第3話 夜の出会い

 お茶を飲み終えた私は、気晴らしに散歩でもしようと、玄関から外に出て、広い寺院の境内をぶらぶら歩いた。

 門の所に立って、街の方に目を向ける。そこには、まだ大勢の人が、行きつ戻りつしていた。

 通りを挟んだ向かいの小学校には、明々と電灯が点り、いくつかの人影が動いている。コンクリートの門柱に背を寄せて、それらの人々をぼんやり眺めていると、私のすぐ傍らを、青いジャージの子が急ぎ足で通り過ぎた。

「キミ、ちょっと!」

 考えるより先に、声をかけていた。

 その子は、つんのめるように足を止めると、私に背をむけたまま「なんか用か」と聞いた。まるで男のような低い声で。


 声をかけたものの、次の言葉がみつからず、私はあせった。

 取りあえず「さっきは、ありがとう」を言う。

「ありがとう? オレ、なにもしちゃあいねえよ」

 そして、くるりと身体を回転させ、こちらに向き直った。


「あっ、いや、その、さっきキミから、お茶をもらった」

 私は意外な展開にあわてた。


「お茶ぐらい、誰にだって出すさ。それより、あんた、どっかで見た顔だと思ったら、毎朝喫茶店からオレを覗いている、あの変なオッサンだな」

 彼女の顔が、街灯の光に青白く染まって、すごみを帯びているように見えた。


「いや、別に、あれは、キミだけを見てるわけじゃない。学校へ行く生徒を眺めて(若い子はいいなあ)と思っているだけさ……」

 言い訳がましく、しどろもどろになる。

「嘘つけ! このロリコンが。いいか、オレには、オジン趣味はねえんだ。エンコーなら、ほかを当たりな」

 彼女は、さも軽蔑したように「フン!」と鼻を鳴らすと、薄暗い通りを交差点の方に歩き始めた。


「おい、ちょっと待て!」

 私は急いで追いつき、いくらか荒い語調で呼び止めた。「ロリコン」とか「エンコー」と言われて、いささかカチンと来ていた。

 彼女の斜め後ろをセコセコ歩きながら「それは、キミの誤解だ。そんなつもりじゃ……」などと、くどくど続けた。

 なにより、彼女に侮辱されたのがショックだった。


(年端もいかないガキ相手に、いい年をした大人が、なにを……)

 そう思ったが、このままでは立つ瀬がない。そのツンとした横顔を見つめながら、しばらく続けていると、その子が急に立ち止まった。勢い余って、ドンと彼女の肩にぶつかる。


「いてぇなあ……」

 彼女は肩をさすりながら「気をつけろよな」と顔をしかめた。それから、私をジロジロ眺めて「オッサン、あんたケータイ持ってるか」と聞いて来た。


「ケ、ケータイ?」

 面食らった。 

「ケータイって、あれか。携帯電話?」

「ほかに、なにがあるよ。持っているんなら、ちょい貸してくれ」

 彼女は、もう手のひらを、私の前に差し出していた。

「えっ、キミ、持ってないの?」

「オレんちの学校は、禁止なんだ。ケータイがあると、男といちゃつくからダメなんだと」


 今時、変な学校だなと思いながら、ポケットから携帯電話を取り出す。

「つながらないよ。さっきから、ずうっと家にかけているが、不通になっている」

「でも、通じることもあるそうだ。とにかく貸してくれ」

「どこに、電話するの?」

(まさか警察じゃあ。「痴漢に襲われてまぁ~す」とか。警察になら、こんな時でもかかるかも……)

 ちゅちょする私の態度を、彼女は不思議そうに見ていた。


「オレの家に決まってるじゃないか。お寺のじゃつながらないんだ」

(家、家だって……)

「家って、キミんち、ここじゃないの?」

 私は、お寺を指差した。避難者たちにお茶を配りながら、お坊さんたちと親しそうに話していた姿は、親しい家族同様の仲に見えたが。


「まさか、ここは今夜一泊の居候。なにかあったら、この寺を頼るように言われているんだ。ここの偉い坊さんと、実のオジキとは従兄弟なの」

 彼女は、そう言って胸を張る。ジャージの胸元がふくらんで、思わずドキリとした。


「へ~え、そうなの。で、キミのお家はどこ?」

「浅草。地下鉄が止まってるから、帰れない。オッサンと同じ」

「学校は? こんな時は、先生もいるんでしょう」

 こんな大災害時は、私立校でも、避難所になっているだろうに。


「え~っ、やだよ。女ばっかし、じゃん」

 その言い方に、思わず笑ってしまった。

「キミも女じゃ……」

 言いかけたとたん、ゲンコツが飛んで来た。当てる気はなかったとみえ、頬をかすめただけだったが。 

「二度と、女って言うな! 今度は本気で殴るぞ。オレ、空手やってんだ」

 彼女は目に怒りをたたえて、私をにらんだ。


「女じゃない? すると、キミは……」

 私の問いに、その子は言っていいものかどうか、迷っているようだったが、意を決したように、こちらを探るような目をして答えた。

「そう、お察しの通り……オレのここは、男のなんだ」

 彼女(彼か?)は、人差指で自分のこめかみをつついた。


「おかげで、中学校の頃は、ひどくいじめられたもんだ。クラスの野郎どもに」

 そして、なにかおぞましいことでも思い出したように、顔をゆがめた。

「そいで、学校に行けなくなっちまったんだ。足がすくんで、どうしても玄関から出られない。そしたら親父と、実のオジキが共謀して、この女子校に押し込めやがった」


「その『実のオジキ』という人は、キミのなんなのだ?」

 この子が自分のおじに『実の』とつけるのに、違和感をおぼえた。

「はあ、『実の』と言ったら『実の』さ。『血のつながった』という意味だろう、普通。学園の理事長なんだ、あいつ……」

 彼女(彼か?)は、なにやら複雑な顔をして、言葉を濁した。


「理事長? キミの学校の? それじゃあ、世田谷にある、舞鶴女子大か。時々テレビに出て来る小村正美? あの人がキミのオジサン? すると、キミの名は小村?」

 私は、やたらと語尾に(?)マークをつけ、詰問調で尋ねた。


「ああ、テレビの人物だよ。でも、驚くこたぁない。オレの学校には、有名人のお嬢様がわんさかいるんだ。それに、オレの名字は『水沢』で、小村じゃない」

 彼(?)は、美人というより、イケメンといった感じの顔を傾けながら、こともなげに、すらっと答えた。


「ふ~ん、なんか訳ありみたいだけど、上流階級てぇのは、皆そうなのかい」

 私は、半分やっかみを含んだ口調で聞いた。

「みんなじゃないさ。オレの家は、ややこしいいんだ」

 水沢クンは、ため息をつきながら、暗い空を見上げた。だが、すぐこちらに目を移して「で、ケータイはいつ貸してくれるんだ?」と、思い出したように催促して来た。


 私はズボンのポケットから、白い機器を取り出して渡した。水沢クンは慣れた手つきで、しばらくいじっていたが「やっぱり、ダメだ……」とつぶやいて、それを私に返した。

「連絡、取れないのかい?」

「取れない……あとは、公衆電話だけか」

「公衆電話?」

「公衆電話は通じるらしい。なぜかわかんねえけど」

 そう言って、彼(?)は、夜の街角を見まわす。


「公衆電話なら、この先にあるじゃないか。俺も電話したいし。一緒に行こう。水沢クン」

 そう誘うと「その『水沢クン』は、やめてくんねえ。気色わりぃ!」と顔をしかめた。

「じゃあ、なんて呼べばいいの?」

「レイだ。レイと呼んでくれ」

「レイ……『レイ』とだけ……漢字、どう書くの?」

「レイでいい。それ以上、知る必要ないよ。オレ、もう、明日からここに来ないんだから」


「えっ、来ないって?」

 私は、なぜかうろたえた。

「卒業だ。今度の日曜は卒業式だよ。それまで学校はお休み。地震のせいでな」

「卒業したら、どこか遠くに行くの?」

「高尾。そこに大学のキャンパスがあるんだ。オレは美術科だから、世田谷の本校にはない」


「高尾……八王子の先」

「ああ、そこの寮に入る。追いかけて来ても無駄だぜ。男子禁制なんだ。まわりは高い塀に囲まれているから、絶対に入れない」

 この生意気な少女は、私の顔を下から見上げてニヤリと笑った。

「誰が……」

 言い返そうとしたが、言葉が続かなかった。もうこの子の姿を見ることはないのだ。せっかく友達(?)になれたというのに。


 私たちは、肩を並べて、公衆電話のある方に向かった。

 この時、私は黒い革ジャンの若い男と、赤いセーターのもう一人の男が、こちらを見ているのに気づいたが、別段、気に留めなかった。










 









 





 






 



























 

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