調べに行く5人

 新藤たちがホームに戻ると、うとうとしていた年配の女性が、起きていた。残っていた3人は雑談していたようだが、青年が新藤に気付いて手を振る。彼は新藤と少女についてきた少年を見て目を丸くした。

「増えた」

「また随分と若い人が来ましたね」

 年配の男性が破顔する。「中学生かな?」

「うん」

「電話できた?」

 青年が、新藤が尋ねたのと同じことを少女に聞く。彼女は首を横に振った。そうして彼女はまた説明した。出口にシャッターが降りていたこと、その前に少年が立ち尽くしていたこと。シャッターの傍でも圏外だったこと。

「シャッターって、終電まだなのに?」

「もう行っちゃったのかしら」

「いや、俺たちずっと待ってましたけど来ませんでしたよ」

「そうですねぇ。ぼくも本読んでたけど、来たら気付くでしょうしねぇ」

 女性の不安げな言葉を、青年と男性がやんわりと否定する。新藤と少女も頷いた。少年はどこか放心しているようで、ぼんやりと線路を見つめている。

「とりあえず、ちょっと駅の中を調べてみませんか?1番線側はちょいちょい覗いてるけど、あっち側見てないし。他にお客さんいるかも」

「そうですねぇ。ぼくも賛成です。あちら側からなら出られるかも知れません」

 青年の提案に男性が頷いて、新藤たちの方を見る。新藤は頷いた。少女も「わかりました」と答えると、

「その前に、自己紹介しませんか?あたし矢神って言います。矢神理沙です。よろしくお願いします。今日はバイト帰り」

「新藤卯月です。えーと会社帰りです。遅延してて」

「どこも遅延してたんだ。俺は厳島圭太です。今日は休みですが明日夜勤です」

「夜勤? 何のお仕事ですか?」

 矢神が興味深そうな顔でたずねると、厳島は「薬剤師」とだけ答えて肩を竦めた。

「すごい! 薬見たらこれってわかるんですか?」

「本があればね。何でもわかるわけじゃないよ。えっと、次は」

「ではぼくが。大久保と申します。大学で教えています。定年して非常勤ですが」

「何を教えてらっしゃるんですか?」

「ヴィクトリア朝文学ですね。ジキル博士とハイド氏とか、あの辺の文学です。さて」

「私? で良いのかしら? 溝口すみれです。主婦でーす。まさかこうやって若い方とお知り合いになるなんて、ふふふ」

「溝口、すみれさん?」

 大久保が急に真顔になった。溝口はそれを見て、「あら?」と首を傾げる。

「どこかでお会いしたかしら?」

「お会いしたような気がしますね。ですが、お互い覚えていないと言うことは人違いでしょうねぇ。ああ、ナンパではありませんよ。ぼくには妻がいますので…ご安心を」

「やだぁ、あたしにだって主人がいますもの、うふふ。でももう少し早くお会いしたかったわぁ」

 溝口が冗談めかして会話を切り上げると、5人の視線は、自然と少年の方に向いた。少年は顔を上げると、

「根岸みなと

 それだけ答える。

「中学生?」

 矢神が聞くと、根岸はこくりと頷いた。

「具合悪い?」

 首を横に振る。

「眠い?」

 首を傾げる。顔を元の位置に戻すと、

「何か、ぼんやりしてるって言うか。ここまでどうやって来たのかとか覚えてない」

「おいおい、大丈夫か?」

 厳島が心配そうに顔をのぞき込むと、根岸は眉間にしわを寄せて頷く。

「大丈夫。別にだるくもないし痛いところもない。あんたが想像しているようなことはない」

「じゃあ良いんだけど……悪くなったら言えよ。駅員室誰もいないからベッドも空いてるし」

「大丈夫」

「そしたら、誰がどこを探しましょうか。ぼくはその駅員室を見たいですね」

「大久保先生が駅員室ですね。俺も行きましょうか」

「あ、だったら私もう一度見たいです」

 新藤が手を上げた。「パソコンとかで遅延情報見られないか調べたいし」

「オッケー。新藤さんと大久保先生が駅員室。俺は2番線の方調べます。矢神さんと溝口さんは?」

「えっと、じゃああたし女子トイレ。さっき男子トイレは厳島さんが調べてくれたし」

「俺、兄さんと行く」

 そこで根岸が口を開いた。誰もが、彼はベンチで休むものと思っていたから、彼の申し出には驚いた。

「根岸くん、君は休んでいた方が良い」

 厳島がそう行ってベンチを指す。溝口が隣を軽く掌で叩いたが、彼は俯いて首を横に振った。

「いやなんだ……動いていないと、頭がぼんやりしそうで……」

「眠いんだよ。何なら寝てて良いよ。絶対に探さなきゃいけないわけでもない。有り体に言えば電車が来るまでの暇つぶしみたいなものなんだからさ」

「いやだ」

 根岸はそう行って厳島の腕を掴んだ。薬剤師は困惑の表情を浮かべて他の客の顔を見回したが、誰もが戸惑っている。

「根岸くんが行きたいなら、良いんじゃない? かしら?」

 その沈黙を破ったのは溝口だった。「その代わり、具合が悪くなったらすぐに戻ってきて休むって言うので。ね? 私ここで待ってるから。電車が来たら、運転手さんに言って皆が来るまで待ってて貰わないといけないし」

「電車って止められるんですか?」

 矢神が驚いた様に言うと、厳島が頭を掻いた。

「駅員さんもいないし、遅延のおしらせもない。だから事情を話したら待ってくれるんじゃないかな? 溝口さん、それお願いしても良いですか?」

「良いわよぉ」

 溝口はにこにこして頷く。新藤はそこで、彼女の服装が黒で統一されていることに気付いた。黒いコートに、黒いストッキングの脚。靴も帽子も黒い。葬式にしてはややカジュアルだ。コートの襟にはプードルを模したブローチがついている。

「じゃあ、行こうか。今何時?」

 厳島の言葉に時計を見ると、0時30分丁度だった。「0時45分くらい目安にここに戻ってくるので良い?」

 全員が頷いた。厳島は根岸を連れて連絡通路に向かう。その背中を見送ると、新藤と大久保も駅員室に向かった。

「行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

 親子のような矢神と溝口の声が後ろで聞こえた。


 大久保はグレーのコートに同系色の中折れ帽をかぶって、苔色のマフラーを巻いている。紳士と言う言葉が新藤の頭の中に浮かんだ。ロンドンが似合いそうである。新藤はロンドンに行ったことはないが。

「パソコン見てみましょうかね」

 彼はそう言うと、窓口に面したデスクのパソコンに近づいた。マウスを握って操作する。「多分、鉄道会社のネットワークに繋がってると思うんですよね」

 大学もそうですし。良いながら、大久保は立ち上がっていたブラウザらしきアプリケーションを呼び出した。そこには彼の言うとおり、鉄道会社のネットワークで共有されている情報が表示されている。F5キーを押すと、タブの左側で読み込み中を示す青い輪がくるくると回り始めた。

「これで最新の情報が読み込めるはずです」

 心なしか、大久保はわくわくしているようにも見える。新藤も、先の見えないこの状況が少しでも進展することを期待して画面を見た。しかし、いつまで経っても読み込み中のまま。

「そういえば、溝口さんとはやっぱりお知り合いだったんですか?」

「親戚に似ている人がいたんですよ」

「あ、そうなんですね…名前も?」

「ええ、すみれさんでしたが…ああ…」

 やがて突然画面が切り替わったと思えば、「ネットワークに接続できません。時間をおいて再度お試し頂くか、接続を確認してください」のエラーメッセージが表示される。

「ふむ」

 大久保は唇を尖らせると、もう一度F5キーを押す。結果は同じだった。「内部ネットワークも駄目ですか」

 新藤の会社でも、社内ネットワークに繋がっているパソコンは、情報漏洩防止のためにインターネットには接続されていない。インターネット専用のパソコンがある。だから、おそらくこのパソコンも外部のネットワークに繋がっていないだろう。

「ちょっと、ネットに繋がるか試しますね」

 新藤はそう言って、自分のスマートフォンをコートのポケットから取り出した。ブラウザを立ち上げて、更新ボタンを押すが、やはり表示されるのは、「ネットワークに接続できません」の文字。

「駄目です」

「ぼくのケータイも試しましょうかね」

 大久保もまた、スマートフォンを取り出した。いくつか操作をしてしばらくすると、「やっぱり駄目でしたねぇ」と言って画面を新藤に見せてくれた。そこには新藤の画面と同じようなメッセージが表示されている。左上の電波状態を見ると、やはり圏外だった。

「向こうのホームで電波が通じれば良いんですけどねぇ。同じ深さで果たして場所によって電波が良くなったりするでしょうかねぇ」

 彼はそう言って、監視用のモニターを見た。新藤もつられてそちらを見る。連絡通路から向こうのホームに出てきた厳島の姿が映っていた。それだけ見ると、大久保は電話に目を落とす。

「通じるでしょうか?」

「通じないと思います」

「ぼくもそう思いますが…試して繋がれば儲けものと言うことで」

 言いながら、大久保は電話を取った。受話器を耳に当てると、ゆっくりと新藤を見る。その顔にどこか諦めの色を見て、繋がっていないことを悟る。

「音がしません」

 信号音もしない、と言うことだろう。差し出された受話器を受け取って、耳に当てる。確かに何の音もしなかった。呪いのこもった声が聞こえることもない。まったくの無音であった。新藤は信じられない思いで受話器を大久保に返す。彼はそれを戻すと、首を横に振った。

「少なくとも、こちら側では完全に連絡手段が絶たれているようですね。矢神さんが言うには、出口付近でも圏外だったようですし」

「出口ってほぼ地上ですもんね…ていうかいつもだったらホームでもネット使えるし……」

「ええ、ですから、少なくとも1番線側では電波もネットも使えないと」

「何でそんなことが……待ってるとき私ネット使ってたんですよ」

「そうだったんですか?」

「はい……電車が来るちょっと前……50分くらいには普通に使えてました。でももうすぐ電車来るなって思った頃から接続が悪くなって……あの時もネット繋がりなくなりました」

「ふむ……ネット障害が起こったのは、電車が来る予定の時間、と言うことですね。偶然でしょうか?」

「どういう意味ですか?」

「ヴィクトリア朝文学って、結構超常現象を扱ったものが多いんですよ。それこそジキルとハイドみたいなね」

「先生、これがホラー現象だって言うんですか?」

「でも、それに近いことが起きているでしょう」

「そうですけど…」

 大久保はどこまで本気なのだろうか。新藤がややこわばった顔で口ごもっていると、彼はにこりと明るい笑顔を作って見せる。

「冗談ですよ! 妙な話をしてしまって申し訳ない。まあ、それでなくても異常な冷え込みですからねぇ。電波障害も起きるのでしょう。多分」

「多分って」

 新藤も笑う。「うーん、でもそうですよねぇ。今日めちゃくちゃ寒いですし……寒いからシャッター閉めたってことも」

「ああ、あり得そうですねぇ。寒いですし」

 2人は顔を見合わせて笑う。でも、そんな筈はない。だとしたら、閉めた駅員はどこに行ってしまったと言うのだ。そんな筈はないのだ。新藤もそれはわかっている。大久保もそうだろう。だが、深刻に考えるのは耐えられない。異常性を認識してしまえば何も出来なくなってしまうことはわかりきっていたから。

 駅員が突然入って来て、「何してるんですか」と声を掛けてくれることを、新藤はまだ期待している。


 矢神は女子トイレに入ると、個室を一つずつ見て回った。特に何もない。水道も、綺麗な水が問題なく出る。なんだかホラーにありそうな状況だが、血の混ざった水が出ることも、長い髪の毛が指に絡みつくこともなかった。掃除用具入れに死体が入っていることもない。駅から出られないこと以外は、今のところ全く問題はない。それがかえって不気味だと言えばその通りだが、矢神は楽観していた。どうせ電波障害で、電話線の繋がっている駅員室の電話か公衆電話なら外と連絡が取れるだろう。戻った頃には、駅員室に行った大久保と新藤、あるいは反対側の駅員室を調べる厳島と根岸が、「電話繋がったよ」と言ってくれる。矢神はそう信じていた。トイレには拍子抜けするほど何もない。まだ集合時間には早いが、反対ホームに行く2人のための時間である。すぐそこのトイレを探す自分は早く戻っても問題はないだろう。

 異常がないことを確認してから、用を足して矢神は女子トイレから出ようとした。その時だった。奇妙な音を耳が拾う。流した水が、下水に流れていく音かと思ったがそうではない。この音を彼女は知っている。学校でたまに聞く音だ。

すすり泣きだった。

 さっきまでの楽観はどこかに吹き飛んだ。だって、全ての個室と、掃除用具入れを調べたのだ。生きてる人間どころか、死体だってなかったのに。一体どうして。鳥肌が立つと同時に、彼女は振り返った。洗面台の下にうずくまって泣いている人影が見える。矢神がよく見ようと目をこらした瞬間に、その人影は跡形もなく消えてしまった。矢神はしばらくそのあたりを凝視すると、悲鳴を上げる余裕もなくトイレを飛び出した。

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