本章 笑わぬ少女とよく笑う少年の物語

あるところに、今までに一度も笑ったことのない少女がいました。

少女はいつも無表情でした。

両親が心配して、お医者さんに連れていって、見てもらっても、どこも悪いところはありません。

感情を表に表さないし、無口だったので、誰も友達がいませんでした。

小さい頃から、一人で遊ぶのが好きな子でした。

しかし、お母さんに似たのか、顔立ちはとても美しいものがありました。

でも、無表情なのです。

近寄りがたい、なんだかそんな雰囲気がありました。

  

また、あるところに、とてもよく笑う少年がいました。

少年はいつもニコニコ笑っていました。

あまりよく笑うので、まわりもつられて笑ってしまうほどでした。

なぜそんなによく笑うのか尋ねると、

「だって楽しいんだもん」と楽しそうに言うのでした。

そんな少年のまわりにはたくさんの友達がいつも集まりました。

少年と一緒にいると、自分も楽しくなるからでした。

  

小学生になり、笑わない少女とよく笑う少年が同じクラスになりました。

少女はいつもひとりぼっち。

少年はいつも友達に囲まれていました。

少年は少女と会話することのないまま、一年が過ぎました。

仲よしの友達と遊ぶのに夢中で、少女の存在に気づいていませんでした。

  

次の学年になっても、その次の学年になっても、少年は少女と同じクラスでした。

いつしか、少年は少女の存在に気づきました。

クラスの中で友達でないのは少女だけだったのですが、少女とは話をしたことがありません。

なんだか話しかけてはいけないような雰囲気を、少女は持っていました。

気にはなるけれど、近づけない。そんな日々が続きました。

  

ある時、体育の時間にかけっこをしていて、少女は何かにつまづいて、転んでしまいました。

見ると、膝から真っ赤な血が流れています。

少年は

「たいへんだ!保健室に行かないと」

と、少女に駆け寄りました。

これをきっかけに少女と話ができるのではという、淡い期待もありました。

でも、少女は無表情なまま起き上がると、一人で歩いていこうとしました。

足が痛くて、歩きにくそうです。

痛いのを我慢しているようにも見えました。

少年は先生を呼んで、少女を保健室に連れていってもらいました。

  

それからまた時が過ぎて、二人は四年生になりました。

少女は相変わらず無表情のままでしたが、とても大人びてきました。

学校一の美少女と噂されるほどでした。

みんな少女と友達になりたいと思いましたが、誰も話しかけることができません。

少女からは他人を拒絶するオーラが出ているようでした。

少年は仲のよい友達と遊ぶのに夢中で、少女のことを気にかける余裕はありませんでした。

  

ある時、ふと、少女の気が引きたくなって、スカートめくりをしたことがありました。

でも、即座に少女から冷たいまなざしを向けられ、萎縮してしまい、もういいやと、少女にちょっかいをかける気もなくなるのでした。

  

ある時、体育の時間に、また、少女が転びました。

少年は今度は黙ったまま、少女に背中を向けて座りました。

おんぶしてやるから乗れ、と背中で語っていました。

少年は、少女に無視されるのではないかと思いましたが、意外なことに、少女は少年の背中におぶさってきました。

少年はドキドキしながら、少女をおんぶすると、保健室まで連れていきました。

  

その時から、少年は少女に恋をしました。

少年の頭の中は、少女のことでいっぱいになりました。

そして、どうしても少女に笑ってもらいたいと思うようになりました。

  

少年はふざけたことを言って、まわりを笑わせるのが上手でした。

自分はコメディアンに向いているのではないかと思うほどでした。

テレビでお笑い芸人を見ながら、少年は母親に尋ねました。

「うちのクラスにさ、笑わない女の子がいるんだけど、どうすれば笑ってくれるかなあ」

 

母親は、

「その子のことはあまり気にしない方がいいんじゃないかしら。

ご家庭はずいぶん裕福なようだし、中学になれば、どこかのお嬢様学校に行ってしまうんでしょ?

今から友達になろうとしても、難しいんじゃないの?」

と言うのでした。

 

そう言われると、少年は、ますます少女に笑ってほしい、少女が笑うのを見ずに別れるなんて、いやだ!と強く思うのでした。

 

少年は、あの手この手を使って、少女を笑わせようとしました。

ものかげから飛び出して驚かそうとしたり、目の前で不思議な踊りを踊ったり、他の友人と漫才したり…。

思いつくことはなんでもやりましたが、少女の眉一つ動かすことはできませんでした。

 

そうこうするうちに五年生が終わり、六年生になってしまいました。

あと一年で、少女と別れないといけない。

少年はあせりました。

少女に、たった一度でいい、心から笑ってほしい。

少年は悩みました。

あまりに悩みすぎて、食欲が落ちてしまったほどでした。

お母さんは元気のない少年を見て、心配になりました。

そして、少年に、もういい加減にあきらめるように言うのでした。

でも、少年は、

「いいや、あきらめないよ、僕。

だって、あの子には、きっと笑顔がよく似合うよ。

笑わないのは、多分、今のあの子が幸せじゃないからだよ。

僕、あの子の笑顔を見たいんだ。

そして、あの子に幸せになってほしいんだ。」

と言うのでした。

  

ある日の放課後、教室で掃除をしていると、突然、大粒の雨が降りだしました。

みんな、あわてて家に帰り始めました。

掃除を途中で放り出してしまったのでした。

少年も、掃除をやめて、みんなと一緒に帰ろうとしましたが、少女が一人残って、掃除をしているのに気づきました。

少女は、ただ黙々と掃除をしています。

その姿を見て、なんだか感動した少年は、少女と一緒に掃除を続けました。

二人っきりでの掃除は、少年にとって、わくわくするものでした。

  

突然、ピシャッ!と雷が落ちる音がしました。

少年は、あわてて耳をふさぎました。

続いて雷鳴がとどろきます。

少年が少女の方を見ると、少女はしゃがんで、耳をふさぎ、ブルブルふるえていました。

  

(この子も雷はこわいんだ…)

そう思うと、なんだかかわいらしく思えました。

少年は、少女のそばにいくと、「大丈夫?」と声をかけました。

そのとたん、少女は少年にすがりつき、肩をふるわせて泣きました。

少女が初めて見せる、かよわい姿でした。


男というものは、かよわい女性を見ると、本能的に守ってあげたいと思うもののようです。

少年は、夢中で少女を自分の小さな胸に抱き、雷から守ってやろうとしました。

そっと少女の髪をなでると、少女は声を押し殺し、ずっと肩をふるわせて泣いていました。

小一時間ほど、そうしていたでしょうか。

雷はやがて去り、日の光が差し始めました。

少女もだんだん落ち着いてきました。

少年はやさしく少女の髪をなで続けました。

 

少女は、やがて少年から離れると、帰り支度を始めました。

少年が「一緒に帰らない?」と声をかけると、黙ってうなずきました。

「じゃあ、一緒に帰ろう!」

少年は、にっこり笑って、手を差し出しました。

少女は黙って少年の手を握り返しました。

そうして、二人の小さな恋人たちは、仲よく手をつないで歩き出しました。


「家はどこ?送っていくよ」

と少年が言うと、少女は黙ってあちらの方向を指さしました。

(あちゃ~、正反対だよ。まあ、いいか)

少年はルンルン気分で自分の家と反対側の道を歩き始めました。

少女の家は思ったよりも遠く、少女を送った帰りに道に迷ってしまったため、少年は家にたどり着くのがすっかり遅くなってしまいました。

お母さんにこっぴどく叱られましたが、全然平気でした。

少女との仲が一歩前進したと思うと、とても幸せな気分でいっぱいでした。

 

それから、少年と少女は、毎日一緒に帰るようになりました。

少女と学校で話したりすることはなかったけれど、放課後になると、少年はこっそり少女のあとをついていきました。

だって、学校で友達に見られるのは恥ずかしかったから。

そして、学校を出てから、少女のあとを追いかけて、肩をたたくと、少女は黙ったまま、少年の手を握るのでした。

そんな、少年と少女の小さな恋は、二人が小学校を卒業する日まで続きました。

 

そして、ついに二人が卒業する日がやって来ました。

卒業式で少年は、卒業生代表の挨拶をしました。

挨拶文を読みながら、少年の頭の中にはさまざまな思い出が浮かんでは消えていきました。

中でも、少女との思い出はピカピカと光り輝いていました。

 

(そう言えば、今まで「好きだ!」と言ったこともなかったなあ…)

少年は、今日が少女に会える最後の日と知っていました。

少女は遠くの私立の女学校へ行くのです。

もう今までのように、毎日会うことはできなくなるのです。

告白すれば、もしかしたら、少女も自分のことを好きだと言ってくれるかもしれません。

少年には自信はありませんでしたが、何も言わずに別れるのは嫌でした。

 

卒業式が終わり、クラスで最後のお別れをみんなとしました。

少年はみんなが好きでした。

みんなも少年のことが大好きで、別れを惜しんで泣いていました。

いいクラスでした。

ふと気づくと少女がいません。

クラスの友達に聞いても、誰も知りません。

あわてて校門まで走り、校門でみんなを見送っている先生に少女のことを聞きましたが、まだ帰っていないと言います。

 

ふと、屋上を見上げると、

少女が屋上の手すりごしに、こちらを見ています。

直感的に「呼ばれている!!」と感じて、少年はあわてて屋上へとかけ上がりました。

屋上のドアを開けると、少女が切れ長の眼でこちらをじっと見ています。

少年は胸にいつもしているお守りにそっと手を当てました。

そして、心の中で

「陸にい、僕にちょっとだけでいいから勇気をわけて!」

と祈りました。

陸にいとは、彼の亡くなったお兄さんの名前でした。

 

少年は少女の前に歩み寄ると、

「海ちゃん、僕、どうしても君に伝えたいことがあるんだ!」

と言いました。

 

少女は少年をじっと見つめると、

「私も…、あなたに伝えたいことがあるの…」

と小さな声でつぶやくように言いました。

 

少年は少女が初めて話したのを聞いて、とても驚き、その場に固まってしまいました。

 

少女は続けて言いました。


「今まで私のこと、ずっと気にかけていてくれてありがとう。

ずっとありがとうって言いたかったけど、言えなくてごめんなさい。」

 

少年はブンブンとかぶりをふりました。

「そんなの、全然気にしていないよ」と声に出して言いたかったのですが、声が出なかったのです。

少女が小さな声でボソボソとしゃべるので、聞き逃すまいと必死に耳を澄ませました。

 

「私ね、ほんとはもっとみんなと、こうして話したかった。

一緒に冗談言ったりして笑いたかった。

あなたとも、もっともっとお話したかった。

でも、そうする勇気がずっと持てなかった。」

 

少女の語気がだんだんと熱を帯びてきます。

 

「あの雷の日に、あなたはずっと私のそばにいてくれたよね。

私、うれしかった。

でも、なんてお礼を言えばいいかわからなかった。

小さい時に、人と話すことをやめてしまってから、言葉が思うように出てこなくて。そう、あの時も。」

 

少年は真剣な表情で少女の話を聞いていました。

少女が必死で話している、その一言も聞き漏らすまいと、全身を緊張させながら。

少女も必死に話を続けました。

 

「せめて、あなたに笑いかけることができたらと思ったけど、私はどうやって笑えばいいか、それさえわからなかった。

笑った記憶がないくらい、笑ったことがなかったから。

あなたがどうしていつもにこやかに笑えるのか、それが不思議だったし、うらやましかった。」

 

少女の話は続きます。

「私には、人の気持ちがわかる力があるみたいなの。

どんなにきれいな言葉を使ってる人でも、その人が心の中でどう思ってるかがわかる。

だから、テレビなんかこわくて見れないの。

みんなしゃべってることと、心の中で思ってることが違いすぎるから。

私は人が信じられなくなった。

自分の親ですら、私をうっとおしいと思っているのがわかる。

私に心を見透かされるのが嫌なの。

私はそうしたくなくても、わかってしまうから。

親も私のそういうところが嫌だったんでしょうね。

それはそう。みんな、自分の心は隠しておきたい部分があるもの。

人の心にはどうしようもない闇がある。

それを認めたくなくて、みんな必死に自分がいい人だと演じようとする。

でも、私にはその隠そうとしている部分がわかってしまうの。

それで親にすら、うとましいと思われるなんて、こんな哀しいことないでしょ?

だから、私は自分の心を閉ざすことで必死に自分を守ろうとしたの。

自分の心だけが自分が安心していられる場所だった。」

 

少女が真情を吐露するのを少年はただ黙って聞くほかありませんでした。

 

「私は自然の中にいるのが好き。

自然や動物、植物はみんないつも正直だもの。

嘘をつくのは人間だけ。

だから、私は一人で遊ぶ方が好きだったし、一人でいることが少しも苦にならなかった。

だって自然には精霊がいて、思いを交わすことができるし、花には花の精霊がいるし、動物たちも彼らの言葉や感情を持っている。

だから、彼らといればさみしくなかったし、楽しかった。」

 

少年は少女が一人で遊ぶ姿が容易に想像できました。

そしてそれは、はた目にはさびしそうな姿に見えるかもしれないけれど、少女のまわりには目に見えない存在たちがおり、その存在たちと心が通うがゆえに、少女は少しもさびしくないということも、なぜか実感としてわかるのでした。

 

「物心ついた頃からそんな風だったから、幼稚園や学校でも、まわりから孤立していたの。

自分でもわかってたけど、どうしようもなくて、いいや、私は一人でいるのが好きなんだと自分を納得させて…。

だけど、みんなと話せないのはやっぱりつらかった。

だから、誰とでも笑顔で話せるあなたがうらやましくてしょうがなかった。

正直、あなたに嫉妬していた。

私ができないことが当たり前のようにできるあなたに…。」


「でも、そんな自分の醜さも嫌で、私はだんだん自分が嫌いになっていったの。

自分のことが嫌いだと、人のことも嫌いになるものなのね。

私は生きていくのが嫌になった。

そんな醜い私に、精霊たちも話しかけてこなくなった…。

そんなどん底の時だったのよ、あの雷のあった日は。」

 

少年は、ただ黙って少女の話を聞いていました。

 

「あの雷は、お天道様が私に教えてくれたんだと思うの。

もっと自分に正直になりなさいって。

怖いものは怖いって言いなさいって。

あの時、初めて私は自分に素直になれた気がする。

だから、あなたがそばにいてくれて、とてもうれしかった。

あの時、素直にあなたの手を握ることができたことで、私の中で何かが変わったの。

それから、ずっとあなたは私と一緒に下校してくれたよね。

私はあなたが私といてくれることがうれしくて、ずっとずっとお礼を言いたかった。

こんな私と一緒にいてくれてありがとうって。

でも、恥ずかしくて、勇気もなくて、今まで言えなかったの。ごめんね。」

 

少年は少女がとても饒舌なのに驚きました。

そして、少女が自分に感謝してくれていたとわかって、とても幸せでした。

まさに天にも昇る気持ちでした。

そして少年は、今度こそ、自分が少女を幸せにする番だとかたく決心しました。

 

「僕のこと、そんなふうに思ってくれていたんだね。

ありがとう。やっぱり僕たち、友達だね!」

 

少年は笑って少女に手を差し出しました。

少女もはにかみながら、少年の手を握り返しました。

そして、初めての笑顔で、にっこりと笑いました。

 

少女の笑顔に感動して、少年はしばらく動けませんでした。

そして、顔をそむけると、ひじで自分の顔をゴシゴシこすりました。

そして、少女の手をとると、

「さあ、行くよ!」

と少女を引っ張って駆け出しました。

 

二人は、階段を駆け降りて、自分のクラスに向かいました。


「みんな、まだいるかな?」

 

「うん、私、みんなにもありがとうって言いたい!!」


少年がクラスの扉を開けると、まだ何人かが別れを惜しんで残っていました。

そして、二人を見て何か察したのか、あわててクラスの仲間を呼び戻しに教室を出ていきました。

 

ここからが、後に「6年1組の奇跡」として語り継がれる伝説の始まりでした。

 

奇跡その1。


入学以来、一度も話をしたことがない少女が卒業の日に話をしはじめた。

そして、入学以来、初めての笑顔を見せてくれた。

 

奇跡その2。

 

帰宅しようとしていたクラスメートが全員クラスに再び集まった。そして、クラスメート同士で告白合戦が始まり、その中から複数のカップルがその日誕生した。

キューピッドが矢を大盤振る舞いしたものと思われる。

おまけに、担任の先生までもが、その場の勢いで、となりのクラスの先生にプロポーズし、見事に受け入れられるという奇跡も起きた。

(その後の追跡調査で、その日生まれたカップルは一組も別れることなく、ゴールインしていることが判明。)

 

奇跡その3。

 

クラスメートの中に、後に映像作家になる男がいた。彼は、大人になってから、このエピソードを映像化し、ネットで公開。すると、なんと世界中で百万ヒットを記録。世界中で彼らのことが知られるようになる。

 

そして、もうひとつの奇跡が…。

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