完璧な教室
戸松秋茄子
Raise your hand
いやあ、刑事さん困るなあ。こんな授業中に押しかけられたら。でも、これを見たら納得したでしょ? うちの子たちが刑事さんの言うような悪さをするはずがないって。
なんだい。高木君? なになに……完璧な学級なんてそうあるものじゃない。先生と君たちにはこのクラスが完璧だという確信があっても、外から来た人にいきなりそれを信じろというのは無理がある、と。
なるほど。君の言うことにも一理ある。
余計なことを言った? 何を言うんだい。君は聡明な子だよ。おかげで先生も何度助けられたことか……だから胸を張るんだ。そう、そうだよ。君はうちの学級委員なんだからさ。
ああ、すみません。刑事さん。でも本当に聡明な子だと思いませんか? それに目上の人に対する口の利き方だってばっちり。どうです、このクラスの優秀さを象徴しているとは思いませんか?
どうにも怪訝そうですね。まあ、せっかくだから刑事さんたちに聞いてもらいましょうか。この五年一組がどうして完璧なのか。どうして完璧になったのか。
わたしはねえ、この小学校には赴任してきたばかりなんですよ。以前はここよりちょっと田舎の学校に勤めてましてね。ええ、こんな都会で教えるのは初めてでしたから勝手が分からず苦労したものです。最初は校長や教頭、それに生徒たちとも衝突したなあ。いま考えると先生も若かったんだな。
ん、なんだい。村田さん。たった半年前のことなのに変だって? たしかにそうだね。でも不思議とこの表現がしっくりくるんだな。うん。先生はきっと若かったんだと思う。
今でも覚えてますよ。一学期の始業式、はじめてこのクラスで出席を取ったときのこと。あの頃はまだ完璧じゃなかったから、クラスにも空席がちらほらありましたねえ。わたしが欠席した子の名前を呼ぶと、どういうわけか他の子たちが返事をするもんだからふざけてるのかと思いました。
そうだね、大木さん。それは今となってはばかげたことだと思う。でも、繰り返すけど先生も若かったんだ。
ああ、刑事さん。すみません。脱線してしまって。それで、その「ふざけた」生徒を叱ったんです。出欠は名前を呼ばれた人が返事をするんだなんて青いことを言って。
ごめんねえ、峰倉君。あのときは理不尽に思っただろう? いやあ、いま思うと恥ずかしいな。
おや、どうしたんです。刑事さん。怪訝そうな顔をして。言っている意味が分からない? まあ、落ち着いてください。最後まで聞けば分かりますから。
一学期が終わり、二学期が始まっても、わたしは駄目な教師でした。青二才のままでした。出席状況が悪いようだがって校長にも頻繁に呼び出されましてね。保護者からもクレームが来ていたようです。一学期の通信簿を見たが子供の成績が悪い、指導力不足なのではないかってね。
一応言っておきますが、わたしが前の学校で受け持っていたクラスと比べても、一組の状況が特別悪いと言うことはありませんでした。出席状況、成績いずれも見劣りのするものではなかったんです。けれど、校長や保護者の方々には不満だったようですね。とにかくまずは出席、出席だって厳しく言われました。
なにさ、と思いましたね。いくら熱心に指導したって病気や寝坊がなくなるわけじゃない。遅刻や欠席はどうしたって生じるんだ。それをいちいち重箱の隅をつくように言われてはたまったものじゃない。それが当時のわたしの考えでした。それよりも、ちゃんと指導の方を見てくれと。授業風景を見にきたこともないくせに偉そうなことを言うなって、そう言ってやりたかったんですね。
そんなこんなですから職員室で思わずため息ですよ。どうしたんですかって同じ学年を受け持つ岸本先生に心配されましてね。
岸本先生はもう五年はこの学校にいるって言ってましたかね。先生が赴任してきた頃はこの学校もひどいものだったようです。遅刻、欠席が目立ち、喫煙などの非行も少なくなかったとか。岸本先生が任されたのも、とりわけ問題が多い学級だったようです。だけども先生はそれを見事建て直し、翌年度にはクラス全員で皆勤賞を達成させたというのですから驚かされます。ええ、いわば敏腕教師ってやつなんですよ。
それでわたしはそのときの悩みを話したわけです。教室に空席が目立つ。名前を呼ばれたのとは別の生徒が返事する。それで困ってるって。いやあ、岸本先生も唖然としていましたね。これはとんでもないペーペーが赴任してきたものだと思ったに違いありません。
岸本先生のアドバイスはこうでした。はい、ここちょっと真似入るけどみんな笑わないようにね。ちょっと坂本君。真似する前から笑ってどうするの。湯浅さんももらい笑いしない。ああ、もう。坂本君のせいだよ。みんな笑い始めちゃったじゃないか。とにかく、先生は岸本先生のアドバイスを再現しますよ。
ええ……ごほん。
「いいですか、阿佐ヶ谷先生(ああ、阿佐ヶ谷というのがわたしの名前なんです)。前にどんな学校にいたのか知りませんが、この地域の校長や父母さん方はみんな忙しいんです。授業の中身にまで気が回る人はいません。ですから、出席だとか成績の数字にこだわるしかないんですよ。そういうはっきりしたものにね。目に見える数字がここでは重んじられるんです。
別の子が返事して困るって言いましたよね。いいんですよ、それで。返事があったら、その生徒は出席ということにしておけばいいんです。うちだってそうしてるんですから。大事なのは出席したという記録なんですよ。せっかく生徒も協力してくれてるのに、その善意をどうして素直に受け取れないんですか。
いや、それは分かりますよ。わたしも若い頃はそうでした。そんな些細な数字よりも、指導の中身で評価してくれと。そう考える教師でした。でもそれも今となっては青臭い理想論だと分かります。教師とて人間なんです。できることは限られています。その上でパフォーマンスを向上させようと思ったら、余計なことにはエネルギーを割かないことが一番なんです。
先生も校長や保護者からやいのやいの言われてはろくろく指導に集中もできないでしょう。いいえ、否定しても分かります。最近、お疲れのようですよ。わたしが薦めたサプリは飲んでます? いや、それはともかく、彼らのノイズをシャットアウトするためにもまずは出席という事実を示してやればいいんです。そうすればすっきりして授業に集中できますから。とにかくいいですね。生徒はみんな出席としておけばいいんです」
とまあ、こんな感じだったかな。最初は信じられませんでしたよ。でも岸本先生の言うとおり、出席簿をつけ始めたら、すぐ分かったんですよ。出席記録。それが何より大事だったんだって。
クラスの出席状況は見る見るうちに改善しました。ええ、もちろん毎日無遅刻無欠席です。わたしも十年近く教師をやってますが、こんなことははじめてでした。いやあ、出席を取るときはいつも気分がよかったですね。ストライクがびしびし決まっていく感じというか。ああ、わたしは学生時代、野球をやってたんですよ。
授業にもそれまで以上に身が入るようになりました。入りすぎた、と言うべきでしょうかね。声が大きすぎるってこの子たちにもよく指摘されたっけな。おいおい、有野君。たしかに隣の石塚先生から「少し静かにしてもらえますか」とは言われたのは事実だけどこんなところでしゃべる必要はないだろ。ちょっとは先生の外聞ってものを考えてくれよ。
まあ、とにかくそんな感じですから岸本先生にもやるじゃないですかってほめられましたよ。校長もたいそう満足していたようです。保護者との関係もきわめて良好になりました。すべてがうまく回り始めたんです。
ただまあ、困ったことがあるとすれば、掃除や給食当番の人手が徐々に足りなくなってきたことですね。
サボリ? 何を言ってるんですか。違いますよ。出席状況は完璧だったんですから。ただ人手が足りなかっただけです。ん、なんだい、葛西君。ああ、そうだね、さすがに二人で給食室を行ったり来たりするのはしんどいものがあったね。それに給食があまって大変だった。
それとまあ、授業参観でもちょっとしたトラブルがありましたね。うちは習字の授業を見てもらったんですが、いやあ、保護者の方にもわたしのように物分りの悪い人がいるものなんですね。いや、誰の親御さんとは言いませんよ。その人が「生徒の姿がほとんど見えない。どういうことなのか」なんておかしなことを言うものですから、わたし言ったんですね。「何を言うんですか、みんな出席していますよ」って。そんなことは出席簿を見れば自明のことです。
ただまあ、そのあとは平行線ですね。「出席してる」「してない」の押し問答。授業をストップせざるを得なかったんですから正直言って迷惑な話ですよ。
いや、いいんだよ。吉岡君。最終的には君のお母さんも分かってくれたんだから。え、なんだい、徳永君? 蒲田さんのお母さんが美人だった? 何の話ですか、まったく。はい、みんな静かに。授業は中断してますが、休み時間じゃないんですよ。一学期の初めに決めたクラス目標はなんでしたか? はい、そうですね。村上さん。「けじめをしっかりつける」です。いまのみんなはそれが守れてますか?
はい、静かになりましたね。そうです、先生もみんながやればできる子だとちゃんと知っています。
刑事さん、見てください。教室の後ろに「希望」と書いた習字が並んでるでしょう? その授業参観のとき書いたものなんです。五枚しかないじゃないかって? それがどうしたんです? いやですねえ、何度も言ってるでしょ。当日はちゃんと全員出席していたって。
というわけですね、刑事さん。うちのクラスは完璧なんです。なんなら出席簿を見せてもいいですよ。この半年、誰一人として遅刻や欠席をしたことはありませんから。
刑事さんが言うように授業がある時間に街で万引きしたり、喫煙したり、挙句集団で他校の生徒をリンチしたりなんてできるわけがないんです。なあ、そうだろみんな?
ほら、どうです、刑事さん。みんなきっとあらぬ疑いをかけられて心外だろうに、気持ちよく答えてくれてますよ。偉いもんじゃないですか。
え、誰もいないじゃないかって? 刑事さんも分からない人ですねえ。さっきから何度も言ってるでしょ。誰一人として欠席している生徒なんていません。
ああ、そうだね。高木君。こんなときはみんなに訊いてみるに限る。
はい、じゃあこのクラスが完璧だと思う人は手を上げて。
完璧な教室 戸松秋茄子 @Tomatsu_A_Tick
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます