序章 9

「お前はどうして行かないんだ?」


不意にイザークがこう尋ねてきた。


「ど、どうしてだって?」


勢い、少年は視線を冊子の表紙から相手の顔に移す。


思わず聞き返してしまったのは、彼の質問への答えは、少年がもう何度も皆んなに公言していることだったからだ。



イザークはしっかりこちらの両目を見据えていた。

彼の赤橙の瞳は、少しも動かずにその目の真ん中で静止している。


その射抜くような視線に半ば気圧されながらも、少年は少々忌々しく思った。


そんなことを今更言わせて、一体なんだって言うんだ。



イザーク・ロシュ。


彼の目は不思議だった。

彼を除く、clerの少年達の瞳は薄い緑色をしている。

しかしイザークのものは異色だ。

少年達がいつも窓から眺めている夕日のような赤橙色。

彼の瞳を見つめていると、少年達はどこか懐かしいような気持ちになるのである。

赤みのかかった空に悠然と浮かぶ夕日は、彼らの憧れの象徴だ。

だから好まれこそすれど、その違いのためにイザークが仲間はずれにされることなどなかった。


そしてもう1つだけ、イザークには他の仲間と事情を異にすることがあった。


姓を持っていた、ということである。

さらに正確に言えば、姓が分かっていた、となる。


clerの少年達は自分の姓を知らなかった。

というよりも、大人達が頑として教えてくれなかったのだ。

これもまた戒律による縛りであったわけだが、少年ら当人達はあまり気にしていなかった。


だがイザークは違う。

彼だけは自分の姓を名乗ることができた。


なぜならば、その身体に刻まれていたからである。


『Roșu』


これが彼の右肩に小さく入れられていた、入れ墨の文字だ。


イザーク自身がこの違いのことを、聖職者達に秘密にしてきたというわけではない。

誰もが知っていたことである。

しかし何故か、大人達は彼の姓について何も言及しなかった。


彼らは名簿を読み上げる時も、ごく自然な口調でイザークを姓名で読んだ。

少年達の瞳にはそんな聖職者らが、まるでイザークの違いに見て見ぬ振りをしているかのように映った。



これら2つの違いに、彼自身が寡黙で常に表情を固めていたことが相まって、イザーク・ロシュはどこか神秘めいた少年というのが、「選ばれた者」の仲間達が共通して持つ、彼への印象だった。

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