です。よろしくお願いいたします」
詩乃が頭を下げると、それ以上の深さで男は礼をした。
「初めまして、店長の佐々木です。今日は引き続き取材よろしくお願いします」
店長の佐々木は挨拶もそこそこに、裏口からスタッフルームへ一行を案内した。
「後ほど実際に店内を見ていただければと思いますが、素晴らしい! 新台だけでなくあらゆる台に客が付いてます。是非この模様をネットにアップしてください!!」
店長は上機嫌で店内カメラの様子を詩乃、森本、元宮に見せた。
「これはいい……高設定台だけでなく他の台も稼動しているというのは、客の期待の表れですよ」
元宮は店長の言葉を肯定するべく口添えした。
詩乃は笑みを浮かべながらうなずいて話を聞いていたが、その間にカメラ映像を見つめていた。個人の識別は難しいレベルの荒い画像だが、客の動きは見て取れる。そして複数のモニターが場面を切り替えながら表示する映像の一つに、光一らしき姿を確認した。これと言って見つけたところで何かできるわけでは無いが、いるべき人間がいることに軽く安堵する。
「店長、現在の差枚状況を見せてもらえますか」
元宮がそう言うと、店長はうなずいて自分の席のノートPCを持ってきた。
店長がマウスやキーボードで準備をしている間、森本が口を開いた。
「すごいですね───昔は新装開店の日はいつもこんな感じでね。シャッターが開くと同時にもう戦争だった。人を押しのけモーニングや新台に喰らい付く。下皿にタバコを投げ込むくらいじゃダメ、すぐに放り捨てられて台を取られたものです」
「森本さんも打たれるんですか?」
詩乃の質問に、森本は高笑いして答えた。
「私は白竹書房の創立者ですよ。今でこそ打つ時間が取れなくなってしまいましたが………こういうのを見ると私も興奮してくる。空台は無いかな? 打ちたくなってきました」
「まあ、森本さんったら」
森本の昔話に詩乃が合わせている間に店長はPCを操作していたが、うまく行かないのか準備に時間がかかっていた。正確には激しく動く手は止まっていたのだが、PCモニターを見つめる店長の表情が暗くなり、険しい顔で内容を確かめている。
「どうしました、起動しません?」
元宮が声を掛けると、店長は口を開いた。
「おかしい………」
ノートPCを元宮の方向に回転させ、机上を滑らせるようにして引き渡す。
「差枚マイナスの台が少なすぎる」
店長の言葉を受けて、元宮がノートPCを凝視する。自ら操作して、機種ごとの入賞回数・稼動数・IN/OUTなどの数値を確かめる。それからもう一度店内カメラのモニターを見た。
「何だこれは……。店長、スロットは朝から満台だったんですよね」
「カメラでずっと見てましたから」
「スタッフから何か報告は?」
「特に……フロアリーダーに任せてますので。ああ、そうだ。今日は早い時間からスロットの台数を超える数の大行列だったので、予定の台だけでなく、高設定をプラスαしましたよ。問題は無いと思いますが」
「ええ、高設定が増える分には」
元宮は一瞬うなずきかけたが、店長の言葉に引っ掛かりを覚えて聞きただした。
「今、早い時間って言いましたよね。何時ごろですか?」
「私は八時ごろに店に来ましたけど、店員がお客様に聞いた限りでは、朝の六時にはもういっぱいだったそうで」
元宮はノートPCを操作するマウスを握り潰し、プラスチックが割れる音がホールコンピューター室に響いた。
(打ち子の集合時間は七時だったんだぞ……)
「何か言いました、元宮さん?」
先ほどまでの営業スマイルが失われ、鬼のような形相の元宮は立ち上がった。
「フロア見てくるぞ! 店閉める準備しとけ!!」
口調まで乱れた元宮は、残る三人を気にかけることも無く部屋を出て行った。
三分の一近い台がドル箱を使い別積みが至るところで発生していたら、それはもう『祭り』だ。金勘定に疎い者でもこの日は店の赤字、まさに出血大サービスであることは容易に想像できる。
(インチキしてるのは忍びないが………まあどちらにしてもこれだけの高設定を入れてきたという事実は変わらないしな)
エヴァンゲリオン~魂の奇跡~、バジリスク 甲賀忍法帖、あしたのジョー、青ドン、タイムレスキュー777、忍魂、カイジ2、ジャグラー、ノーマル機もART機も分け隔てなく当り台が見えている。
もちろん静かな台もあるが、今日だけは沈黙するだけで金を吸い上げてはいない。数百ゲーム回されるだけで低設定の生殺し。それでも時には当たる台もあるので、ハズレ台も差枚はプラスマイナス0に等しい。
「何か光ってるんだけどどうすればいいの!?」
「この『3・1・2』って何のことだい? 312枚出るってことかい?」
「誰か黒いやつ揃えてくれよ」
「箱足りないよ、店員さん!」
急遽集められた素人集団なので時間効率は良くない。だが確実に差枚は客のプラスを蓄積し、全体で見ればすでに莫大な金額になっているのが分かる。そもそも店が黒字になるのが通常営業、イベント日などでも利益が極少になるかゼロ、赤字というのはあり得ない事態だ。
光一はあっけなくARTが終了してしまった銀河英雄伝説の通常時を淡々とこなしながら、壮観とも言えるこの風景を眺めていた時だった。
(おいでなさった)
係員通用口から、見覚えのある男が現れた。遠目に居酒屋で観察し、写真でも確認した元宮という男だ。露骨に顔色を失い、焦っているのが分かる。元宮はパチスロ島の中に早足で入り込み、つぶさに一台一台の挙動を確かめていた。そして呆気に取られているのが離れた光一にも見て取れた。
すでに開店から五時間近い状況でBIG1回REG1回のジャグラー、総回転数は400。かたや、3000回転を超えてなおボーナス回数が100分の1を切っているバジリスク。すべてが両極端な挙動の台ばかりだった。
そして元宮は出ている台を打つ客の顔をチラチラと覗き込んでいた。
(そこに打ち子さんはいないよ。今お前が見てるのは、童顔が売りのミーちゃんだぜ。ニュー新橋ビル横の性感エステ期待の新人だ)
元宮は自分が手配したはずのサクラが一人として台にあり付いていないことに間もなく気付いた。そして休憩スペースで不貞腐れて島を眺めている若者を見つけると、目を血走らせて話しかけた。若者も話が違うと言わんがばかりに立ち上がって元宮に文句を付けている。
光一は台を打つ手を止めてその様子を観察していると、横から女性の声がした。
「何が起こってるの、光一さん?」
それは心配そうな様子で元宮の苛立つ姿を見つめる詩乃だった。
「奴さん、さすがプロだ。もうおおよそ見当が付いてるっぽい」
光一は笑みを浮かべて詩乃の質問に答えた。すると詩乃の後ろにいた恰幅の良い老人が光一をじっと見つめていた。仕立ての良いスーツを着た見覚えのある髭の爺さん……汐留のホテルで詩乃に絡んでいた森本という出版社の社長だ。
「───君、どこかで会ったことあるかな?」
「い、いえ、初めてお目にかかりますが……伊ヶ崎さん、こちらは?」
「ああ……白竹書房の森本社長ですよ。森本さん、ご紹介します。『THEスロッター』で『もう一つのスロット話』を書いてくれている田中さんです」
詩乃はとっさの判断で光一のパスを見事に受け切る。詩乃の言うことは事実なので、これ以上の模範解答は無い。
「おお、貴方があのコラムの! あれは私も読んでますよ。昭和の時代を感じさせてくれる味わい深い内容だ」
「いやー、ありがとうございます」
森本はそう言うと右手を差し伸べてきた。光一は少し戸惑いつつ手を握り返して頭を下げた。すると森本は握手の手を離さずに、そのまま光一の耳に顔を近づけて囁いてきた。
(これ、楽しいことになってるんじゃないのかい?)
(すごい出玉ですよね)
当たり障りの無い答えを返すと、森本は強く手を握り返してきた。
(違うよ。サクラ返しでしょう、これは)
(!)
握りしめられて離せない自分の右手が汗ばんできているのが光一には分かった。
(あの男、まさかそんなみみっちいことを準備してたとはね………君は一枚噛んでるのかい?)
森本は笑顔の奥に有無を言わさない凄みを漂わせていた。光一はすぐに答えず、横で心配する詩乃の様子もうかがいながら腹を決めた。
(こういうのに鼻が利くのがプロの条件ですよ)
その答えに森本はカッと目を見開き、離そうとしなかった光一の右手を解放するとその場で高笑いをした。
「面白い! いいねぇ、ルール無用の鉄火場じゃ騙された方が負けだ。こりゃあいいもん見せてもらったよ田中さん」
こいつは単なるエロジジイでは無い。伊達に業界の波を掻き分けて生き残り一代築き上げた男ではない、ということか。光一は内心舌を巻いた。
休憩スペースで数人のサクラと思わしき男達に囲まれていた元宮は、それを振り払うようにしてこちらに近付いてきた。光一は念のため警戒して自分の台に顔を戻したが、元宮は森本と詩乃に向けて言い放った。
「申し訳ないが取材は中止だ。店長を呼んでくる」
すっかり平静を失った元宮は二人に対して敬語を使うことも忘れ、そう言うと奥の扉へと走っていった。
祭りもそろそろ終わりか。
光一は自分の台のリール盤面とメダル投入口の間に挟んでいた数枚の千円札を掴み、胸ポケットにしまった。
程なくして元宮と店長が奥から出てくると、元宮が景品カウンターに店長を無理矢理促して店内マイクを突き付けた。
「何でもいいんだよ! メダル切れとか店内設備故障とかとにかく理由付けて今日の営業は終了って言え!」
「でも……予想より回収は少ないけど、おたくの打ち子さんの分でリターンするからそこまでしなくても」
「それがヤバいって言ってるだろ、オラ!」
本性を表したかのような元宮の粗暴な態度に萎縮してしまい、店長は渋々マイクを手に取った。景品カウンターを受け持つ女性店員は、何が起こっているのか理解できず後ろに下がって事の成り行きを見守っている。店長はマイクの電源を入れると、おぼつかない口を開いた。
『本日はパーラーHOPSにお越しいただき、誠にありがとうございます。ご遊戯中のお客様に本日の営業時間についてご連絡申し上げます』
これまでとトーンの異なる店内放送がフロアに流れる。打つ手が止まり、頭上のスピーカーを見上げたり、隣同士で何事かと話しながら客達が色めきだつ。
『誠に残念ではございますが、本日の営業は………』
「待たれよ!」
店長のマイクを遮る大声が島中から響いた。
ゆっくりとした歩みで客の波を掻き分け姿を現したのは、中華式整体院・七竜の劉だった。
(劉先生、無駄にカッコイイ登場だなオイ!)
ここまではいちいち打ち合わせをしていなかったので、光一は水戸黄門ばりの竜の登場に素直に驚いた。
劉は景品カウンターを挟む形で店長の前に立った。
「少々よろしいかな」
劉がそう言うと、店長は突然現れた怪しい老人に目を奪われマイクを下ろした。横にいた元宮が目を吊り上げて劉に歩み寄る。
「なんじゃてめえは」
「黙っとれこの小童が!」
元宮の凄みをはるかに上回るドスの効いた声で劉が睨み付けると、元宮は思わず後ずさりして言葉を失った。
劉は店長に向き直ると、長く伸びたあご鬚をさすりながらうって変わって優しく店長に話しかけた。
「HOPSの店長さんかの? わしは劉というものじゃが」
「は、はあ」
「これに見覚えはありますな」
そう言うと劉は懐から茶色い無地の封筒を取り出し、三つに折り畳まれた紙を広げて店長に差し出した。
それは正式な書面というには体裁が整っていない契約書らしき書類。しかし、その文面には甲と乙の間に『金 三百万』の貸借があることがはっきりと書かれ、最後には店長のサインと印が残されていた。
「これは……この男が新台費用のためにと……」
店長はうなずきつつ元宮の方をチラチラ見ながら答えた。
「これの返済期限は今日なのですよ。わしが融資者の代表みたいなものでしてな」
劉は契約書をカウンターの上に置き、文章を指し示した。期日の箇所はフォントで印刷された年・月・日に対して手書きで数字を書き込む形式になっている。
「そんなの聞いてないですよ!」
店長は元宮をきつく睨みながら叫んだ。
「はて……わしの手元に来た時にはちゃんと書かれていましたがな。店長、人を信じるのもいいが、白紙で他人に書面を委ねるのはやめた方がいい」
「こいつデタラメ言ってやがる! 信じるな、俺が仲介したのはこんな見たことも無い爺じゃない」
元宮が必死の形相でそう叫ぶと、劉は深いため息をつき後ろを振り向いた。すると、パチスロの島中でドル箱よりも高い背丈で頭一つ抜けた男が近付いてきた。
「劉大人は我々の代表だ。元宮、何か文句はあるか?」
「すまんのう、包御大。わしだけで片付けたかったのじゃが」
包と呼ばれた大男、それは光一達が知る中華料理屋・朋来の店主の名だった。
元宮は包に睨まれると何も言い返せず、その場で下を俯いて体を震わせていた。
「大人、続けてくれ」
包はそれ以上語らず、場を劉に譲った。
「で、じゃ。店長」
劉はニッコリと笑うと、手に持っていた契約書を店長に差し出した。店長は意味も分からぬままそれを受け取る。
「期日通りの返済、誠に感謝する」
「えっ?」
「今日この場できっちり、利息も付けていただいたからのう」
劉はそう言うと、背後に並ぶいくつものメダルが詰め込まれたドル箱を指差した。
サクラではなく、光一たちが企画し、劉と包が手配した人々によって溢れ出した大量の出玉。
これはすべて融資者である華僑グループの物となり、元宮が仲介人となった店長の借金が返済された。
無論それは、元宮が意図するものではない。
これによって店長個人が影で抱えてしまっていた金銭的負担は無くなった。
これによって店・コンサルタント・打ち子の裏三店方式が崩れる。
今日店が吐き出した出玉は、打ち子を介してコンサルタントから店に戻されることは無い。
「その契約書はもう履行済みじゃ。捨て置いてくだされ」
「………」
店長は黙ったまま受け取った契約書をまじまじと見つめると、大切に封筒に戻して胸ポケットにしまった。
気付けば、景品カウンターの周りには光一だけでなくキャス、タカシ、渡辺、和美、モロミ、そして朝の行列からこの祭りに参加していた地元民達が集まっていた。
わなわなと身を震わせて睨み付けてくる元宮を横目に、劉は話を続けた。
「なぜこの男が穴という穴から血を噴出さんばかりに怒気貫いてるかは、わしはさっぱり分からんが───そうそう、店長。同じ街で糧を得るよしみで、もう一つお渡しする物がある」
劉はもったいぶるようにそう言いながら懐からもう一つの封筒を取り出した。それは先ほどの物とは異なり、白地に『東京工商リサーチ』と印刷されたビジネス封筒だった。
「世の中にはコンサルタント会社にも色々あるらしくてのう。昔から信用を積み重ねて業界に長く貢献する相談相手もいれば、どこの馬の骨か分からぬ詐欺師みたいな輩もいるらしい。わしらも何も言わず黙って金を貸すわけじゃないものでな。仲介人は保証人でもある。店長、これにも目を通しておくと良いぞ」
今度は、劉が何を言っているのか店長にも理解できたようだった。店長は劉から信用調査会社の封筒を受け取ると、元宮に向かって言い放った。
「逃がさないぞ。俺が平社員に格下げになっても、うちの法人グループとしてお前にはきっちり責任を取ってもらう」
その言葉に元宮はがっくりと肩を落とし、その場に膝をついた。
この日、HOPSは途中での営業終了はしなかった。
華僑や地元民など呼ばれてきた者たちはお役御免で店を去り、一時的にHOPSのスロットコーナーはガラ空きになった。
しかし、噂は人の口から、電波から、ネットから瞬く間に広がる。
一時間もしないうちに新たに来店した客達が台の履歴を見ては台にむしゃぶりつき、気が付けばほぼ満席の状況に戻っていた。
そんな中、バラエティーコーナーの一角に数人が集まっていた。
「キッター! ナベちゃん、苦労した甲斐あったじゃない!」
「和美さん、お兄様にくっ付き過ぎです!」
「いいじゃないのよもー、ナベちゃん貸してよ。ロケット引いて大勝ちしたから、今日は私がお兄ちゃんを一晩買うのよ」
「何言ってるんですか、お兄様はホストじゃありません、今は」
朝から一緒だった和美とコンパニオンの仕事で来店した妹のモロミに挟まれながら、台の前の渡辺はレバーを叩く勇気が持てず手を震わせていた。
渡辺が打っていた台は『BLOOD+』。ゲーム数カウンターは1500Gを超えている。そして、液晶画面では連続演出のバトルに勝利したところだった。
「それにしてもさ、ナベちゃん本当にスロ打つのだけは下手だよねー。店員としても男としても一級品なのにさ、引きだけは本当に弱いんだから」
「お兄様の悪口は許しませんよ! ほんの、ほんのちょっとだけ運が悪いだけなんですから」
「聡子、そこら辺は分かってるからフォローしなくていいよ……。あと、元ホストとかばらさないで」
妹の本名を言いながら、常に仕事でも女性の前でも男前を決めているはずの渡辺が、液晶画面の小夜の前で激しく衰弱していた。だが、ここでレバーを叩かないと前には進めない。
「………行きます」
「ナベちゃん力んでるよー」
「頑張ってお兄ちゃん!」
レバーを叩くとボーナス告知画面へ。
ボーナスの種類は、hagi BONUS。
「お、頑張った!」
「やりましたよ、お兄様!」
『BLOOD+』は1000Gのボーナス間ハマリで天井状態になり、ボーナスを引くともれなくARTに当選する。BIGの場合、ほぼ振り分けは50Gで、100Gと300Gが少し。REGの場合、設定6を除いて50%の確率で50Gか───1000G。
通りがかった光一は、REGを消化中の渡辺に満面の笑顔で声を掛けた。
「いやー、天は人に二物を与えずってな。渡辺なら余裕で天井届くって思ったよ」
「あなたにだけは見られたくありませんでした………」
「ほら、REG終わるぜ」
獲得枚数の少ないREGが終わり、渡辺が手を止める。さすがに騒いでいた和美とモロミも固唾を飲んでその様子を見守り、光一はニヤニヤしながら渡辺に「早く押せよ」と促す。他人事だと、それはもう楽しそうだ。BETボタンでARTが発動し、その時表示される左上の残りゲーム数ですべてが決まる。
渡辺は目をつぶって深呼吸し、何度目かの息をすべて吐き切ると構えた右手を振り下ろした。
『BLOOD CHANCE+!』
小夜の声が響き、ART画面が表示される。
「………ナベちゃん、晩御飯は何がいい?」
和美は携帯電話を取り出して、夜の街の検索を始めた。
「私………仕事に戻らなくちゃいけないので失礼します、お兄様」
モロミはそう言って台を離れていく。
「………さあ、またスターマイル貯めちゃおうかなー」
光一は明後日の方角を見ながら自分の台へと戻っていった。
「グズッ」
渡辺は、『50G』を前で鼻水を垂らしながら、泣いていた。
キャスは自分の新鬼武者を切り上げてタカシの隣に座っていた。ボーナス非重複チャンス目から蒼剣RUSHに突入し、魔空空間の34階でエンディングを迎えてきたところである。溢れ出る涙を抑えきれず声を出して泣いているところを、両隣のスロッターがハンカチを差し出し、BGMと台詞を聞くために打つ手を止めてくれた。その優しさに触れてさらにキャスは大泣きしてきたところだった。
「蒼鬼がね、蒼鬼がね」
「うん………良かったな亜夜」
興奮冷めやらないキャスの言葉を聞きながら、タカシはエウレカセブンを打ち続けていた。
波は止まっていた。
申し訳程度に数回のREGが来るのみで、結果も良くて二問正解。通常時のレア小役でも台は反応せず、あのビッグウェーブは幻だったのではないかとさえ思えた。
2000枚近くあったメダルは、ホッパー満タンエラーを出すほどまで吸い込まれ元の場所へと戻り、世界は穏やかになり、キャスは感極まり、タカシはグロッキーだった。
本当にパチスロは平等で不平等だ。微笑みと共に人を歓喜に躍り立て、冷徹と共に地獄へと引きずり込む。
この下皿が飲まれたらさすがに潮時だろう。低設定のマグレ吹きを打ち続けたらどうなるか、身を以って体験できただけでもよしとしようとタカシは心に決めた。
キャスは隣の席でタカシが打つ様子をじっと見つめていたが、客の数も多くなり打たずに座っているのは気が引ける状況になってきたので千円札をサンドに投じた。
タカシはそれに気付くと思わず口を開いた。
「それ、いいの?」
タカシは頭上の黄色いドル箱を指差す。するとキャスは何も気に留めていない様子でメダルを投入口に入れ始めた。
「全然。タカシだって全ツッパ決めてるし」
キャスは鼻歌を歌いながら打ち始めた。曲はまだ耳に残っているらしい浜崎あゆみのrainy dayだ。そして数ゲームで弱チャンス目を引き、『受け取れ、レントーン!』というじっちゃんの次回予告と共に呆気なく白7ボーナスを引き当てた。
「いい子だよー、レントンいい子!」
鼻歌が浜崎あゆみからFlowに変わり、軽快にボーナスを進めていく。
「………あ、タカシ、ごめん」
しばらくして、キャスは黙々と打ち続けるタカシのハマリ具合にようやく気付いて謝った。
「本当にひどいよな」
「ごめん、ごめんってばタカシ!」
「僕のBIGが吸い取られてるよ」
「悪かったってば! じゃあいいよ、このメダルはタカシにあげるよ。いいもん、こんなのいらないんだから」
キャスはそう言ってボーナスを消化し終えると、頬を膨らませてそっぽを向いた。
反応が無く、キャスはその体勢のまま音でタカシの気配を探る。タカシは淡々と自分の台を打ち続けているようだった。
キャスは意地になって液晶がデモ画面になるまで振り向かなかったが、いよいよ堪えられなくなりタカシのほうを振り向いた。
「!」
キャスの頬にタカシの指が深く食い込んだ。構想5分、実行3秒の壮大なる「ほっぺたつっかえ棒」が成功した瞬間だった。
「引っかかった」
「タカシ!」
キャスは口を尖らしてじゃれ付くようにタカシを叩いた。そして笑っていた。
以前のタカシと変わった気がする。
昔は冗談も言わなかったし、こんな悪戯をすることもなかった。
それに、ハズレ台と分かってキャスが打つことなど絶対に許さなかったし、ましてやタカシ自身が打つなどあり得ないことだった。
「許してあげるよ、一回だけ遊ばせてもらえれば」
タカシはそう言うと、キャスの台に手を伸ばしてBETボタンを押し、レバーを叩いた。
ブルーマンデー
ブルースカイ・フィッシュ
モーション・ブルー
ウォーターメロン
ビビット・ビット
チャイルドフッド
アブソリュート・ディフィート
グロリアス・ブリリアンス
ペーパームーン・シャイン
ハイアー・ザン・ザ・サン
イントゥー・ザ・ネイチャー
アクペリエンス・1
ザ・ビギニング
メモリー・バンド
ヒューマン・ビヘイヴュア
オポジット・ヴュー
スカイ・ロック・ゲート
イルコミュニケーション
アクペリエンス・2
サブスタンス アビューズ
ランナウェイ
クラックポット
ディファレンシア
パラダイス・ロスト
ワールズ・エンド・ガーデン
モーニング・グローリー
ヘルタースケルター
メメントモリ
キープ・オン・ムービン
チェンジ・オブ・ライフ
アニマル・アタック
スタート・イット・アップ
パシフィック・ステイト
インナー・フライト
アストラル・アパッチ
ファンタジア
レイズ・ユア・ハンド
デイト・オブ・バース
ジョイン・ザ・フューチャー
コズミック・トリガー
アクペリエンス・3
スターダンサー
ザ・サンシャイン・アンダーグラウンド
イッツ・オール・イン・ザ・マインド
ドント・ユー・ウォント・ミー?
プラネット・ロック
アクペリエンス・4
バレエ・メカニック
シャウト・トゥ・ザ・トップ!
一年前に故郷を飛び出し少年の旅は終わりを迎える。
たどり着いた世界の果てで少年がその手に勝ち取ったものとは。
次回 最終話
『星に願いを』
それは突然で。前触れも予兆もなく、ホールを貫く音と共に。
「タカシ」
「亜夜………」
時代は変わろうとしているのだろうか。
それとも俺が時代遅れなのだろうか。
ホールで男女二人がフリーズを引きながらチューをするのを、生きているうちに目撃することになるとは思わなかった。
時刻はすでに夕方から夜にさしかかろうとしている。
3時頃までの異常な熱気は無くなったが、HOPSの店内は過去に見ない数の客であふれ返っていた。
しかし、目の利くスロッター達が集まってきているだけに低設定の履歴を残す台は空席が目立つ。そして光一の打つ『銀河英雄伝説』の島は、一台の当り台が今もART消化中であるのを除けば
打つのは光一だけ、のはずだった。
自分のいるべき場所に戻ろうと台に向かって歩いていくと。
打っている。
打っている客がいる。
俺の台を打っている客がいる。
下皿に今日38本目の投資で得た50枚のメダルが残っていたはずだったが、自分では無い他の客が座っていた。
そしてその客はARTに当選し装填画面のLV1に突入していた。
光一は台に一歩一歩近付いていき、途中で足を止めた。
台のBGMに合わせて爪先でリズムを刻むクセ。
右手だけでBET、レバー、ボタンを流れるように押していく動き。
ヘアスタイルはショートに変わっていたが、その深く沈み込むような黒髪は変わっていない。
そしてアンディ・ウォーホーのルブランド、FABULOUSのピンクの腕時計。
「約束は果たしましたよ」
背後からの声に振り向くと、詩乃はいたずらが成功した子供のような顔をして立っていた。
「春香と約束したんです。春香が戻ってきた時には、必ず私が導いてあげると。そして光一さんには絶対に教えてあげないって」
光一が何も言えず立ち尽くしていると、詩乃は光一の背中を押した。
「ほら、いってらっしゃい」
詩乃の笑顔が光一のすべてを後押ししているわけではない、どこか複雑な感情を含んでいるのを分かっていた。それでも、詩乃が押してくれる体を止めることはできなかった。
光一は装填がLV2に進んだ台の隣に腰掛けた。
「どれだけ突っ込んだの?」
「………3万はいってるかな」
「4万はいかれてるのね」
「そこまで行ってないって」
「どうだか。私が取り返してあげるから」
「よろしくお願いします」
「うむ」
装填LVがMAXになると春香は立ち上がった。
「交代」
「ここから?」
光一は言われるまま元の台に座ると、春香が隣りに座りなおした。光一がさっそくレバーを叩き、押し順ナビに従うとベルが揃う。春香は首を横に振ってあきれた表情を見せた。
「なってないなー、まるでなってない。レバーは私がやるから、光一はボタンね」
「お、おう」
春香はすっと手を伸ばすと光一の目の前で軽い拳を作り、コン、とレバーを軽く叩いた。光一がまた押し順ナビに従うと7がテンパイしたその時、
『やりましたね提督』
ユリアンの声が台から聞こえた。
「春香、何引いた? 俺の台で一体何をやらかした!?」
「えー、普通にチェリーとか引いて当たっただけよ」
「どんだけ薄いところ引いてんだ……これ、特殊テーブル確定だぞ」
「まあまあ難しいことはいいじゃない。ほら、次いくよ」
春香は光一の説明を待たずレバーを叩く。止めないわけにもいかず光一はボタンを押し、7を揃えていく。2回、3回を越え、4回目も揃った。これでおそらく7回目まで続く。
「春香」
「うん」
「おかえり」
「ただいま………ねえ、光一」
「なに?」
「詩乃さんとはヤッた?」
ボタンを押す手が狂い、危うく押し順を間違えるところだった。
「なに、いきなり!?」
「あー、ヤッたんだ。やっぱりヤッたかー、うんうん」
春香はレバーを叩く手を止めて納得したかのようにうなずいていた。
「よかったわ。本当に心配してたんだから。おかしいって詩乃に手を出さないなんて」
「いや、あの、うう………」
光一は両手を腿の上に置いて拳を握り、まるで反省を示すかのようなポーズを取っている。
「すみません、ヤリました」
「うむ、素直でよろしい。まあ私が推奨してたことだし、詩乃にはもう聞いてたんだけどね」
「えーっ!」
「まあまあ、ほら続き続き」
春香が再びレバーを叩く。光一が右リールを止めると、上段に7が止まった。これで7回の壁を越えた。ほぼ次は13回まで続く。
「意味分かんねえよ」
「友情と愛情は同性間でも両立する………こともあるの」
「珍しく言葉に引っ掛かりがありますよ、春香さん」
「そのね、一応確認しておきたかったの」
「うん」
レバーを叩く手が今までより少し弱い。それでも12、13回目と7は揃っていった。だが、勢いはここまでだ。春香が引いたのはおそらく特殊テーブルA。ここから先は36連まで完全に同確率で配分されている。
「………」
「………」
14、15、16。春香が叩き、光一が押す。ドラムロールと共に7が揃っていく。
「許してくれる?」
先に切り出したのは春香だった。
「許すって、何を?」
「いなくなっちゃったこと」
「それは───何となく分かったというか、許すも何も」
「───ありがとう、それだけで嬉しい」
春香はそう言うと一拍置いてからレバーを叩く。すると押し順ナビが出ず『CHANCE』の文字が現れた。光一が慎重に目押しすると、斜めにスイカ。光一が春香に目線で奮起を促すと、春香は鼻の穴を広げてうなずいた。どんな話をしていても、勝負どころは一時休戦。春香がフンっとレバーを叩くと、押し順ナビが出た。春香は仕組みを理解していなかったが、光一の表情を見るに大当りというわけでは無さそうだ。光一は成立したフラグが変わるわけでもないのに、慎重にボタンを押していく。すると、またもや7が揃った。
「それとね、もう一つ」
「うん」
「私、まだ光一のこと好きでいていいかな」
「えっ?」
18回目。
「いい?」
19回目。
「そんな」
20回目。
「そんな都合のいい話ない?」
21回目。
「いやそういう意味じゃ」
「どういう?」
「どうも何も俺は今も」
「今も?」
「でも俺、詩乃さんとあんな」
「光一は優しいから。詩乃さんは分かってたよ、何もかも」
「あの人は……」
「ああもう、光一はこういう時どうしてウジウジするかな。私と詩乃の間で落とし前は付いてるの!」
「任侠だな」
「やっとなんだよ、光一。私、ドイツで頑張ったんだから」
「うん、詩乃さんから聞いたよ」
「だからさ、光一」
「うん」
「頑張ったから誉めて」
「うん」
「あと、キスして」
36回目の7揃いのドラムロールは、必要以上に二人の距離がゼロになる瞬間を盛り上げてくれた。
◇ ◇ ◇
「ちーっす」
「おはようございます、光一さん」
「あ、エロ中年おはよー」
「おう、卒業おめでとう。これからは中古って呼ぶからな」
「死ねやゴラア!」
キャスのブーメランテリオスばりの拳が光一の顔面に食い込む、朝の新橋。ゴールデン6の前に並ぶのはキャス、タカシ、光一だけだった。
その後、HOPSは閉店することも無く営業を続けていた。結果的に餌撒きとなったあの日が効き、その後も適度に設定を入れることで客足を維持している。
L&Dクリエイティブと白竹書房の間の新規事業は一旦、小休止。立ち消えになったわけではなく、白竹書房自ら協力ホールを地道に広げていくこととなったらしい。
「おう、そうそうお土産持ってきた」
光一は珍しく手にしていた手提げ袋から丈の長い缶詰を取り出して、キャスとタカシに1個ずつ渡した。
「でかっ!」
「これはまた……」
缶に描かれているのは縦に綺麗に並んだソーセージ。
「ジャーマンソーセージな。春香が持っていけってうるさかったから」
「これ、どこでも売ってそうな……あ、この値札、フランクフルト空港って書いてある」
「おう、買っただけありがたいと思え」
「春香さんに免じて、今日だけは許してあげるわ」
そう言いながらもキャスは嬉しそうに何とか入れ込もうとハンドバッグと格闘を始めた。
タカシは缶を手に持ったまま光一に尋ねた。
「本当に、戻ってきちゃったんですね」
「そうよ、ドイツでもどこでも行っちゃって帰ってこなければよかったのに」
「しかしビビったぞ、春香の家。あの庭も広い一戸建てを買って一人で住んでるとはな」
光一は腕を広げてその大きさを表そうとしたが、途中で気が付いて携帯電話のカメラで撮ろうとした写真を二人に見せようとした。
「春香さん、やっぱり光一さんと暮らしたかったんだよ」
キャスはハンドバックに入りきらなかったソーセージ缶を両手に抱えながら寂しそうにつぶやいた。
「僕もそう思いますよ。『私といっしょにドイツに来て欲しい』って、映画で男が女を口説くのに使うようなキメ台詞ですよ」
「そうは言ってもなあ。俺、あっちに行って電車にすら乗れなかったぜ。一週間くらいだったけど、ほぼ家から出ないで主夫やってた。いや、ヒモだなあれはもう」
「ぷっ」
「くっ」
キャスとタカシは同時に吹き出してしまう。
「笑うなよ、春香はそれはそれで楽しそうだったけどな。まあ、その、何か違うんだよ」
「違う?」
光一の歯切れの悪い話し方にキャスは追い討ちをかけた。
「春香もそれは分かってた。でも喜んでくれたよ。来てくれてありがとうって」
「じゃあ………もう、春香さんとは終わりなの? せっかくのワールドワイドラブアフェアはバーニングロストしちゃうの!?」
「何じゃそりゃ。第一、ドイツ語だからな」
「じゃあドイツ語言ってみなさいよー」
「イッヒリーベディッヒ」
「ああ、ドイツの真ん中で愛を叫んじゃうんだ……じゃなくて、もう二人は会わないの?」
「どうなんですか?」
キャスは冗談の応酬の中にも心配げな表情で光一を見る。
タカシもそれは同じらしく、キャスの手を握りながら同じように光一を見つめた。
「うんにゃ。また遊びに行くよ。あいつもそのうちまた日本に来るって言ってるし」
キャスとタカシは目を合わせると手で口元を隠しひそひそ話を始めた。
(聞きました奥さん、今「あいつ」って言いましたわ)
(ええ確かに)
「聞こえてるぞお前ら!」
光一はそう叫んで二人に襲い掛かる素振りを見せたが、まんざらでもなさそうで少し顔を赤らめていた。
「で、光一さんは今日が帰国初戦ですか?」
タカシが助け舟を出して話を変えた。
「ああ、やっぱしばらく下見も何もできなかったから〝見〟がいいんだけど」
「あ、それ光一さんが最初に教えてくれたね」
「そんなこと言ったか、俺」
「ああダメだ、海渡ったらボケも進んじゃったわこの中年」
「ボケとらんわい! ただ、向こう言って実感したわ」
言葉の続きを聞こうとした時、ゴールデン6の入口シャッターに電源が入り、ゆっくりと自動ドアが下から姿を現し始めた。
シャッターが完全に上がりきると、足元の自動ドアの鍵を開けて渡辺が姿を現した。
「お久しぶりですね、光一さん」
「ああ、また頼むよ。で、今日は何がオススメ?」
「あなたの打つ台以外です」
「ひでえなあ」
そう言いながら渡辺が手で開いた自動ドアを通り抜けると、歩きなれたパチンコフロアを抜け、階段を小走りに駆け下りた。
ツッタカツッタカ、ボンボンボン。
今日も流れる詳細不明のテクノサウンド。
煙草と、その臭いに混じった芳香剤の香り。
まだ千円札しか受け付けない旧式のサンド。
その気になれば1500枚は詰め込める大型のドル箱。
やっぱり、ここだ。
俺はパチスロじゃないとダメだ。
こんな俺を春香は認めてくれている。
いつかは俺が春香を呼んでやれるようになればいい。
打つだけだろ、それが俺の行き方だ。
「何あれ、嬉しそうにニヤニヤしながらフロアぐるぐる回って」
キャスは一向に打とうしない光一を見てあきれていた。
「挨拶してるのかな」
タカシは自分なりに分析したつもりだったが、キャスに一笑に付されてしまった。
「好きなんですよ」
二人の背後で、渡辺はつぶやいた。
「あれは根っからの『スロキチ』なんです」
(完)
スロキチ じく @jikuhara
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