突然のことについていけません
「ああ、もう、本当にごめん」
「いえ、あの、大丈夫ですか……?」
「うん、もう大丈夫」
「えっと、どう、したんですか? 私、何か粗相してしまいましたか?」
あまり笑わない黒崎さんを爆笑させるほどの失態。聞くのも恐ろしいけど、聞かないわけにいかない。もし、改善可能なことであれば、即刻改善すべきだ。
「粗相なんて、とんでもない。もう、あまりにもおもしろくて」
「何が、ですか?」
「送ってくれたメールだよ。プライベートのメールで、あんなメールもらったのは初めてだよ。出先で読んでしまったから、堪えるのが大変だった」
「あああ……メール」
やっぱり、変だったのか。
「笑ったけど、ちょっと淋しくもあったよ」
「え、淋しく……ですか?」
「うん、仲良くなったつもりでいたのに、藤原さんからもらった初めてのメールが異様に堅かったから、距離を感じた」
「すみません。そうですよね、仲良く……え?」
仲良く?
私と黒崎さん、仲良くなってたの?
メールも誘いも困ったとか、不快にさせたとか、図々しいとか、そういうことじゃなくて?
その事実がすぐには頭の中に入ってこなくて、茫然と言葉を失った。
「それに、毎日のようにメールをしてるのに、『如何お過ごしですか』とか。もう、 なんていうか、いろいろツボにハマったよ。やっぱり藤原さんはおもしろいね」
「え、っと」
おもしろいとか。どうしよう、嬉しくない。だって、私は至って真面目に作成したんだもの。でも、いろいろとおかしいことは分かった。
私も黒崎さんから同じメールが届いたら、ちょっと可笑しくて笑ってしまいそうだし、突然開いた距離感を淋しく思いそうだ。それと同じ気持ちになってくれた、と思っていいのだろうか。
「あぁ、それでね、メールの返事だけど」
「え、あ、はいっ」
想像して笑いそうになりつつも、送ってしまったメールへの後悔で複雑な心情になっていたが、突然の切り返しにキュッと身が引き締まる。遂に、お誘いに対しての返事をされる。
「ごめん。なんとか時間を作りたいと思ってるんだけど、まだ当分忙しくて……仕事が落ち着いたら必ず会う時間作るから、待っててもらえるかな?」
「……はい。もちろん、です」
「せっかく誘ってくれたのに、本当にごめんね」
「いえ、気にしないでください。忙しいことが分かっていたのに、お誘いしてしまったので」
「また、連絡するよ」
黒崎さんは優しい声で、私の勇気をスッパリと切った。その声の優しさが却って残酷な気がするのは、私の経験不足のせいだろうか。そんなことにショックを受けるべきではないと分かっている。
だって、仕事なんだから。至極尤もっともな理由。大人として当たり前のこと。忙しいんだから、会えないことが当然だと思っていた。
恋人、でもないし。
でも、こんなにも悲しくて苦しくなるなんて。本当に私は我儘になっちゃったんだ。こんな私は知られたくない。黒崎さんの特別になれないのなら、せめて『いい子』でいたい。
「あの、私なら大丈夫ですので……だから、黒崎さんはお仕事のことだけ考えてください。無理、しないでくださいね」
「いや、無理……あぁ、うん、分かった。ありがとう」
やっぱり、 無理しようとしてたんだ。
「いえ、それでは。おやすみなさい」
「……おやすみ」
黒崎さんの返事を聞いて、私は先に電話を切った。普段なら私は人が切るのを待つのに、今日ばかりは待つのが辛かったから。
携帯をテーブルに置き、溜息と共にベッドへ身体を沈める。まさに玉砕。
『当たって砕けろ』
それが言葉通りになったな、と苦笑するしかない。告白したわけではないし、理由なく断られたわけでもない。ましてや、黒崎さんはまた連絡してくれると言ったし、落ち着いたら会ってくれると言ってくれた。今はそれで満足しないといけないのに、でも、という言葉が拭いされない。
なんとか気持ちに折り合いをつけて、落ち込むのは今日限りにするのだと心に決めた。
***
数日後。
ここ最近の中では、一番冷え込んだという日の夜。
私は千絵さんと翔太くんと三人で、夕飯を食べに行くことになった。三人ともが早番で終わるというのも珍しく、そういう日が久しぶりだったということもあり、自然と食べに行く流れになっていた。
翔太くんが一緒なのはそれほどないが、喧嘩ばかりしている千絵さんと翔太くんも、なんだかんだ言って仲がいいのだと思う。
今日行くのは、千絵さんが彼氏さんと行ったというトラットリア。書店の最寄り駅に近いこと、美味しかったこと、リーズナブルだったことが、千絵さんのお気に入りらしい。トラットリア、だって。なんだかお洒落で大人になった気分だ。
書店を出てから、三人で連れ立ってお店に向かった。私と千絵さんが並んで歩き、その後ろを翔太くんが歩く。何度も翔太くんが私達の隣に並ぼうとしたが、その度に千絵さんの妨害に遭ったり、他の歩行者の邪魔になったりとうまくいくことはなかった。
ここだよ、と言われて止まると、お洒落なイメージそのままの外観のお店があった。赤土色の煉瓦造りの建物はライトアップされていて温かい雰囲気で、お洒落だけど敷居の高くない
慣れていない私でも、気後れすることなく入ることができそうなのは有り難い。まだ店内に入っていなくても分かるいい匂いは、それだけで食欲を誘った。店内は明るく、清潔感のある漆喰の壁はストーム仕上がりになっている。
それほど大きなお店ではなく、カウンター席が十席。四人掛けのテーブル席が十席といったところだ。カウンターの中にはたくさんの瓶が並んでいて、詳しくないけれどすべてお酒らしい。ただズラッと並んでいるだけなのに趣があるのがおもしろい。
案内されたのは奥にある四人掛けのテーブル。壁を横にして私と千絵さんが並び、 向かいに翔太くんが座った。注文は千絵さんと翔太くんにお任せし、私は暢気に店内を見渡していた。
飲み物は当然、私だけがジュースで、二人はアルコールだ。ノンアルコールカクテルどころか、ジュースというのが悲しくなってくる。
「それで、結局会えてないんでしょ?」
ある程度料理を食べ終わり、ゆっくりお酒を楽しむ千絵さんと翔太くんを見ながら、私はチビチビとオレンジジュース飲んでいた。千絵さんがお酒に強いことは知っていたけど、翔太くんまで強いというのは悔しい。翔太くんより私の方が先に成人しているというのに。
「会えてないです」
「電話は?」
「御断りの電話をされたっきりです」
メールは相変わらずしているけど、電話はない。私からは掛けられないし 、黒崎さんも忙しいからか掛けてくる様子はない。私にとってはメールできるだけでも嬉しく、緊張する電話がないことはそれほど気になっていないのだけれど。
「俺なら忙しくても電話くらいする」
口を尖らせて、翔太くんはおもしろくなさそうに言った。その言葉を千絵さんも頷いて聞いている。その息の合った雰囲気に、私だけが仲間外れにされているように思えてしまう。
「電話をするのは、当たり前、なんですか?」
「まぁ、難しく考えるまでもなく電話するのが普通じゃない? 友達とですら、久しく会ってなければ電話するし。もちろん、頻度は人それぞれだけど」
ということは、黒崎さんにとって私は会えなくても話せなくてもはいい存在ということ?
反対に黒崎さんからしたら、私も同じだよね。メールだけで満足してると思われてるのだろうし。
「……私にはその辺が難しいです。何が普通で、何が普通じゃないのか。この状態が何を示しているのか。全然、分かりません」
「これが琴音なんだから、相手がそれを汲んでやらなきゃいけないんじゃねぇの?」
静かにビールを飲みながら、千絵さんと私の会話に翔太くんが口を挟んだ。
「それは、私もちょっと思う」
「琴音には積極的にいかないと上手くいかないだろ」
「でも、黒崎さんだって消極的なわけじゃないでしょ?」
「かと言って、積極的ではないだろ? 実際、琴音は戸惑ってるし、なかなか進めてない」
「確かに、それは否定できない。でも、こっちからは何もできないよ?」
「……無理、しなくてもいいんじゃないか?」
「付け込むつもり?」
「いや、それこそ無理はしない。でも、隙を狙ってはいる」
「翔太って、意外と肉食系だよね」
「それでも気付かれないけどな」
ぽんぽんと言い合う二人に、私はまったく口を挟むタイミングを与えてもらえず、キョロキョロと交互に見るしかできない。
その時、ちょっとした仕切りになっている観葉植物の向こう側にお客さんが案内されて来た。時計を見るといつの間にか二十一時を過ぎていた。店内はそこそこ混み合っていて、賑やかだ。
それでも隣からの声は充分聞こえ、そして、その声に私も二人も息を飲んだ。
「はぁ、お腹空いた。怜司がさっさとしないから遅くなったじゃない」
「そう言われても、クライアントの都合があったんだから」
「はいはい。ほら、いつもの感じでいいから頼んで」
「分かったよ。本当に結実は我儘だな」
「今更でしょ」
「ははっ。確かに」
『怜司』 『結実』
この声。その名前。黒崎さんだよね?
……結実さんって、彼女?
いないと思ってたけど、まさか。でも、確認したわけじゃない。私が勝手に決めつけてた。
黒崎さんは未だに私のことを苗字で呼ぶ。当然、私も黒崎さんのことは苗字で呼んでいるわけで……。今、陰になって見えないけど、隣にいる二人は私よりも確実に近い距離にいるんだ。
それに。私とは忙しくて会えないって言ってたよね?
でも、結実さんとはこうして会ってるんだ。
現実を受け止めきれず俯くと、手の中にあったグラスが汗を掻いていて、私の手を濡らしていることが分かった。その滴はまるで自分の涙のようだ。まだ泣いていないのに。まだ、胸の痛みも悲しみも、整理できずに涙に繋がってもいないのに。
私の初恋は、これで終わり……?
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