ジョーカーに背中を預ける条件。

安東リュウ

Promised Xmas……




 寒い。

 身体を起こすと、より一層寒さが伝わる季節になった。

 隣でクラリスがまだ寝ているが、少し部屋を暖めてから起こしてやろう。

 部屋の暖房のスイッチを入れてから、俺はテレビをつける。“修道院での一件”からそろそろ一年が経つ。あれ以来あの事件には蓋をして、いつも通り仕事をするようになった。

 だが、二つ変わったことがある。俺は『憲兵手帳』を見ながらしみじみとそれを思ってしまった。


「んにゅ……もう朝……」

「いいから、まだ寝てろ」


 はーい、と遠慮なさげに返事する彼女を放っておいてコーヒーを用意する。甘い物は色々食べさせられたおかげで慣れて来たが、コーヒーだけはブラックがいい。なにせ甘いと眠くなってしまうからだ。

 起き抜けに一杯飲んで、身体を暖めてから朝食を作る。

 彼女が先に起きていれば、彼女の故郷の朝食にありつけるのだが……クラリスは基本的に寝坊助と言われる部類に入る。あの一件からより一層起きなくなったと思う。


「おはよう……ん、ちゃんとお部屋を暖められるなんていい教育されて来たのね……」

「まぁ、毎朝ふてくされた顔で朝ごはん食べられたくないからな、俺も寒いし別にいいだろう」


 クラリスがソファに座ってテレビを見始めたところで、目の前にマグカップを置く。

 彼女はコーヒーが大嫌いなようで、一度間違えて飲んだ時にはなぜか俺が半日家に帰れなくなった。

 普段は勝手に冷蔵庫からいちごオレを出して飲んでいるのだが、今日は趣向を変えてみた。


「人の物を勝手に開けるなんていい度胸ね、またいつかの日みたいに一服盛ってあるの?」

「そんなことはない、寒いのは嫌いだろう?」

「……私がどこ生まれか覚えてないの?」


 そういってクシャミをする彼女を放っておいて、朝食作りに戻る。パンがそろそろ焼けるタイミングで目玉焼きを作らないと──


「先に飲んでちょうだい、貴方から出されたものは怖いのよ」

「……昨日、普通にコーンスープは飲んでたじゃないか」

「あれはあれ、これはこれなの、とっとと毒味してちょうだい」


 ムスッとした彼女が差し出してきたマグカップ。その中にはさっき温めたいちごオレが入っているのだが、しょうがない。普通にマグカップを受け取って一口飲む。


「もう一口飲んで、じゃないと本当に安全か分からないでしょ?」


 言われた通りにもう一口飲んでから、マグカップを返す。とりあえず、お菓子のような甘さをチーズで搔き消しながら、朝食作りに戻る。

 彼女は何故か嬉しそうにホットいちごオレを飲んでいた。頰を赤くしているようだが、少し温め過ぎただろうか。


「出来たぞ」

「はーい、もう箸は出したわよ」

「残念だが、今日はスプーンとフォークだ」


 チーズトーストとサラダ、ハムエッグを盛った皿を彼女の前に差し出す。飲み物はオニオンスープだ。

 箸を持ってポカンとしているクラリスを置いといて、食卓につく。


「なんだ、不満か?」

「箸でも食べられるでしょ?」

「卵を食べるのに苦労するぞ、それともそんなに箸が使いたいか?」


 珍しく、クラリスのペースに飲まれずに耐えたような気がする。彼女は箸を戻して大人しく正しい食器を持ってきていた。


「そういえば、今日は依頼入れてないだろう?」

「ええ、今日が何の日かぐらいは分かってるわよ、私がそこまで女っ気なく見えた?」

「いや、仕事が入ったらそっちを優先しそうだとは思ったが……」


 じっとこっちを見ているその碧い目は、彼女の故郷の風さながら非常に冷たい。これは多分、相当な地雷を踏んだかもしれない。


「それはそれで、クラリスらしいと思う。だが、俺としてはそれは、嫌だなと思って……」

「…………貴方、本当に変わったわね」


 スープを飲んで彼女の凍った心も融けてくれたようだ。凍っていたかどうかは知らないが、彼女はほうと息をついてこっちを見ていた。


「で、今日私は何時まで寝てればいいの?」

「一八時にここを出る。安心しろ、いつもの中華屋なんかじゃないぞ」

「逆に、あそこの中華屋に“クリスマス”って概念あるのかしらね……」


 確かに気になるな、紅さんはいつも酒を飲んでいるイメージしかない。やはり今日も特段何もないのだろうか。昼に少し顔を出してみるか……


「まぁいいや、ご馳走さま。今日も美味しかったわ」

「お粗末様、片付けは頼んだぞ」


 綺麗になった皿二つを重ねて彼女に渡す。そんな事、造作もない、と言いたげな顔をこちらに向けて台所に向かっていった。

 ふとテレビでは、武装強盗が新都に現れて逃走中という速報のニュースを流していた。



***



「おう、今日は一人なんだな!」


 昼になって、ちょうどクラリスが昼寝し始めたタイミングで中華屋に向かった。厨房には、一年前と変わらず、一人で大柄な男が作業をしている。

 彼はホンさん。俺が昔所属していたPMCの元社長で、そのPMCを設立する前は人民解放軍の中でも恐れられる程の実力の持ち主だったと聞いている。


「はい、いや、特段何も用はないのですが……」

「今日はお前さん達は何をするんだ?」


 完全に見透かされている。あまり人前では出さないようにはしてきたはずなのだが……まさか悟られるとは思わなかった。


「い、いえ、食事をして終わりですよ……」

「そうか、それはいいんだが、俺の知り合いが近くのジ」

「それ以上は、紅さんといえども怒りますよ!」


 思わず声を荒げてしまって気づく。ああ、多分こういうところでボロが出ているのだろう。少し気まずくなってしまう。


「まぁまぁ、個人で仕事をしようとしてきたお前が、憲兵に入局するなんて思わなかったからなぁ」

「それは、別に個人としての執行者である意味がなくなったからです」


 一年前、俺は。あの時は俺ですら何かが折れたような気がしていた。だが、それを支えてくれた一言があったのだ。


『人を大切に想うその良さを教えてくれたのも、貴方よ』


 俺は人から何かを奪う事しかして来なかった。それが、確かに他の人の為になったとしても、確かに俺は命を奪ってきたのだ。

 が顕著な例じゃないか。彼女達は自分の正義に基づいて戦っていただけだった。それを“公の正義”を基に、“公じゃない手段”で摘み取った。

 今でも、それが裁かれるべき罪だとは思っていない。そういう命令を受けたのだから、最後まで完遂するのは当たり前だろう。

 だが、俺は確かに彼女の心に何かを残したのだ。それも、負の感情なんかじゃない。

 少なくとも、上向きの感情を彼女に残した。残したから今のような生活になっているのだ。


 ────だからこそ、俺は彼女が好きだ。


 彼女は自分を飾ることはしない。それは出会った時から変わらない事だった。ありのままの自分の感情をぶつけてくる、ぶつけているつもりはないのだろうが健気にもぶつかってくる。

 彼女の前では、俺も自分をきちんと出していきたいと思わせてくれたのだ。


「そう、一人だったなら、俺はこのままでも良かったかもしれない。けれど、俺はもう一人じゃないんです。なら、より一層『人を守る』選択肢を取ろうとする所に身を置くのは必定なのかと思います」

「……悟も、成長したな」


 豪放な紅さんにしみじみと言われると、どうしてもこそばゆくなってしまう。心がムズムズするというか、どうしてもここから逃げ出したくなる。


「まぁ、愛する人がいるっていうのはそういうこった。お前さんはお前さんなりにそういうのを見つけたんだから、今度はそれを大事にすりゃあいい。まっ、彼女は特殊なケースだ、気をつけて取り扱え」

「爆薬じゃないんですから、まったく……」


 ここでようやく、あの闊達な笑い声が聞こえる。俺は安心して、勝手に出されたチャーハンと餃子を食べ始めていた。デザートはオーギョーチにしようか……




***




「準備できたわ、早く行きましょ?」


 今日行くレストランはドレスコードが厳しめのレストランだ。普段のコートではなく、きちんとしたコートを羽織って玄関に向かう。

 寝室に絶対入ってくるなというお達しの元、リビングで用意していたのだが……


「……似合うかしら、似合っていると思うのだけど……」


 彼女の眼より蒼い、けれど透き通っているようなドレス。彼女の美しさをより引き立てたその姿に、思わず言葉を失ってしまった。


「……行こうか」

「んふ、似合いすぎて何もいえなくなって誤魔化しているのかしら?」


 どうしてこう、彼女はここまで上手いのだろうか。出会った時からそうだった。心の高鳴りが高まりすぎて弾ける前に、彼女の手を取った。


「自分で歩けるわ」

「パートナーにエスコートされるのも女の仕事、そう習わなかったか?」

「…………なんで知ってるのよ、しょうがないわね」


 彼女の手を取って車まで連れて行く。彼女を助手席に乗せてから何台目か分からない車の運転席に乗り込んだ。


「これ、確か五台目よね」

「よく覚えてるな」

「一台目はあの修道院に行った時、二台目は核兵器のバイヤーがビルの上から落ちてきた、三台目はマフィアに車を爆破されて、四台目はテロ組織のハンヴィーと正面衝突。全部目の前にいたんだから覚えているに決まってるでしょ?」


 一年前に憲兵局に入局してから配属されたのは“執行一課”。つまり、昔と仕事は変わらないという事になってしまった。だが、まぁそれはそれでいいかなとは思う。

 何故なら、憲兵には“執行権”の他に“逮捕権”が与えられるからだ。だからこそ、殺すか殺さないかの選択ができるようになった。

 現に、ここ半年くらいは“執行権”ではなく逮捕権を行使している。


「四台目は君が変に彼らを刺激したからだろう?」

「まぁ、依頼だったししょうがないわよね」


 クラリスはクラリスで、私立探偵としてさまざまな依頼を受けている。たまにペット探しをしている時は、流石に笑いを我慢することができなかった。

 だが、彼女は依頼人を選ばないように見えて、自分の基準で選んでいる。彼女の経歴から一度は逮捕されかけたが、俺と行動して国に対して忠誠的な行動をとった。それが認められて特別に永住を許可されたのが、あの事件から二ヶ月後。半年前には“国家執行資格”も手に入れることができた。無論、仕事の紹介は俺からになるのだが……


「まぁ、車くらいいいんじゃない?」

「俺も壊したくて壊してるんじゃないんだがな」


 レストランの駐車場に車を入れて、彼女を降ろす。家から一時間程走らせた所にある山間のレストランは、知る人ぞ知る名店として有名、だそうだ。

 こういう所には仕事ではよく行ったが、プライベートではなんだかんだ言って初めてになる。


「いらっしゃいませ、四ノ宮様でお間違いありませんね?」

「はい、間違いないです」

「ではこちらへ……」


 落ち着いた雰囲気のレストラン、その窓際の席に案内されて席に着く。クラリスが慣れた手つきでナプキンを膝の上に広げているのは、どこか新鮮味がある。

 だが、心なしか顔が強張っているように見えるのは気のせいだろうか。


「……さ、最初に言っておくとね……私、こういう所に来たの初めてなの……」

「……そうなのか?」

「そう、パーティーとかはほら、紛れ込みやすいけど、あの……その、そうね、人と対面して食事をするっていうのはなるべく避けろって教わって来たから……て、テーブルマナーは勿論教え込まれてはいるのだけど……」


 意外だった。彼女が緊張したような顔をするのもそうだが、発言に動揺が混ざっていること自体滅多に見れないものだ。

 少しオドオドとした様子でこちらを伺っている彼女、「かわいらしい」以外の言葉が見当たらないのはどうしようもない。

 少し取り乱してしまった。いや、これが正常なのだろうか。そんなことはないような気がする。ただ、これで俺も少し緊張は解れた。最低限のマナーさえを守っていれば、とりあえず顰蹙は買われない。


「こちら、オマール海老とキャビア 蕪のピューレでございます」


 オードブルから運ばれてきて、シャンパンがグラスに注がれる。なんだかんだ言って酒を飲むのは久しぶりかもしれない。

 タバコもあまり吸わなくなったし、健康を気遣うようになったのはなぜだろうか。

 クラリスは目の前で、得体の知れない料理に目を丸くしている。


「これ、食べていいのよね?」

「いや、勿論食べれるぞ。というか、次が来ないぞ」


 恐る恐る出てきた料理を口にする彼女。確かに、任務でパーティーに参加するとなれば無闇に出てきたものを口にはできないはずだ。そうなればこういった料理にも触れるのは少ないか。

 といっても、俺も年に二回位しかこういったコース料理の店にはいかない。まぁ、その時は“お偉いさん”に会う時と相場が決まっているし、無礼はしていないと思うのだが……


「美味しい、のかしら。比較対象がどこに据えればいいか分からないから、よく分からないのだけど……」

「そうだな、俺が作ってる料理より間違いなく美味い。材料云々じゃなくて、その道の人間が丹念に作ったものだ。他人が俺達の仕事を理解するのが難しいのと同じようなもんだ」


 そんなものなのかしら、と疑いつつも口を拭ってシャンパンに口をつけている。そういえば、彼女は化粧をしている。

 普段はシンプルな口紅とファンデーションくらいしかしていないと言っていたが、今日は一段と手を入れたようだ。それも美しく見える要因だったか。


 いつから俺は、心の中でのろけるようになったのか……


 確かに今までの一年はいい一年だった。何よりも、家に帰ると部屋が暖かいというのが何よりもいいことだなぁとは思っている。


「お待たせしました、エスカルゴのフリカッセ 軽い大蒜にんにくのフランとパセリのエミュルション、でございます」


 魚介のメインが出てきた時には、クラリスはもう一度聞き返したそうな顔をしていた。ただ、それは失礼に当たると思ったのだろう。俺の方をじっと見ている。


「これは、なに?」

улиткаカタツムリだ」

「えっ、戦場でしか食べたことないよ……」


 逆に戦場で食べたのか。何か虫だとかそういうのは心配しなかったのだろうか。いや、でも、戦場で食糧不足に陥ったのなら、俺ももしかしたらそうするのかもしれない。

 とりあえず、食べてみるように勧めてみる。彼女は恐る恐る食べて────


「えっ、美味しい」

「そうだろう、ワインに非常に合うんだ」

「ワイン、飲んだことないのよね。ほら、酔ったら任務にならないし」

「もしかして……」

「勘違いしないで、ウォッカは好きよ」


 そんなことだろうと思った。だが、それにしては彼女が酒を飲む姿をあまり見たことがない。というか、心なしか目がとろんとしているような気がする。


「酒、弱いだろ」

「…………故郷でもそんなに飲んでこなかっただけ。酔って何か漏らしてしまったらそれだけでラーゲリ行きだからね……」


 つまり、間接的には認めたようなものだろう。まぁ、彼女の事だ、そんな事だろうとは思ったが……まぁ、グラス三杯で前後不覚にはならないだろう。


「そんな事より次は何かしら」

「多分、口直しのソルベか来ると思うが……」

「あら、いいじゃない」


 甘い物だとすぐにご機嫌になるようだ。むしろ、何を出されても甘いものに勝るものはない。そんな基本方針まで透けて見えるような気がした。

 フォークとナイフを置いて、皿を下げてもらおうと軽く手をあげ────



「動くな!」

「全員、その場で手を頭の後ろで組んで膝をつけ!」


 男の怒鳴り声が聞こえたと同時に、銃声が複数聞こえた。さっきの気の良さそうなウェイトレスが、隣で倒れたのに気がついたのはすぐだった。




***




 店に入ってきたのは、覆面姿の男が七人。全員が全員アサルトライフルとセカンダリにハンドガンを身につけている。

 入ってたその瞬間、俺とクラリスは反応しようとした。だが、それは食い止められたのだ。

 目の前には、弾を撃ち込まれて苦しそうに喘ぐウェイトレスがいる。


「店主はどこだ」

「は、はい。私が支配人のダリオ・グランドハートと申します」


 これまた気の良さそうな老紳士が奥の部屋から手を上げて出てくる。既に所持品は調べられて、俺もクラリスもハンドガンを持っていかれている。それに何人かも護身用の拳銃を持っていたようだ。スマホはちゃんと目の前で、ホローポイント弾の餌食となった。


「支配人、金と食料を今すぐよこせ。じゃなきゃ、このガキが死ぬぞ」


 客のうちの家族、その中の子供に銃口が突きつけられる。今出ていけば確かに制圧できるものの、犠牲が大きすぎる。

 武器の構え方、銃のチョイス、そして要求から考えて彼らはただの素人だ。人質の取り方も陳腐すぎる。


「し、しかし……」

「早くしろ!」


 男の怒鳴り声がさらに響いて子供が鳴き始めた。別の男が口に銃口を突っ込んで黙らせるところまでは見えた。その間に三人目が支配人の案内により奥の部屋に入っていった。

 しばらく静かな時が続く。奥の部屋ではガサゴソと何かを入れる音、それに何かを話し合う声が聞こえる。


「よし、用意できた」

「じゃあな、いいクリスマス過ごせよ!」


 強盗達は鞄を抱えてそのまま外に出て行こうとした。何もかもが完璧なこの計画。個々人は素人といえど団結力だけは高い厄介な連中だな……

 男が一人扉を開けようとして、こちらを向いた。


「支配人、裏切ったな?」


 その男の声と共に支配人の眉間に銃弾が叩き込まれた。脳漿を飛び散らされる様は流石にクリスマスには見たくなかったが……仕方ない。

 男達が慌てた様子で何かを話している、その外を見れば────

 あれは、憲兵の虎の子とも言われる特殊治安部隊だ。まさか、誰かの通報を受けてもうここまで来たのだろうか。


「バリケードを立てろ、女子供を先に人質に取れ。いつでも撃てるようにしとけよ」


 主犯格と思われるような男の指示を受けて、他の男達が一斉に店内を動き始める。三人はバリケードを立てて────逃亡を図った客を射殺する役割。

 他の三人は人質を捕まえて、立てこもりの準備だろう。既に子供が二人捕まり、男が三人射殺されている。

 そして、もう一人。妊婦が人質に取られていた。


「人質なんざ関係ない、暴れれば容赦なくお前達を殺す。少しでも長く生きていたかったら、おとなしく座っているんだな!」


 妊婦を人質に取った男が、他の人質に対して恫喝している。いや、あれは宣言の方が正しいかもしれない。

 彼らは強盗をし慣れている。おそらく、手練れの強盗だろう。人を殺す事に関して専門ではなくだ。だからこそ、装備や戦闘スタイルが雑に見えた。


「電話だ、イプシロン。取れ」


 店の電話が高らかに鳴り響く。その電話に耳をすませてみるが、相手からは何も聞こえない。


「ああ、そうだ。我々の目的は、松本空港までの安全だ。そこまで行けるのであれば、人質は解放しよう」

「待て、飛行機が発つまでだ。ガンマ、お前は分かってるな?」

「はい、もともとそういう予定だったじゃないですか……」


 電話を乱暴に切りこちらの様子を伺っている。まさかクリスマスイヴに立てこもりに巻き込まれるとは思っていなかった。これはホワイトクリスマスどころか、スカーレットクリスマスじゃないか。

 しかし、ここまで手慣れた武装集団は六六小隊以来かもしれない。彼らは個々人のレベルが高かった割には連携が微妙だった印象を受けたのを覚えている。

 だが、彼らは逆だ。ここまで淡々と人質を“処理”している。これは意外と長期戦になるかもしれないぞ。


「どうだ」

「……難しいわね、今動けば人質は殺される。犠牲覚悟でやるしかないかもね……」


 彼らに聞こえないように意見の交換を済ませる。彼らが突入して来てから一時間、事態は泥沼化していた。

 ただ、長引いてしまえば彼らとてストレスを溜めるはずだ。そして彼らの要求を憲兵が呑む筈はない。

 外をチラッとみる。窓から見える限りで、およそ三チームはドアに配置されているだろうか。裏口に既にいるとしたらもう入って来ている頃合いかもしれない。


「タイムリミットは一時間毎、要求を呑む返答が無ければ人質を一人ずつ殺す」


 彼らは二度目の警察の電話にそう無慈悲に告げた。店内には十二人。長くても半日後には全滅する計算。なのだが、そんなに時間を持たせる筈はないだろう。

 だったら、中から動くしかない。俺はゆっくり声をかけようと────


「ねぇ、人質私にしない?」

「……なんだ、女」


 クラリスが先に動いている。それを制そうと思わず声をかけるが、小さなハンドサインで止められた。


『止まれ』


 彼女なりの作戦を思いついたのか、それはカバーしてやらないとは思うが……

 彼女は手を上げたまま、ゆっくりと主犯格の男に近づいていった。


「確かに女子供を人質にするのはちょうどいい。だけど、彼女達を殺してしまえば当局のヘイトは一気に上がるわよ?」

「……お前、経験者か?」

「さぁ、その辺は“ダーリン”には知られたくないからいいでしょ?」


 と、こっちを見てくる。まさか、なんの話し合いもなしに巻き込まれるとは思わなかった。だが──その唐突なフリと、その意外性、動揺は“演技”するのには非常に丁度いい。

 俺は、あからさまに『怯えた』ような顔を作った。表情が乏しいとよく言われるがそうじゃない。仕事でその表情が必要ならば“作る”事は造作もない事だ。


「ふん、クリスマス限りで終わりか。お前は何者だ?」

「アル・バリ・レトロって名前、聞いたことない?」


 その名前は確かに聞いたことがある。イタリアンマフィア「アルバトロ」のトップにして、公開処刑を好む大悪党。日本に潜伏しているというが、執行一課は勿論のこと情報課や外事一課ですら動向が掴めていないという。


「アルファさん、聞いたことありますか?」

「…………Babboオヤジを何故知ってる」

「だって、昔クレタに連れて行ってくれた仲ですもの……」


 ただ、なんの話をしているのかはわからない。彼女は本当に知っているのだろうか。それともハッタリをかましているのだろうか。

 主犯格は小銃を下げて、クラリスの様子を伺っている。


「なるほど、アンタも結構痛い目にあったんだな」

「ええ、そうね……」

「予定変更だ、三分以内に答えを出させろ。じゃなきゃこの女を殺す」


 クラリスはびっくりしたような表情で捕まっている。これは────多分普通に失敗したな。主犯格はアルバトロに繋がっている。それは間違いなく分かったのだが……どうしても解せないところではある。


「ちょっと、なんで!」

「Babboの愛人だった女にロクな女はいない。今の女はCIA、その前はモサド。その前は大東亜統一戦線の連中だ。三人とも殺されてるが……言ってたんだよ。『第一総局の女には逃げられちまった』ってな」


 まさか、クラリスの過去────エレーナ・ヴェールスカヤ少尉だった頃を知っている人間がいたとは。これは飛んだクリスマスプレゼントになってしまった。


「この砂時計は丁度三分だ、その砂が無くなる前に答えを出──

「てか私が分かるなら、この行為自体無意味じゃなくて?」


 主犯格の男が引き金を引く判断をした頃には、首が可動範囲を超えて曲がっていた。一瞬で何が起きたか、男達には何も分かっていなかった。そう、それこそが彼女の“狩猟”の始まりだ。

 こちらに投げられたのはアサルトライフル。とりあえず、妊婦を人質に取った男は──既にクラリスが脳天に銃弾を叩き込んでいる。

 彼女が向かったのは人質達が集められた厨房の方。客席にいる三人はこちらの役目ということか。


 虫の息なウェイトレスを抱えてカウンターの裏へ。主犯格のカバンからマガジンを三つ、行きがけに拾ってから飛び込む。

 このアサルトライフルは……AKM。あの有名なAK–47の改良版と言われているものだが……だからこそ使い慣れてなくても簡単に使いこなせる。

 単射の場面じゃない。引き金を引き込んで制圧射撃を行う。跳弾は流石にないだろう──!


「憲兵だ、動くな!」

「銃を下ろせ!」


 裏口のドアが壊される音ともに、治安部隊がツーマンセルで突入してくる。俺は大人しく銃を下ろして、手を上げた。

 拘束されそうになったがために、懐から憲兵手帳を取り出させると、どうやら向こうも納得したようで俺は拘束を解かれた。


「離せ、私は違う!!」


 どうやら、クラリスは少し暴れすぎてしまったらしい。他の犯人と違って羽交い締めにされている。

 少し、気に食わないのもあって、俺は彼女の元へと向かった。


「彼女は私の公的な助手だ。離してやってくれないか?」

「……失礼しました」


 羽交い締めから解放されて、彼女はふてくされた様子で立ち上がっていた。

 手を取って、そのまま車に向かおうとする。


「申し訳ないのですが、少し事情聴取の方をさせていただいてもよろしいですか?」

「有給休暇中ですので、休暇明けに出頭させていただきます」


 とっととクラリスを車に乗せて、俺は車を走らせた。流石に、もう面倒ごとには巻き込まれたくない。

 呆気にとられた顔の憲兵を置き去りに、俺は車を走らせた。バンパーの下に弾痕があったのはもう見なかったことにしている。


 レストランから家に帰るその道すがら、峠の途中にある駐車場に止めた。


「ねぇ、ここは家じゃないわよ、大丈夫?」

「少し休憩したいんだ、なんなら運転代わるか?」

「いやよ、峠道だと運ないから」


 自動販売機でホットココアを買ってクラリスに渡す。彼女の隣に座ってから、時間を見れば狙った時間になりつつはあった。

 彼女は冷えた手を温めるかのように、缶を包み込んでた。白い息が二つ、月明かりに照らされている。


「なぁ、もしもあの時、俺がお前を殺そうとしてたら、殺したか?」

「勿論、それが仕事だもの」


 事もなげに話す彼女。その肩は初めて対面した時とさして変わっていなかった。

 けれども、今、その肩は少し震えている。寒空の下に晒されているからなのかもしれないが、少し珍しいかもしれない。


「でも、貴方は殺す気は無かったでしょ」

「どうして、そう思うんだ?」


 彼女は、浮かんでいる月をボーッと見ながらゆっくりと何かを考えている。何かを思い出そうとする時には、こんな表情になるのが彼女だ。

 そのままココアを煽るように飲んで、こちらを向いている。


「だって、本当に私を殺したければ、私の話なんて聞かなかったでしょ?」


 そうだ、俺は彼女の話を聞いた。無理やりだった彼女の提案を飲んで、よく分からない抗争に巻き込まれたんだった。それでも俺は、それを不快に思っていなかった。

 職務、責務を邪魔しない、いい案だとその時は思っていた。だが、本当のところはどうなのだろうか。

 あの場で撃ってしまえば良かった。殺してから状況を説明すれば、何事もなく仕事に戻っていたはずだ。


 それが、今ではこんなことになっている。クラリス、いや、エレーナに振り回されつつも、飽きることのない毎日を送っている。息苦しくなくて、何もわずらうことのない心地良さ。


「そうだな……」

「だから、パートナー選びなんてそんなもんよ。波長が合ってれば背中を預けられるし、合わないなら、はいそれまでって事」


 風が一つ、車を吹き抜けてエレーナが寒そうにぶるっと震える。その肩を、いつの間にか抱いていた。

 こんなにも華奢な彼女に頼っているのもなんだか申し訳ないが、それでも命を預ける相手としては不足ない。






「なら、仕事以外でも背中を守ってくれないか?」





 腕の中に包まれた彼女の肩がびくりと反応する。少し勿体ぶった言葉かもしれないが、逆にこれくらいしか言えることがない。むしろ、俺がこそばゆくなってしまう。

 固まっている彼女の前に黒い小箱を見せる。その中には────勿論指輪が入っている。

 箱を開けて、寒そうな彼女にそっとコートをかける。エレーナは、じっと指輪を見つめていた。


「……なによ、今のままじゃ不満って事?」

「そ、そういう訳じゃないが……」

「全く、背中を一度預けた相手にそんないれられたら、対応するしかないじゃないの」


 そう文句を言う彼女は──顔を見せてくれない。こちらに顔を見せないようにしている。もしかしたら怒らせてしまったのかもしれない。それは申し訳ないが……


「いいわよ、これは契約代として貰ってあげる。その代わり、一つ条件があるわ」

「…………なんだ」

「────先に死んだら、もう一回殺してやるから。私は貴方以外に殺されるつもりはないんだから、あなたもそのつもりでいてちょうだい?」


 これは参った。いつも、いつも彼女の方が上手だったじゃないか。

 ふと、ミラーに映った彼女の表情を見れた。あの顔は……ああ、いい顔だ。心にしまっておこう。


「しかし、まさか言葉のチョイスが変わりすぎててビックリしたわ」

「しょうがないだろ、流石に初めての事は戸惑うものだろ」

「でも、別にいいんじゃない?」


 俺の腕からするりと抜ける。小箱の中の指輪はもう無くなっていた。彼女は左手を夜空にかざして、何かを考えているようだ。

 そんな彼女が愛おしくて、俺も車から降りる。そっと後ろから抱きしめると、エレーナは縮こまるようにこちらの方にもたれかかってきた。


「不器用な事も、二人がいれば克服できるものよ」

「……だったら、の口下手も直せるのか?」


 なによ、とブスッとしながらこちらを見ている。まるで、自分は思ったことしか話してないんだ、と抗議したそうにしていた。


「ま、私ももう隠さなくていいんでしょ、?」

「ああ、好きなだけ話せばいい。別に無理して素を出さなくてもいい。エレーナがやりやすいようにやってくれ」


 だったら、彼女は呟いて────そのまま後部座席に押し倒された。ここで、まさか磨かれた技術を身をもって体験するとは思っていなかった。彼女に馬乗りになられて、その表情を見てようやく理解した。




「これからもよろしくね、Любимыйダーリン?」





 そんなイタズラっぽい笑みを浮かべた彼女を俺は引き寄せる。


 ────夜空のオリオンに見下ろされながらも、今だけはとても、暖かかった。

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