覚悟を決めました

 二人とも食べ終わった時、ふうっと長く息を吐いた翔太くんが突然切り替えたように、射抜くような鋭い眼差しで私を見つめてきた。


「琴音」

「は、はい」

「あいつとは連絡取った?」

「……ううん、取れてない。メールの返信もできてないの」

「そうか……なあ、琴音はこれからどうしたい?」

「え?」

「黒崎と、また会いたい?」

「……うん、会いたい、と思う」


 会えるかどうかは置いといて、もう二度と会わなくていいかと聞かれたら、それは嫌だと答える。


「会って、真実を聞く勇気があるってことか?」

「そ、それは」


 もし真実を確かめる必要がないなら、確かめることから逃げてしまいたい。そこから目を背けて気付かないフリをして、会い続けたい。でも、そんなことをして意味があるのか。

 先のない関係に戸惑いながら、私は黒崎さんとの時間を過ごせるだろうか。

 何も望まない。そう割り切れるだろうか。

 黒崎さんの言動にこれまで以上に一喜一憂して、嬉しいことがあっても『勘違いしてはいけない』と自分を戒めながら過ごせるだろうか。


 ……無理、じゃないかな。


 私にはそんな難しいことはできないと思う。それなら真実を確かめて、相手がいるということであれば、諦めるなり、以前の距離に戻って片想いを続ける覚悟なりをした方がいい気がする。今のままでは身動きが取れないことくらい、本当は分かっているのに。単に意気地が無いだけだ。


「琴音が真っ直ぐに黒崎のことを想っているのは知ってる。だから、琴音が黒崎にぶつかってみたいというのなら応援したい」

「……翔太くん」

「でも、もし、もう諦めてしまいたい、忘れてしまいたいと言うのなら、全面協力する。だから、琴音。気持ちを固めろ」


 つまり、黒崎さんと向き合うのか、このまま諦めるのか、という決断をしろということ?


 私はどうしたいんだろう。あの日から散々悩んできたのに、未だに答えが出ていない。思わず俯いて考え込んだ私のことを、翔太くんは何も言わずにジッと待ってくれる。

 下を向いていた私は、その視線が真っ直ぐで、温かくて、でも切なげで、特別なものだなんて、まったく気付かなかった。


 それからどれくらい時間が経っただろうか。

 黙り込み、身動きすら取らなくなった私の思考を助けるように、翔太くんはポンっと私の頭に大きな手を乗せた。その重みと温かさがじわりと胸に滲み込む。

 ドキドキもするがそれと同時に、こんがらがった頭の中が平静を取り戻していくのが分かる。黒崎さんとは全然違うその手。ドキドキすることに変わりはないのに、この時の翔太くんの手は不思議と私に落ち着きを与えてくれた。


「琴音、少し考えてみて欲しい。一緒にいてすごくドキドキしたり、ひどく緊張したりして、息切れすら覚える相手と、その人と比べるとドキドキはしないかもしれないけど、落ち着ける相手。どっちを琴音は望む?」

「どっち、って……」

「恋人にもいろいろあると思うんだ。一番好きな人と気持ちが通じ合えれば、それが幸せかもしれない。でも、世の中、そう上手くはいかない。そうなった時には別の人に目を向けるのもいいと思う」

「……うん」

「一番好きだけど緊張する人と、一番ではないけど穏やかで居られる人。果たしてどっちがいいんだろうか」


 いつになく真剣に話す翔太くんの瞳が、ものすごく綺麗で印象的だ。翔太くんの性格がとてもよく表れている。ふざけるわけでもなく、言葉を選ぶように慎重に話してくれているのが分かるため、この問いには私も真摯に応えなくてはいけないと思った。


 緊張する人というのは、黒崎さんのことだろう。

 では、穏やかでいられるというのは誰?


 翔太くんの例え話という可能性もあるから、今は誰かという問題は深く考えないでおこう。私の本来の性格を考えたら、緊張ばかりする人よりも心穏やかに過ごせる人の方がいいかもしれない。

 それでも……。まだまだ知らないことの多い黒崎さんだけど、書店で遠くから眺めていた頃と比べたら、随分と距離が近くなった。少しずつ知る度に、ますます惹かれていく。

 どうしてだろう。これまで出逢ってきた男性と黒崎さんの違いは、なんだろう。いつの間にか、当たり前のように私の心の中に入り込み、一番大きな存在になっていた。

 そこからじわじわと熱を発し、私の全てを熱くする。今まで眠っていた何かに火が灯り、自分が女だということ知る。心が穏やかに過ごせる人というのは大事なことかもしれない。

 でも、それは果たして『男性』として好きなのか。異性であることを意識してトキメキ、自分を女として感じられるのか。いや、私に色気とか、大人っぽさだとか、そういったものがないのは分かっているのだけれど。それでも、一応は女の端くれではある、と思いたい。

 黒崎さんを好きになるまで、そんなふうに自分を見たことがなかった。こんな私でも男性を好きになれるのだという驚きに始まり、ドキドキしたりキュンっとしたり、悩んで苦しくなって、嬉しくても不安でも眠れなくなって。

 小説を読んでその世界に浸り、登場人物と共にドキドキするよりも、遥かに忙せわしない感情を知った。いい意味でも悪い意味でも、私を振り回すのは全てに於いて黒崎さんに他ならない。それこそが、黒崎さんが特別だと示しているのではないだろうか。

 好きなところはたくさん挙げることができるけど、結局は存在そのものが好きなんだと思う。そんな人を諦めて、別の人の隣のいることが私にできるのか。その問いの答えは、否だ。


「すぐに答えが出るとは思ってないから。悩ませてるのも分かってるけど、よく考えてみてほしい」

「……うん。でも、悩む、というより、勇気がまだ充分じゃないって感じかもしれない」


 恐らく、私の中に答えは既にあるのだ。それを明確にして、決断して、行動を起こす、その勇気が足りない。


「そうか。琴音の中にもう答えがあるのなら、それでいい。勇気を出すために背中を押して欲しかったら、言えよ」


 そう言って、ニカッと歯を見せて笑う翔太くんがとても眩しい。普段は少し意地悪だったり、おふざけしたり、千絵さんと言い合いばかりしているのに、いざとなったらこんなに優しくて頼りになる。とても年下だとは思えない。それとも、私が経験不足が故に幼いからだろうか。

 手のかかる女だと思われているんだろうな。どうして、翔太くんはこんなにも親身になってくれるのかな。

 お礼を言った私の頭をクシャクシャと少し乱雑に撫でてくれたため、そんな疑問は頭の中からスポンっと抜けていった。


 その後、二人でファミレス後にして、家まで送ると言う翔太くんをなんとか説得して駅まで送ってもらい、そこからは一人で帰路に就いた。

 電車の中から窓の外を流れる街の光を眺めながら、思考は黒崎さんのことへと移る。

 翔太くんが言ったことはすごくよく分かる。

 ドキドキして、緊張して、振り回されて、もしかしたら自分を見失うかもしれない相手である黒崎さん。

 ホッとできて落ち着ける、黒崎さん以外の男性。

 どちらを選ぶのか。

 私はどんな男性を求めるのか。


 ……どんな、男性?


 そんな選べるような人間じゃないのに、なに生意気なこと考えたんだろう。万が一、いや億が一でも、私に心を寄せてくれる人がいて、その人の隣を選んだとしても、絶対に黒崎さんと比べてしまうに違いない。

 それだけは、してはいけないことだと思う。だったら、報われなくても、この先黒崎さんと時間を共にすることができなくても、私は想い続けたい。


 初めて好きになった人。


 後にも先にも、私がこんなに好きになれる人はいない気がするのだ。誰でもいいわけではない。私が想うのは、黒崎さんしかいない。それならば、答えは決まっていて、取るべき行動も決まっている。

 私はやっぱり黒崎さんを信じたいんだと思う。確かにあの会話やあの雰囲気は、限りなく夫婦、もしくは恋人同士のものだった。

 それでも、信じたい。黒崎さんは誠実な人だと。

 特定の相手がいるのに、違う女の人と出掛け、手まで繋ぐなんて、そんなことはしないはずだ、と。

 私が黒崎さんにとって、特別な存在だなんて烏滸がましいことは思わない。もしかしたら、私のことなんて子ども扱いしていてデートだと意識されず、特定の相手がいても私と会うなんて平気だったのかもしれない。

 それでも、その相手に誤解されるようなことをするだろうか。そんなことはしないと思うんだ。理由や根拠があるわけじゃない。だから、千絵さんや翔太くんに説明するように言われたらできない。

 こういうのを、バカって言うのかな。でも、私はバカだもん。このままバカのままでいい。

 笑われても、貶されても、このままでいたい。私は自分の心に素直でいたいんだ。

 その結果、辛い思いをするかもしれない。黒崎さんのことを忘れられず、死ぬまで一人でいることになるかもしれない。でも、黒崎さんを信じられなくなるよりはずっといい。


 これが、今、私が出せる答えだ。


 心は決まった。


 真実と向き合う覚悟を。


 そして、どうか──────。

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